偽ザニバルと港町

 ナヴァリア州の中央部を流れる大河、ネステラ川。

 その脇には街道があり、山奥から河口の港町までをつないでいる。


 街道をひとり偉そうにのし歩く男がいた。偽ザニバルだ。

 男はザニバルの名前を騙って生きてきた。ザニバルの恐ろしさは広く知られているが、その姿を見たことがある者はそんなにいない。いかつい顔つきで黒い鎧を着てザニバルを名乗ってさえいれば、人々を恫喝できる。この手を使って長くヤクザな生き方を過ごしてきた偽ザニバルはもう自分の本名を忘れかけている。


 先日は商人のラミロに雇われて、借金取りにナヴァリア領主のところまで押しかけた。領主はまだ少女で、給与未払いのため護衛兵にも逃げられているという。少女を脅しつけて城を巻き上げるだけの楽な仕事、そう聞かされていた。


 ところが現れたのは暗黒の鎧兜に身を固めた巨躯の騎士だった。偽ザニバルよりも一回り大きくて、棘だらけの鎧兜ははるかに強そうで、黒い瘴気を噴き上げる様は圧倒的に恐ろしかった。


 逃げるしかなかった偽ザニバルには分かる。あれこそが本物の暗黒騎士デス・ザニバルだ。あの後、本物のザニバルが城から追い払われたという噂が広がったのは謎だが。


 ともかく逃げだした偽ザニバルだが、役立たずだとラミロから解雇され、次の儲け口を探して街道をうろついていたのだった。


 偽ザニバルがとりあえず向かっていたのはマルメロの果樹園。

 かつては無人売り場で盗み放題だったマルメロなのに、王国との貿易を始めたとかで今はすっかり手に入らなくなっている。ということは、そこに難癖をつければ儲けられるかもしれない。なんならマルメロを盗み出すだけでもいい。


 儲けた金でどう遊ぶか楽しく妄想しながら歩いていた偽ザニバルは、けたたましい騒音で我に帰る。


 偽ザニバルは目を疑った。

 街道の彼方から眩しい稲光の塊が迫ってくる。さらに真っ黒い煙も。二つが途轍もない速度で競い合っているようだ。

 それはマヒメの雷蛇とザニバルのベンダ号だったが、偽ザニバルには知る由もない。


 光と闇に幻惑されて、偽ザニバルは立ち尽くした。

 その脇を雷蛇がかすめ、電撃を浴びた偽ザニバルは跳ね飛ばされる。さらにベンダ号のまき散らす瘴気で吹き飛ばされた。


 雷蛇とベンダ号は偽ザニバルに気付くこともなく走り去る。

 空高く舞い上がった偽ザニバルは大河に落ちて高い水柱を上げた。


 偽ザニバルの身体は電撃でしびれて動かない。雨で増水していた大河は急流。みるみる偽ザニバルは流されていく。

 彼にとって不幸中の幸いだったのは、着ている鎧が安い木製だったこと。鎧は水によく浮いた。沈むことなく偽ザニバルは流され続けて、ようやく這い上がることができたのは河口にまでたどり着いてからだった。


