第五話「旋毛の坊や」

「ひっろーい!」


 建物が点在する広大な学園の敷地に琴葉ことはの声が響き渡る。蒼空そらと琴葉の二人は、入学式までの空いた時間で構内を見学しようと、目的もなくぶらぶらと歩き回っていた。まだ朝早いせいか辺りの人影はまばらだった。


「すっごい広いね!」


 琴葉はよっぽど楽しいのか早足でどんどん先へ進んでいく。迷いなく歩く琴葉に、蒼空は両手を頭の後ろに組み、歩速を合わせついていく。

 ふいに琴葉がベンチを見つけて駆け寄った。


「ベンチも何だかお洒落だね!」


 そう言いながら琴葉はベンチに腰掛けると、ふぅと軽く息をついた。蒼空はその場で立ちどまり、周囲を見回す。蒼空には昔から、初めての場所に来ると何かを探してしまう癖があった。


「私、本当にウタの学校に来たんだなぁ」


 琴葉は感慨かんがい深げに呟き、うっとりした表情をしている。


「私ね、ウタを好きになってからずっとこの学校に入りたくて頑張ってきたんだ。だからすっごい嬉しいの」


 琴葉は明るい声で嬉しそうに言う。


「さっきの蒼空君のウタ、本当にすごかったね。私でもあんなウタ詠めるようになるのかな」


 琴葉は蒼空の自己紹介のウタを思い出す。空中に文字が浮かんで鳥に変わり空へと飛び立つ。あの美しい光景がまだ目に焼きついていた。


「ウタ、教えようか?」

「えぇ!?」


 蒼空の気軽な提案に琴葉は驚いた。


「私、難しいウタは使ったことないよ?! さっきみたいなウタ、そんな簡単にできるの?」

「コツさえ掴んじゃえば大丈夫さ」


 蒼空はニコニコと続ける。その笑顔を見ていたら、何だかできそうな気がしてくる。


「じゃあ、さっきの蒼空君がやってたやつがいい! 鳥が飛ぶやつ!」

歌儡かぐつ?」

「そうそう! それをいっぱい飛ばしたいな!」


 琴葉は両手を上に大きく広げて説明した。蒼空はその様子を見て頷く。


「わかった、とりあえずやってみよう」

「うん!」

 

 蒼空は座っている琴葉の前にしゃがむと、目線を合わせた。


「まずは、やりたいことを思い描いて短歌にするんだ」

「うーんと」

 

 琴葉はしばし考えこむと自信なさげに口を開いた。

 

 「うれしいな 鳥がたくさんかわいいな いっぱいいるし わーいと思う」


 琴葉の短歌は詠力を帯びず、辺りは何も変化が起こらない。


「へぇー! まっすぐでいい歌だな。じゃあ次はその光景を強く思い描いてうたおう」


 琴葉は言われたとおり、心の中で沢山の鳥が飛び回る光景を思い描き、力を込めてもう一度詠う。


 「たくさんの鳥がいっぱい飛んでるよ 羽をパタパタ すごいと思う」


 だが、先ほどと何も変わらなかった。


「ね、ねぇ。こんなので、できるのかな?」


 不安げに琴葉は蒼空を見る。蒼空はじっと琴葉を見つめると、おもむろに琴葉の背後に回りこんで両肩に手を置いた。琴葉はどうしたらいいかわからずに後ろを振り返ろうとした。すると、背後から蒼空の静かな声が聞こえた。


