6話 「餞別と衝撃」

 バークが勘定を済ませている間、アートンはトイレを済ませ、考え事をしていた。

 洗面台の鏡の前に立ち、しばらく鏡に映る自分と自問自答していた。

 洗面台の水が流れ、独り言をつぶやきながらずっと手を洗っていた。

「俺が、リアンや他のみんなを守ってやらないとな……。ここで俺が、頑張らないといけないんだ。俺が……」

 ブツブツつぶやきながら鏡を見つめていたアートンは、いつしかズネミン号からの脱出の際の回想をはじめていた。



 波の音がする。

 海の上に浮かぶ一隻の船。

 ボロボロの外観になったズネミン号が、静かな海を目的地に向けて進んでいた。

 西の方角には陸地が徐々に姿を表し、目的のサイギンの街も目前だった。

 アートンとバークが、船長室に呼ばれるやいなや、大量の札束がいきなりポンとデスクの上に置かれる。

 五十万フォールゴルドほどあり、バークとアートンが驚く。

「え? なんだい? これは?」

 いきなりズネミン船長から出された大金に、バークとアートンは戸惑うしかない。


「フォールの金を船員に頼んで、かき集めさせたんだよ。もちろん、お前らへの餞別だよ」

 ズネミン船長が、サラリといってくる。

「金はあっても困らないだろ、ほら、かさばるだろうが、硬貨もあるぞ」

 船倉で謎のバケモノから受けた、火傷跡だらけの腕を包帯でグルグル巻きにしたスイト副船長が、ジャラリと袋に詰まった小銭も出してきた。

 小銭だけでも、数万フォールゴルドはありそうだった。

「ちょっと待っておくれ!」

 バークが慌てて、ふたりにいう。

「いくらなんでも、多すぎるよ。こんなにも、もらうわけにはいかないって」

 あまりの高額な金額に、もらいにくいふたりが拒否しようとした。

 確かに、この船でいろいろと雑用に精を出したが、報酬としては多すぎるぐらいだった。


 しかしズネミンが豪快に笑う。

「確かに多いかもな! 俺も、こんなにも集まるとは、思ってもいなかったぐらいだ」

「これからフォールを旅する君たちのためにと思って、フォールの金を持ってたら譲ってくれないか? って船員たちに頼んだら。普通に、この金額が集まったんだよ。わたしも予想外の金額だったが、連中もきみらの旅の安全を思っての好意なんだよ」

 スイトは船員たちに頼み、これからフォールを旅することになる、リアンたちの道中資金をカンパしたのだ。

 そうしたら、船員たちが予想外の頑張りを見せて、所持していたフォール貨幣を、ありったけかき集めてくれたのだ。

 こうして、当初の目標金額より遥かに多い、金額が集まったのだ。


「そういうことだ、だからそう遠慮するな。せっかくの好意を、受け取らないと知ったら、あいつらガッカリするだろうぜ。これからおまえらは、何かと金が必要になってくるだろ? 実際、エンドールまで旅するとなると、この金額でも少ないぐらいだ」

 ズネミンが、テーブル上の金を前方に押しだし、バークに受け取れと目でいってくる。

「し、しかし……」

 金は魅力的だが、やはり大金すぎてバークは躊躇ってしまう。

 この場にアモスがいたら、なんの躊躇もなく受け取っただろうが、彼女は今リアンとヨーベルと一緒に、サイギンの港を眺めていた。


「雇われ船長ごときの餞別にしては、多すぎて不安になるか?」

 ズネミンが、受け取りを渋るバークとアートンに、こんな冗談を飛ばしてガハハと笑う。

「そういうわけ、ではないが……。あんたたちも、これから先、何かと金が必要になってくるだろ? 例の仕事だって、最初から沈めるのが目的だとかで、それなら約束の金も期待できないだろ」

