第1話 俺が悪魔になりまして
首都のベッドタウンとして知られる盤馬(ばんま)市。
そんな街に住みそんな街にある高校に通い、その夏休みの登校日終了後、音大を目指す学生を対象とした音楽教室にバイオリンのレッスンに行き、19時半ごろ家のドアをくぐった一馬の目に飛び込んできたのは、血相を変えた母親の一恵だった。
「あなた宛に聞いたこともない名前の学校から編入通知が届いてるのよ!あなた転校とかそんなこと考えてたの?それならそうだってなんで言ってくれないのよ!」
「そういう話だったらもっとちゃんとしてるよ!父さんにも!その通知はどこさ」
言いたいことをいっぺんにまくし立ててくる一恵を制し、一馬は編入通知のありかを尋ねる。
とりあえず、といった具合にダイニングテーブルにおいてあった封筒を見ると、確かに宛名は自分宛になっていた。
「母さんもざっとは読んだんだけどね、もうお前は何を言ってるんだって感じよ。問い合わせしても電話つながらないし。」
「それは普通に話し中だったんじゃない?」
資料請求もなしにこんな通知を送られてきては問い合わせの一つくらい入れたくもなるだろう。そういう理由で回線がパンクしているオチなのではないか、と「頭真っ白です」と顔に書いてある一恵に一馬は適当な説明をする。
しかし一度真剣に目を通さないことには何も見えてこない。『五星学園 中等部・高等部』と書かれた映画のパンフレットほどの大きさの冊子を手に取ったところで、洗面所から「ああ~気持ちよかった!」と気の抜けた声が聞こえてきた。
「あっ一馬帰ってたの?」
「うわ」
声の主は角田明菜。一馬の父の兄の長女、つまり一馬の従姉で大学3年生だ。九州に住んでいたが3年前から盤馬市内の大学に通うことになり、叔父を頼ってこの家に居候をしているのだが、そこから一馬の受難は始まったのだ。
よく母親が手伝いが欲しい時に言う「立ってるものは机以外ならなんでも使え」を非常に都合よく解釈した明菜は、一馬がややお人よしの気があることに付け込んで、ことあるごとに用事を押し付けた。平たく言うとパシリである。
危険なことを頼まれていたわけではなかったが一馬の予定や都合は完全に無視しており、レッスンや友人との約束に遅刻しそうになったことも少なくなかった。おかげで一馬はすっかり5つ以上年上の女性が苦手である。
「ああそれ昼間の学校案内?」
「いや俺ほんと何も知らないって」
「それでもあんたのことなんだしさ、ちゃんと目は通しなよ」
「それはほんとにそうだし、今読もうとしてたんだようるさいなあ」
明菜の一言一言にじわじわ気力を削がれつつも、全員で学校案内に目を通す。
『五星学園 理事長あいさつ
「出る杭は打たれる」ということわざがあります。
世の中には様々な分野において優れた才能を持つ方々が春に芽吹く花のようにたくさん存在しますが、
残念ながら金銭事情や周囲の嫉妬から、大輪の花を咲かせられず埋もれてしまう現実もあります。』
「あーこれ。ほんとこれ。高校生の時同級生で声楽やってて実際一馬みたいに音大目指してたコいたんだけどさ、まわりからめっちゃやっかまれて耐えられなくなって、そういうのに理解あった私立行っちゃったもん。」
明菜が口を挟む。
『当校はそんな子供たちが大輪の花を咲かせ、世界に種を広げられるよう最高の環境を準備しております。
貴方が当校の門をくぐる日を心待ちにしております
五星学園 理事長 輪島 二四夫(わじま ふじお)』
「…っつか理事長若っか。ふつうもうおっさん通り越しておじいちゃんだったりするじゃん」
「だから余計不安なんじゃないの。素人なんじゃないかって思っちゃって」
「確かに」
理事長あいさつのページに載っている理事長の写真は、どう年かさに見積もっても30代後半の顔立ちだ。
別に若い理事長がいたとしておかしいところはないのだが、明菜の言うようにそこまで偉い人間は大抵がおじいちゃんだ。
「でも学校の理念?みたいなものは悪くなさそうなんだよなあ」
「それはあたしも思う」
「そうなの?」
若者の感性はわからない、といった表情を息子と姪に向ける一恵。いくらきれいな言葉を並べたとて、
五星学園とやらに編入した一馬が、先ほど明菜が言った同級生のような目に遭わない保証はないのだ。
「とりあえず、一度お父さんにも話してみないと。学校案内の中身も見てもらいたいから、ビデオ通話がいいかしらね」
