暗黒騎士の来訪
デス・ザニバルは神聖ウルスラ帝国の勇者である。
闇の魔装をまとって暴れ回ったザニバルは、皆から暗黒騎士と恐れられている。
かつて家族を悪魔の生贄にされたザニバルは復讐を誓い、魔族と戦ってきた。
人間が支配する神聖ウルスラ帝国にとって、魔王が統治するウルスラ連合王国は滅ぼすべき害悪だ。帝国は王国侵略に乗り出し、ザニバルは最前線で血みどろの活躍を繰り広げた。
しかし戦線は手に負えないほど拡大、あまりに破壊的なザニバルの戦い方もあって帝国の財政は窮乏し、とうとう戦費が尽きて和平条約を結ぶことになった。事実上の敗戦である。
王国はザニバルの引退を要求し、帝国はこれ幸いと手に負えなくなったザニバルを更迭した。退職金代わりに田舎の領地を押し付けて。
ザニバルに与えられた領地、ナヴァリア州は王国に接している。かつては王国との貿易が盛んだったものの、戦争によって貿易路が封鎖されてしまい産業が壊滅。立て直しを図っていた領主も王国によるナヴァリア攻撃で戦死した。跡を継いだ領主の娘アニスが苦闘している中にやってきたのがザニバルである。
ナヴァリア州で兵を集めての王国攻撃を企んでいたザニバルだったが、あまりの貧乏ぶりにそれどころではない。ザニバルはかつてのライバルである王国魔女フレイアと手を組む。帝国と王国の貿易路を封鎖していた要塞に二人は乗り込んでこれを破壊。ナヴァリアの貿易を回復させた。
ナヴァリアはアニスによって復興への道を歩み始めるも、先は長く、まだまだ戦う力などあるわけもなかった。
ザニバルにとってもはやナヴァリアは用のない地と思われた。だがザニバルは知る、このナヴァリアこそは宿敵が新たな悪魔召喚を企んだ地であると。
ようやく宿敵の手がかりをつかんだザニバルは探索に出ようとする。
領主の側近であるゴニは、出ていきかけたザニバルに仕事を押し付ける。領民の様々な困りごとを解決する勇者係の任務だ。
宿敵を探す当てもなかったザニバルはついでにこの仕事を引き受けてしまうのだった。それが大変な面倒事ばかりとも知らずに。
◆ナヴァリア州 街道
夏も盛りだというのに、黒い鎧兜に全身を包んだ騎士が大虎に騎乗して街道を進んでいる。
帝国一の凶暴な勇者として戦場で恐れられてきた暗黒騎士ザニバルだ。指図を無視して味方も巻き添えの暴虐ぶりに、戦争が終わると軍から厄介払いされて辺境の地ナヴァリア州に流されてしまった。
今はそのナヴァリア州で勇者係と呼ばれる雑用仕事を名目に、宿敵を探して回っている。
ザニバルの姿は鎧兜にすっかり覆われていて、その顔や身体は見えない。兜の隙間からは赤い焔のような眼が覗いている。
漆黒の鎧兜は陽光の下でも煌めくことは無い。深い闇のように光を吸収してしまうからだ。鎧兜は刃のような装甲が重ねられており全身武器を思わせる。
装甲の隙間からは黒い気体が流れ出している。闇の瘴気だ。この鎧兜はザニバルに憑りついた悪魔が化身した魔装であり、瘴気は悪魔からあふれ出す力なのだ。
馬よりも大きな虎にザニバルはまたがっている。虎は顎を開いて赤い舌と太い牙を覗かせ、剣呑な殺気を放っている。地獄で生まれた虎の魔獣、ヘルタイガーのキトだ。
暗黒騎士ザニバルを乗せてヘルタイガーが進む姿は、まさしく地獄の使者が行進するがごとき様だ。うっかりその姿を見てしまった者は震えあがって逃げていく。
ザニバルは街道から山への道に抜ける。
しばらく駆けて山に至り、上り下りを繰り返して山奥に分け入っていく。木々に光をさえぎられた薄暗い森の中、細道を疾駆する。
どれほど走っただろうか。深い森の果てに小さな里が見えてきた。
小川が流れ、その左右には石造りの家、それに塔がぽつぽつと建っている。
これが今回の任務の目的地、塔之村だった。エルフの集落だと聞いている。今のところ動く者は見当たらない。
戦場の習慣でザニバルは油断なく目を配る。
家の多くは庭に雑草が生い茂り、建物は蔦に絡まれ放題。放棄されて長そうだ。住民の大半を失った限界集落だろう。
立ち並ぶ塔からは見られている気配がある。中には住人がいるのだろう。恐怖の匂いが立ち昇っている。
<こいつはいい匂いさね>
