第十話「心火の拳」
試合場中央で
「始め!」
試合場に立つ少女、
『雪原の
夜鹿のウタに応えて銀の髪留めがまばゆく光る。光を持つ手を下に払うと、その手に冷たく光るひと振りの刀が現れた。
対して少年は、すらりと伸びた
「えぇぇえ!? 本物の刀!?」
「ははは。あれは本物の刀だけど、心配ないよ。試合場には強い結界が張られているから傷を負うことはないんだ」
「えぇ? じゃあ本物の刀でも、怪我しないってことですか?」
「うん、試合場の
「そうなんだ……」
試合場では少年がゆっくりと、夜鹿との間合いを詰める。しかし、夜鹿は開始線から一歩も動かずに、刀も下に向けたままだ。二人の距離があと五歩ほどになったところで少年がぴたりと足を止めた。間は一息、少年がダンッと床を蹴って一足飛びに夜鹿との距離を詰めた。
「オラァァ!」
強く握った刀を大上段で
必然、刀を握っていた少年の両手が上がり、胴はガラ空きに。夜鹿は返す刀で少年の胴へ向けて刀を滑らせる。
「うわぁあ!」
慌てて身を引いた少年の胴を白い刃が
すかさず夜鹿は自らの刀に片手をかざした。
『狂い咲く
「あの距離で
見ていた
目の
「こんな間合いで
少年の斬りかかる刃を夜鹿は自らの刀で受けとめ、そのまま
「ウタ、ミスったか!?」
何も起きない夜鹿のウタに、少年は
ちがう、という
「え?」
「あのウタはトリガーだ」
「トリガーって……。あの私の頭に飛んでた鳥みたいな……?」
「そうだ。あ、動いた!」
少年は力任せに刀で夜鹿を押し飛ばすと、切っ先を横に走らせた。それを見切って夜鹿は後ろに身を
刀を構え直して後ずさる、少年の白くなった面にひと筋の汗が伝わった。夜鹿は自分から近付くことなく、ただ見ている。少年はなおも下がって距離を取ると、片手を夜鹿に向けた。
『
少年が詠歌するのを見てとるや、夜鹿は右手に持つ刀をくるっと回し逆手に持った。そのまま左手を刀の
すると、地面に突き立った刀から、光る
その美しく描かれた詠力陣から、
「がっ! あぁっ!」
少年の詠歌は中断され、代わりに叫び声をあげた。突如、地面から現れた何本もの刃は詠力陣が消えると同時に小さな光の粒となってさらりと消えた。
刀に貫かれたはずの少年の脚は傷もなければ、血の一滴も流れていなかった。しかし、脚全体に巻きつくように青く光る
「クソッ……!」
少年はかろうじて立ってはいるが、両足に
それを見逃さず夜鹿は身を低めて、瞬時に近付いて少年の
「がっ……」
少年の上半身に残る
「そこまで!」
試合場の外から、中年教師の止める声が響いた。
「
呼ばれて、試合場の脇に待機していた白い
夜鹿はそちらに目を向けることなく刀を静かに払う。右手に握られた刀は光を放ち、元の
夜鹿は顔にかかった髪の毛を耳にかけると、手慣れた様子で髪留めをスッと留め、そのまま音もなく歩いて試合場を出ていった。
「すごい……」
蒼空と琴葉は次の試合が始まっても、試合場の脇で静かに座する夜鹿から目が離せなかった。
「試合を見終わった一年生は、まだ見てない人に列を譲ってあげてくださーい!」
誘導の声に、前列で見学していた二人は後ろにいた見学者に前を譲る。次の試合を見る気にはならず、そのまま武道場の入り口まで移動した。
「蒼空君、もう見なくていいの?」
「うん。さっきの試合でわかったから、もういいんだ」
「そっか。次どこ行こうかな」
道場を出ると、二人は言葉少なに、どちらともなく、
「あの女の子、ホントにすごかったね!」
道場を出てから何やら考えこんで無口な蒼空に、琴葉が話しかけた。
「うん。あんな至近距離で詠うなんて、かなりの
「そうなんだ、やっぱりあの子強いんだね……」
蒼空は、琴葉の言葉が耳に入ってない様子で、小さく
「俺、短歌部入るわ」
「うん、私も入りたいなって思った。あの子みたいに、私も強くなりたい」
「よし! じゃあ一緒に入ろうぜ!」
「うーん、でもなぁ。私、とてもあんな風に短歌を詠めないよ……」
琴葉は制服の胸ポケットから授業で書いた短冊を取り出して見ると、ガクリと
「そうか? 俺はそれすごくいい歌だと思うけどな。それに、これからバリバリ作歌していけば、納得のいく短歌を作れるようになるさ」
「そうかなぁ……」
いつの間にか倭歌棟の前まで来ていた二人は、
廊下を歩きながら、琴葉は蒼空のフォローが嬉しくて、自分の短冊をもう一度見てみた。ところが、急に後ろから伸びてきた手に短冊をひょいと奪われた。
「なーんだこれ?」
とっさに振り返ると
「ちょっと! 返しなさいよ!」
奪いかえそうとする琴葉の手を避けて、真砂経は短冊を読みあげる。
