9話 「桃色の街」

 安い宿を探し、夜の繁華街を歩いていると、いつしかリアンたちは妙な街並みにやってきていた。

 いかがわしい看板に、肌色面積の多い服を着た女性が、客を待って道端に立っている。

 キラキラした照明にデコレーションされた、風俗店街にリアンたちは迷い込んでいた。


 気がつくと、空もすっかり暗くなっていた。

 酔客がいかがわしい格好の女性と、話し込んでいるのを、たくさん目撃する。

 リアンはその街を見て呆然とする。

 リアンにとって、こういう歓楽街は初めてだったのだ。

 見るものすべてが目新しいものばかりだった。

 同じくヨーベルもはじめてだったらしく、この街の綺羅びやかさに浮かれまくっている。

 男女の客引きの賑やかな声と、酔っぱらいの歓声が聞こえたりする。


「なんだかとても、キラキラした街ですね~。桃色が、いっぱいですよ~!」

 ヨーベルが目をキラキラさせながら、感動したようにいっている。

「だ、だね……」

 リアンは、そう応えるのが精一杯だった。

「いかがわしい地域に、迷い込んだな……」

 バークが街並みを見て困惑する。

 急いで買ったばかりの地図を取りだして、ルートの検討をはじめようとする。

「ふ~ん。こういう場所で、あたしらに働いて欲しいってことを。無言アピールしてるわけね、策士さま?」

 アモスがそういって、バークにクスクス笑う。

「そ、そんなわけないだろ……」

 困ったように、アモスの考えをバークは否定する。

「別に、ひと肌脱いであげてもいいのよ?」

 風俗店の看板の前で、アモスは挑発的なポーズを取ってニヤリと笑う。

「だからいいって……。ほら、ここはさっさと通り抜けよう」

 キョロキョロ周囲を見渡してバークがいう。

「ほら、ヨーベル、もう行こうよ……」

 リアンは、ヨーベルの腕を必死に引っ張る。

 ヨーベルはいかがわしい風俗店の、コンパニオン募集の求人をじっと眺めていた。

「は~い……」と、ヨーベルが空返事をする。


 リアンたちの周囲は、さっきの歓楽街よりも比較的マシな街並みになってきた。

 それでも売春宿や風俗店もまだあった。

 若干寂れた場末の風俗街といった感じの通りで、地面は舗装もされていない。

 風俗店以外にも本屋だったり八百屋だったり、魚屋等の普通の商店も軒を連ねていた。

 左手側には土手があり、そこを下った先に薄汚れた川が流れていてる。

 しかし河川は、見た目以上に綺麗なのかもしれなく、釣りに興じている老人の姿も見える。

 土手をランニングしてる人、散歩している人の姿も見えた。

 どこか、ノスタルジックな雰囲気な町並みだった。

 それでも時折見かける、派手な看板の風俗店が場違いな感じがする。


 バークが道の先のほうに、明らかに料金の安そうな宿を発見する。

 その宿の手前には、売春宿が存在していた。

 客引きの女が、早速バークたちに声をかけてくる。

 バークはそれを断って、さっそく宿の看板を調べてみる。

 宿泊に六千フォールゴルド。

 今まで見てきた中で、一番安い宿だった。

「うん、ここの宿は比較的安いな」

 バークが納得したようにうなずく。

「ヨーベルとリアン。あとは、おまえも……」

 バークはアモスをチラリと見る。


 アモスは、じっくりと宿の外観を観てる。

 それなりに大きくて、小奇麗な雰囲気の宿だった。

 料金が安すぎるのが気になるが、外観がしっかりしているので、中も大丈夫かなととりあえずアモスは思った。

 宿と同じ建物の一階部分には、小綺麗なパン屋が入っている。

「きみたち三人だけでも、ここに……」

 バークが金を出してきて、この宿に宿泊することを決めたようだった。

「僕らだけでなく、やっぱり、おふたりも一緒に泊まりましょうよ。ここなら、お金は全然足りてますし……」