「前を向いて。目を瞑って」

「う、うん」


 言われたままに両目を閉じる。


「ゆっくりと息を吸って、吐いて。呼吸を整えて」


 スー、フーとしばらく琴葉の静かな呼吸音だけが響く。呼吸音が落ち着いたのを見て、蒼空は続ける。


「水をすくうように手を前に出して」


 琴葉は目をつむったまま、両手を静かに前に出した。


「想像して。琴葉の手の上に小さな光がある」

「うん」

「光は小さく温かい。生き物のように」


 両手の中に小さな光を思い描く。光はまるで小さな小鳥のように温かく、小さく鼓動を打っている。


「琴葉の呼吸に合わせて、小さな光が段々と大きくなり、やがて浮かびあがる」


 暗闇の中に穏やかな蒼空の声が響き、光が空中へと浮かびあがった。光を優しく持ちあげるように琴葉は両手を上げる。


「光は空で弾けて、粒子は鳥へと変わる」


 光を空へ撒くように琴葉は両手を広げた。


「その光景を歌に詠むんだ」

「うんっ!」


 琴葉は意を決した顔で頷くと、高らかに声をあげる。


 『沢山の小鳥が飛ぶよパタパタと 絶対飛ぶぞ! 私の決意』


 両手に熱いものを感じて思わず見上げると、両手の中心に力強く五句体ごくたいが浮かびあがっていた。


「出た! 蒼空君! できたよ!」

「おぉー! いいじゃん」

「ど、どうしようコレ!?」


 琴葉が両手を上げたまま戸惑っていると、五句体は溶けるように形を崩すとシュルシュルと音を立てて渦を巻き、突然フッと消えた。


「え!? 消えちゃっ……た?」


 五句体が現れた場所を確かめるように琴葉は空中を探るが、何も感じることはできなかった。


「おかしいな……。確かに詠力えいりょくは感じたのに」

「そんなぁ〜……。手応え感じたんだけどなぁ……」


 琴葉は両手を見つめながら消えてしまった五句体の感触を思い出すように手を握ったり開いたりしていた。


「大丈夫。次はきっとできるよ」


 落ちこんでいる様子の琴葉に蒼空は優しく声をかける。


「ありがとう。やっぱり難しいね」


 少し照れたように笑いながら琴葉は勢いよくベンチから立ちあがった。


「そろそろ時間だから、入学式行こっか!」

「そうだな」


 琴葉は元気を取り戻すように大きく伸びをしてから、蒼空を振り向いた。


「ところで蒼空君、入学式やる場所わかる?」

「えっ……、いや? 会場に向かって歩いていたんじゃないの?」

「ううん。適当に行きたい方に歩いてたの」

「おぉ、そっか」


 二人が顔を見合わせると、互いの困惑した顔に汗がひと筋流れた。


「えぇ、どうしよう! 私、場所わからないよ!」

「んーじゃあ、誰かに聞いてみっか」

「そうだね! ええと、じゃあ」


 琴葉はきょろきょろと辺りを見回す。少し離れたところにスーツ姿の女性が大きなダンボール箱を抱えてヨタヨタと歩いているのが目に入った。


「あ! あの人学校の人じゃない?」


 琴葉は勢いよく駆け出すと、ダンボールの女性に近付き、声をかけた。


「あの! 学校の人ですか?」

「ハ、ハイッ!! ななな、なんですか!?」


 女性は持っているダンボールを落としそうになりながら答える。その拍子に眼鏡がズレてしまった。


「私たち新入生なんですけど、入学式の会場ってどこですか?」

「ええと、あの、その」


 おどおどと視線を彷徨わせると、女性は申し訳なさそうに言った。


「えっと、さっきまで式場にいたんですけど。実は私も迷ってしまいまして……。ここ、どこなんでしょう?」

「えぇ、そんなぁ〜」

「ご、ごめんなさい」


 女性の言葉に琴葉はがっくりと肩を落とす。女性はダンボールを地面に下ろすと、おろおろしながらズレた眼鏡を直した。

 蒼空はそんな二人の様子を見ながら、ふと思いついた様子で口を開いた。


「行ったことがある場所なら、ウタで調べられるんじゃないですか?」

「あ、そっか! そうですよね!」


 それだ! と蒼空を指差すと、女性は自信ありげに胸に手を置いた。


「それなら私に任せてください! これでもウタは得意なんです!」


