第七話「隠木の童歌」

 入学式が行われた講堂前の広場は、学生寮に入る生徒たちが集まりごったがえしていた。自宅から通う生徒たちはすでに解散し、残った新入生は半数以下だが、それでも数百人はいる。教師や上級生が誘導するが、勝手がわからない新入生相手に手間取っている。


「学生寮に入る生徒は寮ごとに移動しまーす!」

「自分の寮は入学案内で確認してくださーい!」

「イの列はこっちでーす!」

「ホの列はこっち!」

「札の前に並んでー!」


 声のする方には“イ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘ”の文字が書かれた札が掲げられている。案内に従って、新入生たちは自分の寮の列に並ぼうと右往左往し、場は混乱していた。

 蒼空そら琴葉ことはもそんな混雑に巻きこまれていた。


「琴葉ー、大丈夫かー?」

「うん、大丈夫だよ! 私たちも早くも並ぼう!」

「あのさぁ」

「えーと、私はたしか……」


 琴葉は持っていたかばんを探ると、一枚の紙を取り出した。


「私、ホの列だ!」


 琴葉は用紙を確認して言った。


「あのさ、琴葉それって」

「ほら、早く並びなさーい!」


 蒼空が琴葉に問おうとした時、それを掻き消すような大声で誘導の教師が急かしてきた。


「わっ! 私もう行くね! 蒼空君、またね!」

「お、おう」


 琴葉は“ホの札”を見つけると、急いだ様子で人混みを掻きわけて行ってしまった。

 人混みの中、ぽつりと取り残された蒼空は困ったように呟く。


「入学案内って何だ……」


 どうやら琴葉が確認していた紙が入学案内というものらしいが、蒼空はそれをリュックに詰めた記憶も、見た覚えもなかった。

 入学の手続きは父が全て手配してくれたはずだが、普段の大雑把な父の性格からすると、恐らく。


「親父のやつ……、渡し忘れたんだな……」


 はぁと溜め息をついて、どうしたものかと周囲を見渡すと、生徒たちの合間で慌ただしく誘導している秋村の姿が目に入った。


「ホの列こっちでーす。危ないから急がないでー。でも早く並んでくださーい」

「秋村先生!」


 人混みの中から突然呼びかけられ、秋村は振り向いた。


「ん? おや、蒼空君。どうしたの?」

「いやー、俺、入学案内ってのを持ってなくて。俺、どこの寮ですかね」

「え、そうなの!? ちょ、ちょと待ってね」


 秋村は左手に抱えていた冊子類さっしるいからノートのようなものを取りあげた。


「蒼空君の名字は、何ていうの?」

草凪くさなぎです」


 蒼空の名前を確認するとノートに話しかけた。


「おーい、でんさく。草凪蒼空君の寮番号を教えて?」

「でんさく?」


 ノートに話しかける秋村を不思議に思い蒼空がのぞきこむと、それはノートではなく大きな画面がついた板のようなものだった。

 伝冊は秋村の声に応えるようにピピッと小さな音を立てると、画面に“ハ107”と表示した。


「出た出た。えっと、蒼空君の寮番号は“ハ107”ですね。“ハの札”のとこに並んでくださいね。んーと、“ハ”はあっちの方かな」


 秋村が指差す方を見ると、生徒たちの頭の上に掲げられた“ハの札”が見えた。


「おー! 秋村先生ありがとう!」


 蒼空が“ハの札”に向かおうとしたところに、秋村の前に並ぶ列から聞き覚えのある声で呼びとめられた。


「蒼空くーん!」


 蒼空が声に気付いて探すと、琴葉が女子生徒たちが並ぶ列の中間ほどで手を振っていた。


「琴葉!」

「また学校で会おうね!」

「おう。また!」


 琴葉に手を振ると、蒼空は再び人混みを掻きわけて“ハの札”へ向かった。

 ハの札前に着くと、生徒達はあらかた並び終えた様子で、すでに長い列が作られていた。


