【番外編】ウォーキングスルー・バレンタイン※時節短編

 リアルタイム型のゲームで欠かせない時節イベントの数々。

 そのひとつ、バレンタイン。

 今年もはた迷惑な時期がやってきたわけだが…差し出されたにカイトは我が目を疑い、困惑した。

 何故、アヤがカイトにチョコレートを渡そうとしているのか皆目見当がつかなかったもので。



 少々時間を巻き戻して物語る。

 ヨミの許可を取って彼の猟犬ポチを冒険に連れ出し、アヤは上機嫌スキップで散歩に興じていた。

 アヤがポチとはぐれてしまわないように、ヨミからポチ専用の犬笛も貰い受けていた。ポチがはぐれるのではなく、アヤがはぐれることを前提にした提案に少し首を傾げた彼女だったのだが。

 ポチを連れてアヤがある森へ踏み込んだとき、タイミング悪く狼の群れと遭遇してしまう。しかも、格上のエリート狼がボスの。脚の早い狼相手に逃亡は難しいため、ポチを守るためにアヤは戦う覚悟を決める。炎属性の魔法で距離を取りつつ、一頭ずつ相手にすればボス以外は難しい敵ではないと判断して。

 ところが、彼女の意に反してポチが狼の前に立ちはだかり、普段の穏やかな雰囲気を一変させ、威嚇の姿勢をとり、一喝するように鋭く吠えた。

「…ワンッ!!ワンワンッ!!」

 数倍大きな体格の狼に一歩も退くことなく毅然と。

 身を怒らせるポチの気迫に狼の群れは一瞬怯む。

 その刹那、死角から狼は次々と頭を狙撃され、その場で崩れる。異変に気付いたボス狼はじっとアヤと見据えていたが、表情を変えることもなく、残った狼たちを引き連れその場を離れていった。

 狼たちの気配が遠退くと、ポチはいつもの穏やかな顔をアヤに向けて尻尾を振る。

「ありがとうポチくん!わたしを守ってくれたんだねっ」

「ワン!」

「えらいねぇ、いい子だねぇ!…あとでお礼におやつをあげるね!ポチくんの活躍をお兄様にも報告しないと…!」

 身を屈ませ、アヤはポチを撫で回す。ポチもアヤに褒められ、嬉しそうだ。

 その時、ポチが警戒するように他所へ注意を向ける。

「ポチくん?」

 ポチが顔を向けた方向から息が漏れ、観念したように姿を現す。

「はー…犬に気づかれるとかありえないんだけど。…俺が手助けしなくてもよかったやつだよね、これって」

 第三者の登場にアヤは立ち上がる。

 だが怪訝には思わなかった。現れたのは顔見知りの獣人少年ガンナーだったので。

「通りすがりさん!」

「……どーも。よく会うね」

 会って当然なのだが。

 今日も今日とてアヤの護衛に勤しむカイトである。

 とりあえず、出会いの言い訳でもしておくか。

「狼の毛皮欲しさに群れを追ってたらあんたがやつらに囲まれそうになってたから手を出しちゃったけど……あ、そいつらの毛皮と肉もらっていい?」

 カイトは倒れている数頭の狼を指差す。

 アヤは彼の言い分を疑うこともなく微笑んで頷く。

「もちろんです。通りすがりさんが狙撃して撃退してくれたんですね。ありがとうございます」

「…いや、いいよ別に。どっちかといえば、手柄はその猟犬だし」

 カイトは手早く狼の毛皮を剥ぎ、解体する。

 その手練れた作業にアヤは感心する。

「通りすがりさんは狩人でもあるんですね」

「毛皮と肉は金になるからね。さっきのボスはもっといい金になるし、雪山用の毛皮装備も作れるから便利なんだよね」

 作業を終えて立ち上がる。猟犬のポチはアヤとカイトの間に入り、彼女を守る姿勢を崩さない。

「…こいつ、もしかしてヨミの犬?」

 彼はアヤがヨミと繋がりがあることを知っているようだった(おそらくルキナたちの一件で周知された結果)。

「そうですよ。ポチくんって言います」

「…ポチ…」

 あの人のネーミングセンス、どうなってんの。

 内心呆れながら続ける。

「たぶんだけど……俺が手助けしなくても、こいつだけであの狼の群れ撃退できたんじゃない。こいつ全然怯まなかったでしょ?むしろ、あいつらが気迫負けしてた。こいつのレベル、えげつないかもね」

 見た目は牧羊犬だが、中身はダイアウルフ並みに違いない。

 あのヨミが遊ばせておくためだけに猟犬を傍に置いていたとは思えない。

 カイトの言葉にアヤは目を見開く。

「えっ、ポチくん、わたしよりずっと強い子なの?!……すごーい!かっこいいねぇ!!」

 …とアヤはまた目尻を下げてポチを撫で回す。

 ポチはカイトへの警戒を解かず凛々しい顔のままで、アヤとの温度差が生じている。

「実は、ポチくんはアヴァリスの一員なんですよ」

「へー、知らなかった」

 これはカイトも初耳だった。

 確かに首にはアヴァリスの一員であることを示す意匠付きスカーフが巻かれているし、嘘ではないだろう。

 まぁ、戦闘はヨミとその他3名でどうにでもなるから、猟犬を連れていく意味はないよなぁ。けど『お姫様』の護衛にはもってこいってわけだ。……ん?あれ?だったらあんまり俺いらなくない?

