|と○〜潰れた声

大月クマ

声のない叫び

「上手だね」


 誰が言ったのか覚えていない。

 母親だったのか? それとも幼稚園の先生だったのか……しかし、その言葉だけは覚えている。


「上手だね」


 僕はが描くのが好きだ。

 白い紙の上に絵の具やらクレヨン、鉛筆で色々な『|』を描いた。


 初めて幼稚園の絵画コンテストで銅賞をもらった。

 僕はとても嬉しかった。初めてもらった賞状に、それと共に笑顔の僕の写真は宝物になった。

 確かに、それぐらいのことでと思うかもしれない。たしかに銅賞だ。それの上、銀賞を取った者も、金賞も取った者もいる。だけれど、皆にようやく認められた気がしたからだ。

 それまでの僕はボ―ッとしていて、ボンクラだの、間抜けだの、馬鹿にされていた。それを僕は見返したと、思った。


 だから、僕は『|』が好きになった。

 暇さえあれば、紙や広告の裏に『|』を描いていた。

 小学校に上がってからも変わらない。

 学校では少しは『|』が上手いと、有名になった。

 何度か地域のコンテストにも応募し入選している。だが、金賞やらの1位を取ることができなかった。


 ――わかっている。自分より、上手いものがいることは……


 頭の中ではわかっている……つもりだ。

 自分は金賞などの1位を取る作品と何かが違うと。しかし、何が違うのかわからない。


 誰も教えてくれない。


 自分から抜け出さなければ……僕に足りないものが解らない。あっちこっちの美術館にあししげく通い、過去の名画を見て回った。何かのヒントになればと。だが、足りないものが理解できない。過去の作品にもだ。


 暗闇をロウソク一本で歩く感じか……誰も進む先を教えてくれない。


 そんなとき、小学校の最後のコンテスト。

 衝撃……いや、喪失感でいっぱいになった。


 優勝賞を取ったに理解できなかった。


 僕の『|』とは似ても似つかぬ、チンケなものに見えた。その『○』は……だが、主催者はこの『○』を最優秀と認め、僕が精魂を込めてかき上げた『|』に目もくれなかった。

 そして、何かが聞こえた気がした。ほんの小さな囁く声で……


『――へたくそ……』


 この小学校までの子供として、長い時間を『|』に費やしたことがなんだったのか……

 喪失感でいっぱいになり、僕は筆を置いた。



 ※※※



 中学校になった僕は、何もする気がなくなっていた。

 僕は幼稚園の時に、ボンクラだの、間抜けだの、馬鹿にされていた時代に逆戻りした。

 自分の勉強机の上には、幼稚園の時の笑顔の写真を置いていた。だか、今は伏せて見ることもなくなった。

 それでもふと、授業中にノートや教科書の端に『|』を描くこともあった。


 変化が起きたのは、高校に上がってからだ。

 正直、将来なんて何も決めていなかった。

 小学生ぐらいまでは『|』の仕事をしたいとは思っていたが、もうそんなものは遠い夢。だから、親へのていもあり公立の高校に進学をした。


 将来の夢など空白のまま。


 このままだと、自分の父親のようにどこその興味のない職種に就き、サラリーマンとして一生を過ごすのか。と、思っていた。


「おっ、中々上手いじゃないか」


 クラスであまり話したことのないのが、僕の落書きを見た。手癖のようになっているたわいのない『|』だ。だが、彼は「上手い」と褒めてくれた。


 ――その言葉を聞いたのは何年ぶりであろうか?


 僕は嬉しくなった。

 そして、あまり話すことのなかった彼と、その場で打ち解け合い盛り上がった。

 話をして行くうちに彼は同人誌を作っており、『|』を描いてくれる人を探していたという。

 少し抵抗はあった。

 もう何年もまともな『|』を描いていなかったからだ。しかし、興味はそそられる。


 まるでずっと、燻っていた心に新たに火が付けられた感じだった。


 自信に満ちていた頃よりは『|』の力量は落ちていたが、その時の爽快感は忘れられないものになった。

 そして、勉強をそっちのけで、再び『|』に没頭しはじめた。

 同人誌も順調。完成した『|』を見るたびに、忘れていた自信が取り戻してきた。

 つまらない人生のレールに載るだけかと、思ったが新たに夢が見えてきた。

 勉強机の写真も、ようやく元に戻すことができた。


 ――やはり僕は『|』が好きなのだ。


 しかし、充実した高校生活もアッという間に過ぎていった。

 そろそろ進路を決めなければならない。

 僕は当然のように、もっと『|』を描きたい、勉強をしたいと、考えていた。


 そうなると、美大へと……


 ここで現実を突きつけられる。

 進路指導の先生にも言われたが、この高校から美大に行った者はいないという。ノウハウがない。それに学費もかなりかかる。それに、美大を出たからといって安定した収入をえる職業に付けない。


 それが現実だ。


 しかし、夢を捨てきれなくなった僕は両親に話をした。

 激怒したのは父親だ。安定した職業に就き、ちゃんと家庭を持つべきだと。それを止めてくれたのは母親であった。いや、後から思えば一度挑戦させ、現実を息子に突きつけたかったのかもしれない。


