第十話「心火の拳」

 試合場中央で対峙たいじする少女と少年の間に、試合開始の声がひびいた。


「始め!」


 試合場に立つ少女、夜鹿よるしかは、右手に持った髪留かみどめを顔の前に近付けた。その刺々とげとげしい葉と可憐かれんな花をした髪留めに、語りかけるように詠歌えいかする。


 『雪原の末葉すえばが示すあけの道 白き小花が咲きしひいらぎ


 夜鹿のウタに応えて銀の髪留めがまばゆく光る。光を持つ手を下に払うと、その手に冷たく光るひと振りの刀が現れた。

 対して少年は、すらりと伸びた打刀うちがたなを中段に構え、夜鹿との間合いをじりじりと測る。


「えぇぇえ!? 本物の刀!?」


 琴葉ことはが二人の持つ刀を見て驚きの声をあげる。それを聞いて、側に立つ白装束しろしょうぞくの生徒がおだやかに笑った。


「ははは。あれは本物の刀だけど、心配ないよ。試合場には強い結界が張られているから傷を負うことはないんだ」

「えぇ? じゃあ本物の刀でも、怪我しないってことですか?」

「うん、試合場の歌合うたあわせでは、ダメージの大小に関わらず、攻撃を受けた部分が封じられるんだ。とはいえ、痛みは感じるんだけどね」

「そうなんだ……」


 試合場では少年がゆっくりと、夜鹿との間合いを詰める。しかし、夜鹿は開始線から一歩も動かずに、刀も下に向けたままだ。二人の距離があと五歩ほどになったところで少年がぴたりと足を止めた。間は一息、少年がダンッと床を蹴って一足飛びに夜鹿との距離を詰めた。


「オラァァ!」


 強く握った刀を大上段で夜鹿よるしか目掛けて打ち下ろす。夜鹿はまばたきせずに迫る切っ先を見つめる。少年の刀が夜鹿の頭に当たる寸前、ついと夜鹿が小さな頭をかたむけた。その瞬間、ヒュッと軽い音を残した白い影が、ギンッと大きな音を立てて振り下ろされた刀を上に弾いた。

 必然、刀を握っていた少年の両手が上がり、胴はガラ空きに。夜鹿は返す刀で少年の胴へ向けて刀を滑らせる。


「うわぁあ!」


 慌てて身を引いた少年の胴を白い刃がかすめた。少年は体勢を崩して二歩三歩とたたらを踏む。

 すかさず夜鹿は自らの刀に片手をかざした。


 『狂い咲く逆手さかてひいらぎ表鬼門おもてきもん邪気じゃきはらいし』


「あの距離でうたうのか!」


 見ていた蒼空そらが思わず声をあげる。

 目のはしに夜鹿の詠歌をとらえた少年は、ぐっと踏みとどまると、刀を構え直して夜鹿に向かって踏みこんだ。


「こんな間合いでませるかよ!」


 少年の斬りかかる刃を夜鹿は自らの刀で受けとめ、そのまま鍔迫つばぜりあいとなった。少年はせめぎあう刀越しに夜鹿の冷めた目を睨みつける。


「ウタ、ミスったか!?」


 何も起きない夜鹿のウタに、少年は口端こうたんに笑みを浮かべて問うた。


 ちがう、というつぶやきが隣から聞こえて、琴葉が横を見ると、蒼空が真剣な顔で二人の鍔迫つばぜりあいを凝視ぎょうししていた。


「え?」

「あのウタはトリガーだ」

「トリガーって……。あの私の頭に飛んでた鳥みたいな……?」

「そうだ。あ、動いた!」


 少年は力任せに刀で夜鹿を押し飛ばすと、切っ先を横に走らせた。それを見切って夜鹿は後ろに身をかわす。すかさず少年は二の太刀たちを繰り出すが、それもまた紙一重かみひとえで躱される。夜鹿が少年の目を捉えてぐっと姿勢を低くしたところで、少年は寒気を感じて一旦後ろに飛び退いた。

