第44話*ressentiment/ルサンチマン(3)
禍によりて福となす 成敗の転ずること たとえれば
縒り合わされた縄のように、禍福は入れ替わる。表裏一体、切り離すことはできない理だ。
生と死、善と悪、正と負、愛と憎……虚と実。
これらと同じように、ヨミという男は相対する者によって表と裏が異なる。
さながら、愛を湛えた杯を持つ白馬の騎士か、終わりと始まりを伝える死神のように。
薄笑みを浮かべた彼の横顔に人々が抱くのは、希望か絶望。天使と悪魔のそれ。
……己が欲と心根を映す、都合のいい虚ろな鏡。
キララはリキュア地方の交易都市から外れた山道を登りながら考えた。
そもそも、生まれたところが悪かった。
おれに一体どんな落ち度があって、あいつと同じ場所に生まれなければならなかったのか。
周囲からは常に比較をされ、身の置きどころを持てず、惨めな劣等感に苛まれるまで時間はかからなかった。
大人たちの期待の遥か上をいくあいつと、後塵を拝するだけのおれ。
父さんはいつも失望のため息をついた。なぜ、こうも出来が違うのかと。
その度、おれをさりげなく気遣い、庇うあいつの言動には屈辱しか感じなかった。
お前に同情されるくらいなら、貶され、嘲笑されていた方がずっとマシだ。
本当はおれのことなんて、どうでもいいと思っているくせに。中身はがらんどうのくせをして、人間のフリなんかするな。
歩を進めてたどり着いた洞穴を前に、ひとつ息をつく。
おれは自分が臆病だということをよく知っている。お前と違って、おれは有象無象に紛れて隠れ潜む方が得意なんだ。
その気になればお前はすぐにでもおれを捕捉できるのに、いまだに泳がせ続けている。
おれの仕掛けに気づかないあいつではない。
やっぱり知らん顔か。相変わらず舐め腐ってくれる。
いいさ。だからこそ、心置きなくお前を利用することができるよ。ヨミ。
キララは歪な笑みを浮かべた。
この洞穴はキマイラの巣と繋がっている。
キララがこの洞穴に訪れるのは2回目だ。
以前、彼は意図的にそこに立っていた。今回もそうだ。
ヨミが妹と可愛がる、哀れな少女を待ち構えるために。
偶然を装うのは簡単だ。あの子は、疑うことを知らないみたいだから。
振り返ると、見覚えのあるアバターの少女が駆け寄ってくる。
やっと会えた、とばかり喜びの笑みを浮かべて。
アヤはキマイラとの戦い以降も、時間を見つけては何度か山をのぼり、洞穴を目指した。
洞穴の前で知り合ったキララという魔術師の少年を手伝うべく、共に行動したまではいいのだが、アヤ自身の不注意によって崖から足を踏み外し……(以下省略)、とにかく大変不本意な別れ方をしてしまったことを気にしていたのだ。
もしかしたら、また同じ場所で会えるかもしれないからと何度か足を運んでは空振りをし……しかし、今回ばかりはビンゴだったようだ。
洞穴の前で出会った時と同じように佇むキララを見つけたからだ。
「キララさーーーん!こーんにちわーー!」
アヤはぶんぶんと腕を大きく振り、以前出会った時と同じローブ姿の少年に駆け寄る。
彼は振り向いてアヤを確認すると「やぁ」と挨拶をくれる。
「よかった、また会えたね」
キララの口元に笑みが浮かぶ。
「ここに来たら、きみにまた会えるんじゃないかと思ってたんだ」
「奇遇です!わたしもここに来たらキララさんにお会いできるんじゃないかと思ってたんです!」
「手伝ってもらった手前、ずっと気がかりだったんだ。あの後、崖から落ちて大丈夫だった?」
自分のミスのせいで、要らぬ心配をかけていたのかと思うとアヤは情けないやら恥ずかしいやらで眉を寄せた。
「……えっと、わたしひとりではあまり大丈夫じゃなかったんですけど……あの後、助けに来てくださった方がいたので、無事でした!」
猟犬ポチの陽動と、ヨミの圧倒的火力によってキマイラは倒された。彼らが来てくれなければアヤは踏み潰されてペチャンコになっていたに違いない。
「ごめんね、見捨てたみたいになって……。おれ、戦闘向きじゃないからさ」
キララは気まずげに俯く。
しまった。当てこすったつもりはなかったが、言い方がよくなかったかもしれない。
「いいえいいえ!わたしがドジって、勝手に落下してしまっただけなので!まったくキララさんの責任じゃないので気にしないでください!こうやってわたしを探してくれただけで嬉しいですよ!……って、あ!そうだっ」