 偽ザニバルはひどい目にあったと思うものの、復讐などは考えない。

 命あっての物種、あれは関わるべきではない魔物の類だ。助かっただけましだろう。すばやく気持ちを切り替えて、儲け口が転がっていないかを探し始める。


 偽ザニバルが流れ着いた場所は、河口の湾に広がる港町だった。

 海岸には波止場が作られていて、漁船や輸送船が停泊している。

 海岸の奥には家々が軒を連ねていた。

 ナヴァリア州の港町ぺスカだ。


 偽ザニバルには初めての場所だった。新しいカモが見つかるかもしれない。


 ずぶ濡れな身体から水を滴らせつつ偽ザニバルは砂浜を歩く。夏の昼、砂浜は焼けるように熱い。身体はすぐに乾いていく。


 視線を感じた偽ザニバルが目をやると、漁船の上に猫がいた。猫はごろりと横たわりながら、じっと偽ザニバルをにらんでいる。


 偽ザニバルの背中に寒気が走る。彼は猫が嫌いだ。何を考えているのか分からない。近づくと突然ひっかいてくる気味が悪い生物だ。


 気が付けばそこら中が猫だらけだった。

 砂浜に干された網の上に、小屋の屋根に、波止場の柱に、家と家の隙間に。いずれの猫も視線を偽ザニバルに向けてくる。


 偽ザニバルは不気味さに顔をしかめ、安物の剣を思わず引き抜いた。

「こっちを向くな!」

 剣を振り回す。


 剣をきらめかせても、猫たちは身動きひとつしない。しかし声が上がった。

「あんた、どうしたのかね」 

 小屋から出てきた者が偽ザニバルに声をかける。


 偽ザニバルは相手を見て、思わず後ずさる。蒼ざめた鱗の肌に刺々しい耳、髪がないつるりとした頭、申し訳程度の布で覆われた身体。人間ではない。


「半魚人か」

 偽ザニバルは怖がってしまったのをごまかすように吐き捨てる。


 この相手は水陸を住みかとする魔族、サイレンだ。漁業を得意としている。

 人間離れした彼らを不気味がる人間は多く、侮蔑的に半魚人と呼ぶ者もいる。偽ザニバルもその一人だ。


 帝国では魔族が差別される。中でも恐ろしい容姿に見えてしまうサイレン族の扱いはひどい。帝国でサイレン族が暮らしているのは、古くから魔族を受け入れてきたナヴァリア州だけだ。


 半魚人と偽ザニバルから侮辱されたサイレンは、しかし慣れているのか気にしていないようだ。ぼそりと偽ザニバルに告げる。

「ワダツミ様を怒らしちゃなんねえ」


「ワダツミ様だと?」

「わしらの漁を守ってくださる幸運の神様じゃよ」

 サイレンの丸い眼が猫の一匹に恭しく向けられる。


 偽ザニバルは眉根を寄せる。

「猫なんぞが神様かよ。笑わせやがる。てめえらを守ってきたのはなあ、この暗黒騎士ザニバル様なんだよ!」


 サイレンはうさんくさそうに偽ザニバルを眺める。

「暗黒騎士といやあ、でっかいワダツミ様を連れていると聞いたがのう。どこにも見当たらねえなあ」


「ぐ…… 時代は犬なんだよ!」

「その犬はどこで?」

「散歩中だ!」

 気押されてしまった偽ザニバルは適当に言い捨てて、その場を後にした。


 海岸から上がって港町に入る。

 小さな木造の雑貨店や酒屋、飲み屋に宿屋などが並んでいる通りだ。

 古ぼけてちんけな店ばかりだが、ここがこの町の繁華街らしい。

 あちこちに猫がいて、人よりもよほど多い。どの猫も偽ザニバルをじっとにらんでくる。


「けっ、脅し回って金でも巻き上げてやる。だが、奴らには俺の強面が通用しねえなあ」

 偽ザニバルは自分の強面が自慢だった。この顔で店に怒鳴りこんでみせれば、たいがいの店主はぶるって金品を差し出してきたものだ。しかし、顔で言えばサイレン族のほうがよほど恐ろしい。


「野犬でも捕まえてきて、けしかけてやるか。ザニバル様の怖さを思い知らせてやるぞ」 


 それから数日。

 偽ザニバルは港町をうろついて回った。猫が多すぎるせいか、犬はまるで見当たらないのがまず誤算だった。

 仕方がないので、あちこちの店に一人乗り込んでは暗黒騎士の名前で脅してショバ代を奪おうとした。しかしどうにもうまくいかない。店に居座ることで嫌がられはするものの、たいして客もいない田舎の港町では商売の邪魔にもなっていなかった。

 

 もう夕方。無理やり奪ってきた酒瓶から葡萄酒をラッパ飲みしつつ、そろそろこの町はあきらめて次の場所を探そうかと商店通りをふらふらしていたときだった。

 路地裏からひょいと手が伸びてきて、偽ザニバルはいきなり引きずり込まれた。


 よろけて倒れた偽ザニバルは、

「てめえ、なにしやがる!」

 屈辱をごまかすために怒鳴りかけて、口をポカンと開けた。


 うす暗い路地で、美女が偽ザニバルを見下ろしている。

 白いぴっちりした服に身を包んだ、スタイルのいい女だ。緩やかに波うった赤髪を肩までたらし、こげ茶色の肌。長いまつげに切れ長の目、紅い唇。攻撃的な色気がある。

 服装からして神聖騎士団の騎士らしい。


 美女は腰のレイピアに手を当てながら笑顔を浮かべている。しかしその目はまるで笑っていない。むしろ怒っていた。

「そう、あなたが暗黒騎士ザニバルだって言うの。下品で醜い愚か者が」


 美女の目はあたかも小さな虫を踏みつぶそうとするときのようだった。

 偽ザニバルは地べたをはいずり逃げようとする。その後ろに美女のレイピアが突き立つ。


 偽ザニバルの身体が震える。

「て、て、てめえ、何者だ!」

   