「君、早く並びなさい!」

「あー、すみません!」


 蒼空は誘導する教師に怒られながら、長い列を後ろまで辿り、最後尾に並んだ。

 蒼空が並んでからほどなくして、先頭に立った若い教師が列に向かって大声を張りあげた。


「これから寮に向かいます! 徒歩で三十分ほどの距離です。列から離れないようについてきてください!」


 教師の短い説明が終わると、蒼空が並ぶ列が動き出した。列の先頭には引率の教師が付き、二列に並んだ生徒一行を導いた。


 蒼空と琴葉がくぐった一ノ門とは逆の方向に列は進んでいく。

 広い学園敷地がくえんしきちだが、蒼空の目に入るものは新鮮さに溢れていた。それは他の生徒も同様だったに違いない。

 いくつかの大きな建物を過ぎると、高い屋根を持つ厩舎きゅうしゃが見えてきた。大きく開かれた扉から、体高二メートルはある虎型の哦獣がじゅうが見えた。 

 哦獣はくら手綱たづなが付けられており、その背中には学生が乗っている。哦獣の足元では別の生徒が餌を与えていた。

 教師が引率いんそつする行列からは、哦獣の巨躯きょくを見た生徒たちから感嘆かんたんの声が漏れている。

 蒼空は京都に来てから全てが新鮮だった。まだ一日の半分も過ぎていないが情報量の多さに興奮が冷めきらない。


 学校の南側の門を抜け、十五分ほど歩いたところで、後ろにいた女子生徒の列が男子の列とは別の道に分かれた。男子寮と女子寮は別の場所にあるらしい。

 そこからさらに十分ほど歩くと、前方に古びた大きな建物が複数棟見えてきた。 立ち並ぶ建物の敷地内に入ると、列は分かれて、寮ごとに別々の建物へ向かって行った。

 蒼空達の列は敷地の奥まったところにある、古びた建物の前で止まった。


「皆さーん、到着です! 第一男子寮はここになります! 中で寮の紹介があります!」


 先頭の若い教師が背後の建物を示し、新入生たちに向かって言った。


「うぇー……」


 新入生たちからはやや残念そうな声があがる。教師の手の先には年季を感じる大きな木造の建物があった。四階建ての窓には、ところどころに使い古された布団や下着が無造作に干してあり、中で暮らす者たちの生活が垣間見えた。

 教師たちにうながされて、続々と新入生たちは寮内に入っていく。それに続いて、蒼空も大きな両開きの玄関から寮の中へと入った。


 玄関をくぐると、途端に古い木の匂いがした。中は広いロビーになっており、

天井まで吹き抜けになっている。外観と同じく中も時代がかっており、至るところが老朽化ろうきゅうかし、それを補修して使っているあとがあった。

 だが、何よりも目を引かれたのはロビーの中心にそびえ立つ太い大黒柱だった。

外周に手を回すには大の男三人は必要な太さだ。柱の表面は、長い年月を経たであろうつやがあり、幾年もの歳月をここで見守ってきた威厳いげんがあった。見上げると、柱は天井まで届いていた。


 柱の前には制服を着た五人の生徒が立っていた。教師と上級生に促され、新入生達は柱の前に立つ生徒の前に並ばされた。

 中央に立つ生徒が一歩前に出て新入生達を見渡して口を開く。


「新入生の皆さん、ようこそ第一男子寮へ。僕は寮長の蒔田まきた 天月あまつきです。寮でわからないことがあれば、気兼ねなく僕や他の上級生たちに質問してください。これからの寮生活楽しく過ごしましょう」


 優しげな笑みを浮かべながらそう言うと、スイと軽く頭を下げた。新入生たちからパチパチと軽い拍手が起こる。天月は頭を上げると、笑顔のままで続けた。


「入学式ではお疲れさまでした。初めてのことで疲れただろうし、荷物もあると思うので、まずは自室に行って休憩してください。そのあとに昼食となります。えっと、あとはっと。寮についての説明は彼からします」