「…あ、そうでした!」

 カイトの顔を見てアヤは大事な用件を思い出して手を叩き、慌ててイベントリからピンクのリボンがかけられた、ハート形のアイテムを取り出す。

「ハッピーバレンタイン、通りすがりさん!チョコレートです!」

 にっこり微笑んで差し出されたのは、ゲーム内でこの時期だけ雑貨屋や洋菓子屋で売られているアイテム『バレンタインチョコレート』だった。効果はありきたりだが、体力回復である。

 カイトはファンシーな包みのチョコレートとアヤとを交互に見やって無言になった。

 こうして、物語冒頭の困惑展開へ繋がったわけなのだが。

 戸惑いながら彼は告げる。

「あのさ、それ受け取ったら俺はヨミからバクスタされるやつでしょ」

 バクスタとはバックスタブの略。背後からの一撃必殺の刺突技である。

「ええ?まさか!ヨミさんはしませんよ、そんなこと」

 この人、ヨミを善人だと思いすぎてるよね。違うから、あの人ただの悪党だから。

「……いや、いやいやいや。ライフられるから」

「ありませんって」

 アヤは苦笑する。

「そもそも、なんで俺?いるよね、もっと渡すべきやつがいるよね?」

「?いえ、いませんよ」

 アヤは不思議そうに首をかしげる。

 正気か、この人。

「は?何言ってんの?いるでしょ、ヨミとかヨミとかヨミとか…!」

 つまりヨミ。または弟。

 アヤの反応にカイトの方が焦る。

「あー!ヨミさんは、いいんです」

「いやよくない。渡そうよ、ヨミにこそ渡そうよ」

 カイトは説得に入るがアヤはどこ吹く風。

「ヨミさんは別でご用意しているので、モーマンタイです」

「…別って…」

「実は…、この前リアルラックで出会ってしまったんですよ、『姿なき行商人』に!」

 姿なき行商人とは、その名前の通りプレイヤーに姿を見せない商人で、ランダムでワールド内に出現し、通りすがりのプレイヤーに声をかけ、希少アイテムの取引を持ちかけてくる不可思議な存在。家屋の隙間、裏路地の深い影、草むら、井戸など…忍者のように身を潜めており、その正体を知る者はいない。ひと所に長居しないので、声をかけたプレイヤーとの取引を終えると、煙のように消えてしまう。

「そいつ、俺もまだ出くわしたことないよ」

 カイトは瞬きを繰り返す。

「え、そうなんですか!じゃあわたし、本当に運がよかったんですね」

 嬉しそうに微笑むアヤは、姿なき行商人との出会いについて話す。

「オリクトでいつものように鉱石チャレンジをしていたんです。そうしたら、別のプレイヤーが掘った穴から声をかけられて…地底人がいるのかとものすごくびっくりしたんですけど、それが姿なき行商人でした」

「…穴って…どこにでもいるんだねそいつ…」

「でも覗き込んでも本当に姿が見えなかったので…穴そのものにいたのか謎なんですけど」

「それで、何を取引したの?」

「取引はひとりひとつだけという制限があったので、バレンタインイベント期間中限定のアイテムを買いました」

「それがヨミへのプレゼントってこと?…っていうか、イベント限定アイテムなんて俗っぽいものまで売ってるんだ…」

 半ば呆れながら呟く。

「通常のアイテムも売ってましたよ?ネクタルやアンブロシアも市価よりお値打ちでしたし、伝説の級の武器とかも売ってました」

「その中で買ったものが、バレンタインアイテムなの?」

 ほとんどのプレイヤーが遭遇できない行商人と運良く取引できたというのに。

「そうです!バレンタイン限定レジェンド武器『ときめき☆どっきゅん!ダガー』を買いました!」

 課金して!

