第九話「雪原の柊」

 入寮にゅうりょう初日の翌朝。蒼空そら梓弓あずさみ籠持みこもちの同室三人はそろって登校していた。通学路には、同じ制服を着た生徒が多くいたので、学園までの道で迷うことはなかった。

 学園内の敷地は広く、所属連しょぞくれんによって棟も分かれているため、三人は校舎に着く前に分かれることとなった。


「俺と籠持みこもちは、工藝棟こうげいとうだからこっちだな」

蒼空そら君は短歌連たんかれんだから倭歌棟やまとうたとうだよね。えっと、倭歌棟はあっちの方かな。伝冊でんさくで地図が見られるけど、使い方はもう大丈夫?」


「ん? まー、なんとかなるだろ」


 梓弓あずさみと籠持が蒼空を心配そうに見つめる。伝冊でんさくに触ったのが初めてだと聞いて、昨晩二人が蒼空に使い方を教えこんだ。

 蒼空はかばんから伝冊を取り出すと、慣れない手付きで起動して見せた。


「ま、大丈夫そうだな。じゃあな! 頑張れよ!」

「蒼空君、また寮でね!」

「おう、二人ともまたなー」


 二人に手を振って別れると、蒼空は伝冊で地図を確認して倭歌棟やまとうたとうへ向かって歩きはじめた。周りには同じ方向に歩く生徒がいたので、流れに沿っていけば着くものと思われた。

 いくつかの建物を通りすぎてしばらく歩くと、先にひと際大きな校舎が見えた。前を歩く生徒たちが次々に入っていくのを見ると、どうやらあそこが倭歌棟のようだ。

 蒼空は校舎の前に立って建物を見上げた。まるで中世の城のように威風堂々と建つその迫力に、自然と身震みぶるいがした。


「あれ、蒼空君?」


 不意に名前を呼ばれて振り向くと、制服姿の天月あまつき清治きよはるが並んで立っていた。


「おはよ〜。一緒になるなんて偶然だね」

天月あまつきさん、清治きよはるさん。おはようございまーす!」

「おはよう。こんな所で立ちどまって何をしている?」


 いぶかしげに清治が問うと、蒼空は笑顔で校舎を指差した。


「いやー、校舎見てたんすよ! 今日からここで学ぶんだなって思うと武者震いしちゃって」


 蒼空の言葉に懐かしさを覚え、天月と清治も校舎を見上げた。


「あぁ、懐かしいね。僕も初日はそんな気分になったなぁ〜」

「随分昔のことのように思えるがな」

「そうだね〜。あっという間だよね。あの頃は清治もこーんなにちっちゃくってさ」


 天月が自分の腰辺りを手で示すと、清治がムッと顔をしかめた。


「お前の態度はあの頃からでかかったな」

「え〜そうだっけ?」

「無駄口叩いてないでそろそろ行くぞ。草凪、こんな奴に付きあってると初日から遅刻するぞ」

「ははっ、了解っす」


 玄関から校舎の中へと入ると、左右に伸びる長い廊下と、上に登る階段が見えた。いずれも大勢の生徒達でひしめきあい、挨拶を交わす声や、話し声が響き渡る。

 新入生も多くいるようで、伝冊を片手にきょろきょろと周りを見回して歩く生徒もちらほら見えた。

 そんな中を慣れた様子で歩きながら、天月が蒼空に話しかける。


「蒼空君、昨日は食堂で皆に囲まれて大変だったね〜? もう、すっかり有名人だ」

「他人事のように言うな。お前のせいだ」


 昨日の天月との歌遊びは、昼食時にはすでに寮中に知れ渡っていた。蒼空は食堂に到着すると同時に、興味津々きょうみしんしんの生徒たちに囲まれて質問攻めにあったのだ。あまりに人が集まりすぎて、清治に散らされる場面もあった。


「俺はこっちだ。草凪、天月にあまり乗せられるなよ。じゃあな」

「あはは……。わかりました」


 背中越しに片手を上げて、清治は去っていった。


「さてと、じゃあ僕たちも行こうか」

「清治さんは、どこの連なんすか?」

「彼は能筆連のうひつれんだよ」

「へぇー、能筆連かぁ」


 能筆連のうひつれんと聞いて、蒼空は父の友禅ゆうぜんを思い出した。普段の達筆さもることながら、医師の仕事で患者を治療する際に、半紙に何かを書きつけてうたうのを何度も見ていた。そういえば、家から駅までのウタの地図を作ったのも友禅ゆうぜんだった。