 そう言うと横に立っている眼鏡をかけた生徒を見た。眼鏡の生徒は軽くうなづくと一歩前へ出て話しはじめる。


「副寮長の板野いたの 清治きよはるだ。今後、寮長の補佐として寮の維持運営を行う。よろしく頼む。寮についてだが、寮は三人で一部屋だ。寮の案内図や部屋番号は、入学案内に書かれている。入学前に登録した伝冊でんさくがあれば、それにも送られているはずだ。互いに声をかけあって、同じ寮番号の者と一緒に部屋に向かえ。以上」


 一気に話し終えると元の位置へと戻った。天月あまつき清治きよはるの肩を小さく叩くと再度、新入生たちを見渡して笑った。


「今日の昼食や夕食の案内も伝冊に届くので、通知は切らないようにしてくださいね。では皆さん、のちほど昼食時に食堂で会いましょう。では一旦解散いったんかいさん


 天月が言い終えると、新入生たちはわらわらと動き出した。活発な生徒らは自分の部屋番号を声にあげ、同じ部屋番号の者を見つけるとロビーから離れていった。同室の者の見つからず困っている新入生には、上級生が声をかけて案内する。

 新入生を引率した教師陣は、天月に声をかけたあと、寮の玄関から外に出ていった。


 続々と人が少なくなっていくロビーで蒼空はまごついていた。


「またでんさくか……。秋村先生が持ってたあのノートだよな……」


「でんさく」なるものが蒼空には、はっきりとはわからなかった。入学案内も手元にないが、先ほどの秋村の言葉を思い出してみると、自分の寮番号は確か「ハ107」だ。蒼空は自分の寮番号を大きな声で言った。


「ハ107の人いますかー?」


 蒼空の声に、少し離れた場所にいた生徒がくるっと振り向いた。よく日に焼けた肌の生徒は、蒼空に目を留めると近付いてきた。


「俺もハ107だ。お前と同じ部屋だ。よろしくな」

「おう! よろしく!」


 二人が話しているところに、少しふっくらした体格の生徒が小走りで駆け寄ってきた。


「僕もハ107だよー!」


 ふっくらと温和おんわな印象の生徒は屈託くったくない笑顔で二人に話しかけた。


「僕は山部やまべ籠持みこもち装具連そうぐれんだよ。よろしくねー」

「俺は草凪蒼空! 短歌を勉強しに来た! よろしく!」

「同部屋はこの三人か。俺は北原きたはら梓弓あずさみ建立連こんりゅうれんで大工をやる予定だ。よろしくな」


 初めての場所、わからないことばかりで不安を感じていた蒼空だったが、ひとまずはルームメイトが見つかり元気が出た。それは他の二人も同じだったらしく、顔を見合わせると安心したような笑顔があった。