ザニバルの魔装に宿る悪魔バランがほくそえむ。バランの好物は恐怖なのだ。
ザニバルは弓射を警戒しながら谷の道を進んでいく。
道の脇に長い石段を見つけた。重要な施設があると見たザニバルはヘルタイガーに石段を上らせる。
石段は左右に柱が立っていて、柱には横に二本の棒が渡されている。このトリイと呼ばれるものは神の通り道を示すという。上にはエルフの神域があるのだろう。
トリイをくぐろうとしたヘルタイガーが脚を止めた。
石段を駆け下りてくる者がいる。
長い銀髪をなびかせた紅白袴姿の少女が石段を数段飛ばしながら飛ぶように降りてきて、ザニバルの前に立ちふさがった。
長く尖った耳を持つエルフの少女だ。エルフらしく整った顔立ちをしている。袴姿は神に仕える巫女の証だ。
エルフ少女は肩で息をしながら叫ぶ。
「魔物め、本当にいたのか!」
少女は木の棒をザニバルへと伸ばす。木の棒からは白い紙が下がっている。巫女が使う魔道具、幣だ。
「浄化してやる!」
ザニバルはヘルタイガーを降りてエルフ少女に向かい合う。
ザニバルの方が下の段に立っているが、それでもエルフ少女より頭二つは大きい。
刃を重ね合わせたような刺々しい魔装がぎしりと軋む。その隙間から闇の瘴気が噴き上がり、まるでマントのようにたなびく。瘴気は燃え上がるような音を立てる。
ザニバルの赤く燃えるような眼が兜の奥からエルフ少女をにらみつける。
まじまじとザニバルを見上げた少女は、どのような存在を前にしているのかをようやく理解して、あまりの禍々しさに身体を震わせる。幣がばさばさと揺れる。
少女は手の震えを懸命に抑えようとしながら、幣に魔力を込めていく。
ザニバルはおもむろに装甲の隙間から紙を取り出して眺める。
一歩前に出て、紙を少女に突きつける。
少女は恐怖で涙目になりながら紙を見た。
「え、これ、私が書いた申請書?」
ザニバルは手を戻して紙の文面を読み上げる。
「私は塔之村の神社に仕えている巫女マヒメと申します。勇者様、村に出るという魔物をなんとかしてください……」
「えええ、まさか勇者!?」
少女の顔が青くなる。
「勇者係の暗黒騎士、デス・ザニバルだもん」
地獄の底から響くような低い声でザニバルは名乗りを上げた。見た目と声にあるまじき、少女のような話し方だ。
少女の顔が今度は赤くなる。
「ご、ご、ごめんなさい! 私がそれを書いたマヒメなの。でも、まさか、どう見ても悪魔、それに、なんなのその変なしゃべり方」
動転したマヒメは失礼なことを言い続ける。
「いいから魔物について教えて」
ザニバルは魔装の中で口をへの字にしている。
ヘルタイガーのキトが顎を開いて牙を覗かせながら大あくびをした。
ザニバルは石段の上まで案内された。そこはエルフが神を崇めるための神社だった。
大きなトリイや社務所、拝殿などが並ぶ。しめ縄でくくられた一画の中には苗木が植わっている。
マヒメは社務所に入り、すぐに出てきた。大きな籠を提げている。籠は木の枝で織られていて手作りのようだ。
マヒメは改めてザニバルに目を向けて、身体をぶるりと震わせる。その目には恐怖だけでなく疑いの色も浮かんでいる。
「話の前に、お昼時だから村の皆にご飯を配りに行かないと」
言うや、マヒメは石段を駆け下り始めた。
ザニバルはヘルタイガーにまたがってマヒメを追う。マヒメはバランスの取り方が見事で、大きな籠は傾きもしない。
ザニバルの追跡が不安なのか、マヒメはちらちら後ろをうかがう。
石段を降りきったマヒメは谷の道を駆ける。そして一軒の家で止まった。家の横には塔が建っている。
村のあちこちに塔が立ち並ぶ光景は珍しい。ザニバルがこれまで訪れてきたエルフの集落の中でもこのような場所は初めてだ。
ザニバルは塔を観察してみる。つるつるした白木のような表面で、おそらく木製なのだろう。高さは二十メルほどか。魔法の気配がある。
「お昼です!」
マヒメが塔の上に向かって叫ぶと、
「その悪魔みたいなのは何なの……?」
怯えた声で返事がある。
「ほら、領主様が新しく勇者係を始めたでしょ。いろんな困りごとを解決してくれるっていう。その勇者係のザニバルさんなんだって」
