37話 「ヒロトの居場所」

 フレイア従業員と別れ、ヒロトのこれまでの態度を思いだしながら、リアンは二階への階段をひとりで登っていた。

 二階に上がると、ヒロトの部屋のドアが奥に見える。

 今まではヒロトの部屋だということに気がつかなかったが、考え事をしてゆっくり歩いていたので、偶然今朝はそれに気がついた。

 ドアにアヒルの形をしたプレートがかかり、そこにヒロトの名前が書いてあったのだ。

 その周辺だけ、妙に汚らしく物置のように荷物が積まれており、ドアには足蹴したように靴跡が見える。

 リアンは、その異様なヒロトの部屋の入り口付近を見て、ゴクリと生唾を飲み込む。


「あそこ、ヒロトちゃんの部屋みたいだな」

 いきなりアートンの声がして、リアンは驚いて振り返る。

 アートンは部屋から出てくると、ちょうどヒロトの部屋を見つめていたリアンを発見したのだ。

「や、やっぱりですか……」と、リアンがつぶやく。

「彼女、相当荒れているみたいだな、従業員の人もかなり心配しててな」

 実はアートンも、部屋に食事を持ってきた、フレイアとは違う別の女性従業員から、ヒロトのことを相談されたそうだった。


 どうやらアートンは、フロントにバークが読んだ記事を返そうと思って、先ほど降りようとしたんだが、宿の奥さんの怒声に驚いて、出られずに戻ったというのだ。

「情けないことだが、俺が入って仲裁できるとは思えなくてな……。んで、一回部屋に逃げ帰ったわけ、ほんと自分でも情けないよ……」

 丸めた雑誌で自分の頭をポンポンたたきながら、みっともなさを戒めるように、アートンは面目なさげにつぶやく。

「アートンさんが、気に病む必要ないですよ。そんなに、何でもご自身を責めないでくださいよ」

 リアンがすかさずフォローを入れる。

 まるで自分自身にいってるようだと、リアンは心の中で少し自嘲する。


「ああ、ありがとよ……。それに……、アモスもいただろ? あいつ俺のこと、何かと目の敵にしてるからさ。姿見せたら、余計にややこしくなるんじゃないかと思ってな、おとなしく撤退しておいたんだよ。でさ、さっきの揉め事で、何かヤバそうな反応はしてなかったか?」

 アートンが若干怯えつつ、リアンに耳打ちするように聞いてくる。

「揉め事って、ほどでもなかったですよ」と前置きして、リアンは先程のフロントでの出来事をアートンに話す。

「なるほど、ヒロトちゃんのことか。俺も朝、出会ったけど、見事にスルーされたなぁ。ふむふむ、やっぱりみんな心配してるんだな」

 そして「ヒロトに関しては、放っておけばいい」という、アモスの考えをリアンの口から知るアートン。

 彼女の語る理由等を聞き、「なるほどな、あつらしい感じだな……」とアートンがつぶやく。

 リアンは、母親もヒロトを見捨てているような、印象があることについては黙っておいた。


 これを話すと、リアン同様、人が良さそうなアートンが、いろいろ思い詰めてしまいそうと判断したからだった。

 リアンなりの配慮だった。

 話しを聞いたアートンがため息をついて、階段横の壁に寄りかかって考え込む。

「バークがいってたよ……。逆にアモスに、普通の人間性があったら、かえって無茶をしでかすかもなって」

 リアンが「どういうことですか?」と、尋ねる。

「そうだなぁ……。仮にヒロトちゃんに関心があったら、あいつのことだから、なんとかしてやろうと暴走して、余計に滅茶苦茶にしかねないって意味かな。無関心だからこそ、余計な干渉をしないだろう?」

 アートンの説明が、リアンにはかろうじて理解できる。

 同時に苦笑いをして、双方無力感にさいなまれる。

 このふたりは、必要以上に感受性が強いところが似ているようだった。


 揉め事に関わりたくないという、一団のリーダー役の、バークの気持ちもリアンは理解できる。

 バークにはこの一団のリーダー役として、エンドールまでの帰路をきちんと、設計するという使命感が、発生しているようでもあるのだ。

 とてもありがたいことで、リアンも全面的に協力したいと思ってはいる。

 すべて自分たちの安全のため、必死に夜通し情報収集してそれをまとめてくれているバーク。

 それでもやはりリアンは、ヒロトの今後が、アートン同様に気になってしまうのだ。


「お話しする機会さえあれば……。僕のほうからも、些細なことでも声をかけて、みようとは思っていますよ」

 リアンが、アートンに決意を込めた表情で話す。

「おっ! さすがだなリアン! 従業員のオバチャンたちも、真剣に考えてくれているようだしね。短い期間で、果たして上手くいくかわからないけど、何もしないでいるよりかはいいよな。俺も何か手伝えることがあったら協力するから、いい考えが思いついたら教えておくれ。……ただ、アモスには内緒にな」

 最後のセリフは、アートンはこっそりと耳打ちする。

「そ、そうですね……」と、引きつり気味にリアンがいう。

「実は今朝も、話すきっかけがあったんですけど、アモスが一緒だったから……。結局、どこかに逃げられちゃって。彼女、どこに行っちゃったんだろう? ご飯とか、ちゃんと食べてるのかな?」

 まるで自分の肉親や親友のように、リアンは出会ったばかりのヒロトの心配をする。


「いちおう、部屋には毎日帰ってきて、用意された食事は摂ってるみたいだよ。さっき来てくれた従業員が、そう教えてくれたよ。食事も残さず食べるらしいから、そこは心配ないとは思うよ……」

 アートンもリアンの視線の先にある、ヒロトの部屋の汚れたドアを眺める。

 部屋の入り口付近には、汚い掃除用具や古雑誌が山積みに放置されていて、まるで荷物で作ったバリケードのようにも見える。

 それだけヒロトの心は、固く閉ざされているのだろうか?

