課外授業

 ナヴァリア州の北東部にはアルマーニャ大火山がそびえている。

 その麓に位置するのが、温泉宿の集まったアルマーニャ村だ。


 暗黒騎士ザニバルと大地主のお嬢様であるパトリシアはホーリータイガーのキトに乗り、話をしながら山間の道を進んでいく。


「それでね、黒猫剣士は自分がどうして二本足の猫なのか知りたくて、この村にやってきたの。ここにはずっと昔から生きている火の鳥が住んでいて、そんな火の鳥だったら黒猫のことも知っているんじゃないかと思ったの」


 ザニバルはかつて姉から聞いたように黒猫剣士の話を語る。

 パトリシアはキトの上でドキドキしながら聴いている。

 パトリシアはアルマーニャ村の火の鳥伝説について本で読んだことがあった。今聴いている話はそれを元にしたのだろう。


 アルマーニャ村へと近づくにつれ、木々の緑色が減り、岩場の灰色が増える。

 かつて火山から流れた溶岩や降ってきた岩がここの大地を形作っている。


 深まった秋の夕方、それも山間とあって空気は冷たい。

 ホーリータイガーに乗っていると風は受けないのだが、それでもパトリシアは肌寒くて小さなくしゃみをした。


 ザニバルは黒猫剣士の話を中断する。

「そろそろ温泉だよ」

 言葉どおり、道の向こうにぽつぽつと石造の建物が見えてきた。

 この辺りの石で造られたのだろう灰色の建築だ。


 村に入った。

 通りは灰色の石畳で舗装されている。

 ザニバルはパトリシアを後ろから抱えて、ひょいと石畳に降ろした。


 パトリシアは非現実的な出来事の連続にずっと我を忘れていたが、自分の足で立ってみると状況が見えてくる。

 ここまでずっとザニバルから抱きかかえられていたのだ。そう思うと恥ずかしさに顔が赤く染まる。

 肌寒さもあって、自分を両腕で抱きしめる。


 ザニバルの方はといえば、きょろきょろと辺りを見回している。

 建物には看板が掲げられている。看板には旅館の名前と共に赤い鳥が描かれていた。伝説の火の鳥だろう。


「なんか変だもん。前はこんな感じじゃなかったのに」

 ザニバルはいぶかしむ。

 家族で来たときの記憶では、建物は木でできていたし、もっとあちこちに木が生えていた。溶岩が流れた跡なんてなかった。まるで違う場所みたいだ。

 道を間違えたかなとも思ったが、仰ぎ見る山は紛れもなくアルマーニャ大火山だ。


 パトリシアのくしゃみがまた聞こえてザニバルは目をやる。

 パトリシアは赤い顔をして両腕で自分を抱きしめている。


 ザニバルは赤い眼を瞬かせる。

「風邪ひいたの? そんなときはあったかい温泉に入るといいんだよ」


「温泉?」

 パトリシアはさらに顔を赤くする。まさか一緒に入るということだろうか。温泉に浸かっているザニバルを思わず想像してしまう。鎧は外すのだろうけど、どんな姿なのか見当もつかない。


「顔がすごく赤いよ。パティ、熱があるの?」

「ありませんわ!」

 パティなんていう親し気な呼び方がもっとパトリシアを上気させる。

 今日は普通に登校したはずなのに、気が付けば温泉に入ろうなんて誘われている。どうしてこんなことになったのか、頭がぐるぐるする。


 ザニバルはどこの温泉旅館がいいかと見繕う。

 あちこちから白い湯気が立ち昇っている。しかし建物の扉は閉まっており人の気配もない。営業していないようだ。


 開いている旅館を探して、建物が立ち並ぶ中をザニバルは進む。


「あれ? ザニバル?」

 自分の世界に入っていたパトリシアは置いていかれていることに気付いて、慌てて追いかける。待っていたキトが寄り添ってくる。


 ときどき吹いてくる山の風が冷たくてパトリシアは震え、キトにくっつく。

 しばらく進んだところでキトが軽く吠えた。ザニバルは足を止める。


 石畳の向こうからやってきた者たちがザニバルたちの前に立ちふさがる。

 小柄だが筋肉質な体躯に髭面の男たちだ。土埃まみれの作業着をまとっている。背中にはつるはしなどの工事道具を背負っている。


「おいおい、久々に客が来たかと思ったら。こいつぁ驚きだ。帝国軍特殊作戦群、黒の戦闘団長、暗黒騎士デス・ザニバルさんじゃねえですかい。あんときゃ、さんざん世話になりましたなあ」