「忙しいとはいえ流石に10時過ぎなら帰ってると思うし、そうしてみよう」
この家の主で一馬の父親ある健一は、現在北海道に単身赴任中だ。お盆に帰ってこられないくらいには多忙な父とのたまの電話やビデオ通話は家族の楽しみの1つなのだが、今回ばかりはそんな気持ちでは臨めなさそうだった。
予定より5分ほど遅れてビデオ通話は開始された。流石に北海道はここよりだいぶ涼しいのか、画面に映る父親はもう薄手の長袖の寝間着を着ていた。
お互いに元気なことを確認しあって本題に入る。カメラに映るように学校案内を1ページずつ開きながら、なるべく簡潔にことのあらましを話すと、大黒柱からは意外な返事が返ってきた。
「行ってみたらいいんじゃないかな」
「あなたまでそんな…」
一恵的に不安要素しかない学校への編入に夫があっさりゴーサインを出したことで、余計に不安がる一恵。
まあまあ、と画面の向こうの大黒柱は妻をたしなめる。
「受験勉強に身が入らなくなるといけないから黙ってたんだけど、進学校って芸大とか音大とかをちょっと下に見ているところがなくはないからね、そういう進路を理解すると言いつつも冷ややかな態度をされることもあるんだ。まだ1年生の夏休みだからピンとこないかもしれないが…」
「本音と建前ってこと?」
「そうだね。それから何か言いにくいことがあったとしても、父さんにはお見通しだからな。…一馬お前うちの懐事情に遠慮してただろ。公立選んだのはそれもあるんだろう?」
「うっ」
実際のところ本当に家計に遠慮していた。幼児音楽教室の先生に「バイオリンに向いているかも」と言われ、実際に始めたところめきめきとその才能を伸ばし、小学校高学年になった頃には複数のコンクールで最優秀賞を受賞するまでになったのだが、そのレベルに至るまでに楽器代をはじめレッスン代や交通費、コンクールへの参加費などで結構な額のお金も同時に出ていっていた。
中学生になったばかりのころ、専業主婦だった母親がパートを始める決断をしたのもきっとそういうことだと、一馬は子供心に気づいていた。
だからこそ公立の学校を選んだのだ。
「子供は親の宝物だ。宝物は、いつもいつまでも輝いていなくてはならない。お金のことも気になるかもしれないが、その分僕らが頑張ればいいんだから。なあ母さん」
「…まああなたがそこまで言うなら折れるしかないか…」
「決まりだな。よし一馬、行っておいで。全寮制とのことだけど、家にはまめに連絡しろよ。書類に押す印鑑だけど認印は居間のキャビネットの引き出しにあるから、それを使っていい。…しっかりな」
やんわりと、しかし力強い説得に一恵が折れたところでビデオ通話は終わった。
こうしてはいられない、と書類の準備をしたり、寮生活に必要なものを書き出したり、夜更けというのに忙しく動き回り始めた一恵と一馬を横目に、明菜は学校案内の送り状を拾い上げてなんとなく読み始める。
すると最後の最後で一番重要な文言が目に入った。
『ご入学いただける場合、必要書類他をご用意の上、本案内到着10日後の14時に北盤馬駅東口までお願いいたします。
お越しいただけなかった場合は、再度こちらから同じ書類を送付いたしますので、忘れずお越しいただけますと幸いです。』
「…これ地味に拒否権ないタイプのやつだったりしないの?え?大丈夫これ?」
自分も悪くない校風だと言ってしまった手前、この文言に激しい不安感を覚えそれを実際に口にしてしまった明菜だが、もう従弟と叔母には聞こえていなかった。
約束の10日後、一馬は母親と待ち合わせ場所の北盤馬駅東口にいた。
自宅の最寄り駅は東盤馬なので余裕で自宅から通学できそうなのだが、生徒は基本的に寮に入ってもらうのがルールと言われたら従うほかない。その寮生活に必要になるものと楽器のおかげでやたらと大荷物だ。
日差しを避け駅の軒先で待っていると、スクールバスだろうマイクロバスが一馬たちの目の前で停車した。
「本日寮に入られる生徒さんですね。この度は編入のご承諾ありがとうございました。
息子さんはまず私が責任をもって当校までお連れ致しますので、お母様はここまででお願いします」
中から出てきた爽やかな風貌の運転手に促され、一馬はマイクロバスに乗り込む。