 むしろそう見えるように、わざとしているのではないか、と思った途端に身震いするリアン。


 あの状況を演出してるのは、ヒロト自身なのだろうか?

 それとも、まさかヒロトの存在を完全に見放している、両親がやっている?

 親にしたら、客商売なのだから、フロアの他の部屋との差別化を図って、一目見て物置部屋とわかるように、演出しているのかもしれない。

 リアンはあそこがヒロトの部屋だと知ったから、不自然さを感じたが、一般の客なら物置なんだろうと、気にも留めない可能性が高いはずだった。

 親がそんな陰湿なことをしてまで、娘の存在を隠匿するなんて……。

 ヒロトはこの宿、家庭からどのような扱いを受けているのか……。

 ネガティブな方向に、リアンの思考がどんどん突っ走っていく。


 でも、あの物置みたいな感じを、自分で演出しているのだとしたら、多少客商売を意識している、ヒロトなりの配慮が理由かもしれない。

 出会った初日、宿への客入りを心配するようなことを、口にしていたぐらいだから……。

 結局、結論が出ずに混乱しだしてきたリアンに、バークの声が聞こえてきた。

「なんだ、ふたりとも帰ってきてたのか? けっこう、時間かけてたんだな」

 宿泊している部屋から、バークが出てきて声をかけてきた。

「リアン、アヒルは可愛かったかい? ヨーベルも行きたかったと、羨ましがってたぞ。明日の餌やりは、彼女も連れていってやればいいよ」

 ここでバークが辺りを見まわして、アモスの姿を探す。


「アモスの姿が見えないが、また変な揉め事、持ち込んでこなけりゃいいけどな」

「彼女はお手洗いですよ」

 バークの不安にリアンが応える。

「ん? そうか……。ていうか、アートン? 新しい雑誌、持ってきてくれなかったのかよ」

 バークが、未だに読み終えた雑誌を丸めて持つアートンに、若干不満そうに愚痴る。

「ああ、すまん……。ちょっと、あの娘の件で、リアンとも話してたんだよ。リアンくんもあの娘と、今さっき、いろいろあったようでな」

 アートンが、そうバークに釈明する。

「ん? また、あの娘の話題かぁ……」

 ヒロトのことを聞き、バークはちょっと面倒そうに考え込む。

「なぁ、それだがなぁ……。さっきもいったし、リアンくんにも冷たいように、聞こえるかもしれないが……」

 バークがいいにくそうに、そう前置きしてリアンを見る。


「家庭の問題ってのは、どこにでもあるもんだよ。下手に、首は突っ込まないほうがいいと思う、ってのが俺の意見だよ」

 いいづらそうだが、バークが語気を強めてそういってきた。

 バークの言葉に、リアンはしょんぼりとする。

「なんだよ、なるべく気にかけてみますって……。さっき部屋では、おまえもいってたのに?」

 バークの言葉を聞いて、アートンが不満そうにいう。

「あそこでは、そういうしかないだろ……。従業員さんたちが、宿のひとり娘さんを心配しているのはわかるよ……。だけど俺たちは、ここに一週間ぐらいしかいないんだし、どうこうできるとは思えないよ」

 バークの言葉は、アモスが話した内容とまったく同じ内容だった。

「昨日、話してくれたデモの一件も、心配してるってのも理解できるけどね。だけど、厚生させるとなると、どうしても時間が足りなさすぎるよ。やっぱりここは、家族や宿の従業員さんに、任せるしかないと思うんだよな」

 やはり、そう思うのが普通なんだろうか?

 今朝、脱兎のごとく走り去った、ヒロトの後ろ姿を思いだしてリアンは考える。


「とにかくさ……。せっかくの温かい朝食なんだ、まずは冷めちまう前に食べようや。リアンくんが、彼女をなんとかしたいと思って、話しかけるってのなら全然問題ないよ。今はツンツンしてるが、可愛らし娘だしな。案外、深刻さを表に出さずに、リアンくんが気軽に話しかけてみたら、心を開いてくれるかもしれないからな。アモスは論外だが、ヨーベルと一緒なら、そこそこいい話し相手になれる可能性も、あるだろうよ。それで彼女の心が、穏やかになるってんだったら、俺は止めないよ」

 バークがそういってくるが、彼はヒロトの闇の深さを、まだそれほど知らないようだからどこか楽観的だ。

 とりあえず、リアンとバークは部屋に帰ることにした。

 アートンは、フロントで新しい雑誌を借りに階段を降りていく。

 降りる途中、アートンもチラリとヒロトの部屋を見てみる。


「昨日話していた、ヒロトちゃんも反エンドールのデモに、参加してるって件……。やはり、この部分は看過できないと思うんだよな……。バークも心配なんだろうが、手が回らないってのが、放任の理由なんだろうな。どうにか、ならないものかな……」

 アートンまで、リアンのように解決手段も見つからないのに、必要以上にヒロトを心配する。

 彼もまた、リアン同様、困った人を見捨てるのができにくい性格の人物だったのだ。

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