第47話*ressentiment/ルサンチマン(6)

 アヤを拉致し、戦場に選んだリキュア平原にはひとつだけ小高い丘がある。

 そこを本陣とキララは見立てた。

 この丘はゲーム内では『リキュアの丘』と呼ばれ、普段ならば古代の繁栄を物語る遺跡や瓦礫があちらこちらに転がるだけの、静かな場所である。

 横たわる遺跡の柱に腰掛けて、キララは金色の檻を傍に置いた。

 他のプレイヤーはソウスケールバイパーに率いられる形で平原でヨミの到着を待っており、丘にいるのは彼と囚われのアヤだけである。

 ここからではまだ視認できないが、そろそろ噂を聞きつけた野次馬プレイヤーも集まってくることだろう。

 アヤが花奏と会話を終えてマイクの音量を元に戻した頃、キララが話しかけてくる。

「誰かと話してた?家族?」

「あ、はい。弟と。……ちょっとまだ、ゲームから離脱できない説明を……」

 シンデレラのカボチャの馬車を模した金色の檻の中からアヤは答えた。

 キララは「そうか」と返し、そして周辺に人気がないことを確認して気まずそうに言った。

「ごめんね」

「えっ?」

 素直に出た謝罪の言葉にアヤは驚く。

「きみを巻き込んで迷惑をかけてる自覚はあるよ……これでも。きみがもっと嫌なやつだったら、どうなっても構わなかったんだけどさ」

 アヤが『ヨミの妹』という設定に驕り高ぶるつまらない少女であれば、本気でどうなっても構わなかったのだが。

 キララは小さく息をついた。

「無視できない状況を作り出した以上、ヨミは必ず来る。心配いらない。だから、しばらくはおれに付き合ってよ」

「……は、はぁ……」

 先ほどまでのトゲのある言動とは異なり、態度が軟化している。知り合った頃の彼のように。

 彼の本心がどこにあるのかわからず、アヤは戸惑った。

「……でも、ノコギリさんたちはヨミさんを倒したいんですよね?すごい数だし……ヨミさん、大丈夫かな……」

 ヨミを心配する発言に、キララは軽く吹き出した。

「……寄せ集めの雑兵ザコ共がどうにかできるやつじゃないよ、ヨミは。グレートギルドマスターレベルでないと、勝負にもならないさ」

 キララはヨミを嫌悪しているようで、反面、『誰にも負けない』という意味では随分と信頼を寄せてもいるらしい。

 ……彼の中に複雑な感情を垣間見る。

「さすがにあのクラスを口先で動かすのは難しい。でも、過去のギルド戦争を肌で知らない新参プレイヤーたちを唆すのは、容易かった」

 その人間のを刺激してやるだけでいい。ソウスケールバイパーの場合は、絶対的強者ヨミへの憧れと、彼から特別扱いを受けているアヤへの嫉妬だ。

 そうやって承認欲求、自己顕示欲、功名心を燻らせているプレイヤーやヨミへの感情を拗らせているひとりひとりに接触し、さり気なく、だが根気よく働きかけてひとつの塊をキララは形成した。それが丘の下にいるプレイヤーたちというわけだ。

「……キララさんは、ノコギリさんたちのお仲間じゃないんですか?」

 まるで使い捨てのコマのような言い草だ。

 アヤの印象を肯定するように、キララは頷く。

「表面上はね。でも、仲間じゃないよ。あっちはどう思ってるか知らないけど、どうでもいいや。あいつらは、俺の目的のついで。ただのおまけ」

「……お、おまけ?」

 一体何を言っているのだろうか。

「じゃあ、キララさんの目的って?」

「…………。……そんなことよりさ」

 問いかけをはぐらかすように、キララは丘全体を見渡す。

「知ってた?ここは現実世界のメギドの丘に似せて作られてるんだ」

「メギドの、丘?」

「そう、古代においては交通を交易の要衝で、軍事的にも重要な拠点だった。そのために、何度も戦いの舞台になった。ここは自然に隆起した丘じゃない。制圧されるたびに埋め立てられ、そこを土台に町をまた作って……最終的に二十五層にも重なってできた丘をわざわざ模して作ったんだよ」