「お父さんも言ってたけど、たまには連絡頂戴ね。気を付けてね、いろいろと」
「母さんもしばらく家に女二人になるし、気を付けて」
母子二人がしばしの別れの言葉を交わし終えたのを確認した運転手は、ゆっくりとバスを発進させた。
「本当にいろんな意味で特殊な学校だから、最初マジで驚くと思うが、すぐに慣れるさ。まあがんばれ、それだけだ」
二人になったとたんフランクになった運転手に少し安心しながら、7~8分ほどバスに揺られた。
校門前に停車したバスから降りると、学校案内でみた、そういう役職にしてはやたら若い理事長が一馬を出迎えてくれた。
「よく来てくれたね。大荷物で疲れたろうから、まずは寮の部屋へ案内しよう。荷物を降ろしたら理事長室で書類を出してもらったり、こちらもいろいろ話すことがあるからね。まずは男子寮へ案内しよう」
言われるままに一馬は理事長の後ろをついていく。
一馬の部屋は男子寮2階の、階段に近い部屋だ。部屋にはベッドと生活に必要になる基本的な家電がすでに備え付けらえ、全体の雰囲気は寮というよりウィークリーマンションやビジネスホテルのそれだった。生徒数が少ないからこそのきめ細やかさなのだろう。
「部屋の鍵は理事長室で渡すから、書類と筆記用具をもってついてきてくれないかい?」
いったんは理事長に鍵を閉めてもらい、一馬は今後の自分の家を後にした。
理事長室の佇まいは、一馬が想像していたよりはるかに質素だった。調度品に特別高級感がある感じでもないし、それになぜか猫までいる。
黒がちだがベンガルかなにかだろう。その猫は一馬の気配を察すると目をあけ、猫用の丸いベッドから起き上がって伸びをする。
「改めて、五星(いつほし)学園へようこそ。僕が理事長の輪島二四夫だ」
「こいつが新しい生徒かにゃ?」
「えっ!?」
自分のでも、理事長のでもない声に一馬は驚く。その声がした方向にはさっきまで気持ちよさそうに寝ていた猫しかいない。
ということはだ。
「…猫がしゃべってる!!」
ご飯をたべながら「うまい」に似た声を出す猫や犬の動画はいまや動画サイトに多数投稿されており、実際一馬も見たことがあったのだが、ここまできちんと言葉を発する猫を目にしたのはさすがに初めてだった。これを動物バラエティに投稿したら、グランプリ映像となって多額の賞金が手に入るところだろう。
「おいクロミ…」
「女神に指図するつもりかにゃ」
しかも自分を神だと思っているようだ。猫好きな人が自分をさして猫の下僕ということがあるのは一馬も知っていたが、クロミとかいうその猫は飼い主が実際どう思っているかは関係なしに、当たり前のように飼い主は我が下僕と思っているタイプなのだろうなと口には出さず心にとどめる。
「そりゃ『憑いてる』もんの格が違うにゃ、しゃべるくらいわけない…ギャンッ!」
何か言いかけたところで別の何かにいきなりぶつかられたのか、クロミと呼ばれた猫は変な悲鳴を上げる。
「なんでカラスが…」
「薄汚い体で近づくんじゃねえにゃ!シャーッ!!」
クロミにちょっかいをかけたのは一羽のカラスだった。どこからここに入ってきたのか見当もつかないこと以外は何も問題はなさそうだったが、理事長はカラスをおっかなびっくり追い出そうとする一馬に対し「一度離れろ!」と叫んで制する。
言われるままにカラスから1mほど距離をとって窓の方を見ると、割れた窓と窓の外で待機するカラスの大軍が見えた。
「ひえっ…!」
ただでさえあまり近付きたくないのに、こうも集まっているとより不気味だ。つい女の子のような悲鳴を上げる一馬をよそに、理事長はさらによくわからないことを言い出す。
「下級悪魔とはいえこうも大軍だと1柱ではきついな…来てそうそう悪いが、君も手伝ってくれないかい?」
「はい?」
普通のカラスにしか見えないあのカラスたちが悪魔?そしてそれと自分が戦う?どうやって?網で捕まえろと?
混乱しながら一馬は理事長に武器を要求する。
「手伝えっていうなら網とかその辺ほしいんですけど!」
「武器ってことならそれは今から手に入るよ!」
ますますわけがわからなくなってきた一馬とカラスと格闘するクロミの前で、理事長は首からネックレスのように下げられた指輪をふところから取り出すと、呪文のようなものを唱え始めた。
「72の偉大なる悪魔がひと柱よ、我が声を聞け、我が意に従え!序列23番、アイム!