「さあ、短歌連一年の教室はこの廊下沿いにあるよ。僕は三階だから、ここで。じゃあね、蒼空君」

「天月さん、ありがとうございました」


 案内してくれた天月と別れた蒼空は、鞄から取り出した伝冊を操作して、もう一度自分のクラスを確認してみた。

 伝冊には校内の地図と蒼空の組番号が表示されている。長い廊下に並ぶ教室の番号を確認しながら歩いていくと、自分のクラスと同じ番号の教室の前に着いた。


「ここか」


 少し緊張しながら教室の前の扉を開けると、中にはすでにたくさんのクラスメイトたちがいた。何人かの生徒は蒼空の方に視線を送るが、すぐに視線を外して友人との会話や、自分の作業に戻った。

 昨日の食堂で大勢に囲まれた光景を怖れていたが、そうはならなくて安心した。


「お、おはよー」


 誰にともなく声をかけて、伝冊で自分の席を探す。


「蒼空君!」


 聞き覚えのある声に伝冊から顔を上げると、見知った顔がそこにあった。


「琴葉!」

「蒼空君、同じクラスだったんだね!」


 知りあいが一人もいない状況で緊張していた蒼空は、琴葉と同じクラスだとわかり、ほっとした。


「でけー学校だから、もう会えないかと思ったぜ」

「あはは、そんなわけないじゃない! でも蒼空くんと同じクラスでよかったー」

「俺も琴葉と同じクラスで安心したぜ。これからよろしく!」

「こちらこそ!」


 会うのは昨日以来だが、琴葉も緊張していたようで、安堵あんどの表情が浮かんでいた。


「席は出席番号順なんだって。伝冊で見られるよ」

「そうなのか、えーっと」


 蒼空は出席番号を確認しようと伝冊をいじる。そのもたついた様子に、琴葉が横から画面をヒョイと覗きこむと、指を伸ばして手慣れた様子でちょいちょいと操作した。


「蒼空君、四番か。私の後ろだね!」


 蒼空は窓側の前から四番目の席に座るとひと息ついた。前の席に座る琴葉に昨日の出来事を話そうとした時、ちょうど教室の前の扉がガラリと開いて、優しそうな雰囲気の女性教師が入ってきた。

 女性教師は、おはようございますと全員に向かって声をかけると、そのまま教卓まで進んで教室全体を見渡した。そして、ぽんぽんと手を叩いて生徒たちを注目させた。


「はーい、席についてください」


 生徒全員が席についたのを確認すると、女性教師はニコニコと教室を見渡して、黒板に大きく「福岡 花穂」と書いた。


「はい、改めまして。皆さん、おはようございます」


 生徒たちがおはようございますと挨拶を返すと、福岡教諭は優しい笑顔で受けとめた。


「いいお返事ですね。初めまして、私はこのクラスの担任となる福岡ふくおか花穂かほです。一年間、一緒に楽しく学びましょうね」


 よろしくお願いします、と福岡教諭がお辞儀をすると、生徒たちが拍手で返す。


「今日はこれから二時限を使ってホームルームを行います。私の担当教科は短歌基礎です。皆さんと同じく短歌が大好きなの」


 ふふ、と福岡は優しく笑う。


「この授業では、短歌をむだけでなく、ウタが発生する前の世界のことや、歴史も学んでいきます」


 福岡教諭はカッと後ろの黒板に大きな円を描いた。


「皆さんも小中学校で習ったと思いますが、約二千年前、この世界にはウタの力がありませんでした」


 そして、円の横に『ウタ』と書いて、それを横線で消した。どうやら、円は地球を表すらしい。


「人類にはウタの代わりに『科学』というものがありました。人間は科学を使って火を起こし、電気を発生させ、遠くの人と会話したり、空を飛んで旅行をしていたのです」


 消された『ウタ』の下に『科学』と書いて、周りに火や人の絵を描いた。


「いや無理くね?」

「ウタなしって、伝冊もないってこと? いやマジ無理じゃね?」


 二人の女子生徒が信じられないといった様子で軽口を交わす。

 福岡教諭はその様子を優しく微笑んで見ながら続ける。


「昔の人類は伝冊ではなく、『電話』というものを使い、遠く離れた人と連絡をとっていたそうです」


 生徒たちからへえ、と軽い驚きの声があがる。


「しかし、二千年前の”千登世ノ毀律ちとせのきりつ”により、人類は科学の力を失ってしまいました。その代わりに倭歌やまとうたの神様が生まれたのです。そして、人類はウタによって発展し、今の世界となりました」


 福岡教諭は、『科学』の文字を横線で消すと、新たに『ウタ』と書いて丸で力強く囲んだ。

 改めて説明されると不思議に思う。蒼空はウタのない世界を想像したが、まったく思い描けなかった。


「倭歌の神様は、どんなときも私たちの歌に力を授けてくれます。さあ、倭歌の神様に感謝して、そして自己紹介も兼ねて、まずは原歌を作りましょう」


 そう言うと、福岡教諭は短冊の束を手にして、前の席の生徒たちにまとめて配りはじめた。

 原歌と聞いて教室がざわめく。原歌はウタの力が発生しない短歌のことだ。短歌連を選んだ生徒たちというだけあって、短歌を作る場では気持ちが高まる。自信ありげにうなずく者や、嬉しそうな表情を浮かべる者など様々だ。蒼空も学校で作る初めての短歌ということに心が踊った。