 バークは、例の仕事は実は騙されていたことを指摘し、約束の金額が出ないであろうことを危惧してそういった。

「この仕事は、最初から相当ヤバい山だったらしくな、前金として提示金額の半額を、あらかじめもらっているんだよ。おまえが、人の懐を心配する必要ないほどの報酬は、すでに手にしてるんだよ。だから、金のことは気にするな、これぐらい俺たちにとってみれば小銭程度だよ。本来なら旅しやすいように、もっと餞別を渡したいぐらいなんだが、エンドールゴルドでは、両替する際に面倒だろうと思ってな」

 確かに、両替するのは何かと不便で、身元の証明やら面倒な手続きが多いのだ。

 今のバークたちに、そんな手間をかける余裕などなかったのだ。


「諦めて遠慮せずに、素直にもらっておけ。あって、困るものでもあるまい」

 そこまでいわれて、バークはズネミンとスイトからお金を受け取った。

「すまない、本当に恩にきるよ」

 アートンが、ズネミンとスイトに固く握手をして、感謝の念を伝える。

「いいってことよ、ガハハ! その代わり、リアンやヨーベルをきちんと、エンドールに送り届けてやってやるんだぞ」

 ズネミンが豪快に笑い、リアンとヨーベルの身を案じる。

 バークとも握手しながら、ズネミンがそういう。

 アートンとバークは、その決意をふたりにしっかり伝えることを約束する。


「恩着せついでに、聞かせてもらっていいか?」

 そういったズネミンが、スイトとしばらく顔を見合わす。

 不思議そうにそれを見るアートンとバーク。

 やや間を開けて、ズネミンが口を開いた。

「リアンの一件が終わったら、おまえらはどうするつもりだ? その先のことだよ」

 ズネミンの言葉に、アートンとバークが顔を見合わせる。

「何か、目的はあるのかい? 確か、アートンくんは会いたい人がひとり、いるって話しだったが……」

 スイトが遠慮気味にアートンにいう。


「う~ん、そうだな……」

 バークとアートンが、同時に腕を組んで考える。

「もし、何も決まっていないのなら。俺たちを、頼ってきてくれてもいいぞ」

 ズネミンの提案に、バークとアートンが驚く。

「別にバカ正直に、おまえらふたりとも、島に戻るつもりもないんだろう? 戻ったら、まさに正直者がバカを見る、残念な展開になるだけだぜ」

 ズネミンのいうことは、もっともだろう。

「でだ、おまえらは、信用に値する人間と俺は直感してだな。俺の下で働く、っていう選択肢も悪くないと思うが、どうだ? もちろん、今すぐ返答はしなくていいよ。目的を達成して、その後何もすることがない状況に、なってからでもで構わないさ。もっとも、こっちもしばらくは、クルツニーデとの法廷闘争で、てんてこ舞いになってるだろうがな。例の件に関しては、徹底的に争って、落とし前をつけさせるつもりだ!」

 しゃべっていて怒りがぶり返してきたのか、ズネミンが語気を強めてそう宣言する。


 スイトが、懐から一枚の名刺を出してきた。

「アーニーズ海運、散々な目に合わされたから忘れようもないだろうが、これがうちの親玉だよ。グランティル中の港に、拠点があるから、近場に連絡してみるといい。支社の連中には、上層部に不満を持つものは多いからね。おそらく絶賛闘争中の我々からの紹介だと知れば、良くしてくれる人間も見つかるはずさ」

 スイトがそういって笑う。

「上手くいい人間に接触できたら、我々のことを問い合わせてみるといよ、居場所もすぐ判明するはずだよ。必要に迫られたら、遠慮なく頼ってきてもかまわないよ。きっと、君らの力になれるはずだからね。再就職の斡旋とかも、協力できるはずだろうからね」