 リアンが不安そうに、バークにいってくる。


「俺たちは大丈夫だよ」

 リアンの提案に、バークはやんわり断る。

「俺たちは、これからすぐに仕ご……」

 バークがいおうとしたら、アートンが声をかけてくる。

「おいバーク! これ見てみな」

 アートンが宿の壁にある掲示板に、いくつもの求人票を見つけて指差している。

「どうした? ん? おお、求人じゃないか?」

「土木建築関連の仕事が、ほら、けっこうあるぞ」

 アートンが求人票を眺めながら、一件一件条件をチェックしていく。

 そして、職業斡旋所の地図を見つけて、アートンはあることに気がつく。

 アートンは上空を見上げ、宿の屋号を確認する。


「ファニール亭って、ここの宿だよな?」

 アートンが指差した宿の看板には、確かにそう書かれていた。

 休憩三千フォールゴルド、宿泊六千フォールゴルドの料金案内のフォントを含めて、どこかピンク産業の香りがする。

 すぐ隣りにある風俗店と提携関係か、同列営業でもしてるのだろうか。

 風俗店の店先では、まだアートンのことを指差して、色目を使ってくる娼婦が立っていた。

「ん? 職業斡旋所が、この宿のすぐ側にあるんだな?」

 バークも求人に書いてある地図を見て、アートンがいわんとしていることを察した。

 今目の前にある宿から、少し歩いた先に職業斡旋所があるようだった。


「これなんかいいな、重機関係の扱いに長ける人材優遇、とかあるぜ。給料もかなりいいから、一週間働けばけっこうな額になると思う」

 アートンが求人票に目を輝かせながら、一件の求人をメモする用意をする。

「そういえばおまえは手先も器用だし、重機関連にも明るいんだっけ? ズネミンのところでも、クレーン動かしたりして重宝がられてたもんな」

 バークが、思いだしながらそういう。

 ちなみにバークは、アートンがジャルダンの囚人時代に、森林開拓工事の現場を仕切っていたことまでは、知らないようだった。

「ああ、こういうことなら任せておいてくれ!」

 アートンが自信たっぷりにいう。


「ねえ、方針は決まったの?」

 ヨーベルと一緒に、同じ宿の一階部分にある、パン屋の中をのぞき込んでいたアモスが声をかけてきた。

 ヨーベルは涎を今にも垂らしてしまいそうなほど、パン屋のパンを凝視している。

「ああ、君らはこの宿に泊まるといいよ。俺たちは、気にしなくてもいいから。適当に野宿できる場所でも、探してくるよ」

 バークはこういってくれるが、それでもリアンはまだ躊躇してる。

「でも、やっぱり……」

 リアンは、バークの提案が不安でならなかった。

 見捨てたりされる不安はないのだろが、頼りになる大人と別行動になるのが、まだ幼いリアンには一時的でも不安でたまらなかったのだ。

 あと、アモスが妙な行動を取ってきた場合の対処も、若干不安があったのだ。


「一晩だけだって!」

 バークは指を一本立てて、強くそう約束する。

「この宿を拠点に、しばらく街に滞在する予定さ。収入を確保したら、二日目からは俺たちも、ちゃんと同じ宿に泊まる予定だからさ」

「そ、そうですか……」

 バークに計画を聞かされて、リアンも渋々納得するしかない。

「俺とアートンは明日になったらすぐ、ここに働きに出るよ」

 バークが一件の求人を指差し、リアンとアモスにいう。

「アートン、メモ取れた?」

「ああ、問題なしだ!」

 メモを取り終えたアートンが、それを胸ポケットにしまう。


「俺たちが働いてる間は、君たちは自由行動しててくれていいよ。街を観光するなり、残金は少ないがショッピングするなり、自由にしててくれ。まずはふたりで確実に収入を確保するまでは、責任持って働いてくるからさ」