 こだわりの強い、あいつらしい仕様だ。

「メギドの丘は、アルマゲドンの地だ。……闘争には、相応しい場所だろ?」

 キララはそう言って口元に笑を浮かべた。

 アヤは複雑な面持ちになる。

「……キララさん、楽しそうですね」

「そう見えるの?」

「はい、なんとなく……」

「……。……ちょっと興奮はしてるかもだね。これは俺が仕掛けた祭りだし」

 積極的に避けてきた人間と対峙するには、これくらいの舞台や仕掛けが必要なんだ。

 とはいえ、丁寧に積み上げた積み木を指で突いて崩す、その一瞬を楽しむような、そんな高揚感がまったくないとは言い切れない。

「きみはどうしてヨミと関わろうとするの?さっきも言ったけど、あいつと一緒にいるってことは、おれみたいなプレイヤーに利用される可能性が高い。平和でいたいなら、あいつは最も関わるべきでないプレイヤーだよ。お兄様なんて呼ばされてさぁ……いいように遊ばれて。おれからしたらきみがバカに見える」

 失礼な物言いであることは承知の上で、キララは本心をぶつける。

 アヤは一寸驚いたように目を見開いたが、すぐに考え込むように腕を組んだ。

「……そうか……外から見るとおバカに見えちゃうのか……そっかぁ……」

 しみじみ呟いた後、続ける。

「確かにわたしはおにい……ヨミさんに比べたら……というか、他のプレイヤーさんよりずっとヨワヨワで、暇さえあれば鉱石掘りしてるような人間なんですけど」

「……そんなに鉱石掘りしてるんだ……」

 モグラーの姫であることはリサーチ済みではあるものの、彼女自身ももはやモグラだったのか。

「その鉱石掘りですら、ヨミさんがいなかったらモグラの皆さんと馴染めなかったかもしれなくて、新しい価値観や世間の広さを教えてくれたのもヨミさんで……。きかっけは強制だったとはいえ、ヨミさんと関わらずにいる自分の遊び方がちょっともう想像がついてないんですよね」

 彼とのやりとりは、もはやこの世界での生活の一部として形成されている。

「遊ばれたり振り回されたりすることがあっても、それも擬似兄妹みたいで楽しいです」

「……はぁ?楽しい?あいつといるのが?ポジティブすぎない?」

「キララさんがネガティブに捉えすぎてるだけかもしれませんよ」

「……っ……余計なお世話だよ。わかってないみたいだけど、ぶっちゃけ、あいつはきみを都合のいいペットとしか思ってない。しかも肝心な時に守らないでいる」

 誰だって、安心安全なのがいい。日常を脅かす不穏分子が近くにいれば、要らぬ争いに巻き込まれるだけだというのに。物好きな。

「……ペットかぁ。まぁ近いものはあるかもですよね」

「なんで納得するの。きみ、プライドないの?」

「あ、ありますよ人並みには!でも、たとえペットみたいなものでも、干渉せずに、放し飼いにしてくれているわけですからありがたいです」

「は?感謝するところじゃないよ」

「そうですか?……うんでも、わたしには喜ばしいことです。放置して、自由を保障してくれているんですから」

「??」

 変な子だ。意味不明すぎる。

 会話が成立していない錯覚にすら陥る(いや、たぶん成立していない)。

「理解できないかもですが、わたしにはこの距離感が心地よいといいますか。わたしは、わたしを囲い込む人の近くにはいられない。そう決めているんです。だから……突き放した優しさに安心できるんです。傍にいてもいいんだって思わせてもらえて……嬉しい」

 薄ら微笑んだアヤに、キララはなぜか戦慄する。

 嬉しい?何が?突き放されてるのが?

 半分どうでもいいと思われているような扱いが?

「こういう時に、守られたいとは思わないの?」

「もう充分、守ってもらってますから。……ただ、こんな風に人質になってヨミさんに迷惑かけてしまうのは不本意なので、わたしももう少し行動を自重しないとですね」

 と最後は苦笑い。

 何だこの子。異様だ。

 キララは初めてアヤに違和感を抱いた。

 呑気で、素直、単純。底抜けにお人好し。それが彼女の本質なのだと思っていた。

 が、この掴みどころのなさ、不気味なほどズレた感性が露見するほど、アヤの印象が揺らぐ。

 主観は常に高く達観し、あらゆる悪意を受け流し、怒りや嫉妬の感情から最も遠いところにいるような人間性。

 凪いだ感情のまま、自分と他者を冷静に観測している。

 話せば話すほど、彼女の実像がわからなくなる。

 根本的に、俺はこの子を見誤っていた?