「さっきの天月さんって寮長、優しそうな人だったねー」

「そうだな。まあ、続きは部屋に行って話すか」

梓弓あずさみ! ちょっと待ってくれ!」


 床に置いていた荷物を持ちあげ、部屋に行こうとする梓弓を蒼空が呼びとめた。


「ん? どうした、蒼空」

「あのさ……。でんさくって何?」

「え、蒼空君、伝冊でんさく知らないの?」


 梓弓あずさみ籠持みこもちは驚いた顔で蒼空を見ると、制服のポケットを探り手帳ほどの大きさの板状の物を取り出して蒼空に見せた。


「これが伝冊だよ」

「まさか、お前伝冊を持ってないのか?」

「うん。見たのも初めてでさ」

「初めて!?」

「親父がもしかしたらリュックに入れてるかもだけど……」


 蒼空はそう言い、念のためリュックの中を探してみる。出発前に何度もリュックの中身は確認していたが、あとから父親が入れたかもしれないと思った。

 そうこうしている間に、ほとんどの新入生たちは部屋へ向かってしまったようで、ロビーにはもう蒼空たちの他には数人しか残っていなかった。

 リュックをまさぐる蒼空と、それを見守る梓弓と籠持のところへ天月あまつきが近付いてきて声をかけた。


「どうかしたの?」

「天月さん。こいつ、伝冊持ってないって」

「あ〜、伝冊を持ってない生徒には学校から支給されてるはずだよ。たまにそういう子もいるからね」

「おー、なんだ。親父のド忘れじゃねぇのか」


 天月の言葉を聞いた蒼空がリュックから顔をあげた。

 天月は柔和にゅうわ微笑ほほえみを浮かべて人差し指を顔の前に立てた。


 『現し世の光紡ぎし毬をつき 隠木おきの羊にむわらべうた』


 天月が詠歌えいかすると、人差し指の前に五句体ごくたいが浮かびあがった。

 五句体をもてあそぶように人差し指でくるっと円を描くと、五句体は絹糸を束ねたような白く輝く紐となった。宙に浮かんだ紐は蛇のようにしゅるしゅると蒼空が脇に置いていた風呂敷包みの中に入っていった。


「おお!」

「ウタだ!」


 見ていた梓弓と籠持が驚いて声をあげた。荷物の中でしばらくごそごそと動く気配がして、しばらくすると荷物の口が開き、透明な球を包むような形になっている紐が、白い光の粒子を纏いながら浮かびあがった。球体の中には伝冊がある。


「すっげ……」

「綺麗だねー」


 紐が巻きついた球体はふわふわと飛び、キラキラと白い無数の光を輝かせ、三人に美しい姿を見せていた。途中で止まるかと思われた伝冊は、見惚れる三人を放ってそのままスイーッと高くまで浮かびあがってしまった。

 気付けば、伝冊を球型に包んだ紐は吹き抜けのロビーを二階の高さまで達し、まだまだ上に昇っていく様子を見せた。


「おやおや、飛ばしすぎちゃったな」

 

 天月が困ったように笑うと、蒼空が一歩前に出て応える。


「天月さん、あとは自分で出来ますよ」

「ん?」


 困ったような笑顔を浮かべたまま見守る天月の前で、蒼空は伝冊に向けて掌を差し出した。


 『毬玉の糸繰りほどくわらべうた 霧は晴れいし羊は帰る』


 蒼空の掌の五句体が浮かぶ。同時に天井近くまで達している伝冊の周りを囲むように詠力陣えいりょくじんが浮かびあがった。

 蒼空が手を握りこむと詠力陣が収縮しゅうしゅくし、握った手をパッと開くと、光の紐がしゅるりとゆるまり、球体が弾けた。

 支えを失った伝冊は四階の高さからロビーの床を目掛けて落ちてきた。


「おっと、危ない」


 天月が落ちてきた伝冊を片手で受けとめると、蒼空の顔を見て、へぇと感心したように呟いた。


「すごいよ、蒼空君!」

「お前すごいな!」


 籠持と梓弓に声をかけられても、蒼空は動じず、へへっと軽く笑うだけだった。


「天月さん、ありがとうございます」


 伝冊を受けとろうと手を差し出した蒼空に、天月はニコッと笑いかける。



「蒼空君、歌遊びは好きかい?」

「え? まぁ、そっすね」

「では、手合わせ願おう。僕から伝冊を奪えたら君の勝ちだ」


 片手に持った伝冊をひらひらさせて、天月は提案する。

 上級生からの突然の提案に、新入生三人は驚いた。だが、蒼空は慣れたもので、すぐに嬉しそうに笑って了承りょうしょうした。


「おーっ! いいっすよ!」


 家を出てから久々の「歌遊び」だ。山では毎日のように父の友禅とウタを用いて遊んでいた。ウタを用いて戦う「歌合うたあわせ」や、ルールをもうけた「歌遊び」が日常だった。

 歌合では結局父に敵わなかったが、歌遊びでは父を追い詰めることもあったので、蒼空はかなり自信を持っていた。何より、学校に来て初めてのウタ勝負に蒼空は胸が高鳴った。

 浮かびあがる笑みを抑えもせず、蒼空は自然と詠力えいりょくを全身にまとわせた。


「お〜。しなやかな詠力だね」


 天月が片手で伝冊を弄びながら、嬉しそうに言う。


「よ~っし! 行くぜ、天月さん!」

「いいね〜。全力でおいで。蒼空くん」


 天月は穏やかな笑みを崩さずに、ゆるりとその身に詠力を纏わせた。 

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