フラワーガール

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第1話「ミーナとジギル」

 テントの中は惨劇だった。


 「行列サーカス」と、景気のいい名前がこれ見よがしに前面に出されたポスターは、このサーカス団の表の顔で、ここには曲芸師もピエロも猛獣もいない。

 いるのはこの世からはみ出た人間、いや、最早私たちは人間ではないのかもしれない。人間でありたくてもそれが許されなかった者達が、このサーカスのスターだった。


 「行列サーカス」は、見世物小屋だ。

 私の首には「フラワーガール」と書かれた名札がかけられている。


 私は見世物だった。


 私はこのサーカス団で人間にもなれず、ただの見世物として人生の幕を閉じるのだろう。10日前に死んだ蜘蛛男のように。半年前に死んだ三頭身のように。そう思っていた。


 だけど、幕を閉じたのは私ではなく、このサーカスだった。経営者も、観客も、たくさんの人が一瞬で血まみれになってしまった。


 魔物が現れたのだ。

 食人種だと思う。たった一体の魔物に、立ち向かった人間は誰ひとり敵わなかった。私は魔物にはあまり詳しくないけれど、きっと中級以上の魔物だったのだろう。

 騎士や魔道士でもない限り敵うわけがない。生き延びたであろう一部の観客や、混乱に乗じて上手く檻を抜けた私以外の見世物たちのように、一目散に逃げ出すのが正解だったのだ。


 私は逃げ遅れてしまい、テントの裏に蹲っていた。不思議と心は落ち着いていた。死ぬことは嫌だけれど、仕方がないことだと思った。生きていても、もう何もないと思っていた。多分諦めていたんだと思う。

 ふと目をやると、私の傍らにはシロツメクサが咲いていた。この期に及んで、私はつい無意識に、習慣的に、その花を食べた。


 その時、〝ドガンッ〟と大きな音がして、血の海と化したテントの中から何かが飛び出してきた。私は驚いてしまい、その場で固まってしまったけれど、その〝何か〟は、頬や腕の鱗と爬虫類のような尻尾が特徴的な、少年の出で立ちをしていた。


 「魔物…!」


 すぐにそうだと気づいた。だがもう遅い。魔物の目は私を捉え、首を大きくひねって今にも食いつきそうな勢いで飛びかかってきた。

 もうダメだ、おしまいだ。そう思って目を瞑った。ああ、最期に食べた花がシロツメクサか…。せめてコスモスやカーネーションが良かったな…。あ、そういえば極東にあるサクラっていう花も食べてみたかったな…。

 死ぬ間際に後悔ばかりするなんて我ながら情けないけれども、生きていたって何もない。今くらい、想いを馳せたっていいじゃないか。


 こうして私は、魔物に食べられる運びとなった。


 ………。


 ……あれ?


 私……、食べられて、ない?


 恐る恐る目を開けると、少年の顔をした魔物は、目を向いて私を見ていた。何かに驚いているようだった。



 「お、おい…お前、何食ってんだ?」


 魔物は私にそう聞いた。魔物はあどけない顔をしていて、私の恐怖は少し和らいだ。


 「シロツメクサ…」

 私は花の名前を答えた。

 「それって…美味いのか?」

 「うーん…普通、かな」

 「オ、オイラも食ってみていいか!?」

 「え、あ…。どうぞ…」


 魔物は私に手を伸ばし、シロツメクサを受け取り、口に放り込んだ。

 モグモグ、と数秒咀嚼してからゴクン…と飲み込むのが、わざとらしい程に見ていてわかった。


 「うーん、あんまり美味しくなかった。お前はいっつもこんなもんばっか食べてるのか?」

 「そうだよ。でもみんなはお肉やお魚も食べているよ」

 「おにく?おさかな?」

 「うん、お魚。知らない?」

 魔物は首を横にブンブンと振った。


 「じゃあ、他には豚とか、ジャガイモとか、チョコレートとか、クッキーとかは?」

 「ちょちょちょ、ちょっと待ってくれ!オイラ頭は悪いんだ!そんな一気に知らない言葉を言われたら何が何だかわからない!」

 「ふーん、全部知らないんだ…」

 この魔物の少年は、人間以外食べたことがないらしい。

 魔物も人間の食べ物を食べたら、美味しいと感じるのだろうか。


 「…そうだ、ちょっと待ってて。いいもの持ってきてあげる」

 私は興味本位でサーカス団の倉庫へと向かう。

 

