罪と罰
暗黒騎士ザニバルは大剣を軽々と掲げて、神聖騎士ミレーラへと迫る。
ミレーラは静かにうなだれている。騒いでいた先ほどまでとは別人のようだ。
「ザニバル様…… 私は今まであなたが人を殺すのを見たことがありません。あなたはいつも敵を怖がらせて戦えなくするだけ。だから代わりに私がザニバル様による大虐殺を伝説に語ってきました……」
ミレーラは顔を上げてザニバルの大剣を見つめる。
「でも、私は知っています…… あなたには取るに足りない弱敵だから手を出さなかったのだということを。あなたがその気になれば私なんていつでも殺せたことを」
再びミレーラは顔を伏せる。
「今までどうしても怒ってはいただけなかった。それは私も取るに足りなかったからなのでしょう。でも、大事な家族のためにはお怒りになるのですね…… ふふふふ…… さあ、どうか私をその剣で裁いてください」
ザニバルがミレーラに大剣を振り下ろそうとしたときだった。白銀のホーリータイガーと化したキトが動いた。ザニバルとミレーラとの間に割って入る。
キトはミレーラの術式によってヘルタイガーからホーリータイガーへと無理やりに属性を反転させられ、激しく消耗しているようだ。だがそれでも足に力を込めて、ザニバルの大剣の前に立ちふさがった。
ザニバルは兜の奥の蒼白い光を瞬かせる。
「キト、どいて。お仕置きをするから」
キトは低く唸って動こうとしない。
「操られてるんだね、守れなくてごめんね……」
ザニバルの左籠手から装甲がするするとほどけて、鞭を形成する。右手で大剣を掲げ、左手は鞭を振り上げた。そのまま振り抜けば、キトをかわしてミレーラを打つだろう。
ミレーラが握りしめたままだった杖を、キトは顎で咥えて奪い取った。
キトの魔力が杖に注ぎ込まれて魔法陣が発動。ホーリーハウンドが次々に亜空間から召喚される。
ザニバルの鞭がミレーラへと走った。その軌道上にホーリーハウンドが跳ぶ。ホーリーハウンドは鞭に打たれて一瞬で光の粒に散った。
いったん引き戻された鞭が再び超音速で走る。今度は斜め上からだ。ホーリーハウンドの群れがミレーラを取り囲ぶように跳んだ。まとめて鞭を受け、光の粒に弾け飛ぶ。怒れるザニバルの前には無力だ。
「ホーリータイガー、何をしているのです、下がりなさい……」
ミレーラが静かに命じる。
魔法術式で縛られているキトの動きが鈍る。
「下がるのです!」
悲鳴のようなミレーラの声が、キトを退かせようとする。
ミレーラに迫ろうとしたザニバルの前に、多数の魔法陣が発動。またしてもホーリーハウンドが召喚される。ホーリーハウンドは壁を作る。
「キト! もう魔法を使っちゃダメ!」
ザニバルが叫ぶ。キトは魔法の使い過ぎで身体から光の粒がこぼれ始めていた。分解しかかっているのだ。
ザニバルはホーリーハウンドの壁をものともせずに進む。腕や脚に噛みつかれるが、そのまま引きずって歩く。
ザニバルが両腕を振るとホーリーハウンドは吹き飛ばされた。
ザニバルはもうミレーラの目前だ。大剣を改めて振り上げようとするザニバルに、キトが体当たりをしてくる。
「キト!?」
ザニバルに当たったキトの身体があまりにも軽い。力もない。そのままキトは倒れてしまった。
「そんなにキトを縛りたいの!」
ザニバルがミレーラに怒りの声を上げる。
戸惑った顔を上げるミレーラ。
その時、ミレーラの身体が激しく震え出した。
「あああ!」
どこを見ているのか分からない眼、呆然とした表情。
ミレーラは膝を砂浜につき、前のめりに倒れかけたところを両手で支える。
そして顔を上げた。必死な表情をしている。
「ザニバル、許して」
ミレーラが言う。いや、彼女の声ではなかった。
話す仕草からザニバルには分かった。