「皆さん、短冊は行き渡りましたか? それじゃあ、自己紹介の短歌を一人一首いっしゅ発表してもらいます。考える時間は十分です。では始めてください」


 生徒たちは一斉に短冊に向かう。じっと考えこむ者や、ノートに何事かを書きつける者、天井に向かって何かをつぶやいたり、皆、思い思いの姿勢で短歌を考える。しばらく教室に話し声はなく、鉛筆の軽い音だけが響いた。

 十分後には、ほとんどの生徒が短歌を書き終えて、筆を置いていた。


「はい、皆さん書き終わったようですね。それでは、出席番号順に発表していきましょう。じゃあ、出席番号一番、相川くん」


 はい、と大きな返事をして、蒼空と同じ列の一番前の席の男子生徒が立ちあがった。


「一番、相川袖守あいかわ そでもりです! 一年間よろしく! ではいきます!」


 一番に発表するプレッシャーがあるのだろう、見るからに緊張して力が入っている。


 「まな大志たいしを胸にいざ立ちぬ いずれは歌人かじん目指して歩む」


 教室に、おぉーという感心した声と、拍手が起こった。


「相川くん、ありがとう。未来への強い想いを感じさせる良い歌ですね。では次、兎田うださん」


 呼ばれて次の生徒が立ちあがる。緊張した面持ちで女子生徒は教室に向かってお辞儀をする。


兎田うだ 白羽しらはねです。これから、よろしくお願いします。詠みます」


 「制服に袖を通して意気やよし 高きを見据みすえ歌を詠むなん」


 先ほどと同様に拍手が起こる。


「兎田さんありがとう。その心を忘れず勉学に励んでいきましょう」


 そして、琴葉ことはの番が来た。


「それでは、次、小野おの琴葉ことはさん」

「は、はい!」


 琴葉は緊張した様子で、椅子をガタンと大きく鳴らして、勢いよく立ちあがった。


「出席番号三番! 小野琴葉です! よろしくお願いします! じゃあ詠みます!」


 一人立ちあがり、背筋を伸ばして短冊に向かう琴葉に、教室中の視線が注がれる。琴葉は、すうっと大きく息を吸いこむと大きな声で詠みあげた。


 「学校で短歌作って楽しいな! 友達できてわーいと思う!」


 教室は一瞬シンと静まった。直後、ドッと爆笑が起こった。


「あはは! 小学生かよー!」

「下手すぎ!」

「マジウケる!」


 手を叩いて笑う生徒や、はやしたてる生徒、涙を拭って笑う生徒までいて、教室はしばらく笑い声が止まなかった。

 琴葉は耳まで真っ赤に染めて短冊を胸に抱くと、うつむいて着席した。


「こら、皆さん。人の歌を笑ってはいけませんよ」


 福岡教諭は、笑う生徒たちを諌めると、琴葉を見ておだやかに微笑む。


「小野さん、思ったことを素直に詠んだとても良い短歌ですね。心に感じたことを自由に詠むのは、とても大切なことですよ」


 福岡がフォローするも、琴葉は顔を上げられなかった。

 まだ教室に小さな笑い声が響く中、ダンッと机に手を突いて蒼空が立ちあがった。突然の大きい音に驚いて、教室は静まりかえる。


「あら。次は、草凪くさなぎ君の番ね。じゃあお願い」


 立ちあがった蒼空の顔に笑顔はなかった。蒼空はしばらく何も言わずに立っていた。笑っていた生徒達は、ただ立っている蒼空を怪訝けげんな顔で見返す。

 わずかな静寂せいじゃくのあと、ふと、蒼空が口を開いた。


草凪くさなぎ蒼空そらです。詠みます」


 短冊は裏返しで机に置かれたままだ。


 「枯れ草の隅でさえず雛雲雀ひなひばり 花咲く頃に高みをかける」


 詠み終えた蒼空は、一度頭を下げると何も言わずにそのまま着席した。

 まぁ、と福岡教諭は小さく驚くと、何かを察した様子で微笑むと拍手した。釣られて、生徒たちもパチパチとわずかばかりの拍手を送った。


「草凪君、どうもありがとう。とても素敵な歌ね」


 一部の生徒が気まずい顔をする中、琴葉はきょとんとした顔で蒼空を見つめていた。

 その後も、自己紹介と短歌の披露は続き、何事もなく最後の生徒が短歌を詠み終えた。


「皆さん、終わりましたね。自己紹介と短歌の披露、ありがとうございました。どの歌も、とてもよかったです。これから一年間、皆で仲良く学んでいきましょうね」


 福岡教諭は優しい笑顔で締めると、そういえば、と思い出したように付け足す。


「そうそう。今日から一週間、放課後に全ての部活が公開練習をしています。この学園は部活動も学びの場と考えています。色んな部があるから、いっぱい見学して、どこに入るか決めてくださいね」