 美大の受験は受ける。ただし、他の一般大学も開けることを条件にだ。


 美術のノウハウの乏しい僕は、独学で必死に頑張った。何をすべきか解らない。ただひたすら、モノや人物をかき続けた。

 すべての始まりは、誰かが言った「上手いね」というのを、本当に実現させることかもしれない。僕の『|』と、いや、自分という存在を周知してもらいたい。

 ボンクラだの、間抜けだの、馬鹿にされていた僕ではない事を……


 そして、入試はあっという間に来た。


 入試は、出された課題を描くこと。ライバルは高校から美術専攻に通っている者たち。

 僕は渾身の力を込めて『|』を描いた。恐らく、僕にとって最大限の力を出したかもしれない。

 そして、もうここに入ることだけしか考えていなかった。なので、親と約束した一般大学の試験はサボった。


 しかし、どうだ。

 美大の入試結果を見に行った僕は愕然とした。

 入試希望者の提出物が張り出され、すべて『○』だけが並んでいる。

 僕の『|』は補欠にも入っていなかった。

 それに僕が『○』の前に立つと、ぞわぞわと薄気味悪い声が聞こえてくる。

 意味を成さない声だ。

 気分が悪くなったその時は、見たくないと、僕はきびすを帰して去った。



 ※※※



 当然、両親は僕のした事に激怒した。

 約束を破ったのだから、仕方がない。

 父の取った行動は、僕の部屋から『|』の関係のモノをすべて捨てること。机の上の写真もすべて……窓の外に放りだした。

 晴れの日も、雨の日も、僕の家の小さな庭には、放り出されたそれが無造作に転がり続けている。母も片付ける様子も無い。


 それを茫然と眺めながら、僕の心が空になっていく感じがした。


 何もやる気が起きない。だが、「大学に行け!」という理由で、予備校に通わされた。

 予備校の教室に入ったところで、僕はもう何もする気がなくなっていた。

 教室の端で、空気のように振る舞っていた。

 予備校の講師にも僕のやる気の無さに、怒りを覚えたのか、何度も説教をしてくる。だが、僕の心には何も届かない。

 何度かそんなことがあり、両親のほうにも僕の状況が報告されたようだ。


 親からの説教、講師の説教……それが幾度となく続き、気が付けば病院に連れて行かれていた。


「発達障害かもしれませんねぇ。もう少し様子を見てみましょう」


 白衣を着た男性が言う。


「なんでこうなったのかしら?」


 母は首をかしげ、それを聞かされた父も理解に苦しんでいた。


 ――発達障害ってなんだ?


 僕には判らない。病気なのかさえ……果たして僕は病気なのだろうか?

 だんだんと塞ぎ込むことが多くなってきた。予備校も行かず、部屋に閉じこもりはじめた。

 部屋の中にあるモノには、もう興味を示さない。興味があるモノは……窓の外で今でも野ざらしにされている。


 初めて銅賞を取ったときの写真も。


 結局、僕は、ボンクラで間抜けな男に過ぎなかったのかもしれない。

 それが無理に背伸びをして『|』を描いていた。

 覚えていない誰かに褒められ、友人にチヤホヤされた程度だったのだ。だから、僕が見るとチンケな理解できない『○』に評価を下す人達が多いのだ。


 ――本当に僕の『|』はダメなのだろうか? もう一度、あの『○』を見れば判るのだろうか?


 答えを求めるべく、僕は部屋を抜け出した。

 出てきたところを母親に見つかれば、小言を言われるかもしれない。ボサボサの髪に髭も剃っていない。服装も部屋着としているTシャツと短パンのままだ。

 それでも家を飛び出し、あの美大に向かった。



 大学というモノは、開放されており、簡単に入ることができる。

 学食とか一般の人が紛れても判らないと聞いた。案の定、僕が入っても気にされることはなかった。


 入試から数ヶ月たっているが、未だに提出作品が飾られていた。

 やはり今、見ても『○』は理解できない。


 ――どうしてこんなのをかくのが受かり、僕が受からなかったのか?


 ジッと眺めていても、全く判らない。


「――今年の新入生は見所があるねぇ」


 ふと気がつと、小太りの中年男性が立っていた。そうやって呟く。


「……もッ、模写だからといって……何がどう見込みが……」


 久しぶりに自分の声を出した。声が詰まる。


「内面を描き出している。写真じゃないんだから、その裏側も表現しなければ……」

「――うッ、裏側? 模写に必要ですか? それは不必要な想像を入れると、いう事になりませんか?」

「絵なのだから、想像を沸き立たせなければならない。ありのままをかいたら、写真と変わらないだろう……」


 そういうと、小太りの男は去って行った。

 確かに僕がかいた『|』はありのままを忠実に再現したモノであった。写真と言われればそれまでかもしれない。だが、想像も興味も人それぞれではないか? 評価者は『○』をかいた作者が本当に意図したことを、くみ取られているのか?


 真剣に見ていると、『○』ささやいているように感じた。

 入試発表の時に聞いた声が、今度はハッキリと聞こえてくる。


『ここまで届くと思うな! 下手くそが!』


 それは、僕の中で何かが切れた瞬間であった。



〈了〉

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|と○〜潰れた声 大月クマ @smurakam1978

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