 刀を構え直して後ずさる、少年の白くなった面にひと筋の汗が伝わった。夜鹿は自分から近付くことなく、ただ見ている。少年はなおも下がって距離を取ると、片手を夜鹿に向けた。


 『灼熱しゃくねつに 燃える心を……』


 少年が詠歌するのを見てとるや、夜鹿は右手に持つ刀をくるっと回し逆手に持った。そのまま左手を刀のつか頭金かしらがねにあて、力を込めて地面に突き刺す。

 すると、地面に突き立った刀から、光る詠力紋えいりょくもんが稲妻のごとく少年めがけて走った。瞬時に少年の足元まで伝わると、地面に少年を中心とした詠力陣えいりょくじんが広がった。

 その美しく描かれた詠力陣から、見惚みほれる間もなく無数の刀刃とうじんが現れて、少年の両足を無慈悲むじひやいばで貫いた。


「がっ! あぁっ!」


 少年の詠歌は中断され、代わりに叫び声をあげた。突如、地面から現れた何本もの刃は詠力陣が消えると同時に小さな光の粒となってさらりと消えた。

 刀に貫かれたはずの少年の脚は傷もなければ、血の一滴も流れていなかった。しかし、脚全体に巻きつくように青く光る鎖模様くさりもようが浮かびあがっていた。


「クソッ……!」


 少年はかろうじて立ってはいるが、両足におもりでもつけられたようにうまく動けない様子。

 それを見逃さず夜鹿は身を低めて、瞬時に近付いて少年のふところに入った。そして攻撃を防ごうと斜めに構えた少年の刀もろとも弾いて逆袈裟ぎゃくけさに斬りあげた。


「がっ……」


 少年の上半身に残る太刀筋たちすじから青い光があふれ出した。光はひと筋にりあがるとくさりとなって少年に巻きついた。同時に、少年の額に“封”の字が浮かびあがると、膝から崩れ落ちて、パタリとその場に倒れた。


