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 午後八時。十月半ばにもなればこの時間はもう日が暮れ、夜の帳が上海の街を包んでいた。

 ステイティア・アンドロイドのディーヴァは、二~三日で未来に帰るのでそれまで匿って欲しいと言っていたが、果たして何をどう匿えというのか。


 「ディーヴァ。確か君の仲間がカナダにいるんだろう?会いに行く必要はないのか」

 そう尋ねると、彼女は笑顔で、

 「必要ありません。彼のシステムゾーンが復帰しない以上、彼の正確な位置を把握することは不可能ですし、第一、今からカナダを目指しても、きっと、間に合いませんから…」

 と、そう答えた。

 彼女の声色、表情、全てが人間のそれと大差ない。私からすれば、人間なのかアンドロイドなのか、全く見分けもつかない程に。

 特に彼女は表情豊かなアンドロイドのようだった。なぜなら、あまり人付き合いが得意な方ではない私ですら、それは作り笑いだとわかる笑顔だった。

 そんなことまでコンピューターで計算して表情を作っているのだろうか。

 建前やら誤魔化しやらを、果たしてアンドロイドが意識する必要はあるのかどうか、私には分からないが、どちらにせよ。


 建前や誤魔化しを必要としないアンドロイドも


 建前や誤魔化しを植えつけられたアンドロイドも


 それらはどちらも、悲しいもののように思えた。


 「間に合わないことはないだろう。三日あれば、ここから行けないこともない。そりゃ、飛行機の予約もしていないし、カナダの言葉もわからないが、それでも、君のなにか、未来的な能力を以てすれば、どうにかできるものではないのか」

 「ふふ、なんですか、未来的な能力って。あたしにそんな超常じみた力はありませんよ。本当にいいんです。それよりも、ねえ、この時代のことをもっとあたしに教えてください」

 「この時代のこと?」

 「はい、そうです。この500年前の地球のこと。この部屋だけでもあたしの時代にはないものばかりで、とっても面白いです。食器はガラス製ですか?陶器ですか?よく見るとガラス製の物が多いですよね、この時代って。食器棚もそうだし、窓もガラスですよね。外と中の気圧差が少ないんですね。そりゃそっか。まだ生存気温範囲内の時代ですもんね。それから、さっきその蛇口から出てきていた液体は人工水素ですか?あ、この時代だとまだ自然水なのかな。そういえばこの時代は空から自然水が降る天候があると聞きました。雨…でしたっけ?雨はいつ降るんですか?」


 なんだ、未来に自然の水はもう存在しないのか。水の惑星と言ってもいいこの地球から水がなくなるなんて、想像もできない。生存気温なんとやらも、随分と不穏な響きだ。あまり悪い想像はしたくないが、私が生きている間には、そんな言葉はもう二度と聞くことはないだろう。


 「そんなに一度に沢山聞かれても、答えられないよ。ただ、そうだな。雨なら丁度明日は雨模様だ。暴風雨でなければ、どうだろう。一緒に街に出てみようか」

 「いいんですか!やった!!」

 彼女は笑う。今度は、作り笑いではないだろう、まっすぐな笑顔で笑う。


 きっと、彼女はまだ私に何かを隠している。私には触れられない何かが、彼女の精神を蝕んでいる。

 そんなものに、たった二~三日で踏み込める程に私は器用な人間ではない。そんな私に、そもそも人間ではない、アンドロイドの彼女、ディーヴァの心なんて、理解できるわけがなかった。


 …心?


 アンドロイドの〝心〟?


 そんなものはあるのだろうか。

 

 恐ろしい何かの確信に触れてしまう気がして、私は考えることをやめた。


 静かに見つめる私を見て、ディーヴァは、笑顔のまま首を傾げている。

 その仕草を見て、私の胸が痛む。


 彼女は、遠い昔に別れを告げた筈のある女性に。


 子涵に、とても良く似ていた。

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