「ザニバルって…… まさかあの暗黒騎士!? あ、悪魔! ひいい! 悪霊退散!」
「おばあちゃん、人を見た目で判断するのは失礼でしょ。まあ悪魔にしか思えないけど。それよりもご飯よ」
塔の上からエルフの女性がちらりと顔を見せる。おばあちゃんと呼ばれていたがどう見ても若々しい。人間であれば二十代前半ぐらいの容姿だ。
女性は上から縄を降ろしてきた。マヒメが大きな籠から袋を取り出して縄に結び付けると、するする上がっていく。
食事の配給を終えたマヒメは次の塔に向かう。
これを繰り返してマヒメは村中に食事を配り終わった。それなりの時間が掛かる作業を終えて一息つく。
「お腹減った。ねえ、マヒメが村中の食事を作ってるの?」
ザニバルが疑問を呈する。
「そうよ」
マヒメが力強く頷く。
「毎日、朝昼晩?」
「うん」
「みんなで作ればいいのに」
「どうして? みんなもう隠居したのよ」
マヒメが首をかしげる。
腑に落ちない様子のザニバルに、
「ああ、掟を知らないんだ。塔之村のエルフは二百歳を過ぎたら隠居するの。村で二百歳よりも若いのは私だけだから、私が働くのは当然」
エルフは見た目で年齢が分からない。先ほどのおばあちゃんとやらも二百歳を超えていることになる。マヒメも見た目は十代だがもっと歳をとっているのかもしれない。
「それでも動けるんなら出てきて手伝いぐらいすればいい」
「そう、そこなの! みんなが引きこもってるのをなんとかしてほしいの。手伝ってくれなくていいけど、ずっと塔の中にいるのは健康に悪いでしょ」
「こもっている敵は焼き討ちに限るよ。煙でいぶすのが効くもん」
「あ、悪魔! みんなは敵じゃないのよ!」
マヒメは眉根を寄せる。
「みんな、外には魔物がいるから出たくないって言うの。私にもご飯を作るのを止めて塔に引きこもれって。ほら、あれ」
谷の道をマヒメは示す。
舗装されていない道に大きな水たまりがある。
「これが魔物の通った跡だってみんな言うの。それも、これも」
マヒメは谷の急坂を指さす。
土肌が荒れていて溝のようになっている。
建物も指さす。
屋根に張った蔦が一直線に千切れている。
「走り回る魔物がやかましくて夜も眠れないほどだって言うんだけど、そんなの聞こえたこともなくて」
マヒメは心底不思議そうな顔だ。
ザニバルはいぶかしむ。自然現象にしては規則性がある。獣にしては跡が大きすぎるし、猪や熊の類だとして、急坂や屋根の上を走るとは思えない。やかましいとはどういうことだろう。こんな魔物の話は知らない。
「魔物はいつ出てくるの?」
「真夜中だってみんなは言ってるんだけど」
「ふうん。いいや、今夜調べてみよっと」
「え、本当に調べてくれるの! やっぱり暴漢とか山賊とか悪魔じゃないのかなって思ってたのに?」
マヒメは目を丸くしている。
「……悪魔って、こんな感じ?」
むっとしたザニバルは魔装から闇の瘴気を噴き出させた。慌ててマヒメは後ずさり幣を構える。
「あ、そろそろ晩ご飯を作らないとね。食材を採りに行かなきゃ!」
マヒメは逃げるように駆け出していく。
「それよりザニバルの昼ご飯は……?」
ザニバルはぽつりとつぶやく。お腹が鳴った。
「キトはご飯してきていいよ」
ザニバルが言うと、ヘルタイガーは鳴き声で返事してから森に駆け込んでいく。適当に鳥か猪か熊でも獲ってきて食べるだろう。
ザニバルは自分の分を探さねばならない。社務所に戻れば何か食べ物が残っているだろうか。とぼとぼと歩き出す。
<ザニバル、気を付けな。ここはどうも妙さね>
魔装に宿る悪魔バランだ。
<うん、裏がある気がする……>
戦場で培ってきた勘だ。敵の奇襲に罠、戦場で異常に気付けない者は死んでいった。
谷の道を歩くザニバルは異様な気配を感じて振り返る。しかし静かだ。人の姿もない。
気を取り直して歩き出す。再び気配。振り返っても何もない。
また歩き出すふりをして、ザニバルは跳んだ。空中でひねり込んで周囲を一瞬で索敵。そしてザニバルは見た。先ほどとわずかに塔の位置がずれている。
塔が動いていた。ザニバルに近づいてきている。
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