Report 13 暗雲(4)
「あたしは島嵜美生。高等部で生徒会長をやってますー。あなたの名前は?」
そう島嵜に促された火村は、ぎこちないながらも自分の素性を話し始めた。
手狭なためテーブルは脇に避けられ、椅子の配置が変えられて、二人はいま対面で向かい合っている。
その脇を囲むように四つの椅子が配置され、賢治たちが座っているという状況だ。
「
「火村くんねー。あたしもヒトの年齢だったらあなたと同じくらいだし、敬語使わないでいいよー」
「はい……」
「ほら、それが敬語」
「う、うん」
賢治は、まるで自分が被害者のような弱々しい態度を執る火村に対して苛立ちを覚えていた。だが同時に、彼の「弱さ」には身に覚えを感じるものもあった。
(「敬語使わなくていいよ」とか、あまり親しくない相手に距離を詰められるのって苦手なんだよな……)
「いきなり訊いてしまうんだども、昨日はなんであったなこと――あんなことしたの?」
島嵜が単調直入に切り出した。
火村はしばらく黙り、口をパクパクさせてからこう答えた。
「……本当に、すみません」
「いやー。謝るんじゃなくてー、私は理由を訊いているの」
島嵜の喋り方は語尾が伸びがちで、ややおっとりとした雰囲気だと賢治は思っていた。
だがこの状況では、蛇がゆっくりと獲物を締め付けるようであり、(怒鳴られた方がまだいいかな……)とさえ思えてしまった。
「自分で『悪いことだ』と思ったからー、今日こうして来校したんじゃないの?」
「……うん。許されないことをしたと、思っている」
「で、なんであったなことしたの?」
「あれが、あそこでオレがやるように言われたことだったから……」
どうも火村という少年は、相手の意図を汲み取るのが致命的に苦手なようだ。
島嵜は、外形的にはわからない火村の動機について訊きたいのに、これでは何もわからない。さらに「言われたからやりました」というのは、責任を他人になすりつけているようにしか聞こえず、恐ろしく印象が悪い。
だが、火村が「申し訳ない」と思っている気持ちは本当なのだろう。ただそのことを、相手の立場に立って適切に表現することが病的に苦手なのだ。そのため、頭に思いついたことをだらだらと口にしては、相手の
自分にもそのような経験が何度もあった賢治としては、傍から見ていてとても居たたまれない気持ちになってきた。
(これが共感性羞恥ってヤツか……)
隣を見ると、桐野も賢治と同じように眉間に皺を溜めていた。イソマツは冷めた目で見ているだけで、ちょっと何を考えているかわからない。現世は案の定、火村の態度を無責任であるとそのまま受け取っているようで、苛立ちが顔に現われていた。
「言われたことなら、強盗でも殺人でもなんでもやるの?」
「そ、そんなことはしない!」
「おんなじだよー。昨日君がやったことは『心の殺害行為』だよー」
きっぱりと島嵜にそう言い切られ、火村は再び沈黙した。
ここまで言われてようやく、自分のしたことが「申し訳ないこと」を通り越して「取り返しのつかないこと」だということを、理解できた。そんな
「……質問を変えようか。どうして、白銀衆に入ったの?」
島嵜がそう言うと、火村はぽつぽつと答え始めた。
「ネットで亜人の特権について知って、『ずるい。許せない』って思ったから……」
「特権って?」
「手厚く保護してもらって、教育を受けることができたり、就職先を紹介してもらったり、あとは年金まで普通よりも多くもらえたり……。本来、ヒトの魔術師が受けるはずの権利を奪っているっている、色んなネットの動画やブログの記事に書いてあったんだ。そういうのをたくさん見ているうちに、ずるい、許せないって思って」
「あなたの言う特権は、ヒトの魔術師も受けようと思えば受けられるものじゃないの?」
「受けられないよ! 母親は父親のDVを受けて、夜逃げするようにここへ来たから養育費なんて貰っていないし。一人親の福祉? なんてのも何も受けてないハズだ」
「それは、区役所か魔導家庭裁判所に相談するべきだったのでは?」
「母親もあんまり頭よくなくて……。上手く説明できなくて、役所の職員に追い払われたのをよく覚えている。オレもまだ小学生だったけど、アイツらの冷たい態度は忘れない。そのうち母親、心を病んじゃって」
「それであなたが今、働いているってわけね?」
火村はコクリと頷いた。
どんどん話がずれていく
火村は、生活するための適切な手続きのやり方などの社会常識を学ぶ機会に、家族ともども恵まれなかった。つまり昨日の光景は、弱い立場の人間が別の弱い立場の人間を叩いているという、地獄の構図であったというわけだ。
「中卒だから……ロクなバイトできなくて。そのバイト先でも仕事ができないから、毎日上司や先輩に怒鳴られている」
「その状況だと、進学も厳しかったんだね」
「うん。それにオレ、中学でも落ちこぼれだったし。
(……? マギオ?)
