第29話*ヒュドラ狩り、またの名を歓迎会(4)

 レルネーの毒沼周辺地域への到着を知らせるアラート音が飛空挺の操舵室に響く。

「では、行こうか」

 ヨミの言葉を合図に、ポチに留守番を任せ飛空挺後部のある格納庫へ移動し向かい合う。

「作戦の指揮は君に任せるよ、イツキ」

 ヨミが声をかけると、イツキは軽く肩をすくめて頷いた。

「はいはい。じゃあ、俺とツカサとエンジュは先行して毒沼までの血路を開き、導線確保。ヨミと妹ちゃんは後から合流。以上」

 簡潔に作戦を述べるイツキに、エンジュが「ハイハイハイ!!」と手をあげて自己主張を開始する。

「アタシはヨミと一緒がいい!!ねぇヨミ、いいでしょ?」

 と甘えるようにエンジュは彼に抱きつこうとするのだが、直前で見えない膜に阻まれ、ぽんと弾かれてしまう。エンジュは一瞬きょとんとするが、すぐに不満を露わにする。

「ちょっとぉ、ヨミぃ?!アンタ、今クローネつけてるでしょーー?!」

「うん、保険にね」

 平然と頷くヨミに、「保険ってナニよぉ?!」と問いただすも、すぐに理由を察してアヤを指差す。

「その小娘のおりのためね?!ヒドーーイ!!」

「え…わ、わたしですか…?!」

 突然お鉢が回ってきたアヤは戸惑う。

 クローネとは召喚師でもあるヨミが従えている精霊、漆黒の魔女のことだ。主人の間合いに存在するプレイヤーをマーキングし続ける『千里眼』の他にもまだ特殊なスキルがあるのだろうか。

「アクティブスキル『独占』。クローネは主人に近づくF型|(フィーメル)アバターのプレイヤーを容認しないんだよ。クローネからすると主人は恋人と同義語だからな。全ての同性が敵なんだ。M型やX型はスルーなんだけどな」

 不思議顔のアヤにイツキが説明してくれた。

「え、そうだったんですか?!」

 知らなかった。

「ヨミから触れるのはアリなんだが…使い道によっては便利なのかもな」

 抱きつこうとして拒まれたことに恥ずかしさを覚えつつ、エンジュは腕組みをする。

「フ、フン!…まあいいわ。つまりは同じF型のアヤだってヨミに触れないわけだしぃ〜?考え方を変えれば、小娘の手垢がヨミにつかないわけなんだから、アタシにとっても好・都・合・よ!」

 鼻を鳴らして胸を張るエンジュにヨミは微笑む。

「では、試してみるかい?」

「え?…何を?」

 エンジュは怪訝に問い返す。

「彼女が僕に触れられないかどうかを、だよ」

 にっこり微笑むと、ヨミはアヤに視線を流す。

「アヤさん」

「はい?」

 彼らのやりとりを眺めていたアヤに、ヨミは両腕を軽く開いて、誘う。

「おいで」

「……っ…」

 甘やかな響きに、どきんと胸が高鳴る。

「え、え、え?」

 ま、まままま、まさか…その腕の中に飛び込んで来いと…?!

 な、なんて挑発的な…!

 ぎょっとして一歩後ずさるアヤに、彼はそのままの姿勢で魅惑的に微笑み続ける。

「さぁ、アヤさん。遠慮はいらないよ。兄の胸に飛び込んでおいで」

「いえ、えっと…でも…」

 これは、何かのテストなのだろうか。

 クローネがF型アバターのプレイヤーを嫌悪して主人に触れることを拒絶するのであれば、アヤも先ほどのエンジュのように見えない何かに阻まれ、彼には触れられないはず。だとすれば、抱きつくという行為に問題点はない。

 わたしが弾かれれば、エンジュお姉様も納得するはず…!これは…やるしかない…!