 言い終えると同時に、二限の終わりを告げるかねが鳴った。


 その日の最後の授業を終え放課後になると、教室はどの部活に入るかという話題で持ちきりとなった。

 クラスメイトたちはすでに仲良しグループができあがり、部活動の見学に行くために連れだって教室を出ていった。

 教科書やノートを鞄に詰めている蒼空に、そわそわとした様子で琴葉が話しかけた。


「蒼空君、部活もう決めた?」

「うん、俺は短歌部に入ろうと思ってるよ」

「そうなんだ! 私も短歌部見たかったから一緒に行こうよ!」

「よし、そうしよう。じゃあ行こうぜ」


 二人は伝冊に表示された学校案内図を見ながら、短歌部の練習場「聡詠館そうえいかん」へ辿り着いた。

 聡詠館の入り口は大きく開かれて、出入り自由になっていた。二人が中へ入ると、短歌部員と思しき白装束しろしょうぞくの上級生が新入生を誘導していた。

 道場にはすでに多くの見学者がいて、壁際を埋め尽くすように並んでいた。二人は見学者の列の端まで移動して、何とか練習場が見える位置を確保した。


 道場には四面の試合場が設けられ、藍色の装束を着た生徒たちが一対一の歌合うたあわせを行っていた。武器同士がぶつかる高い金属音や、短歌を詠む朗々ろうろうとした声が場内に響く。


 蒼空たちから一番近い試合場では、今まさに歌合が始まろうとしていた。


「次! 一年、九条くじょう 夜鹿よるしか!」


 神経質そうな中年教師に呼ばれて、試合場を囲んで座る部員たちから藍色の装束姿の小柄な少女が立ちあがった。


「蒼空君! あの女の子一年生だって!」

「へぇ、俺たちと同じ一年なのに、もう歌合するんだな」

「九条さんは中等部からの内部進学生だからね。中等部の頃から高等部の練習に参加することもあったんだよ」


 蒼空と琴葉の会話を聞きつけて、見学者の誘導をしていた上級生が教えてくれた。


「ああ、僕は第二短歌部の二年です。わからないことがあれば何でも質問してくださいね」

「第二短歌部……? 短歌部には第一と第二があるんですか?」


 琴葉は不思議そうな表情を浮かべて聞いた。


「うん……。去年から、短歌部は第一と第二に分かれることになったんだ。反対する意見が多かったんだけどね……」


 つぶやく声は、暗く重かった。

 その小さな声を掻き消すように、ワァと場内から歓声があがった。


 夜鹿よるしかと呼ばれた少女は試合場の開始線まで進むと、横髪を留めていた銀の髪留めをスッと外す。肩にかかる長さの髪が、さらりと顔にかかった。

 顔にかかる髪も気にせず、夜鹿は、中央線を挟んで向かいに立つ少年を無表情で見つめた。


「九条! この前の合同練習の時のようにはいかないからな!」


 少年は以前、夜鹿と対戦して負けたようだ。その雪辱せつじょくを果たすつもりらしく気合いが入っている。強く握った刀の切っ先を夜鹿に向けた。


「そうですか」


 夜鹿は興味がない様子で、表情を変えなかった。

 対峙たいじした二人の間に、試合開始の声が響く。


「始め!」


 夜鹿は先ほど外した髪留めを顔の前に持つと、語りかけるように詠歌えいかする。


 『雪原の末葉すえばが示すあけの道 白き小花が咲きしひいらぎ


 夜鹿のウタに呼応して、銀の髪留めがまばゆく光る。夜鹿が髪留めを持つ右手を下に払うと、その手に白い刀身の日本刀が現れた。

 刀を構えた少年は、仕掛けるタイミングを見計らってジリジリと間合いを測る。

 対照的に、夜鹿は開始線から動かず、刀を下げたまま、その場にただ立っていた。

 少年はゆっくりと間合いを詰め、二人の距離はもうあと五歩ほど。

 そこで足を止めた少年が、ダンッと床を蹴って一足飛びに距離を詰めた。


「オラァァ!」


 少年は大上段で夜鹿めがけて刀を振り下ろす。

 それでも夜鹿はじっと動かず、無表情のまま、迫る刀をじっと見つめていた。

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