「そこまで!」


 試合場の外から、中年教師の止める声が響いた。


療治班りょうじはん!」


 呼ばれて、試合場の脇に待機していた白い腕章わんしょうの生徒達が、倒れた少年に駆け寄った。少年の周りを囲んでしゃがみこむと治療のウタを詠みはじめる。


 夜鹿はそちらに目を向けることなく刀を静かに払う。右手に握られた刀は光を放ち、元のひいらぎの髪飾りへと戻った。

 夜鹿は顔にかかった髪の毛を耳にかけると、手慣れた様子で髪留めをスッと留め、そのまま音もなく歩いて試合場を出ていった。


「すごい……」


 蒼空と琴葉は次の試合が始まっても、試合場の脇で静かに座する夜鹿から目が離せなかった。


「試合を見終わった一年生は、まだ見てない人に列を譲ってあげてくださーい!」


 誘導の声に、前列で見学していた二人は後ろにいた見学者に前を譲る。次の試合を見る気にはならず、そのまま武道場の入り口まで移動した。


「蒼空君、もう見なくていいの?」

「うん。さっきの試合でわかったから、もういいんだ」

「そっか。次どこ行こうかな」


 道場を出ると、二人は言葉少なに、どちらともなく、倭歌棟やまとうたとうの方へ向かって歩いた。


「あの女の子、ホントにすごかったね!」


 道場を出てから何やら考えこんで無口な蒼空に、琴葉が話しかけた。


「うん。あんな至近距離で詠うなんて、かなりの強者つわもんだな……。よほど防御に自信がないとあんな動きはできない」

「そうなんだ、やっぱりあの子強いんだね……」


 蒼空は、琴葉の言葉が耳に入ってない様子で、小さくうなずくと顔を上げた。


「俺、短歌部入るわ」

「うん、私も入りたいなって思った。あの子みたいに、私も強くなりたい」

「よし! じゃあ一緒に入ろうぜ!」

「うーん、でもなぁ。私、とてもあんな風に短歌を詠めないよ……」


 琴葉は制服の胸ポケットから授業で書いた短冊を取り出して見ると、ガクリと項垂うなだれた。


「そうか? 俺はそれすごくいい歌だと思うけどな。それに、これからバリバリ作歌していけば、納得のいく短歌を作れるようになるさ」

「そうかなぁ……」


 いつの間にか倭歌棟の前まで来ていた二人は、かばんを取りに教室に戻ることにした。

 廊下を歩きながら、琴葉は蒼空のフォローが嬉しくて、自分の短冊をもう一度見てみた。ところが、急に後ろから伸びてきた手に短冊をひょいと奪われた。


「なーんだこれ?」


 とっさに振り返ると真砂経まさつねが、琴葉の短冊を片手にニヤニヤと笑っていた。真砂経の後ろには大きなダンボールを両手で抱えた二人が嫌な笑みを浮かべている。


「ちょっと! 返しなさいよ!」


 奪いかえそうとする琴葉の手を避けて、真砂経は短冊を読みあげる。


「“学校で短歌作って楽しいな? 友達できてわーいと思う??” なんだこれ。幼稚園児の短歌か?」


 真砂経の揶揄やゆする口調に、後ろの二人がわざとらしく下品な笑い声を立てる。


「やめてよ!」

 

 琴葉は顔を赤らめて必死に取りかえそうとするが、短冊は後ろの二人に回されてしまい取りかえせない。


「ねぇ、返してってば!」

「はんッ! お前ら、廊下の真ん中で邪魔なんだよ」


 不機嫌そうな真砂経に、蒼空が声をかける。


「邪魔したんなら悪かったな。ま、とりあえずその短冊返してくれよ」


 蒼空が言うと、真砂経は苦い顔で舌打ちをし、後ろの取り巻きの一人から短冊をもぎとった。


「あれ? もしかして、お前ら短歌部なの?」


 真砂経の取り巻きが抱えるダンボールを見て、ふと蒼空が問う。箱には“短歌部”の文字が。


「あん? 何だ? お前ら短歌部を見学してきたのか?」


 不審げに真砂経が問いかえす。


「短歌部に入るつもりならやめとけよ。編入組のお前らじゃ、運良く入れてもせいぜい第二短歌部の下っ端ってとこだからな」


 真砂経の言葉に、ムッとした琴葉が言いかえす。


「そういうあなたたちだって、荷物運びの雑用係じゃない」

「ハァ?! こんなクソみてぇな短歌じゃ第二にすら入れねぇよ!」


 真砂経はそう言い放つと、短冊をくしゃくしゃに丸めて背後に投げ捨てた。


「あ……」


 悲痛な声をあげて落ちた短冊に駆け寄ろうとする琴葉の肩を、蒼空がぐっと押さえた。


「え……? 蒼空君……?」


 強く肩を掴まれたことに驚いて琴葉が蒼空を見ると、蒼空の両目は深い闇色へと変わっていた。ズンッと重い空気が辺りをおおう。

 蒼空は、真っ黒になった目で真砂経を静かににらみつける。そして、スッと前に出ると、そのまま真砂経に向かって歩き出す。


「な、なんだよ! やる気か!?」


 真砂経は、近付いてくる蒼空を警戒して身構えた。

 しかし、蒼空は真砂経の横を無言で通りすぎると、その背後にしゃがみこんだ。そのまま落ちている短冊を拾いあげると、丁寧に広げて紙全体に入ってしまったしわを優しく伸ばしながら、琴葉の元へ戻っていく。