「“学校で短歌作って楽しいな? 友達できてわーいと思う??” なんだこれ。幼稚園児の短歌か?」
真砂経の
「やめてよ!」
琴葉は顔を赤らめて必死に取りかえそうとするが、短冊は後ろの二人に回されてしまい取りかえせない。
「ねぇ、返してってば!」
「はんッ! お前ら、廊下の真ん中で邪魔なんだよ」
不機嫌そうな真砂経に、蒼空が声をかける。
「邪魔したんなら悪かったな。ま、とりあえずその短冊返してくれよ」
蒼空が言うと、真砂経は苦い顔で舌打ちをし、後ろの取り巻きの一人から短冊をもぎとった。
「あれ? もしかして、お前ら短歌部なの?」
真砂経の取り巻きが抱えるダンボールを見て、ふと蒼空が問う。箱には“短歌部”の文字が。
「あん? 何だ? お前ら短歌部を見学してきたのか?」
不審げに真砂経が問いかえす。
「短歌部に入るつもりならやめとけよ。編入組のお前らじゃ、運良く入れてもせいぜい第二短歌部の下っ端ってとこだからな」
真砂経の言葉に、ムッとした琴葉が言いかえす。
「そういうあなたたちだって、荷物運びの雑用係じゃない」
「ハァ?! こんなクソみてぇな短歌じゃ第二にすら入れねぇよ!」
真砂経はそう言い放つと、短冊をくしゃくしゃに丸めて背後に投げ捨てた。
「あ……」
悲痛な声をあげて落ちた短冊に駆け寄ろうとする琴葉の肩を、蒼空がぐっと押さえた。
「え……? 蒼空君……?」
強く肩を掴まれたことに驚いて琴葉が蒼空を見ると、蒼空の両目は深い闇色へと変わっていた。ズンッと重い空気が辺りを
蒼空は、真っ黒になった目で真砂経を静かに
「な、なんだよ! やる気か!?」
真砂経は、近付いてくる蒼空を警戒して身構えた。
しかし、蒼空は真砂経の横を無言で通りすぎると、その背後にしゃがみこんだ。そのまま落ちている短冊を拾いあげると、丁寧に広げて紙全体に入ってしまった
蒼空は
「ほら。ちょっと皺が残ったけど。俺は琴葉の短歌好きだよ」
「……ありがとう」
蒼空が拾ってくれた短冊は皺が残ってしまったが、その優しい言葉のおかげで琴葉の悲しい気持ちは消えていた。
「ちっ、なんだよ……。格好つけやがって」
真砂経は背を向けている蒼空を見てニヤリと笑った。そして、廊下の隅に置いてある防火用バケツに片手をかざした。
『
真砂経の手の前に、光る
『迷いつつ重ねた努力を踏みにじる
「
真砂経がバケツにかざした手を振り、指で蒼空を示すと、光を
すると、蒼空と真砂経の間に詠力陣が浮かびあがり、天井にまで届きそうな巨大な手が
突然現れた巨大な手に、真砂経と取り巻き二人は身を
白く光る手はバケツを軽く受けとめると、一瞬で握り潰した。握りしめられた大きな拳がゆっくり開かれると、廊下に
大きな手は役目を果たし光の粒子となり霧散する。
そこにいる誰もが押し黙る中、蒼空は光を反射しない漆黒の闇で真砂経を見据えた。
「てめぇ……。本気で潰してやろうか……?」
「う……、こ、この詠力は……」
廊下の奥、琴葉の背後に目を向けると背の高い人影がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
「!!」
急に身を
「おい、真砂経。お前、何してんだ?」
「そ、
苑紅は腕組みをしながら、真砂経を高い位置から見下ろしている。
「さっき、なーんか嫌な感じの詠力を感じたんだけど。お前、またつまんねぇコトしてたんじゃねぇの?」
「いえいえいえ! そんなことは! 滅相もございません!」
真砂経は頭をブンブンと強く振って必死に否定する。それを興味なさそうに見ると、苑紅は軽く振り返って蒼空たちをちらりと見た。
「ふーん、まぁいいよ。もう私には関係ないしな。でも、調子乗ってイジメみたいなことはすんじゃねぇぞ」
「はい……」
真砂経はすっかり縮こまって小さく震えながら頷いた。
「声が小っさいぞ!!」
「はい!!」
先ほどとは打って変わった様子の真砂経を、ぽかんと蒼空と琴葉が見つめる中、コツコツと革靴の足音が廊下に響いた。
「……何事かな?」
ふいに割って入った声に、そこにいる誰もが声のした方に目を向ける。そこに立っていたのは、苑紅よりも背の高い、冷たい印象の男子生徒だった。
「苑紅……。感情任せで教師に暴力を振るい、退部処分となった部外者が、我が部の一年に何の用向きかな?」
「
真砂経は助かったとばかりに
冷ややかな表情で立つ雪嶺を、苑紅が凛とした表情で睨みつけた。
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