若者たちと大人たち
半魚人とも呼ばれるサイレン族の者たちは、偽ザニバルから一族の娘を守るために村はずれの海岸へと向かっていく。
その一行を猫たちが取り巻いている。
家々の屋根や立木の上にも猫がいて、油断なく周囲に目を配っているようだ。
ヘルタイガーのキトは、小さな虎猫の姿をとって一行の後ろをついていく。
今のところ、偽ザニバルやその手下のホーリーハウンドが現れる気配はない。
サイレンの一行は海岸の岩場にやって来た。
猫たちが周囲を確認する。誰にも見られてはいない。
サイレンたちは次々に海へと飛び込んだ。娘も続く。
サイレン全員が海に消えてから、猫たちは岩場の上に向かった。
小さな穴があってそこに潜り込んでいく。
先行する猫に促されて、キトも穴に入った。
冷たくて狭くて真っ暗な穴の中をしばらく進むと、広い空間に出た。
岩場の中にある洞窟のようだ。
ほんのわずかな光が隙間から差し込んでいて、ほとんど闇。だが猫たちには十分な明かりだ。
洞穴の中にはサイレンたちもいた。どうやら彼らも光は必要としないらしい。
洞窟の中に人間の耳には聞こえないほどの甲高い音が響いている。音はサイレンたちの口から発されている。サイレン族は音で空間を認識しているようだ。
サイレンたちは村中から集まってきたのか大勢そろっていて、ざわざわと騒いでいる。
「だから変身術をまだ使えない齢の者が外に出てはいかんと言うたではないか」
「嫌よ! こんな穴の中にずっと閉じ込められているなんて」
「こんな穴だと! ここはご先祖様が渡ってきて最初に暮らした場所だぞ! ご先祖様に謝りなさい!」
「そんなの知らない!」
大人たちと娘が延々と言い争っている。
キトはあくびをしてから洞窟の中を見物してみることにした。
洞穴は長く、あちこちで分岐している。
ある分岐は小さな空洞に、またある分岐は大きな空洞につながり、海や水場につながっている分岐もある。
家具や寝具が置かれた空洞もあちこちにあった。生活空間なのだろう。
あちこちの岩段に猫が丸くうずくまっていて、静かにくつろいでいる。
そこに籠を抱えたサイレンがやってきて、籠から魚を取り出しては猫たちに配り始めた。魚はびちびちと動いていて活きが良い。猫たちは魚にかぶりついて美味しそうに食べる。
サイレンはキトの前にやってきて魚入りの籠を置いた。
「オオワダツミ様、お納めくださいませ」
籠の中ではとびきり大きな魚が跳ねている。
キトは舌なめずりをしてから魚に喰らいつく。
ぶつりと身を噛みちぎって咀嚼する。甘くてとろける新鮮な肉だ。これは美味い。
キトは魚を頭から尻尾まで骨も残さずきれいに平らげた。
満足したキトは床に丸くなって周囲を眺める。
洞穴には壁画が描かれていた。祖先が描いたのか、ずいぶんと古い絵のようだ。
整った顔立ちの男女が上陸する絵。
人間たちに襲われる絵。
変身の術を覚えて今のサイレンと同じ姿になる絵。
現れた猫たちと仲良くなる絵。
猫たちに守られて村で暮らす絵。
壁画にはサイレン族の歴史が描かれていた。
だが、最後の絵だけは雰囲気が異なっていた。
村が外敵に狙われる。そこに降臨するは猫の耳を持つ人。その者が外敵をうち倒す。
救世主だか神様だかがサイレン族を救うといった絵だった。
サイレンの一人が壁画を拝み、キトを拝む。
「ああ、ありがたや、オオワダツミ様。どうか予言のとおりに村をお守りくださいませ」
自分が神様扱いされていることに気付いてキトは驚く。拒絶するようにその場をぷいと離れる。
地獄生まれのヘルタイガーが神様扱いだなんて悪い冗談だし、それになによりも自分は猫耳の人ではない。そう、猫耳の人といえば……
キトはザニバルのことを想って悲しい気持ちになる。元気だろうか、ひとりでお腹を出して寝て風邪をひいてはいないだろうか。
人間だって何年も経てば育つものなのに、ザニバルはいつまで経っても大きくならず子どものままだ。憑りついた悪魔に時間を奪われているのだ。
キトは悲しげに鳴く。それを聞く者はいない。
洞窟の中はどんどん騒がしくなっている。
娘と大人の言い争いが、美しい若者たちと半魚人姿な大人たちの対立に発展していた。
「隠れて生きたり、姿を変えてごまかすなんてまっぴらだ!」
「そうだ! 私たちはそんな生き方なんて拒絶する!」
「許してくれないなら出ていくまでだ!」
若者たちが叫ぶ。
「ご先祖さまから受け継いできた村を大事にせい」
「お前たちは人間の恐ろしさを知らんのだ」
「耐えよ。いずれオオワダツミ様がサイレン族を救ってくださる」
大人たちは若者たちを叱り、なだめようとする。
「のんびり待っていたあげく、暗黒騎士に家を壊されて家族をさらわれそうになったんだぞ! サイレンは舐められている! こちらから打って出るべきだ!」
「そうだそうだ!」
若者たちのテンションは上がっていき、大人は疲れた表情を浮かべる。
猫たちが急に鋭く叫んだ。
キトは耳を澄ます。
岩場の猫たちが警戒の鳴き声を上げ、それが細穴を通じて洞窟の中に伝わってきている。洞窟の猫たちはそれを聞き取って叫んでいるのだ。
若者たちは顔を見合わせる。
「敵か?」
「ザニバルが来たのか!」
「よし、俺たちの力で追い払おう!」
大人が止めるのも聞かず、若者たちは洞窟の奥から道具を手にしてきた。魚を突くための細い銛に、貝を掘るための熊手。
戦うには心もとない道具にしか見えないが、若者たちは興奮に頬を紅潮させて海への出口に飛び込んでいく。
大人たちはおろおろし、キトを目に入れるや、ひれ伏して祈りだした。
「オオワダツミ様、どうかあの子らを守ってくだされ」
「なにとぞ、なにとぞ」
キトは上あごをぺろりと長い舌で舐める。
あの魚は美味しかった。
自分はオオワダツミ様とやらではないけれど、ご飯の分は返してやろう。
キトは出かけることにした。
軽やかに岩肌を登り、洞窟に入ってきたときの細穴を逆にたどって外に出る。
外の猫たちは村の方に目をやって警戒していた。
何者かが村に侵入したようだ。偽ザニバルか?
サイレンの若者たちは村へと駆けていく。
キトもとことこ村へと進む。
サイレンたちが退避して無人になった家々で、扉を開けて回っている侵入者たちがいた。
サイレンの若者たちは武器を構え、見つからないように気を付けながら包囲にかかる。
侵入者たちの会話が聞こえてくる。
「ここには偽ザニバルを退治に来たんでしょ。探しに行きましょうよ」
「そんなのどうでもいいもん! 猫だらけの村だよ、キトがいるかもしれないもん! キト! ねえ、キト!」
キトの足が止まった。進むべきか退くべきか。
侵入者たちは巫女のマヒメ、そしてザニバル。なぜかザニバルは弱々しい少女姿で暗黒騎士の魔装をまとっていない。
キトがためらってしまったそのとき。
若者たちの手から一斉に銛が放たれた。ザニバルたちへと銛は一直線に飛ぶ。
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