第46話*ressentiment/ルサンチマン(5)

 ゲームには裏世界というものが存在する。

 プレイヤーが普段目にしているものは立体的なセットが組まれた舞台装置。

 しかし角度をずらせば設計図ありきの薄く平面な紙工作にすぎない。

 仮想空間とは、虚無に浮く理想郷ユートピア

 煌めきと虚しさとが表裏一体となった小宇宙。

 現実の、物質世界との違いがあるとするならば、肉体や社会的立場の軛から解放され、自我の欲求に正直に在れることだろう。

 ところが、アバターを形成し、仮面を被ってもなお、大半の人間は不自由の自由……『社会』で生きることを選ぶ。

 謳歌すべき自由とは、社会生活の中にこそ存在し、逸脱した場では得られないと潜在意識に刷り込まれているからだ。

 自由には責任がつきまとう。だからこそ、大多数は望んで無責任な子羊であろうとする。時折姿を見せる自由を纏った狼の群れに怯えながら。



 暗闇にパネルが浮かび、直接通話の呼び出しを点滅で知らせていた。

 発信者はカイト。

 チャットではなく、通話を求めてくるとは……珍しい。

 ヨミはパネルをタッチする。

「やぁ、カイト。個人番号からかけてくるなんて珍しいじゃないか。何かあったのかい?」

 ややあって、低く不機嫌な声で一言絞り出される。

『………………やられた』

「……何を?」

『……だから、あの子が連れてかれた』

「そうか」

 動き出したか。

 軽い返事にカイトは苛立つ。

『首謀者はキララってやつと、ヘビみたいな見た目の輩だよ。奴らはあんたをご所望だ。……こうなることわかってて、なんであの子を泳がせてたんだよ。あんた何を企んでるんだ?』

 最後は嘆息を交えて非難する。

 ところがヨミの反応は小さな笑い声。

「ふふ」

『……何がおかしいだよ』

「いや、すまない。リアリストで利益優先の君が、我が身可愛さにアヤさんを見捨てることもせず、姿を晒して守ろうとしてくれたのだろう?こうして電話をくれたのも、責任を感じたからか、彼女が心配だからか。……変わったね、カイト」

『……はぁ?!違うし!!俺はあんたから金がもらえなくなったら困ると思っただけ!!』

 むきになって言い返して来る。

 図星か。ならば、あまり刺激しない方がいいだろう。

「……まあ、そういうことにしておこうか。ありがとう、カイト。君との契約は続行だ。彼女への親愛に感謝する」

『は?!親愛?!だから違うって……!……っておい、こら……!』

 カイトはまだ何か言い気であったが、ヨミは一方的に通話を終了した。

 入れ替わりにノネからアプリトークが入る。

『ヨミィィィィィ!!アヤたん攫われちゃったよぉぉぉ!!モグラから知らせがあったのーー!!』

 音声であれば音割れしているであろう文字の叫びが空間を埋める。

『返事しろぉぉぉぉ!!!』

「見えてるよ、ノネ。さっきカイトからも知らせを受けたところだ」

『んじゃぁ、そんな裏側でぷかぷか浮遊してないで、さっさと準備しなさいよ!!ボケェーーーー!!』

「ここにいると、僕も宇宙のチリでしかないことを実感できるのだけどね。……すぐにそちらへ向かうから、飛空艇発進の準備を頼むよ」

『んなもん、とっくに用意出来とるわ!!エンジンはビンビンだ!!はよ来い、はよ!!秒で!!』

「……文字だと君は強気だな」

 やれやれと肩をすくめてヨミは表側の空間へと境界を跨ぐ。

 そこは見慣れた我が家、アヤとの生活のために購入した『海の家』。自室に当てている扉から出た、という想定になっている。

 察知した管理NPCのミオが彼に歩み寄り、猟犬のポチも続く。

「アヤさんを迎えに行ってくるよ。彼女の状況を教えてくれるかい?」

「お嬢様は今のところ、ひとところに留まっています。『無慈悲なるシンデレラの拘束』に囚われてはいますが……」

「……あれの中にいるのか。……なるほど、ね」

 ヨミは小さく笑う。

「ここが襲撃される見込みは低いが、一応……警戒は怠らないように」

「はい、旦那様。お気をつけて」

 とミオが一つ頷くと、ノイズが走って獣人少女からヨミに瓜二つの青年へと変容する。

「外ではもう騒ぎになってるよ。楽しそうなお祭りだね。僕が行こうか?」

 鏡写しの存在が問いかけると「いや」と軽く首を振る。

「首謀者が彼で、囚われたのが彼女でなければ、にしてもらうところだったのだけれどね。こればかりは、僕が直接決着をつけなくては」

「……ふぅん。アヤさんの王子になれないのは残念だけど、今回は傍観に徹するかな」

「ごめんよ」

 鏡写しの青年は仕方がなさそうに小さく息をついた。

「掲示板から情報が削除されても、喧伝されてギャラリーが多くなりそうだ。あとは彼らの動き次第だが、サーバの稼働域が偏るかもしれない。監視を頼むよ」

「了解した」

 鏡写しの青年は軽く手を振って応えると、ノイズを走らせて管理NPCのメイドへと戻る。

 役者が揃い、舞台は整った。

「……さて、行こうか」

 ヨミもまた、劇場へと一歩を踏み出した。



 ※


 