 女性は両手を揃えて上に向け差し出すと、先ほどのおどおどした様子とは一変して力強く詠唱えいしょうする。


 『虹渡る旋毛つむじの坊やはぴんしゃらら あんよ踏み踏み明日はどっち?』


 女性の手の上に五句体が現れる。五句体は虹色に輝くと、小さな竜巻のように渦を巻きながら形を変える。


「おぉ〜、なんかすげー!」


 琴葉と蒼空は興味津々な様子で、虹色の竜巻に魅入っていた。

 女性がなおも力を込める。すると竜巻はビュンと音を立てて飛びあがった。三人が空を見上げると、上からヒューと音を立てて何かが落ちてきた。

 ビヨンと音を立てて地面に転がったのは、てのひらサイズの虹色のバネだった。


「……な、なにこれ」

「バネ……かな?」


 目の前に現れたスプリング状のものが何かわからず、二人は困惑した。女性はそんな二人の様子に慌てて声をかける。


「だ、大丈夫です! きっとこの子が式場まで案内してくれる、はず……です……たぶん」


 女性は二人の視線に自信をなくした様子で、おどおどしはじめた。


「あ、あはは……。私、抽象歌ちゅうしょうかが専門なのでどうしてもウタが抽象的でして……。自分でも何が現れるかわからなくて……ごめんなさぃ……」


 最後の方は消えいりそうな声で続けた。

 どうしたらよいものか、と三人は地面に転がっているバネを見つめた。すると突然、転がっていたバネがぐねぐねと動き出した。

 バネはしゃんと立ちあがると頭を前方に伸ばし、地面に付他けた。その勢いでお尻が持ちあがると体は縮み、立ちあがった状態へと戻った。そしてまた前方に頭を伸ばし、と伸び縮みしながら進みはじめた。虹色のバネはシャララと軽い金属音を立てながら、流れるように伸び縮みして動いた。その様は不可思議で美しい。


「あっ! ほら、見てください! 動き出しました! 式場まで行ってくれるはずです!」


 女性は地面に置いていたダンボールをよいしょと持ちあげる。


「さぁ! この子について行きましょう!」


 意気揚々いきようようと女性は言うが、バネの一歩は小さい子供の一歩にも満たず、なかなか進まない。しばらくは三人でじりじりと動くバネを見つめていたが、耐え切れずに琴葉が口を開く。 


「これって、入学式に間に合うのかな?」

「え、えっと。さて、どうなんでしょう……?」


 困ったように笑う女性に不安が募る。そこへ追い打ちをかけるように、唐突に重い鐘の音が響いた。


「何だろう、この音?」


 正門が開く時に鳴っていた音と似ているが、蒼空には音の意味がわからない。


「これ! 入学式の始まりの鐘です!」


 女性が慌てた様子で言う。


「えっ! どうしよう蒼空君! 急がないと間に合わないよ!」

「ま、しょうがねぇな」

「えぇっ!?」


 バネは変わらず一歩づつ慎重に歩を進めていた。このままでは入学式に間に合うどころか、日が暮れても目的地には着かなさそうだった。


「このバネもっと速くならないの!?」

「あーそうか、それならできるな!」


 琴葉の言葉に頷いて、蒼空はバネに手をかざした。


 『旋毛風つむじかぜ 虹の向こうの明日目指し大志抱きてびゅんびゅんと跳ぶ』


 バネは蒼空のウタに反応し、ぴたりと動きを止める。そのままぶるぶると震え出したかと思ったら、突然勢いよく跳びあがった。


「わわっ! 何、どうしたの!?」


 バネを見下ろしていた三人が驚いて身を引くと、バネはその間をすり抜けて、ものすごい速度で跳ねながら遠ざかっていってしまった。


「ははっ、速くなりすぎたな」

「えぇぇ!? 早く追いかけなきゃ!」


 そう言ってる間にもバネはどんどん遠ざかっていく。


「二人は先に行ってください! 私は後から追いかけますから!」


 ダンボールを抱えた女性は、一緒にバネを追いかけることを諦めて二人を急かした。


「わかりました! 先に行きますね!」


 琴葉と蒼空は視線を交わして頷くと、すでに遠く離れて小さくなっているバネを追って全速力で駆け出した。

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