 ぐっと拳を握って意気込む。

「有象無象プレイヤーの鑑として…見事クローネ様に弾かれてみせます!お任せください!」

 謎の強気な宣言をし、そのままの勢いで目を閉じてヨミに飛び込む。見えない壁に阻まれることを疑わず。…が、とくに拒絶の感触はなく、恐る恐るまぶたを開くと、ヨミと最も近い位置で視線が交わる。瞳が触れ合うと彼は微笑み、アヤは目が点になる。なんと、アヤは素直にヨミの腕の中におさまっていた。

「…っ?!」

 まさかの結果にアヤは固まる。

「…ふふ、素晴らしいだろう?彼女はクローネ越しでも僕に触れられるんだよ」

 ヨミは誇らしげにそっとアヤの肩を抱きながら、もう片方の手で彼女の頭を撫でる。

 イツキとツカサ、エンジュはまさかの展開にそれぞれが形容しがたい表情を浮かべている。

「へぇ、こんなことってあるんだな。…まあ、妹ちゃんはがっつり石化してるけどな」

「なるほど、アヤ嬢は稀有な存在なのか。…しかしヨミ、セクハラはよくないぞ」

 冷静に現実を受け止め、さらには苦言を呈する彼らとは異なり、エンジュはわなわなと震えだす。

「なんでぇーー?!なんでその子はよくてアタシはダメなのよぉーー!!どういうことなの、クローネ!!ぁんの魔女、バグってんじゃないのー?!」

「そんな都合のいいバグあるか。お前が邪の塊なだけだろ」

「そろそろお前もクローネにカルマを喰われる頃合いだな」

 相変わらずエンジュに対しては冷めているクランの言葉に彼女は「うっさいのよ!!」と吐き捨てる。

 ヨミの腕の中でよしよしと頭を撫でられているアヤは静かに混乱する。

 弾かれるつもり飛び込んだのに、クローネはアヤを素通りさせてしまった。

 つまり、これは…。

「…わたし…クローネ様に人間扱いされてない…」

 ショックだ。F型アバター以前の問題。

 青ざめるアヤにイツキが苦笑する。

「だから妹ちゃん、自己肯定感高めていこうって」

「ちょっと!!いい加減ヨミから離れなさいよ、アヤ!!見せつけてんじゃないわよ!!」

「…い、いえ…み、見せつけてるつもりはまったく…」

 こちらから飛び込んだ手前、アヤの側から引き剥がすのは失礼だと判断して羞恥を堪えているだけなのだが。

 エンジュを安心させるはずが、さらに敵視される羽目になってしまった。大失敗である。

「ヨミ。そろそろ離してやらないと、妹ちゃんの息の根が止まるぞ」

「?おかしいな、そんなに強く彼女を抱きしめていたつもりはないのに」

 ヨミは不思議そうに天然発言をしながら、アヤを手放した。

 イツキのおかげでやっと解放されたアヤは肩で息をする。

 き、緊張した…。

 抱き寄せられている間、アバターだと脳は理解しているし、ぬくもりや感触などないにも関わらず、ヨミから芳香を感じていた。錯覚も甚だしく、気の迷いも酷い。

「ではそろそろ出撃するか。俺たちは先行だ、行くぞエンジュ」

「…ちょ、離してよ!アタシはヨミと行くの!人の話を聞きなさいよポニテ!!」

「うるさい」

 ジタバタするエンジュの首根っこを掴み、ツカサは格納庫のハッチを開くと彼女を空中に放り投げ、自らも飛び出して行く。

「じゃあまた後でな、妹ちゃん」

 軽く手をあげてイツキも彼らに続いた。

 落下ダメージをものともしない強者らしい振る舞いに関心しているとヨミに顔を覗き込まれる。

「…さて、僕たちも下におりようか」

「え、まだ飛空挺は着陸してませんよ?!」

「うん。飛び降りてしまった方が早いからね」

「そんなあっさりと!」

 微笑むとヨミは軽く身をかがめて、アヤをひょいと抱え上げ、風が舞い込むハッチに近づく。