 蒼空はしわの残る短冊を、とても大事な物のように琴葉に手渡した。


「ほら。ちょっと皺が残ったけど。俺は琴葉の短歌好きだよ」

「……ありがとう」


 蒼空が拾ってくれた短冊は皺が残ってしまったが、その優しい言葉のおかげで琴葉の悲しい気持ちは消えていた。


「ちっ、なんだよ……。格好つけやがって」


 真砂経は背を向けている蒼空を見てニヤリと笑った。そして、廊下の隅に置いてある防火用バケツに片手をかざした。


 『自惚うぬぼれた田舎育ちの抜け作が冷水ひやみずかぶり身の程を知る』


 真砂経の手の前に、光る五句体ごくたいが浮かびあがる。

 刹那せつな、蒼空が振り返り、真砂経に向けて片手をかざし詠歌する。


 『迷いつつ重ねた努力を踏みにじる児戯じぎしっする心火しんかこぶし


返歌へんかの真似事かよ! 食らえ、バーカ!」


 真砂経がバケツにかざした手を振り、指で蒼空を示すと、光をまとったバケツが浮かびあがり、蒼空めがけて飛んでいく。

 すると、蒼空と真砂経の間に詠力陣が浮かびあがり、天井にまで届きそうな巨大な手が轟音ごうおんとともに現れた。

 突然現れた巨大な手に、真砂経と取り巻き二人は身をすくませた。

 白く光る手はバケツを軽く受けとめると、一瞬で握り潰した。握りしめられた大きな拳がゆっくり開かれると、廊下にかれた水の上に、小さく丸まった金属片がバシャンと大きな音を立てて転がった。

 大きな手は役目を果たし光の粒子となり霧散する。

 そこにいる誰もが押し黙る中、蒼空は光を反射しない漆黒の闇で真砂経を見据えた。


「てめぇ……。本気で潰してやろうか……?」


 激高げきこうした真砂経が強い詠力を纏った矢先に、燃えるように熱い大きな詠力が近付いてくるのを感じた。


「う……、こ、この詠力は……」


 廊下の奥、琴葉の背後に目を向けると背の高い人影がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。


「!!」


 急に身を硬直こうちょくさせた真砂経の様子に、蒼空と琴葉がその視線を追って背後を振り返ると、スラリと背の高い少女がこちらに歩いてくるのが見えた。

 つややかな長い黒髪を高い位置で結んだ少女は、制服の上からみやび刺繍ししゅうが入ったドテラを肩に羽織っていた。少女は蒼空と琴葉を追い越すと、真砂経に近付く。

 

「おい、真砂経。お前、何してんだ?」

「そ、苑紅そのべにさん!」


 苑紅は腕組みをしながら、真砂経を高い位置から見下ろしている。


「さっき、なーんか嫌な感じの詠力を感じたんだけど。お前、またつまんねぇコトしてたんじゃねぇの?」

「いえいえいえ! そんなことは! 滅相もございません!」


 真砂経は頭をブンブンと強く振って必死に否定する。それを興味なさそうに見ると、苑紅は軽く振り返って蒼空たちをちらりと見た。


「ふーん、まぁいいよ。もう私には関係ないしな。でも、調子乗ってイジメみたいなことはすんじゃねぇぞ」

「はい……」


 真砂経はすっかり縮こまって小さく震えながら頷いた。


「声が小っさいぞ!!」

「はい!!」


 先ほどとは打って変わった様子の真砂経を、ぽかんと蒼空と琴葉が見つめる中、コツコツと革靴の足音が廊下に響いた。


「……何事かな?」


 ふいに割って入った声に、そこにいる誰もが声のした方に目を向ける。そこに立っていたのは、苑紅よりも背の高い、冷たい印象の男子生徒だった。


「苑紅……。感情任せで教師に暴力を振るい、退部処分となった部外者が、我が部の一年に何の用向きかな?」

雪嶺ゆきみね部長!」


 真砂経は助かったとばかりに雪嶺ゆきみねの後ろに身を隠した。真砂経の取り巻き二人も慌ててそれに続く。

 冷ややかな表情で立つ雪嶺を、苑紅が凛とした表情で睨みつけた。

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