アヤは慌ててインベントリからスタックされたソーマ草を取り出す。
「これ、キマイラの巣に生えたソーマ草です。キララさんに会えたらお渡ししようと思ってとっておいたんです!一緒に集めた薬草は落下したときになくしてしまったので……」
差し出されたそれは、大きく立派なソーマ草の束だった。キマイラと戦い、勝利することではじめて持ち帰ることが許される戦利品である。
キララは戸惑う様子を見せた。
「……それ、きみが苦労して手に入れたものでしょ。どうしておれにくれるの」
「どうしてって、こっちの方が純度が高いのでいい薬が作れますよね」
「そうじゃなくて。それ、ひとつの束しか持ち帰られなかったはずだよね。おれに渡したら、きみはただの骨折り損になるじゃないか」
「うーん、そうですかね?わたしは魔女でも魔術師でもないですし、錬金術なんてほぼ学んでいないので、こんなに高級な材料を持っていても宝の持ち腐れになっちゃいますよ」
だから、と続ける。
「いつ使われるかわからないままアイテムボックスに寝かせておくより、キララさんに使ってもらった方がこの子も喜ぶと思うんです」
そう言って笑うと、改めてアヤはソーマ草の束をずいとキララに差し出すのだ。
キララはソーマ草に目を落としてさらに戸惑う。
「…………」
なんだこの子。損得勘定の概念が存在しないのか?
キマイラによって多少なりともピンチに陥ったはずだ。苦労の代償を惜しむことなく差し出せる躊躇いのなさに、こちらが困惑してしまう。
「……きみ、底抜けにお人好しなんだね」
半分呆れながら告げた。しかし、アヤはあっけらかんとしている。
「あー……それはよく弟や友達に言われます。底抜けってほどでないと思いますけど」
人が好いにも程がある。どうしてこんな子が、あいつの妹なんてものに選ばれてしまったのか。皮肉なものだ。
キララは息をついて彼女からソーマ草の束を受け取った。
「ありがとう、大事に使うよ」
「どういたしまして!」
インベントリにソーマ草の束をしまうと、キララは言う。
「きみの無事が確認できたし、おれはこのまま山をおりるけど、きみはどうする?」
「わたしもキララさんに会うために来ただけなのでおります。あ、知ってます?ここの途中に実は鉱床が発見されたんですよ。そこで今日は鉱石チャレンジをして行こうかと」
オーレリアン・オンライン内、モグラ界隈ネットワークのおかげで、アヤはどこの鉱床に行っても爪弾きにされなくなった。未だ自身がモグラーの姫扱いをされている自覚はない。
「へぇ、じゃあそこまで一緒におりようか」
「そうですね!」
アヤは頷いてキララと歩き出す。
「……それにしても、単独だったのに、キマイラの巣に落ちて無事だったのはすごいよね。きみ自身も本当は強いんじゃないの?」
問いかけられてアヤは苦笑いを浮かべる。
「いやぁ……わたしは逃げ回っていただけです、ほとんど」
嘘ではなく、本当に逃げ回っている時間の方が長かった。
「助けてくれたプレイヤーもよく戦闘エリアに入れたね。あそこって、戦闘が開始されたら通常ルートは封鎖されて、ボスエリアへの進入経路は上空の大穴だけになるって聞いたけど」
飛空挺かペガサスを所有していなければ立ち入りことが難しいとキララもあの時に述べていた。
アヤは返答に詰まる。
キララが疑問に感じるのは当然だった。都合よく見知らぬプレイヤーが助けに入ってくれる確率は限りなく低い状況だったのだから。
ヨミさんだから可能だったんだろうなぁ、あれは……。
「え、えっと……たまたま、運良く助けてもらったというか……」
アヤは自分からヨミやアヴァリスのクランとの繋がりを口にしない。場合によっては、自慢と受け取られ、妬みを買うことを過去の経験から学んでいるから。
「運良く?」
「そ、そうです……運良く、高レベルプレイヤーさんが降ってきて……」
苦しい説明をしながら軽く目を泳がせると、キララは足を止めた。つられてアヤも立ち止まる。
「……たまたま、運良く、高レベルプレイヤーが、ね」
「そ、そうなんですっ、たまたま、運良く……!」
しどろもどろな口調のアヤに、キララは息をついた。
「きみは、ごまかしが下手だね。さすがにそんな幸運はないでしょ。まったく……それでよく、あいつと関わっていられる」