 美女はいら立ちを抑えた声で、

「私は暗黒騎士デス・ザニバル様の副官、神聖騎士団騎士ミレーラ・ガゼット」

「げえっ!」

 

 騙しようがない相手を前に、偽ザニバルは泡を吹く。


「役に立つなら生かしてやるわ」

「やる! やるから! なんでもやらせてくれ!」


 ミレーラが手を走らせると、偽ザニバルの首に何か細いものが巻き付いた。首輪のようだ。

 偽ザニバルがそれに手を伸ばそうとしたら、

「外したら殺す」

「はい」

 偽ザニバルは手を戻す。


「召喚、ヘルハウンド」

 言葉と共にミレーラがレイピアを振ると、不気味な眼のような魔法陣が路地裏の壁にいくつも現れる。


 魔法陣からはずるりと魔物が這い出てくる。地獄の魔狼、暗黒のヘルハウンドだ。

 次々に現れたヘルハウンドが偽ザニバルを取り囲む。


「ひええええっ」

 たいした知識を持っていない偽ザニバルだが、さすがに驚き恐れる。

「神聖騎士団が魔物を呼ぶってのか!」


 帝国で魔物を召喚するのは好まれない。中でも神聖騎士団はそうした魔法を禁忌にしている。魔物召喚にうっかり手を出せば神聖騎士団に狙われてしまうから、偽ザニバルのようなごろつきも気を付けている。

 その神聖騎士団の騎士が地獄の魔狼を召喚するなんて到底考えられないことだ。

 

 ミレーラは術を続ける。レイピアを中心にして立体的な魔法陣が展開し、ヘルハウンドたちを包み込む。

「聖転換」


 魔法陣が複雑な時計仕掛けのように回転していく。それにつれてヘルハウンドたちの黒い姿はねじれていき、その中から白い輝きが現れ、黒白がねじれながら反転。ねじれ終わったときには真っ白なヘルハウンドが現れていた。


「こいつらはホーリーハウンドよ。お前に付けた首輪があれば、言うことを聞く。こいつらを使って町で好きなだけ暴れなさい」

 ミレーラが上から命じる。


 偽ザニバルは呆然としながら自分の首輪をさすり、そしてホーリーハウンドを眺める。自分よりもずっと大きい。開いた口からは長く赤い舌と太く鋭い牙が覗いている。一頭だけでも大勢を噛み殺せるだろう。それが一、二、三、四、五頭もそろっている。


 偽ザニバルは命令を試してみる。

「お座り」

 偽ザニバルの首輪が淡く輝き、ホーリーハウンドたちは言われたとおり一斉に伏せる。


「こいつらをただでくれるのか」

「そうよ」

 ミレーラは汚らしいゴミでも見るかのような目だ。


 偽ザニバルの心が浮き立つ。

 何か裏があるのだろうが、そんなことはどうでもいい。この狼共を使えばあの猫やサイレン共もさすがにびびるだろう。御破算になるまでせいぜい儲けさせてもらうだけだ。やばくなったらずらかる。


「ぐへへへへ」

 偽ザニバルは酒池肉林を妄想して下品に笑う。


「やっぱり…… その色は許せないわね」

 眉をひそめたミレーラはレイピアを躍らせる。


 偽ザニバルが一瞬きする間に、偽ザニバルの黒い鎧は塗装を残らず削り取られて木の地肌が剥き出しになっていた。途轍もない早業だった。ミレーラがその気になれば一瞬で偽ザニバルの首は飛ぶだろう。


「ひいっ!」

「せいぜい暴れてみせるのよ」

 ミレーラが振り返りもせずに去っていくのを、腰が抜けた偽ザニバルはただ見送ることしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る