「?!お、お兄様…?!」

「こうしておけば、君は落下ダメージを受けないからね。アヤさん、僕にしっかり掴まって」

 言うが早いか、ヨミはアヤを抱えたままハッチから踵を外して落下に身を委ねる。

「ちょ、お兄様…心の準備がまだ……え、え、ええー?!えええーーーー?!」

 アヤの絶叫は空気抵抗にかき消され、飛空挺はぐんぐん遠ざかって行った。



 ※



 アヤを抱えたまま、ヨミはスマートに着地を決めた。

 兄から離れるとアヤは軽くふらつく。

「アヤさん、大丈夫かい?怖がらせてしまったかな…?」

「……た…です…」

「ん?」

「楽しかったです!…最初はびっくりしましたけど…アトラクションみたいで、とても面白かったですお兄様!」

 興奮気味に顔を上げて笑みを浮かべる。

 飛空挺のハッチから出た瞬間は鳥肌が立ったのだが、いざ落下がはじまってみれば……ジェットコースターのようで楽しめた。

 アヤの反応にヨミは小さく破顔する。

「それはよかった。君が楽しめたのなら何より」

 手を伸ばしてアヤの頭を撫でる手つきや眼差しの優しさに、アヤは落ち着かない心持ちになる。

 以前より距離が近くなったと感じるのは、たぶんもう気のせいではない。

 彼の腕におさまってしまった影響もあるのか、心臓の挙動がおかしい。

 …べ、別にドキついているわけじゃないから…!驚きとスリルで呼吸がまだちょっと整っていないだけだから…!それだけだから…!

 自分をごまかすように言い訳し、納得させる。

 心が揺れることに慣れていないのだ。

 内側にある戸惑いから意識をそらすために、アヤは周辺を見渡す。

 着地地点はごつごつした悪路と、痩せた木々が目立ち、無骨な大岩が周辺に転がっている。全体的にどんよりとした雲がかかり、広く見渡すことはできない。一帯を一言で言い表すならば、『不毛』が最も相応しい。

 その中で点々と巨体のモンスターたちの屍が晒されている。アヤが普段行動している地域では一切見られない強力なモンスターたちだ。

「言葉通り、イツキたちが導線を確保してくれたみたいだね」

 道しるべがモンスターの屍とは豪快だ。

「アヤさん、この辺りはがよくないからね。僕のそばを離れてはいけないよ。さぁ、ついておいで」

「はいっ」

 力強く頷くとヨミに先導されて歩き出す。

 道道に倒れているモンスターの屍はほとんどが一撃で倒されている。

「皆さん、やっぱりすごく強いんですね」

 当たり前のことを呟くと、ヨミは頷く。

「そうだね。おかげで僕は戦闘では放置されているよ」

「えっと、放置というか…お兄様が強すぎるので、皆さんが職人に徹しているだけな気が…」

 エースの戦闘スタイルに合わせて彼らが動いているだけで放置しているわけではないと…思うのだが(いや、半分放置している可能性もあるが)。

 歩き出してすぐ、ヨミが『治安がよくない』と言った理由が判明する。

 複数の土を踏む音にアヤが顔をあげると、どこからともなく現れた人相の悪い男たちがふたりの前に立ちはだかる。様々な種族が入り混じっており、風態から山賊であることが見て取れた。プレイヤーではなく、全てNPCだ。

 はっ!こ、これは…!もしや、山賊イベント?!

「…やはり遭遇したか」

 ヨミは小さく息をつく。

「この辺りの治安が回復する兆しはないか…まあ仕方がないかな、人里離れた人外魔境だからね」

「さっきからごちゃごちゃうるせぇぞ、お綺麗な顔の兄さんよ。有り金全部置いていくなら見逃してやってもいいぜ?ついでに、そっちのお嬢ちゃんも痛い目にあいたくなけりゃ有り金全部置いていきな!」