「キト、キトなんだね!」
そう呼ばれたミレーラはザニバルににじり寄り、籠手を舐める。
キトが受けた魔法術式は、ミレーラとキトの魂を接続するというものだ。通常の召喚獣であれば、術者の意志に勝つことはできず支配されてしまっただろう。だが、キトは齢数百年を超える大魔獣だ。ましてミレーラは自分の意志を投げ出してしまっている。
キトは逆にミレーラの身体を乗っ取っていた。
キトに操られたミレーラは見上げる。
「この子は、ザニバルが好き。大好き」
ザニバルは大剣を下ろす。じっと聞く。
「この子は罪を犯した。大好きな人を裏切った」
ミレーラの顔がひどく蒼ざめていく。決して言いたくないことだったのだろう。
「この子は罰が欲しい。殺されたい。大好きな人から。ザニバル」
「……ありがとう、キト。分かったよ」
そう言って、ザニバルはまた大剣を掲げた。
「ザニバル?」
「信じて、キト」
ザニバルは力強く告げる。
ミレーラは頷くようにザニバルの籠手をもう一度舐めてから、ふいとキトの気配を消し去った。
ホーリータイガーの身体が身じろぎする。キトの意識がホーリータイガーに戻ったのだ。
ミレーラは己を取り戻す。そして手で顔を覆い、慟哭する。
「ああ! どうかお慈悲を! 早く殺してください!」
ザニバルは上から告げる。
「ミレーラはたくさん嘘をついた。キトにひどいことをした。家族はね、家族と仲良くしなきゃいけないの。絶対なの」
大剣が風を切る音。
今度はザニバルの声が下から聞こえる。
「家族が死んじゃうのはね、とても、とても悲しいの。ミレーラも知ってるんでしょ。だから、もうそんなことはしちゃダメ」
ミレーラが顔を覆っている手を、ザニバルの手が引きはがす。
ミレーラは見た。砂浜に転がっているものを。ザニバルの声はそこから発されている。ザニバルの首だ。蒼白い眼が兜の奥に輝いている。
「ひ、ひいいいっ!」
ミレーラは悲鳴を上げる。後ろに倒れて、尻もちをつく。
「やだ、いやだ、そんな、ザニバル様!」
ザニバルは自分の首を拾い上げて、元の位置に装着し直す。
「家族が死ぬのは嫌でしょ。ザニバルもミレーラが死ぬのは見たくないよ。大事な家族なんだから」
ミレーラは呆然とする。
「わ、私が…… 家族なのですか……?」
ザニバルは頷く。
「ずっとそうだよ」
「で、でも、置いていったじゃないですか!」
「だって、ミレーラはいつも嫌われようとするもの。そんなの嫌だもん」
「そ、そうかもしれませんけど、家族を置いていくなんて!」
悲鳴のように言うミレーラに対して、ザニバルは穏やかに答えた。
「お姉ちゃんがね、どれだけ離れていても家族は家族だって」
ザニバルに血のつながった家族がいないことはミレーラも知っている。話に出てくる姉がもう亡き人であることも。
だからこそ、その言葉からは真実が感じられた。
ミレーラの両目から大粒の涙があふれる。空を見上げて、大声で、子どものように号泣する。
ザニバルの眼が赤い輝きに戻る。魔装の積層装甲が開いて瘴気が噴出される。大剣と鞭は解除されて瘴気に戻った。
横たわっているキトをザニバルはそっと撫でる。キトはその手を舐める。
そこに集まってきた猫たちが、キトをぺろぺろと舐めた。キトはごろごろと喉を鳴らす。
その様を見て、サイレン族たちは安どのため息をつき、オオワダツミ様とワダツミ様に感謝の祈りを捧げる。
サイレン族の子どもたちを避難させて岩場の向こうから戻ってきた巫女マヒメは平和な様子にちょっとがっかりしたようだった。
「終わった? もう逃げたりしないの? ちぇ、逃げたりないぜえ!」
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