 一方、その頃。藤崎家では。


「ねーちゃん、そろそろ飯の準備はじめたいんだけど……」

 ドアをノックするが返答がない。

「入るよ」

 了解を得ないまま部屋へ押し入ると、姉はPCの前でVRヘッドセットを装着したまま佇んでいる。

 絢音は慌ててマイクをミュートにすると、顔だけ弟に向けた。

「……あ、えっと……ごめん。まだ落ちることができなくて……」

「はぁ?俺いつも言ってるよね?日常生活に支障をきたすような遊び方はダメだって。飯の時間は飯を準備して食う時間なの。今夜は親とじじばばたちが泊まりで温泉旅行に出かけてるからって、緩みすぎ」

 どちらが年上かわからない注意である。

「う、うん……ごめん」

「わかってるならすぐに中断して。あとから遊びなよ」

「……そうしたいんだけど……」

 弟の説教に小さくなりながら、絢音は口籠る。

「……何?何か問題が発生してるの?」

「……えっとね……えっと……いやぁ〜実はわたし、人質になっちゃって⭐︎」

 気まずさを和ませるため、へてぺろ、と絢音はおどけてみせたが花奏の瞳からすっと光が消える。

「……は?人質?どういうこと?」

 低く問われて絢音は焦る。

 あ、これ瞬間でブチ切れる時の花奏の温度だ。

「……あの……その……」

 絢音はさらに縮こまる。

「…………」

 姉の説明があてにならないと判断した彼は、ポケットからすぐさまスマホを取り出し、操作する。

 掲示板からすでに元情報は削除されていたが、目にした者たちが撮ったであろうスクリーンショットがあちらこちらで踊っている。


[アヴァリスの首魁、ヨミに告ぐ。貴様の妹の身柄はあずかった。救いたくば兵装を解き、貴様ひとりでただちにリキュア平原まで来い。本日日暮までに姿なき場合、彼女の無惨な姿がネットに晒されるだろう]


 短い文言だが、情報として充分だ。

 そもそもヨミにとって、これは寝耳に水の出来事ではあるまい。

「オーレリアン関連のSNSも魚拓スクショだらけだ」

 つまり、ヨミを目の敵にしている何者かによって、ゲーム内の絢音は囚われてしまった。

 渦中の『ヨミの妹』本人はこうしてここにいるわけだが。

「あ、あのね……花奏……」

「あんの……クソ野郎……」

 わざと状況を見逃しやがったな……!

 絢音を泳がせ、囚われるまで待っていた。

 なぜ?……いや、俺にはどうでもいいか、そんなこと。

 問題は、絢音を守ろうとしなかった。その一点に尽きる。ゴミめ。

「それで、今自分はどうなってんの?」

「わ、わたし?……わたしは、大丈夫だよ。怪我もしてないし。かぼちゃの馬車みたいな檻の中にいるだけ」

「……かぼちゃの馬車みたいな檻……?」

 有志によって作られているオーレリアン・オンラインの百科事典サイトで近しい単語を入力し検索すると、近似としてヒットする。

「これか」


『無慈悲なるシンデレラの拘束』

(童話「シンデレラ」に登場するかぼちゃの馬車を模した金色の檻。術者が倒されるか、中側から圧倒的な力を持って破壊しないかぎり閉じ込められた者の拘束は解かれない。檻への直接攻撃(物理、魔法含む)は無効化される。

 ※舞踏会へ向かうシンデレラの道中を守るための馬車は、ある種の拘束と保護を意味する。)


 ……と記されている。……どういうことだ?(暗喩?)

「……とにかく、身柄が無事なのはわかった。けど、マジでうざいよ、あのクズ……」

 このクズとはヨミのことを指している。

「ちょ、花奏さん?!落ち着いて!お口が悪くなってますよ?!綺麗なお顔が台無しよ!」

「うるさいよ。俺もすぐそっち行く。言っとくけど、解決するまで飯抜きだから」

「えぇ〜?……まあ、そうだよね……ここから離れられないし……」

 緊張感に欠けるけど、お腹空くなぁ……。

 しゅんと項垂れた絢音を見かねて、花奏は一旦台所へ向かい、舞い戻る。

「……こんなこともあろうかと、昨晩菓子を作っておいたんだ。これ食って凌いで!」

 と、絢音の手にあれこれと焼き菓子を持たせる。

 不測の事態(空腹)を常に想定している弟、最高か。

「さすが花奏!あ、できればお茶も欲しいな!」

 さらなる要求を試みる姉を無視して、花奏は自室へ入る。

 急いでPCを立ち上げ、VRヘッドセットを装着するとオーレリアン・オンラインへログインする。

 ヨミの涼しい横顔を思い浮かべ、花奏は舌打ちした。

「あいつ、絶対殴る」

 それは固い決意であった。

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