出立

◆帝都の門


 月のない夏の夜。

 帝都を囲む城壁の門を抜けて、大型の獣が現れる。地獄で生まれた虎の魔物、ヘルタイガーだ。またがるは暗黒騎士ザニバル。


 開門を要求したザニバルに門の守衛は抗おうとしたが、相手が誰なのかに気付くと慌てて必死に扉を開き、地面に頭を擦りつけて詫びた。

 堂々とザニバルは通り抜ける。


 月がない夜であろうとも、ザニバルとヘルタイガーにはさして支障がない。

 ザニバルはヘルタイガーを疾駆させる。向かうは手に入れた土地、南のナヴァリア州だ。

 ザニバルは苛立っている。

 領地を手に入れるための契約にずいぶんと手間がかかってしまった。罰として仕事が遅い役人どもの事務所は破壊してやったが、苛立ちは晴れない。早くナヴァリアを手に入れて暴力の嵐を吹き荒れさせてやりたい。


 ヘルタイガーは丘を越え、林を抜け、峠を走り、森を進む。

 深い森は闇に包まれ、空も見えない。

 鳥の鳴き声や獣の吠える声がどこからともなく響き渡る。

 常人であれば恐ろしくて進むことなどできないだろう。

 だが暗黒騎士であればなんということもない。そう、暗黒騎士であれば。


 ザニバルの黒い魔装は瘴気を放ち続けている。その勢いが激しい。


 ザニバルは己の片手が震えるのを見た。もう片手で抑えようとするが止まらない。それどころか全身が震え始める。

 

「もう!」

 ザニバルはうめく。魔装の全体が黒い瘴気に分解し始める。

「だめ!」


 魔装の装甲が一枚また一枚と瘴気になって消え、みるみるうちに実体を失ってしまった。

 中から姿を現したのは二回りも小さな姿の少女だった。

 タイトなチュニックとズボンを着ていて身体の細いラインが露わだ。この闇の中で見ている者がいるとすればだが。

 

 長い黒髪をなびかせて、まだ幼くかわいらしい顔立ちをしている。頭には大きな猫のような耳が生えている。これがザニバルの正体だった。


 彼女の大きな目はおびえきっていた。

 遠くでフクロウが不気味に鳴いて、

「ひゃああっ!」

 乗っているヘルタイガーにしがみつく。


「怖いよお…… どうして夜の森なんか走るのお」

「早く領地を見たいからって、暗黒騎士殿が望んだんじゃないのさ」

 兜や鎧だった瘴気が集まり、黒い塊となって返事をした。


 瘴気の塊は形をとっていき、ザニバルの掌ほどの大きさの小人に変じた。

 小人はヘルタイガーの頭上に乗る。背中には蝙蝠のような翼、額には二本の角が生えており、裸身に書物を巻きつけたような奇妙な格好をしている。身体つきは女のようで、小妖精に似ているがもっと邪悪な気配を漂わせていた。小悪魔だ。


 少女ザニバルは少しだけ顔を上げて小悪魔を目に入れ、弱気そうな表情を浮かべる。

「バランが暗黒騎士をそそのかすからだもん」


 バランと呼ばれた小悪魔は道化師のようにくるりと逆立ちしてから、

「暗黒騎士はザニバル、ザニバルは暗黒騎士。バランはただ力を貸しているだけさね」


「バランがいなきゃ、あんなことしないもん!」

 ザニバルは不満そうに口をとがらせる。


「ほほう、皇帝を脅して領地を得たのもバランのせいって言うつもりかい?」 

「そうだもん、皇帝とお話するなんて初めてだし、本当に怖かったんだからね!」


「おかげでナヴァリア州を手に入れたじゃないかね」

「うう…… どうしたらいいんだろ。困っちゃったなあ」


「くくく、ナヴァリアはいい足がかりになるさね。兵を集め、いずれは帝国全土を支配して、今度こそ王国を滅ぼせばいい」


 ザニバルは顔をしかめる。

「そんなこと、できっこないよお」


「本当かねえ? 仇を殺りたくはないのかねえ?」

 バランはくるくると回ってみせる。


 ザニバルの目がすっと暗くなった。暗黒騎士の姿をしているときのように。

 殺気で森の空気が張り詰め、野鳥たちが鳴き声を上げてやかましく騒ぐ。狼の遠吠えも響いてきた。


「あいつは必ず見つけるもん。ぶち殺すもん」

 ザニバルは吐き捨てるように言う。


「契約を忘れないでよねえ。死と恐怖が暗黒騎士に力をもたらすんだからさあ」

「絶対の絶対に忘れないもん。あの日のこと…… 地獄に落とすもん。永劫の責め苦を与えてやるもん」

 ザニバルの口から暗黒騎士そのままの言葉が漏れる。

 ザニバルの怒りに呼応してヘルタイガーが咆哮する。森の木々が揺れた。


「いいねえ。こんなに恐怖にあふれた子は本当に貴重だよ。悪魔も仕えがいがあるってもんさ」

 バランが舌なめずりする。長い真っ赤な舌だ。



 夜闇の中、一行は駆け続けて森を抜け、峠に入った。

 切り立った崖の脇に狭い道が開かれており、あちこちに石が転がっている。

 やっと怖い森を抜けて安心だと思っていたザニバルはもっと怖がって、必死にヘルタイガーにしがみついている。


「ひゃっ!」

 道を曲がった先に赤い炎がぽつぽつと見えて、驚いたザニバルは声を上げる。

 よく見ると、暗がりの中に石造りの関所が浮かび上がっていた。赤い炎は松明が燃えているのだ。 

 真夜中とあって門は閉められている。


 静まり返った夜のしじまを破って、女性の叫び声が響いてきた。


「ひいっ!」

 ザニバルはびっくりして飛び上がりそうになる。まさか女性の幽霊だろうか。


 警戒したのか、ヘルタイガーは足を止めた。

「も、戻ろうよお。キト」

 しがみつきながらザニバルが呼びかける。

 キトはこのヘルタイガーの名前だ。


「いやいや、戻るなんてとんでもない。あそこからはご馳走の匂いがしているってのに」

 バランが嬉しそうに言う。


 女性の叫び声に続いて男たちの怒鳴り声が聞こえてきた。言い争っているようだ。

「幽霊じゃ…… ないの?」

「まだ生きているようだねえ」


 バランは関所から流れてくる恐怖の匂いを香しく吸い込む。

「ああ、力が湧いてくるねえ」


 ヘルタイガーもまた顎を開き、大きく呼吸する。

 そして叫びの方へと駆け出す。

「ちょっと、やだ、逃げようよお」


 ヘルタイガーは大きな身体を縮こめ、そして力強く跳躍した。

 高く宙を飛ぶヘルタイガーの上でザニバルは声にならない恐怖の叫びを上げる。


「恐怖がみなぎるねえ!」

 バランは黒い瘴気と化してザニバルにまとわりついていく。

 黒い瘴気は兜となり、鎧となり、幾枚もの装甲を重ね、魔装バランとなってザニバルを覆う。

 ザニバルは全身を黒く鎧った暗黒騎士となった。

 眼が赤く輝いて態度が豹変する。

「行くぞ、キト。恐怖を喰らいに」

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