 スイトがいい、名刺の裏に「親友を助けてやってくれ」という文言を書き足した。

「ただ、再就職っていっても下っ端船員でいいのなら、って話しだけどな」

 ズネミンがガハハと豪快に笑う。


「特にアートン、おまえは今後何かと……」

 ズネミンがいおうとすると、コンコンとノックの音がする。

 そして返事も待たずにドアが開くと、入ってきた船員が声を上げる。

「船長っ! 港が見えてきたんだが、どうも様子が変なんだ!」

 船員が血相を変えてそういってくる。

 船員の声のトーンや表情から、ただ事ではないのが伝わってくる。

「おいおい、血相変えてどうした? またバケモノが出たってのは、さすがに勘弁してくれよ」

 ズネミンが、冗談では済まされない言葉をいう。

「とにかく、急いで甲板に来てくれますか!」

 要件だけ伝えると、船員がバタバタと走り去る。

 残されたズネミンやバークたちも、そちらに向かうことにした。


 双眼鏡から見えるのは、一隻の船がこちらに向かってくる姿だった。

 その船には武装した兵隊らしき人物が乗っていて、どこか物騒だ。

 双眼鏡の視界が、船にはためく国旗を見つける。

 なんと、それはエンドール王国の国旗だった。


 フォール王国の港に向かっていたのに、何故かエンドールの国旗を掲げた船が現れる。

 乗っているのも、間違いなくエンドールの兵士のようだった。

「俺は、フォールに向かっていたはずなんだが……。実はエンドールに、来ちまってたほどの、ゴミ船長だったのか?」

 ズネミンが双眼鏡を降ろして、自嘲気味につぶやく。

「どうして、エンドールの旗が……?」

 向かってくる船の国旗を見て、バークとアートンは驚く。

「あの街って、サイギンなんだよな? あそこってフォール領だよな? なんでフォール王国の港に、……エンドールが?」

 アートンも対岸に見える港町を指差して、相当混乱している。

「どうやらフォールとの戦いで、大きな戦局があったのかもしれないな。ここにエンドールがいるってことは……。信じがたいが、クウィンが陥ちたってことかもな……」

 バークが、信じられないといった表情でそうつぶやく。

「あ、あの要塞が? お、驚いたな……」

 アートンが絶句するようにいう。


 エンドール軍の船は、ズネミン号に徐々に近づきながら、このまま港まで並走しろと信号を送ってきている。

「停船命令って、わけではないみたいだな……」

 ズネミンはやや安堵する。

「連中の狙いが、おまえらってことではないはずだが。いちおう念のため、すぐ脱出準備をしておきな。スイト、最悪の事態が考えられる、脱出に手を貸してやれ」

 ズネミンがスイトにそう指示すると、スイトは強くうなずく。

「そうだな……。俺は、あの三人にすぐ知らせてくるよ」

 アートンは、リアンたちを探しに向かおうとする。

 船員が、彼らなら反対側の船橋にいると教えてくれた。

 急いでアートンは、リアンたちの元に走る。

「港に着いたら、何かと手続きで足止めを食うだろう。そうなったら、身元の調査とか、お前らにとって不利益しか生じないはずだ。スイトとできるだけ早く、この船から脱出したほうがいいだろう」

 ズネミンの言葉は、もっともだった。


 この船は本来、沈んでいることになっている可能性が高いのだ。

 入港予定もなければ、そもそも無断航海である船舶なのだ。

 しかも、外観がボロボロで、積み荷も何もない。

 エンドールの調査で、かなりの期間拘束されることになっても、おかしくないだろう。

 いくら、クルツニーデの陰謀を語ろうにも、証拠が不十分で法廷闘争にも準備が必要だった。

 今ここで、リアンたちがエンドールに補足されるのだけは、絶対避けたほうが賢明に違いない。

「ズネミン船長、何から何まで本当に感謝するよ」

 バークがズネミンにいい、深く感謝の言葉を述べる。

「いいってことよ! 改めていうが、リアンやヨーベル、お前らがしっかり守ってやれよ。旅の安全を祈っているからな」

 バークは、ズネミンとスイトと再び固く握手をして、旅を完遂させることを約束する。

「あなたたちも、大変かもしれないが、頑張ってくれ」

 バークはスイトの案内で脱出用ボートに向かう際に、そうズネミンにエールを送った。

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