 この泰然とした非俗物感はまるでヨミのそれである。

 そして、キララはある不愉快な可能性に気づいてしまうのだ。


 ヨミとアヤ。

 一見正反対のように見えて、実は似たもの同士なのだとしたら……?


 ……最悪だ。

 そういえば。毒と薬は、同義だったな。

 禁足地に踏み入ったような後悔がよぎる。考えなければよかった。

「……きみ、意外と……」

 怖い子だなと言いかけた時、キララの頭上を黒い影が配慮に欠ける速度で通り過ぎる。

「……っ……!」

 風圧に負けて体ごと吹き飛ばされそうになる。フードを押さえる視界の先に、黒い塊が入ってくる。

 戦闘に特化した先鋭的な漆黒のフォルム。見るものを畏怖させる金色の弓矢が描かれたあの飛空挺は……。

「アヴァリスの矢。……来たか」

 キララは唇を引き締めて、彼の飛空挺を見据えた。



 ※



 意図的に速度を落とさず、リキュアの丘を通過させたノネにヨミは微苦笑する。

「こら」

 とはいえヨミの声音はとくに注意するそれでもない。

『ごめーーん、ついね、つい……!』

 ノネも悪びれない。

 文字が音声変換されたノネの言葉が艦内に響く。

 飛空艇は存在感を示すように平原を大きく迂回する形で旋回し、丘から距離をとる形で停止させた。

 そこでイツキがヨミに声をかける。

「……それで、どうする?」

「これは、僕への極めて個人的な挑戦オーダーだからね、君たちは待機だ。だがギャラリーが巻き込まれないように注意を払っていてもらえるかな」

「えーーー、久々に大暴れできるかと思ったのにぃ〜〜。アヤだけ先に奪還しちゃう?」

 エンジュがヨミの腕に絡みついて甘える口調で問いかけると、彼は「いや」と小さく首を振る。

「ここまで付き合ってもらって申し訳ないのだけれど、アヤさんの拉致含めて、彼が描いた絵図だからね。絵図通り、僕自身が丘に到達しなくては意味がない」

「では、俺たちはどさくさ紛れに無関係なプレイヤーが攻撃されないように見張るとする」

 ツカサが冷静に告げると、ヨミも頷く。

「頼むよ」

『ハハ……見ろ!人がゴミのようだ……!』

 足元に群れるプレイヤーたちの姿を見たノネが、どこぞで聞いたようなセリフをそれっぽく吐く。

『ねーーーねーーーヨミィーーー!せっかくだからあの有象無象共にカノン砲いっぱいブチ込んじゃおうよーー!あたしが(暇を持て余して)プログラムを魔改造して作り出した荷電粒子砲でもいいよぉ〜〜〜!威嚇のつもりがうっかり!……って感じで蹴散らしちゃおうよぉぉぉぉ!』

 おそらく爛々と目を光らせているであろう興奮気味のノネの提案にイツキが呆れる。

「……うっかり、って何だよ。思いっきり規約無視のチート装備じゃねぇか……隠してやがったな」

「超絶コミュ障のくせにウルサイわねぇ。んなもんブッパしたら威力過多で丘ごとアヤも昇天しちゃうわよ」

「ヲタクは脳内が騒がしいらしいからな。ノネ、いたずらに地形を変えるのはよくないぞ。垢BAN待ったなしだ」

 エンジュはげんなりと、ツカサは真顔で感想を述べる。

 そもそも、現段階において飛空艇の火器装備は全面的に使用が禁止されているので、トリガーを引いた時点で戦犯確定である。

『おーっとフルボッコ!まさにって?!……くっそぉ!でもアヤたんを昇天させるのは超ギルティ!!ってわけでアテクシご自慢の大砲の出番なし!!伝説を作り損ねた!ガックリ!!』

 緊張感に欠けるブリッジの空気はいつものことである。

「ふふ、ではあとを頼む」

 ヨミは肩越しに声をかけて背を向ける。

「ノネ、ハッチオープン」

『りょーーかい!!ばっちりアヤたんを取り戻してこーーーい!!』

 ぽちっとな!という掛け声と共に開かれていくハッチから、ヨミは躊躇いなく平原へ飛び降りて行った。

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