賢治が頭を捻ると、桐野が小声で耳打ちする。
「『術痴 Magiot』。差別用語だよ。生まれつき勁路に
賢治の心がますます重くなった。
「障碍って、どれくらい?」
「勁路負担の耐久率が4分の1しかない。だから、学校での勉強は全然ついていけなくて……」
「それだと特別訓練魔道学校に入る資格があるかどうか、微妙なところだねー」
火村の述懐を聴いて賢治は、以前イソマツが言ったことを思い出した。
「……やっぱり、術師界で普通に魔術が使えないってのは、将来の選択肢が狭まるのか?」
「はっきり言ってそうだね。まともな魔導教育が受けられなるし、専門職の幅も狭まるから、給料が安くてきつい仕事とかにしか就けなくなるね。だから涼二先生の勧めもあって、五色高に通っているんだ」
イソマツは運良く徳長に拾われて、今の生活がある。
しかし、それがなかったらどうなっていただろう。
そして人のことだけでなく、我が身も振り返らざるを得なかった。
もし賢助に引き取られなかったら。現世に会えなかったら。桐野やイソマツのような素敵な仲間との日々を過ごせなかったら。
――それらがなかったら、自分も火村のようになっていたかもしれない。
そんな考えが、賢治の頭のなかをぐるぐるとしていた。
「そうした不満が、あなたを白銀衆に入会させたわけ?」
「まあ……そうだね。デモの動画を見て、こんな風に抗議できるんだって思った。それで公式サイトを調べたんだけど、メールアドレスを登録するだけで入会できるって書いてあって、入会してみたんだ。そしたらメールが届いて、定期的にやっている交流会に誘われたんだ。行ってみたら……、みんな優しくて。俺が術痴として今まで苦労したこととか、みんな親身になって聞いてくれて……こんなに、俺の話を聞いてくれたの、初めてだったんだ……」
そう言う火村の声は震え始めていて、目からは今にも涙が零れ落ちそうだった。
火村は白銀衆の連中に出会うまで、自分の境遇について話を聞いてあげる人間もいなかったのだろう。
「それからデモに参加するようになって、旗の持ち方とかアジのやり方とか、先輩たちが色々教えてくれたんだ……。オレ、そんな先輩たちの期待に応えたくて――」
「昨日に至った、ってことね」
火村はコクンと頷いた。
「……でも私たちだって、あなたとはまた違うけれどそれぞれに事情を抱えているってことは、考えなかったの?」
声のトーンがやや低くなる。
すると火村は、また目を泳がせて口をパクパクさせた。
「……その、あの、オレ。自分のことで、頭いっぱいで――」
「いい加減にするのだ貴様」
ズン、と勢いよく地面に立つ音と共に、声質にそぐわぬ威厳ある声がその場に響いた。
現世であった。
その表情は、見たことがないような峻厳なものであった。
ドス、ドスと一歩一歩大きな足音を立て、火村の前まで詰め寄る。
「火村とやら。貴様は謝罪するために、ここへ来たのではないのか?」
「あ、あの、オレは……」
現世ににらまれ、さらに目をキョドキョドと泳がせる。
現世は火村の胸ぐらをガッと掴んだ。
「さっきから貴様が言っておるのは、自分の都合ばかりではないか!! 甘ったれるな!! 被害者の前で『自分だって』と言い訳しまくることが、どれだけ傷口に塩を塗りつける行為なのか、わからぬのかッ!!」
現世よりもずっと年上のはずの火村は、まるで怖い教師に叱責されている生徒のように「ヒッ、ヒ」と情けない声しか出せなかった。
「お、おい。ちょっと――」
余りの剣幕に賢治も委縮して、止めるタイミングを決めかねていた。
だがそんな時――予想外の人物が現世を制止させた。
「現世!! そこまでにしな!!」
桐野が現世をそう一喝した。
(堺が……現世に怒鳴っただと!?)
