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 上海シャンハイの片隅。高くも、安くもない居住区。夕飯の買い物を終えて歩いて自宅まで帰る。鍵を捻り扉を開くと、ギイィ…、という耳障りな音がなる。部屋の中は暗い。


 私の名前は沢民ズーミン。二胡を演奏して生計を立てている。

 上海は観光客がとても多い。少しばかりコネクションを作れば、演奏の依頼はすぐにもらえる。私自身、国内の大会で上位に食い込む程度のスキルはあるし、何より今の時代、伝統芸能のニーズがまた高まっているにも関わらず担い手が成長しきっていない。

 少し工夫すれば生きることに苦労しない、ささやかな金くらいは手に入れられるのだ。さらに元来、私は無欲だ。二胡を弾ければそれでいい。


 この家に住んでもう三年は経つだろうか。二十代後半に差し掛かっているというのに未だにパートナーもおらず、部屋は閑散としている。先日奮発して買った冷蔵庫からの低い振動音以外は、何も聞こえない。


 静かな場所は好きだ。


 二胡ニコの弦を指でなぞるとクセのあるハウリング音が部屋に響いた。

 そういえばここのところはろくに楽器の手入れをしていなかったかもしれない。夕食を終えて食器を洗ったら、どれ、少し磨くとしよう。


 買ってきた夕飯の食材を新品の冷蔵庫に入れようと、私は冷蔵庫の扉に手をかけた。


 しかし、冷蔵庫の中には、食材を入れる余裕はなかった。

 一人暮らしには勿体無い、大きめの冷蔵庫だ。私は大食いでもなければ、この家は友人たちの溜まり場でもない。なのに、冷蔵庫の中はギチギチだった。


 そこには一人の女性が、膝を抱えて格納されていた。

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