 男の一人が前に出て、下からザニバルをにらみつける。


 ザニバルと男の間で緊張感が高まり、パトリシアはゴクリと唾を飲む。

 パトリシアは本で読んだことがあった。この小男たちは魔族、地下に住んで採掘や金属細工が得意だというドワーフではないだろうか。滅多に見られない少数民族だ。


「こっちこそびっくりだもん。まだ生きてたんだ、ビジェン」

 ザニバルも前に出て、一触即発の雰囲気だ。


 ビジェンと呼ばれた男とザニバルは、お互いにぎりぎりまで近づく。

 キトは動かない。戦いが始まるのかとパトリシアは焦る。


 ビジェンは両腕を大きく開き、そしてザニバルの両足を力強く抱きしめる。そして大笑いをした。

「旦那! あんたのおかげであたしゃ生きてるんですよ!」


 パトリシアはぽかんとし、キトはあくびをし、ザニバルはビジェンを両腕で抱えて目と目が会うところまで持ち上げる。

「ザニバルだって、ビジェンたちのおかげで帰ってこれたもん」


 ビジェンは楽しそうに、

「軍を抜けたとは聞いてやしたが、こんなかわいらしいお嬢ちゃんを連れて温泉遊びたあ全く優雅ですねえ」

「ビジェンだって温泉に来てるじゃない」


「あたしたちゃあ、ここを作り直してるんですよ。……あたしたちのせいでなくなっちまいましたからねえ。今は演芸場を建てているんでさあ。そうだ、見てってくださいよ」

「それよりもパティをお風呂に入れたいもん」


 ビジェンは笑い、

「つれないねえ。相変わらずだ。よござんす。みんな、この方々を案内しとくれ」

「へい!」

 ドワーフの男たちが威勢よく返事する。


 ザニバル一行はドワーフたちに先導されて石畳を進む。

 石畳に降ろされたビジェンはパトリシアに興味津々だ。

 パトリシアが礼儀正しく挨拶するとビジェンは目を丸くする。

「こんな立派なお嬢ちゃんが、おっそろしいザニバルの旦那によく付いてきやしたねえ。ご両親がよくお許しに」

「その、いきなり連れてこられて…… 父には何も……」


 ビジェンは噴き出す。

「旦那、そりゃ人さらいじゃないですかい。全くしょうがないお人だ」

「違うもん、授業なんだもん」

 ザニバルは心の底からそう思っている。それが感じられて、ビジェンたちドワーフはさらに笑う。


 ザニバルは気安くドワーフたちと話してすっかりくつろいでいる。昔の懐かしい話で盛り上がるのは楽しい。怖がらせなくていい、やっつけなくていい相手なのだ。


 かつてアルマーニャ大火山でザニバルとドワーフたちは一緒に働いた。帝国軍で活躍はしても暗黒騎士はやはり異端、ドワーフたちもまた被差別魔族であって特殊工作に役立ってもしょせんは疎まれる名誉人間、外れ者同士で気が合った。

 作戦は成功したがアルマーニャ村は壊滅し、その責めはザニバルやドワーフへと向かった。

 そんな苦しい思い出がザニバルとドワーフたちを結び付けている。


 盛り上がる思い出話にパトリシアは疎外感を覚える。教室を離れてから落ち着いていた胸の奥がちくりとする。

 強引に連れてきた癖に、昔の仲間とばかり話しているだなんて。いったい自分のことをどう思っているんだろう。……自分はどう思ってほしいんだろう?


 皆はのんびり歩いていく。

 ドワーフたちはパトリシアにあれが傷に効く温泉でそれが病に効く温泉だとあれこれ説明してくる。

 そして、ここはやはり月見の温泉がいいだろうと一行を案内した先が大きな露天風呂だった。


 高い岩場に囲まれた風呂があり、そこに建物がつながっている。建物は着替えるための場所だ。


「ここからは温泉の女将といきやしょうかねえ」

 そう言うと、ビジェンの顔つきが急に変わり始める。髭がひっこみ、顔が丸くなり、髪が艶やかに伸びていく。


「え? え? え? え!」

 パトリシアは呆然とした。

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