第41話*参謀と弟
物陰に潜み、息を殺してヨミの隙を狙うプレイヤーの存在は常態化している。
イツキがこの状況に口出しをしないのは、つけ狙われているヨミ自身が暗殺を目論むプレイヤー全般を好んで看過しているからだ。
オーレリアン・オンラインが正式リリースされ、初期におこった『ギルド戦争』によって、ヨミやアヴァリスを目の敵にするプレイヤーが増加した。それからしばらくは殺伐とした日々が続いたが、次第に正面からヨミに挑むプレイヤーは激減した。
彼らはけして諦めたわけではない。単純に真正面から挑むことをやめただけだ。『正々堂々』とは、互いの能力が拮抗してはじめて成立する概念であることに、我が身を持って(やっと)気づいてしまったから。能力で劣るなら、強者の隙を狙えばよい。以降、大半が芋プレイヤーとなって彼の背中を狙うようになる。
畏怖、羨望、愉快、快楽、執着、名誉欲、悪意、殺意。注がれるそれら全部を背負ってヨミは薄笑みを浮かべる。己が狙われる状況を愉しみながら。
悪趣味なと常人ならば眉を顰めるだろう。だがヨミがプレイヤーたちの悪意を引き受けているからこそ、ワールドは安定しているのだ。これを理解している者はごくごく少数なのであろうが……。
討ち取ることに躍起になっている連中もその情熱や時間をもっと別の、有意義な遊びや学びに使えばいいものを。……と、イツキは呆れながらたまに思ったりもする。
余計なお世話と言われれば、それまでだが。
「お前、今日は妹ちゃんと出掛けないのか?」
飛空挺『アヴァリスの矢』が接岸された港で傍に立つヨミにイツキは話しかけた。
「あぁ、彼女はテスト週間を迎えていてね。しばらくゲームはお休みかな」
「そんな時期か。卒業するとそのあたりの感覚を忘れがちだよな」
イツキは苦笑を浮かべて肩をすくめる。
「僕は少し顔を出しただけから、このままゲームから落ちるよ。仕事もあるしね。君はどうする?」
「俺はフラフラして行く。お前がこの間ディレクションしたっていうキマイラの再調整具合を戦って確認してみるわ」
「うん、頼むよ」
ヨミは肩越しに薄っすら微笑んで告げると、飛空挺の中へと消える。
彼が隠れてしまうと、ヨミを付け狙う気配も潮が引くように消えていく。なんともわかりやすい。
イツキは軽く息をつくと歩き出す。
ユニークモンスター・キマイラの巣である大穴へ向かう。……と見せかけて、飛空挺から死角になっている建造物の路地裏へ。足音と気配を消したまま
そこにはすでに見知った隠密行動中のプレイヤーがいた。いや、正確には存在には気づいていたが、素性は知らずにいた青年エルフが。
ヨミがゲームから落ちたことで目標を失い、彼はやれやれとばかりに踵を返す。刹那、背後に立っていたイツキが視界に入り、驚きで息が止まる。
すぐさま青年エルフに緊張感が走り、彼が身構える前にイツキは陽気に声をかける。
「よお、弟くん。俺のことは覚えてるか?」
そう、その青年エルフはアヤの実弟だというプレイヤーだ。アーチャーを装っているが、現在はアサシンにジョブチェンジしているらしい。先日、リッターに呼びつけられた先で顔を合わせた。以前から熱心にヨミの動向を探っているエルフがいるとは思っていたのだが、彼の素性を知って納得もした。
「名前は、確か……レイラスくん、だっけか。今日もヨミを狙って来てくれてありがとな」
名前を呼ばれて青年エルフ……レイラスは観念したうように息をついた。
「……そこ、俺に礼を言うところじゃないと思うんですけどね。アヴァリスのイツキさん」
覚えてるいるもなにも、アヴァリスの一員である彼は元々有名プレイヤーである。
「よかった。どうやら不審者にならずに済んだな」
飄々とするイツキにレイラスは苛立った。
あれからさらに隠密の精度を上げたつもりが、あっさりと位置まで看破されていた上に、背後に立たれていた。
ヨミのインパクトに隠れているが、アヴァリスで戦闘クランを張る実力は伊達ではないということなのだ。……腹立たしいが。
「それで、アヴァリスの参謀殿が俺に何かご用ですか?ヨミさんを狙っても無駄だとご丁寧に忠告でもいただけると?」
「まあ、そうトゲトゲしなさんなって。単に接触の機会を伺ってただけだ。君と話がしたい。……ああ、もちろん敵意は持ってない」
イツキは苦笑いする。
レイラスがヨミを狙う理由は他のプレイヤーと異なり、アヤが深く絡んでいることは安易に察しがついていた。設定上の兄を憎々しく感じながらも、反面冷静に観察しているといったところか。
