第一章

 この高校の校則の改正が行われた結果、次のような旨が可決された。


 純粋異性交際をしなければならない。


 カント先生がご立腹なさるのではないかという一条が光る。その校則を起草から改正承認までこぎつけた主導は生徒会であり、その中でも副会長・須田友和の役割は秀でていた。


 「不純異性交遊なる語句の不十分な定義は教師あるいは保護者の恣意的な偏見が介入される恐れがあり、それは人権の侵害をきたす恐れがある」との発案に始まる一連の改正作業は喧々囂々の会議と問答と可否投票を経て施行されるに至ったわけであるが、須田に予想外だったのは交際開始時の届け出先を生徒会にしたために翻って交際の望む生徒間の調整を行わなければならなくなったことだ。前向きと言うか能動的と言うか恋愛・交際に積極的な生徒たちにとっては願ったり叶ったりで年中バレンタインまたはクリスマスあるいは修学旅行直前状態となったわけで、それを告白のバネにするわけなのだが、そうではない生徒たちあるいは想いはあるがどうしたらいいのか分からない生徒たちにとってはほぼ脅迫でしかなく、その責任を生徒会に求めたとしても不自然ではない。結果、生徒会が仲人化することになり、役員たちは己の校則遵守どころの騒ぎではなかったのである。

 それがひとところ落ち着いたのはもう夏休み前となっていた。

 須田にとっては、それはむしろありがたい断崖絶壁であり、背水の陣の心持で臨むことができる。

 七月。夏休み前の終業式。それが終われば午後は放課。ほとんどの生徒は下校し、あるいは部活動ならそれぞれの活動場所へ集まっている。生徒会室周辺にはほぼ人はいない。時折、廊下を通る人の気配がする。生徒か教諭か須田は気に留めなかった。というよりも気に留める余裕がなかった。数々の交際仲介を取りまとめてきた策略家の冷静さは、ほとんど炎天下のアイスクリームのようになってしまっていた。副会長の業務に集中できていない、その落ち着きのなさを見抜かれないようにしなければならない。となれば、目ざといその人に感づかれるわけにはいかない。彼はふうと小さく熱い息を吐いてから席を立ち、その人の前に立った。決然として「会長」と口を開いた時である。

「友和。私から先に言うことがある。私、名村君と付き合うことになったから」

 交際報告をまとめたタブレット端末の画面を見せてきた。口元は相変わらず柔和だったが、目は笑っていなかった。

「会長……」

 須田は二の句が継げなかった。校則遵守に選んだ相手からの宣告がエアコンによる急速冷房よりも寒々と感じられた、というわけではなかった。それこそエアコンと言うならば、その機能が効いているはずなのに鳩尾から火山が噴火したような熱が頭でいきなり沸点した。心臓が熱膨張で破裂してしまうのではないかというくらいの拍動。輪島法子から告げられた、彼女の相手というのは彼の無二の友人だった。

「そうですか。おめでとうございます、と言うのも大袈裟かもしれませんが」

 努めて平静に言った。早口にならないように、感情が漏れ出ないように。いつから付き合い始めたのかとか、どちらから告白したのかとか、矢継ぎ早の疑問が頭の中で悶々と因縁をつけてきていた。

「生徒会長が本来ならば率先して生徒たちに範を示さなければならないというのに、今学期の激務を担わせてしまって申し訳ありません」

 視線を泳がせないように、いつも通りに輪島の目を見ながら軽く頭を下げた。

「友和、あなたの方が大変でしょうに。目の隈、早く取りなさいよ」

 須田は思わず眼鏡の隙間から下の瞼に軽く触れた。

「ところで、私に用があったのでは?」

 手を引っ込めて後ろ手に組んだのは胡麻化すつもりというより反射みたいなものだった。

「はい、……まさに今後のことをご相談しようと思いまして」

「今後? どういうことかしら?」

 背もたれに身を預ける輪島に言葉をつなげなければならない。あまりに抽象的過ぎて墓穴を掘った感に苛まれそうになっていたが、熟慮している時間もない。

「まだ手続きを済ませてない生徒、のことで」

「今年は制度を始めたばかりだから、まだ余裕があるでしょう、時間的に。先生方も秋の終わりまでは様子見と」

「それで新学期になったらこちらから提案をする場合もあるかと、交際になってない生徒たちに」

「リアル版マッチングアプリってことね、うーん、何かあの校則を作った趣旨とずれてしまう気もするけど」

「ですので次善策を練る必要もあるかと」

「分かった。けど、夏休みなんだから睡眠時間は確保すること、いいわね、友和」

「はい」

 輪島はタブレットとパソコンの電源を落として席を立つと須田にねぎらいの言葉を一つして生徒会室から出て行った。

 須田は副会長の席に座り、パソコンの画面と正対した。が、瞬時に椅子にもたれた。脱力である。背もたれで後頭部を支えた。彼はため息も咆哮もしなかった。涙さえ流さなかった。しばらくしてパソコンの画面が暗転した。この日、須田は業務を一ミリも進めることはできなかった。

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