一同は目を見開いて驚いた。
現世もまた驚愕し、二、三秒沈黙した。
それからようやく、桐野に反論をする。
「し、しかし桐野! 火村の言い分は余りにも――」
「たしかに、こいつがいくら同情できる不幸な生い立ちだったとしても、許されないことをしたことは事実だし、特に被害者である島嵜さんが斟酌する必要はない。だけど、当の島嵜さんがこいつの話を聴くって言ってんだ。ウチらが口を挿んで邪魔しちゃダメだよ」
「くっ……」
現世は半泣きの火村から手を放す。
それから、まだ「納得がいかない」といった様子で、自分の席にとぼとぼと戻った。
「現世……。弱い立場に置かれた人間が、みんな善人ってわけじゃないんだよ。むしろ余裕がない分、家族に八つ当たりしたり、困っている人を見て見ぬフリしたりと、凡庸な悪に走りがちでさえあるんだ」
「それは……、そうであるが……」
「オレだって、賢助おじさんやお前と出逢わなかったら火村みたいになっていたかもしれない」
「何を言うか! 賢治はあんな奴とは違う!」
「いいや、同じさ。――人間なんて、少しだけ運命の歯車が噛み合わなかっただけで、荒んでしまうものだよ」
賢治は、諭すような口調で現世に話しかける。普段は現世に説得されることがほとんどで、こんな状況は滅多にないことだった。
「さ。オレたちは大人しく、あの二人の落としどころを見届けよう。――すみませんでした、島嵜さん」
賢治がそう謝ると、島嵜は「いいよ、別に」と朗らかな表情で返した。
そして、泣きじゃくる火村をなだめるように会話を再開した。
「さて。気を取り直して、話の続きしよっか。あなたの抱えていることは、大体わかったよ。じゃあ、今度はあたしの話をしよっか。――あたしね。実はヒトと亜人のハーフで、ヒトのお父さんに殺されかけたんべ」
島嵜はさらっととんでもないことを言って、場を凍りつかせた。
(……え? いま、殺されかけたって??)
「公務員だったんやけどね、岩手に配属されたときに白うねりのお母さんと恋仲になって子どもこさえたんよ。それがあたしね。でもある時、親類にお母さんが亜人であることを隠し切れなくなって――無理心中を図るべえとしたんよ」
急に始められた凄絶な話に、誰も何と合いの手を打てばいいのかわからないといった状態だった。
「まずお母さんを殺して、私以外の他の兄弟を殺して……あたしは小学校のトイレさ逃げ込んだんよ。血まみれで小学校さ入ってくお父さんはお巡りさんに止められて、あたしは何とか難を逃れたの。そこから孤児院に入れられたんだども、そこもひどい環境で……。13にもなるころには逃げ出して、そっからずっと後さ、汎人界と呼ばれるヒトの社会に紛れ込んで働いてきたんよ。
……正直、ヒトを憎んだわあ。特にお父さん。なんで、あたし生んだんだべなって」
島嵜の朗らかな雰囲気が、一瞬消えた。
それから一呼吸置いて、「でもね」と前置きしてこう言う。
「憎むことで、お腹は膨れなかったの。んだから、憎むのやめたんべ」
眼鏡の奥に浮かぶ島嵜の目は、どこか遠いところを見ているようだった。
「憎しみを誰かにぶつけても、自分の状況が良くなることはありえない。悪くなることはあるけどねぇ。それに気づいたら、『ああ、まず自分の生活をなんとかしなきゃな』って思って、働くことに励み続けたんよ。この学校に通うようになったのも、身分が不詳だと働くのに困るようになったから、頼るべきところを頼っただけ。そんだけべさ」
それは、島嵜がどうしようもない環境におかれたなかで導き出した、シンプルな回答だった。
「これはあくまで私の生き方だから、あなたは一人で身を立て直す必要はないんよ。頼れるところがあるなら頼って、まずは暮らしを立て直すことが先かなー」
そう諭された火村は、目じりから大粒の涙がはらはらと流れていた。
「オレ……、オレ……。何にも知らなくて、あなたみたいな真面目な人が頑張っていることとか、何にも知らないのに、あんなひどいことをしたんだ……」
ガタンッ。
火村は立ち上がり――心からの謝罪を口にした。
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!! オレ……白銀衆を
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