 胸を張るアヤに、カイトは顔をしかめる。

「……ときめき、どっきゅん、ダガー…?……何それ、ダッサ」

 心の声が最後で漏れてしまう。

「一応聞くけど、…どういうダガーなの?」

「イベント用のお遊びアイテムなので、ダメージはゼロです。ただし、刺した瞬間に『ドキューン、ズキューン』という効果音と共に無数のハートエフェクトが飛び散るそうです!」

「………うわぁ…」

 想像しただけで嫌悪感が…。誰得なんだ、そのダガー。

 課金をしてまで買うものなのか疑問を禁じ得ない。物好きな。

「ヨミさん…お兄様に絶対似合うと思いました。『ときめき☆どっきゅん!ダガー』」

 この人の中のヨミ像は一体…(相当腐ってるんだろうな…)。

「……まあ……うん…、喜ぶんじゃない?あの人は」

 カイトは投げやりに答える。

「なので、このチョコレートは通りすがりさんに。時々こうやって助けてくださっているので、お礼だと思ってください」

「……別に、あんたに恩を売ろうってゲスい気持ちはないから、気遣い無用だよ」

 彼女に関わるのは親切心などではない。正当な報酬を得てのこと。

 後ろめたい事情があるのは、傭兵のカイトの側だ。

「通りすがりさんに会えたら渡そうと思って買ったんです。ここで受け取ってもらえないと…」

「もらえないと…?」

「お兄様に事情を話して、食べてもらわないといけませんね…」

 アヤは頼りなく眉を寄せた。

 脅す気はないのだろうが、カイトにとってはただの脅迫だ。

 受け取っても、受け取らなくても死神のバックスタブが待っているではないか。

 うん、なるほど。つまり死んで来いと…?

「……あんた、意外といい根性してるよね」

「?そうですか?」

「うん」

 諦めの境地で、カイトはアヤからチョコレートを受け取る。

「…ありがとう」

「どういたしまして!」

 目的を達成できたアヤはほっとしたように笑う。

「お返しは期待しないでよね」

「わたしが渡したかっただけですから、それこそ気遣い無用です!」

 受け取ったチョコレートを持て余しながら、カイトは「それとさ」とぶっきらぼうに告げる。

「…俺、通りすがりさんじゃなくて、名前はカイトだから。覚えて」

 何度か顔を合わせて会話もしたのだが、名乗ることはなかった。ヨミとの雇用関係の手前、彼女と懇意になるつもりはなかったから。でも、もうそうは言っていられないらしい。

 名前を知ったアヤはぱっと笑みを浮かべて頷く。

「わかりました、通りすがりさん…じゃなくて、カイトくん!」

「『くん』はいらない。恥ずかしい」

「あははっ…!」

 勝手にも弟と話しているような親近感を彼に抱き、アヤはつい笑ってしまったのだった。



 ポチと散歩を続けるからとアヤとは別れたが、距離を置いて再追跡することになるカイトはその場で息をつく。

 厄介なものをもらってしまった。

 受け取ったチョコレートに目を落としていると、真後ろから声をかけられる。

「やぁ、カイト。アヤさんからチョコレートを受け取ったようだね」

 ヨミの声だ。

 驚きで息が止まる。

 周囲には誰の気配もなかった、はずだ。

 はっとして振り返るが、そこに人の姿はなく、再び前を向けばカイトの探知能力をあざ笑うかのように片手を腰に当てて立つ、涼しい顔のヨミがいた。

 カイトは苛立つ。

 こいつ、一部始終を隠れて見てたな。

「あのさ…いちいち気配消して背後に立つのやめてくれない?」

 ああ、やっぱり。言ったそばからこれだ。

 いつでもお前にバックスタブを食らわせられると言わんばかりの余裕が憎らしい。ヨミが本気なら死んでいた。

「あれ?気づいてなかったのかい?君ほどのプレイヤーが」

 心底意外そうに吹きかけられ、カイトはさらに苛立った。

「あんた、本当に嫌味だよね。……で、何の用?が気に入らないなら、あんたに渡すけど?」

「おやおや、僕がそんなに狭量に見えるのかい?」

「見える」

 隠れ潜んでカイトを泳がせる程度には。

「心外だな。僕はただ彼女の真心を踏みにじらないでほしいと伝えに来ただけだよ」

「…は?」

 ヨミはカイトとぐっと距離を詰め、告げる。

「僕の妹に返礼をお忘れなく。ねぇ、カイト」

「?!」

「君が失念しないことを期待するよ」

 と微笑みの圧を加えると、ヨミは優雅に去って行った。

 まさか、本当に念押しするためだけに張り込んでいたのか?あのヨミが?わざわざ?

 カイトは呆気にとられ、次に可笑しみを感じて吹き出した。

「マジかよ…」

 設定上の妹が彼にとっていかほどの価値を持つ存在か、本心がどこにあるのかは知らないが、しっかりシスコン兄貴になっているじゃないか(角が取れて丸くなったとは言わないが)。

 今のヨミなら、彼女渾身のバレンタインプレゼント『ときめき☆どっきゅん!ダガー』もお似合いだろう。

「あー、面白いもの見た。…まあ、そのお礼はあの子にした方がいいかも」

 カイトは笑いを納めて受け取ったばかりのチョコレートをかじる。

 返礼は狼の毛皮を使った雪山装備にしよう。いずれあの子も雪山へ冒険するんだろうし。

 口にするチョコレートは仮想現実ゲームならではの味気なさだが、アバターの奥にいるカイトの胸は仄かに暖かくなる。そんな気がしていた。

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