 頭目と思しき、がたいのよい悪漢が野太い声でふたりを脅す。

「…うわぁ、わたし山賊さんたちに会ったの、初めてです!」

 緊迫した空気を読まず、アヤは感激する。

 現状、彼女のゲーム内生活圏では、こういった悪漢と遭遇するイベントがまだ発生したことがない。これらは地域周辺の治安の良し悪しが関係しており、善良プレイヤーが多い地域ではまず遭遇することはない。また、山の街道で出会うことが多いため、平地で出会うのは単独通り魔のNPCが主流である。

「そうか、アヤさんには彼らが物珍しいのだったね」

「はい、お金を出せば見逃してくれるんですか?」

「これは彼らの乱数…気分なんだよ。銀貨を渡しても、身ぐるみを剥ごうとする賊も珍しくはなくてね」

「え、そうなんですか…じゃあ気をつけないと」

「そうだね。ひとりで行動するときは、こういう輩の相手をしてはいけないよ。囲まれる前にすぐに逃げ出すこと」

「はい、お兄様」

 危機感のないふたりのやりとりに山賊たちは苛立つ。

「おい!!無視してんじゃねぇぞ!!ちっとは怯えろ!!…もういい!野郎共、やっちまえ!!」

 頭の号令に合わせて山賊たちが臨戦体制をとる。時間切れで戦闘は避けられないようだ。

「わわ…お兄様、怒らせちゃったみたいです…!」

「あぁ、まったく…兄妹の語らいに横槍を入れるとは…無粋だな」

 やれやれとばかりに武器ショートカットから鉄の剣、もとい、『我があえかなる妹の愛しき腕』を取り出すと素早く一閃させる。瞬間、山賊たちは剣から放たれた剣圧の刃によって吹き飛んだ。

「…へ?」

 手下があっさり蹴散らされたことに呆気にとられた頭目の眼前に迫り、ヨミが微笑む。

「君もおやすみ」

 まぬけ顔を晒す頭目に回し蹴りを華麗にお見舞いすると、弾丸のように飛んでいく。賊の頭は離れた巨岩に叩きつけられ、あっけなくダウンした。

 ここまで、もの数秒の出来事。

 アヤは兄が手にする鉄の剣に目を向ける。

 ヨミに渡したのはただの(アンコモンの)鉄の剣のはずなのだが…おかしい、強すぎる。

「それ…本当にわたしが作った鉄の剣ですよね?」

 思わず確認してしまう。

「もちろん。君の、僕との相性はいいようだね」

 ヨミは満足そうだ。

「あの、でも…鉄の剣から『何か』が出てましたよ?」

 衝撃波ではない何かが。

「うん?…ああ、僕は通常の剣を装備するとソニックブレードが出る体質なんだよ」

「体質?!」

 アヤは目を剥く。

 え?そんな体質が?!(聞いたことありませんが?!)

「賊の血で剣を汚したくなかったからね、つい剣圧に頼ってしまった」

「…お兄様クラスになると、体質で剣圧がソニックブレードになるんです…?」

 アヤは瞬きを繰り返す。

「ええっと…ちょっと何を言っているのかわかりませんが、お兄様が体質だというなら…うん、そうなんですよね!…回し蹴りもすごくかっこよかったです!体術もできるなんて…さすがお兄様です!」

「ふふ、ご褒美の言葉をいただけたね」

 転がる山賊たちには一瞥もくれず、朗らかに微笑む兄に連れられてアヤは先を目指す。

 初の山賊遭遇イベント、(ヨミのおかげで)圧勝。

 しかし、ここからイツキたちと合流を果たすまでに次々と似たようなイベントにふたりは遭遇することになる。治安の悪さとクローネのデバフ効果による不運が影響しているのだが(ヨミの運ステイタス値が『1』になるがため)、その都度、『無粋』な山賊たちは登場の甲斐なくヨミに一掃される。冷静に考えると山賊に遭遇するアヤたちと蹴散らされる山賊、どちらが不運なのかわからない。

 前進するほどに死屍累々状態になっていく山賊に対して、同情的になったアヤは自らの銀貨を差し出したい気持ちに駆られてしまうのだった。

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