「俺と話ですか。笑中に刀あり、じゃないですよね」
レイラスはすっと目を細めて牽制する。
イツキが中立的立場でアヤと接しているからといって、油断していい相手ではない。
「ん?笑裏蔵刀か?へぇ物知りだな。と言っても、俺は李義府の器じゃないよ」
笑裏蔵刀は兵法三十六計のひとつで、相手に安心感を与えて隙を作らせ、不意をつく作戦のことである。李義府とは語源になった故事の人物だ。
レイラスの疑念をさらりとかわして、イツキは本題を述べる。
「考えてみたんだが、俺と君……色々と
イツキはレイラスと腹の探り合いをするつもりはなかった。若年だろうと彼を軽んじるつもりはない。
「……どういう意味です?」
レイラスは眉を寄せる。
「情報交換は難しいかもしれないが、君と意思疎通を図りたい」
「……。言ってる意味が……」
「とぼけなくていい。俺は
「…………」
核心に触れられ、レイラスは口を噤む。しかし、ここでの沈黙は肯定と同義である。
レイラスは困惑していた。唐突にこういった形でヨミの側にいる人間が接近してくるとは思わなかったからだ。イツキはどうやら事情に通じているようだが、果たして信用していいものだろうか。判断がつかない。
答えないレイラスにイツキは軽く笑って腕を組み、壁に背をあずけた。
「なるほど、慎重だな。まあ俺相手にそう易々と
黙っているばかりでは芸がない。不都合な情報を彼に与えさせしなければいいと考えて、レイラスは嘆息交じりに口を開く。
「……そちらの都合や目的までは知らされてません。こちらはこちらの思惑に沿って動いているだけなので」
「君は現実世界のヨミが何者かは認識してるんだよな?」
レイラスは一瞬迷ったが、結局無言で小さく頷いた。それを見届けたイツキは「そうか」と呟き、続ける。
「じゃあ話は早い。俺たちの目的を君に打ち明けておく」
イツキは一拍置いて静かに告げる。
「俺たちは、ヨミを
「
思わぬ答えにレイラスは訝しむ。
「あぁ、言葉のままだ。含みはない」
「……」
生かしたい、などと。……まるで近々、ヨミはこの世の者ではなくなるような言い草ではないか。
どういうことだ……?まさか、病なのか?健康上の問題は耳にしていないが……。
さらに言えば、この計画と彼の生死(?)に一体どんな関係が?
不可解に思ったが、イツキが偽りを述べているようには見えなかった。
だがここで彼らの事情を深く問いかければこちらも同等に話さねばならなくなる。迂闊な言動は避けたい。
レイラスは湧き上がる疑問や戸惑いを飲み込み、口を噤む。
黙ったレイラスの賢明さをイツキは快く思う。
俺に
とはいえ、妹ちゃんの伸びやかな性格の裏で、気を揉んでる苦労性の弟くんが想像できるな。そのあたりは、まぁ俺も人のことは言えないか……。
内心で自嘲し、イツキは会話を続けた。
「俺は君らの目的や妹ちゃんの素性は知らないし、知らないままでいい。……俺がほころびをつくるわけにはいかないからな」
ヨミは鋭い。他者の言葉の端々や態度を常に精査し違和感を見出せば、たちまち点と線は繋がり、答えを導き出してしまう。現状、ヨミが感覚を鈍らせ周囲を泳がせる姿勢をとっていても、ギリギリの綱渡りなのだ。
「知らなければ彼の前でも自然体を保てると」
「あぁ。友人歴が長いだけあって、一応あいつの特性は把握してるつもりなんでね」
あの人と友人関係でいるこの人も、なかなか特異だと思うけど。
レイラスは内心で呟く。
「ちなみに、ヨミは妹ちゃんや君の素性についてはあえて探っていない。面白みがなくなるからだ。……まあ、上からの指示で何かしら登録データにフェイクを噛ませてるだろうが……」
「……」
レイラスはこれには答えなかった。
「君らと俺たちの思惑は違えども、着地点は近しいはずだ。互いの利害が一致したからこそ、こんな
まったくその通りなので、レイラスは諦めて肯定した。
「そうです。俺は反対でしたが大人たちの利害は一致した。こちらの目的については、具体的には話せませんが」
「構わない。俺も妹ちゃんがヨミをこちら側に引き止める存在になってくれるなら、目的がなんであれ大歓迎だ」
はじめてアヤと対面した時は、正直不安だった。ただの凡庸な女の子に見えたから。
ヨミの期待通りの矮小でありふれた人間性であったなら、早々に見切りをつけられてしまう。が、蓋を開けてみればアヤは桁違いの揺るぎなき『中庸』であった。突き抜けた善性と素直さ、悪意に染まらぬ思考と無欲さでヨミの信用を勝ち得た稀有な少女。