 サーカス団の経営者たちはみんな大きなお腹をしていた。食べることが何よりも幸せだと言わんばかりに、恍惚の表情を浮かべて食事をしていて、だから倉庫はいつも食料で溢れていた。

 私はその中から干しベーコンと薄く切られたパン、そしてチーズを持ち出した。


 美味しそうだとは思わない。


 私の名前は「フラワーガール」


 異食病の女の子。


 花しか食べられない、気味の悪い見世物。


 それが私の全てだった。


 倉庫から出ると、魔物の少年は尻尾を振りながら胡座をかいて待っていた。

 私は抱えていた食料を差し出して、魔物に食べるよう促した。

 「どうぞ、人間の食べ物。パンとチーズとベーコンよ」

 「こ、こんなもん食うのか…?美味しいのか?」

 「さあ、わかんない」

 「…………」

 魔物は少し戸惑った様子だったが、意を決したのか、目をつぶってそれらを一気に口に放り込んだ。


 魔物はしばらく黙って噛み続けていたが、だんだんと目を開き、しまいにはキラキラと輝かんばかりに見開いて、人間の食べ物を飲み込んでいった。

 「うっっっっっっっめえ~~~~~~!こんなうめえもん初めて食った!」

 「よかった、喜んでくれて」

 「今まで人間しか食ったことがなかった…。なあ、あの、あそこに生えてる木も食えるのか?遠くで鳴いてる鳥も食えるのか!?」

 「うーん。食べられるものと食べられないものがあるよ。私はわからないけれど」

 「でも、最初に食べた葉っぱ、えっと、シロツメクサ。あれは美味しくなかった。人間の食い物にも美味しいのと美味しくないのがあるんだ」

 「ああ、人間は花は食べないよ。私は花しか食べられないの。」

 「ん?なんでだ?」

 「それ、は。その…変だから」


 〝人間じゃないから〟とは、自分の口からは言えなかった。

 ああ、魔物だってこんなに美味しそうにパンやベーコンを食べるのに。どうして私は、花しか食べることができないのだろうか。

 私はだんだんと悲しい気持ちがこみ上げてくる。

 しかし、裏腹に魔物の少年は嬉しそうだった。


 「じゃあさ、おい、変な人間。オイラもっとたくさん人間の美味い食べ物が食いてえんだ。さっき言ってた、えーっと、豚とか、ショッキーとか」

 「クッキーね」

 「そうだ!クッキー!きっと美味しいと思うんだ!それによ、きっとまだまだ知らない食い物が人間界中にあるんじゃないか?なあ!?」

 「う、うん…。きっと、いろんな知らない食べ物が、世界中に溢れてると、思う…」

 なんだか私までワクワクしてきた。

 「そうよね、うん。食べ物だけじゃない。世界中に、知らない国、知らない歌、知らない空、知らない花が、たーっくさん、あるはずよ!」

 「やっぱりそうか!オイラ気づいたんだ!人間は言葉がバラバラだから、もしかしたら食い物もバラバラなんじゃないかって!うわあ!ワクワクしてきた!なあ、変な人間!」

 私よりも小柄な魔物の少年は、私を両手で担ぎ上げて、キラキラとした目で


 「人間界のいろんなところに行こう!オイラと一緒に!」


 簡単に、本当に簡単に、そんなことを言った。


 私は戸惑った。このサーカスから出る。考えたこともなかった。

 でも人間になりそこねた私を、目の前の魔物の少年は〝変な人間〟といった。案外ぴったりな言葉かもしれない。変な人間。私は、変な人間。


 そう。


 たとえ変でも、私は〝人間〟なんだ。


 人間って、自由だ。


 じゃあ、答えは決まってるじゃない。


 「…行く!いろんな、いろんないろんなところに行こう!」

 魔物の少年は「やったー!」と飛び跳ねながら私を振り回した。

 

 「オイラ名前はジギル。お前の名前は、その首にかけてあるやつか?」

 頬や腕の鱗をギラギラと輝かせ、尻尾をうねらせながら、魔物の少年ジギルは、振り回されて若干千鳥足な私に問いかける。


 「この名札は、ううん、私の名前じゃないよ。私の名前は…」

 私の名前。何度も忘れないように、心の中で叫び続けた名前。「フラワーガール」と書かれた名札を引きちぎって、私は初めて口に出す。


 「私の名前はミーナ。ジギル、私のこと食べちゃダメだからね?」


 「人間なんてもう食わねえよ。シロツメクサより不味い」

 彼はそう言って〝うえぇ~〟と舌を出してみせた。

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