涙3

 クロが示したものは、サコッシュバッグにつけられたシーサーのキーホルダーだった。

 俺が修学旅行土産で贈ったものだ。

 珠姫たまきの手に渡ってから、〈刻駕こくが〉が乗り移ったのだろう。

 と、そのときドアが開く音がし、同時に珠姫の悲鳴があがった。


「ななな何してるのぉ! がちゃがちゃだぁ!」


 珠姫の前をすり抜けるようにして、俺たちはダッシュした。

 珠姫は泡を食い、きゃっと尻もちをつく。暗黒魔術の使い手を思わせる、深紫色のパンツが丸見えである。

 俺は心中で珠姫に詫びながら、クロとともに机に乗り、窓から外へ飛び出した。


「こら~っ! どこ行くのぉ~」


 珠姫の手が伸び、俺の背中の皮を掴む。宙にぶら下がる俺。

 やばい。捕まる。俺は思わず叫ぶ。


「珠姫! 頼む! 見逃してくれ! お願いだから!」


 と、珠姫が手を離した。かと思うと、背後から声が響いた。


「お兄? お兄なの? どこ?」


 俺は悟る。クロが咄嗟に法力を使い、俺の言葉を人語にしたのだ。珠姫はそれに驚き、俺から手を離した。

 俺は屋根の上に着地すると、クロとともに走り、地面に軟着陸し、門を飛び出て道を駆けた。

 背後から、珠姫がしきりに俺を呼ぶ声が聞こえていた。

 残念ながら、キーホルダーの奪取はならなかった。


 空き地に逃げ込み、身体を乾かす。

 必死で全身を舐め、滴をすくい取るのだ。棘の生えた舌は、こういうときブラシのような役割をする。

 人心地ついた頃、クロが呟いた。


「珠姫殿、お主のことを呼んでいたな」


「ああ」


「意外だったような口ぶりだな」


「そんなに自分が大切にされていたなんて思ってなかったからな」


「まこと、猫になると色々なことが知れるであろう」


「そうだな。俺がいかに人間の表層しか見ていなかったかがわかった。これで小説家になりたいと思ってたなんて、自分でも滑稽だよ」


「よいではないか。己の未熟さを知る事ができたのだから。お主は昨日までのお主と違う存在になり得たということだ。まあ、それもお主を猫にした拙者のおかげであるがな」


「言ってろ」


 俺はクロに背中を向け、未だ湿っている身体を乾かすため、毛繕いをつづけた。

 クロの言う通り、猫になって得たものは大きかった。だが俺は、人に戻らなければならない。


「それにしてものう。縫い針に根付ねつけとは、また変わったものに〈刻駕〉は憑依をした」


 首を傾げるクロに、俺は答えた。


「そうかな。俺は規則性を感じるけどな」


「どういうことか」


「針もキーホルダーも、一見すると大したことないもののようだが、当人にとっちゃとても大切そうなものだったじゃないか。〈刻駕〉は、貴重品を選んで自分を宿したんじゃないのか」


「なるほど。そう言われればそうかもしれぬな」


 クロが頷いた。


「してみると、残りの一つも、貴重な品に乗り移っているやもしれぬ」


「そうだろうな。でも誰のところにあるんだろう」


「拙者は、草の根を分けてもという気持ちでこの町内を探し回ったが、未だ残りの一つの気配は察知しておらぬ。しかしだ。お主が今見立てたように、二つから規則を見出すようにしてみれば、結果は明らかかもしれぬな」


「どんな規則だよ」


「わからぬか? 花連かれん殿と珠姫殿。どちらもお主にゆかりのある女子おなごではないか。だから残りの一人は――」


珊瑚さんごか!」


 俺は声をあげた。


「そうかもしれない。おまえが探し回っても、気配を感じられなかったのも――」


「そうだ。珊瑚殿の部屋の中にあるからかもしれぬ。だがそうなると、甚だ困ったことになる」


「ああ。そうだな。ブチが既に見つけている可能性がある」


 俺とクロは口を閉じた。どこかで犬が不穏な遠吠えをしているのが聞こえる。


「まあ、考えても詮無せんないことだ。花連殿を信じ、我々も一所懸命にやろうではないか。根付けは改めて後で手に入れる。よいな」


「そうだな。わかったよ」


 うむ、と頷き、クロは後脚をそろえてエジプトの猫神であるバステトのように座った。

 何気なく空き地に立った看板に眼を向けた俺は、驚いた。

 昨日までは読めた字が、頭に一向入って来ない。いや、形はわかるのだ。一文字一文字も判読できる。だが、意図が文脈として理解できない。

 なぜだ。頭がおかしくなったか。それとも俺が既に猫になりかけて――。


「どうした。深刻そうな顔をして」


 横からクロが言った。

 俺は何でも無さそうに見えるように首を振り、草の上で丸くなると、腕の間に鼻を埋めた。


「それで――だな。大夜殿」


 おずおずとクロが口を開いた。俺はぞんざいに、


「何だ。まだ何か用か」


「じつは――」


 と言って、クロは口を噤むと、思い切ったように言い放った。


「じじじつは、お主に頼み事がある」


「はあ。言ってみろ」


「お主の妹――珠姫殿を、拙者にくれぬかっ」


「は、はぁああああ?」


 俺は唖然とし、立ち上がる。


「い、いきなり何だ。話が唐突だろうが」


「唐突なのはすまぬ。だが拙者はもう、自分を偽ることができぬ。拙者は珠姫殿を好いておる。そして、珠姫殿を魔の道から正道に戻す力も有しておるのだ。頼む。珠姫殿を――」


「えええ? そんなのまず当人に言え。人間に戻ってから」


「そそそ、そうなのか? まずは家の唯一の男子であるお主に言わねばと思っておった。当人に言うのが令和の流儀なのであれば、そうするが」


「令和というか、もうずっと前からの流儀だ。ともかく、妙なことを言い出して、俺を混乱させるな。ほら、もう眠るぞ」


 俺はクロに背を向けると、眼を閉じた。

 そしてそのまま、感情を無視して眠りに落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る