―――序列67番、アムドゥシアス!」
目の前の猫が炎の渦に包まれると同時に一馬も光に包まれていく。
「なんなんですか次から次へと!!」
「うるせえにゃ黙って待てにゃ!!」
いちいち腹立たしい猫に怒る心的余裕もないまま、自分を包む光のまぶしさを避けるため目を瞑る一馬。
なんとなくながらまぶしさが和らいだのを感じ目を開けると、そこには猫とドラゴンを足して2で割り、さらに巨大化させたような生物がおり、外にいるカラスの大軍に躍りかかっていた。
「今度は猫の化け物!?」
「いちいちおどろくにゃ!いいからさっさと手伝うにゃ!馬のくせにのろまだにゃ!!」
いや自分は人間のはずだ、この猫さっきから一体なんなんだ、と思いながら、一馬は所在なさげに置かれていた姿見に目をやる。
――姿見には肖像画に描かれた音楽家のような服装をし、馬の耳と尾、そして立派な一本の角を備えた自分そっくりの人外が映っていた。
一馬が右手を上げると鏡の中の人外も同様の動きをする。
「なんじゃこりゃああああああ!」
自分から流れ出た血に驚きながら殉職していった昔の刑事ドラマの登場人物のような叫び声をあげる一馬、もといアムドゥシアス。
「無理かもしれないが落ち着いて、アイムのサポートをしてくれないか?君のバイオリンにも、もちろん君自身にも、今は対抗する力がある!」
アムドゥシアスは理事長に言われるままバイオリンを探す。自分のそばには先ほど寮の部屋に置いてきたものとは全く別の、やや装飾と色味の派手なバイオリンが、おおよそ保管に適しているとは言えない状態で放り出されていた。
しかしバイオリンでどう戦えというのだろうか。これがチューバのような大きい楽器だったら振り回すだけで武器になったかもしれないが、楽器それ自体を武器にするのは気が引けるしできそうにない。
アムドゥシアスがそうこう考えている間にアイムは押され始めていた。爪で攻撃したり炎を吐いたりなどしているものの、かわされる割合が増えてきており、また本猫もそれにイライラし始めていた。
無論サポートを命じられたにも関わらず驚くばかりで微動だにしない馬男にもイライラしていた。
「押されてるのが見てわからんかにゃ!いいかげん腹くくれにゃ!!」
「わかったよもう!!」
アイムにどやされ、アムドゥシアスはバイオリンを構える。
―――奏でたのは落ち着くセレナーデでも明るいマーチでもなく、力の限りの不協和音だった。
長時間聞いていたら体中おかしくなりそうだし、そもそも自分としても演奏する気の進まない怪音波だ。
それを聞いたカラスの大軍は、やはりというか同じ場所をぐるぐる飛び回ったり、ふらふらしながら地面に落ちたりしている。
「今だアイム!一気に燃やせ!!」
「いわれるまでもないにゃ!女神の怒りを思い知るにゃ!!」
アイムが吐き出した炎によって、カラスの大軍は一気に燃え尽き、少し嫌な臭いだけが残った。
「怪音波で前後不惑にさせるとはまた考えたね」
「いっぱいいっぱいだったんですけど…」
また考えたねじゃないよもう…という理事長に向けた台詞が口から出そうになっていたのをアムドゥシアスは必死で押し戻した。
*******************
ソロモン72柱 序列67番 アムドゥシアス
アムドゥスキアスとも。一角獣の姿をした悪魔で、29の悪霊軍団を率いる地獄の公爵。
あらゆる楽器を自在に奏でるほか、人間にその才を与えてくれる。また召喚者の意のままに木々を操り曲げることができる。人の姿をとることも可能。
イタリアの音楽家ジュゼッペ・タルティーニの夢枕に立ち美しい旋律を聞かせ、その後彼が『悪魔のトリル』を世に出すに至ったとする逸話がある。
ソロモン72柱 序列23番 アイム
アイニ、ハボリムとも。エジプトの猫の頭をした女神『バステト』を起源にもつとされる。
26の悪霊軍団を率いる地獄の公爵。人間をあらゆる方面において賢くする能力を持つ一方、手にした松明で城塞や街に火をつけてまわる放火魔のような悪魔だった。
角田 一馬(かくた かずま)
この物語の主人公で、今年で16歳。幼いころより楽器、とくにバイオリンの才能に溢れ、早いうちから音大を目指すことを考えていたこと以外は平々凡々な高校生。
上記のアムドゥシアスが憑依しており、変身後は肖像画に描かれた音楽家のような服装に馬の耳と尾、一本の角が生える。
従姉にパシリにされ続けた結果、5つ以上歳の離れた女性が苦手になる。
輪島 二四夫(わじま ふじお)
五星(いつほし)学園の若き理事長。悪魔の力と関連のありそうな不思議な指輪を持っている。
クロミ
理事長のペットの猫。黒がちなベンガルの♀。上記のアイムが憑依しており、変身後は猫とドラゴンを足して2で割りかつ巨大化させたような姿。
自分を女神と言ってはばからず、態度もでかい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます