熟した浴槽
藤田 芭月 / Padu Hujita
第1話 熟した浴槽
鮮やかな赤をみると、小さい頃の思い出が頭をよぎる。
5歳くらいの頃、ミッションスクールのみんなで近くの公園に咲いている桜を見に行ったことがあった。入口までに広がるピンクのカーペット、そのリビングの中心に巨大な桜―当時の僕には、その桜が大きな怪物に見えた。みんなが次々に怪物に飲み込まれていく。ピンクの怪物は、満開の花を差しだして僕らに手招きをしている。いや、もうみんなは怪物のとりこになっているため、この場合は僕を誘っているといっても差し支えないだろう。そのとき―僕が怪物からの誘いに断っているとき―足元に捨てられた子どもと目が合った。おっと。他の子に危うく踏んで殺されてしまいそうだったのを間一髪で助けた。ピンクのカーペットに置かれたそれは、ひどく美しかった。茶色の身体に、咲くことの許されなかった頭。僕は溢れんばかりの幸福感を覚えた。
あの時の満たされた感情を、10年経った今でも鮮明に思い出すことができる。
僕はレイの髪を撫でながら、彼女に語りかける。
「僕はね、蕾がこの世で一番美しいと感じるんだ。わかるかい」
レイの髪は、撫でるたびに整髪料の人工的な甘い香りで僕の心を誘惑する。レイは浅い呼吸で答える。僕は続ける。
「蕾はきれいな花弁を開くために、お日様をうんとたくさん浴びて、栄養を蓄えて成長する。でも、成長したら、あとは枯れるほか未来はないんだ。それってとても悲しいことだと思わない?」
僕はレイの頬が壊れないよう、丁寧にその表皮を舐めた。レイの肌は、オレンジよりも爽やかで同時に酸っぱさがあった。レイは弱弱しい声をあげ、呼吸を続ける。
僕らを照らし出しているスポットライトが数回の点滅の後、会場を黒く染める。
レイの額にキスをして、会場をでる。敢えて、バイバイは言わない。
レイの青い眼は、鈍く、誰もいない会場のある一点を見つめていた。
熟した浴槽 藤田 芭月 / Padu Hujita @huj1_yokka
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