「……キララさん……?」
不意にキララの態度が硬化する。どうしたのだろう。
「いいよ、もうはっきり言いなよ。隠す必要なんてないから」
「え?な、何をですか?」
「何をって、」
キララは鼻で笑った。
「きみはアヴァリスのヨミの妹じゃないか。きみの危機を察知して、あいつが出張ってくることは想像に易いよ。タイミングよく戦闘に乱入して、美味しいところを掻っ攫っていったんでしょ?」
アヤは口をパクパクさせた。
しっかり知られている。ヨミとの関係を。
「キ、キララさん……し、わたしとヨミさんのこと、知ってたんですか……?!」
出会った時は、そんな素振りは見せていなかったのだが。
「知ってるも何も、きみは結構有名人だよ。もう少し自分の立場を自覚した方がいいかもね。じゃないと……」
キララは歪んだ笑みを口元に浮かべて言う。
「腹に一物ある悪辣な連中に、利用されちゃうよ?」
刺のある言葉を彼が発した瞬間、場の空気が変わる。
木々の間から様々な種族のアバターをまとった不穏なプレイヤーたちがわらわらと姿を見せた。
先ほどまでまったく他者の気配などなかったというのに。
……気配を消して隠れ潜んでいたのか。
彼らの冷めた視線がアヤに集まる。
「…………え……」
プレイヤーの数に気圧されて、アヤは小さく後ずさる。
彼らが友好的でないことはさすがのアヤでもわかる。
「……ほら、こうやって囲まれちゃうからさ」
この流れに驚く様子もなく、平然とキララは言った。
「……キ、キララさん……?」
「君はいい子だよ。素直だし。親切で、優しい。……自分が損することも厭わない」
状況を飲み込めずに瞬きを繰り返すアヤにキララは呆れたように肩を竦める。
「でも、とことん疑わないんだな。警戒心はどこに起き忘れてきたの?」
突き放す口調で述べられアヤは混乱した。
不穏なプレイヤーたちがアヤを包囲する。
その中でキララは何を考えているのか、表情はフードに隠れていて見えない。
この状況を作り出したのは、キララ自身なのか。でも、一体……何故?
「自分の置かれてる状況がまだ理解できねぇとは、本当に使えねぇな。どんだけヨミに甘やかされてきたんだよ、この素人は」
聞き覚えのある第三者の声に、アヤは顔をあげた。
仄暗い眼差しのプレイヤーをかき分けて、キララの背後から現れたのは、全身蛇柄の黒い蛇眼を持つ独特な青年アバターのプレイヤーだった。
つい先日、顔を合わせたばかりだ。ヨミやアヴァリスのクランに対して異様に挑発的な言動をとっていたプレイヤー。
エンジュがその外見を悪趣味だと謗った。名前は確か……。
「……この前、喧嘩を売りに来たノコギリさん……っ」
口をついて出た名前に彼は不快そうに顔を歪ませ、舌打ちする。
「ソウスケールバイパーだ!変な呼び方をするな」
彼はアヤの目の前までやってくるとじろりと見下ろす。
「ようこそお姫様。あんたには餌になってもらう。死神をおびき寄せるための餌に」
そう言うと、蛇柄の青年は愉快そうに笑った。
「餌……?」
「恨むんなら、ヨミの妹なんてモンに選ばれちまった自分を恨みな。俺らに抵抗する力ももたねぇ非力な自分をな」
死神の足かせでしかないその愚鈍さを。
黒い蛇眼がアヤを射抜く。侮蔑の感情を隠しもせず。
スケールバイパー越しに、小さく肩を震わせて笑うキララが見えた。
「…………」
ああ、そうか。
アヤはここでようやく理解した。
キララとソウスケールバイパー……このふたりは以前から繋がっていたのだ。
そして残念ながら、洞穴の前でアヤがキララと出会ったのは、偶然ではなく企みの内。ずっとマークされていたのだと考えれば辻褄が合う。
きっかけさえ作ればあとは簡単。警戒心の薄いアヤの特性を知れば、罠にかけるまでもない。
企みの趣旨までは察することはできないまでも、状況と意図を飲み込む。
わたしの身柄を欲してる。
「……つまり……、わたしを人質に……?」
ここに集っている彼らの目的は、アヤを使ってヨミをおびき寄せることにあるのだ。
誰にともなく尋ねると、キララが笑って答える。
「やっと気づいたね」
そう、全ては彼らの計画通りに。
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