 責任感の強いバークがいい、リアンを安心させようとする。

 しかし、ふたりにだけつらい思いをさせて、自分たちだけ楽している状況に、リアンという少年は躊躇いを感じてしまうのだ。

「リアンくんいいじゃない、ふたりがこうするっていってんだしさ。別に気に病む必要ないわよ、落とし前を着けたいみたいだし、好きにさせるのが一番よ」

 アモスは、まだ納得しきれていないリアンにそういう。


「しかしすまないな、おまえにまで迷惑かけて……。元はといえば、俺が全部悪いのに。本当に申し訳ないよ……」

 アートンが、有り金を紛失したことをまた謝り、バークに頭を下げる。

「もう、気にすんなって。どうせ道中、収入確保のため働く必要はあったんだ。あの金だって、すぐなくなっていただろうしな。サイギン観光が、ちょっとできにくくなっただけって考えれば、あの程度の金額だって端金だよ。この職場で一週間働けば、クウィン行きぐらいの旅費は稼げるわけだしな」

 バークが、アートンを元気づけるようにいう。


「ちなみにあたしは、まだあんたのこと、許してないけどね!」

 アモスが空気を読まずに、そんなセリフをアートンにいう。

「おいおい……。もう済んだこと、蒸し返さないでおこうぜ。これからの計画も決まったんだし、機嫌直してくれよ。なんだったら、すぐにチェックインして、おまえたちだけでも休憩してなよ。俺とアートンは、どこか公園でも探して、そこで野宿してるからさ」

 バークがそういいアモスの機嫌を取る。

 残っていた金の半分をアモスに渡すと、バークは自由に使っていいからという。

 アモスは金を受け取ると、まだ不機嫌そうにその金をポーチにしまいこむ。


 不本意な形だが、リアンはバークの決めたプランを受け入れることにした。

 舗装されていない路の左右を確認して、リアンは何気なく土手の川に向かって歩いてみる。

 かなり暗くなってきたので、土手にはもう人の姿がなかったが、対岸の商店街はまだオープンしていて人通りが多い。

 川の向こうはこちら側とは違い、かなり整備された街並みのようだった。

 ガアガアというアヒルの声が聞こえたので川を見ると、三羽の白いアヒルが、桟橋付近に集まっていた。

 今まで気がつかなかったが、桟橋にアヒル小屋があるようだった。


 そんなアヒルの挙動を眺めているリアンの後ろから、ひとりの少女が近づいてきた。

 少女は目深に帽子を被り、視線を地面に向け、何やらブツブツと独り言をいっていた。

 そんな少女の進行先に、リアンが立っていた。

 舌打ちをする少女が、リアンに対して信じられない言葉を吐く。


「……どけよ、邪魔だよ」


 そんな乱暴な言葉を、少女に気づかずにいたリアンに投げかけてきたのだ。

 急な暴言に、リアンはビックリする。

 思わず横に避けると、少女を無言で通してあげる。

 反論しようとか、非礼をなじるとか、気弱なリアンには到底できない行為だった。


「リアンくん、どうしたの?」

 アモスが異変に気がつき、リアンに声をかける。

 目深に帽子を被り、目元と表情を見せない少女が、ブツブツと何かをつぶやきながら歩いている。

 アモスが怪しい少女を、胡散臭げに視線で追う。

「あっ、なんでもないよ」

 リアンはすぐにアモスに返事する。

 ここで今あったことをアモスに話せば、どんなトラブルに発展するかわからない。

 リアンは、何事もなかったことにしてその場を収める。


「じゃあ、さっそく泊まるとするか」

 バークが宿に入ろうと皆を誘う。

「俺とアートンも明日からお世話になるから、顔見世程度に事情話しておこうと思うよ」

 するとさっきまで、パン屋のパンを眺めていたヨーベルが、ガラスに映った背後の風景にあるものを見つける。

 そして突然、左右の安全確認もせずに、ヨーベルは土手の方向に向かって小走りに駆けていく。

「おい、ヨーベルどこ行くんだ! 危ないって!」

 アートンが驚いて、危なっかしいヨーベルを止めようとする。

「橋の下です~! あそこ見てください~」

 ヨーベルが川に架かる橋の下を指差し、うれしそうにニコニコしている。

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