ヨミが毒なら、アヤは薬。図らずも見事に両者のバランスが取れている。
「俺が言うのもなんだが、妹ちゃんの存在は奇跡だよ。わずかにヨミの意識に変化が見られてきた」
「……俺は、姉がさっさとあのク……じゃなくて、マキュベリストに失望してしまえばいいと思ってますけどね」
本音である。大人たちが
「はは、そう言うなって。でもあいつ、他人から失望されるなんてことは未経験だから、意外と喜ぶかもな。実際、妹ちゃんに叱られると嬉しそうにしてるぜ?」
「……どんな変態だよ……」
小さく吐き捨てて舌打ちする。
「あいつは昔から、存在そのものが
「出る杭は打たれるのが常なのに?」
「打てるようなやつがいなかった」
「うわ……うんざりするくらい嫌味だな」
レイラスは不愉快丸出しで顔をしかめた。
「あいつの
リッターのことは悪手に近い起爆剤だった。彼が絡むことをあらかじめ知っていれば、もう少し違う立ち回りができただろう。
レイラスは少し思案する姿勢をとっていたが、息をついて頷く。
「……わかりました。俺も、あなたと内通しておいた方が動きやすいかもしれない。そろそろ誤魔化すのも難しくなるだろうし、
「?」
「俺と関わって、ヨミさんに不審感を抱かせませんか?」
「隠さなきゃいいのさ。すでに前回君とは接点を持っているし、あいつも認識してる。俺が個人的興味を持って君に話しかけたとしても状況的に違和感はないし、あいつも気にしないだろ。会話してみたら存外馬があったとさりげなく伝えるよ。あとは臨機応変に交わすさ」
柔軟なイツキの対応を受けて、レイラスはまじまじと彼を見つめた。
ヨミの穎脱した才の影に、理解者のイツキあり。今までもヨミの言動を彼がそれとなく裏でフォローしてきたのではないだろうか。そんな気がしていた。
「……うん?どうした?」
「あなたは常識的だし、会話もしっかり成立する。全くストレスにならないと思って。ヨミさんと違って」
「君、ちょくちょくヨミをディスるのな。さっき、実は『あのクズ』って言いかけただろ?」
「……気づかれてたのか」
レイラスは悪びれず、ぼそっと独り言ちる。
「ぷっ……」
イツキは友人を貶されても不愉快になるどころか、むしろ吹き出していた。
「いいよいいよ、素直で。世の中、あいつの
友人でありながらイツキがレイラスの悪態を笑って受け流すあたりに、彼の器の広さを感じる。
ヨミとは違う意味で、この人を敵にまわしたら厄介そうだ。
「とりあえず、フレンドになるってことで。これからよろしくな」
「こちらこそ」
「……でだ。親睦を深めるべくこれからちょっとキマイラ狩りに行かないか?」
壁から離れてイツキはにこやかに提案した。
「……は?」
唐突に何を。
「ヨミにキマイラと戦うと宣言してきた手前、行かないわけにはいかないんでね。……だからレイラスくんも一緒にどう?」
「……はぁ。別にいいですけど」
断る理由もないため、承諾した。
少し前、そのキマイラの根城に踏み込んでしまい、追いかけ回されて大変な思いをしたとアヤが漏らしていた(ヨミが助けに入ったようだが)。ついでのお礼参りになるかもしれない。
「そういえば。妹ちゃんはテスト週間なんだろ?君も似たようなもんだろうに、ここで
キマイラ討伐まで誘っておいて、今更である。
「問題ないですね。むしろ、日頃から俺が姉に教えてる立場なんで」
アヤの通っているお嬢様学校の偏差値は平均的であるため、高偏差値男子校通いの彼にはたった1学年の差など瑣末であった。
淀みなく伝えると、イツキは「お〜」と冷やかすように感嘆する。
「さてはレイラスくん、エリートだな?ヨミと対を渡り合う気配を感じるねぇ。将来のへ期待を込めてヨミのリアル穎脱エピソードを話そうか?刺激になるぜ、きっと」
冗談口を叩くイツキにレイラスは険しく眉を寄せた。
彼を知り己を知れば百戦殆からずとはいうものの……ただただ不愉快なだけである(そもそもイツキもヨミと似たような経歴だろうし)。
「余計なエネルギー使いたくないんでやめてもらえます?あの人の話はマジでムカつくんで」
そこは固辞して、ふたりはどちらからともなく緩やかに移動を開始する。
相身互いか、呉越同舟か。
双方、思惑の孕んだ交流の始まりであった。
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