血の少し香る夕飯と奪い合う風のお話

 ―――結局。


 風流を感じられたかは解らないが、蝉や鈴虫の声がよく聞こえたのは覚えている。


 だから、そんな僕の背中に自称付喪神が寄り掛かっていても僕は何も言わずに居られた。


 ほんのり高めの体温と、とくん、とくん、と小さく感じる心音がどこか心地良かったのだろう。


 まぁ、彼女は無意識にそうしていたのだろう。


 寄り掛かられた彼女に体重を少し預けながら、僕はそう結論づけた。



  ✦ • ✦ • ✦



 そんな訳で、日も落ちる夕方。


「ん?優莉、何してるの」


 エプロンを持ってキッチンへと向かう僕を、月雲は珍しそうに見る。


 そういえば、月雲にはこの事を言ってなかったっけか。


「あー……今日は自分で作る日だから」


 僕はお母さんを真似て、週に一回は自分で料理を作るようにしている。


 だから晩ご飯は僕が作るね、と続けると月雲は寝返りを打とうとした身体をぐっと止め、体操でもするかの様にすらりと立ち上がった。


「優莉が作るの?私も手伝って良い?」


 どうやら手伝いたいらしい。


「いいけど……怪我とかしない?大丈夫だよね?」


「むっ、子供が子供扱いするなしー!!大丈夫ですぅー!!」


 暗に見た目が子供だと言うと、唇を尖らせてぶーぶーと反抗する。


 しかもそれで僕の周りをぐるぐる回るから質が悪い。


 でもこのままだとちょっとどころかかなり邪魔だから、少しお灸でも据えておいたほうがいいかな。


「あーそんなに邪魔するなら月雲の夜ご飯は」


 抜きかなー、と言い切る前に月雲は畳の上に正座していた。


「いや早っ」




 流石にきらきらした目でずっと正座させてるのもアレなので、ちょくちょく手伝って貰うことにしたら彼女は更に頬を上気させた。


「火はもうちょい弱め?」


「うん……それくらい。そこで焦げない様に見てて」


「いえっさー!!」


 そんな彼女は、現在いつの間にか持って来ていたエプロンを着けて僕の隣で鍋の火を見ている。


 僕の黒いエプロンとは真反対の、髪や肌と同じ真っ白いエプロン。


 それはまるで、この季節とは正反対の―――


「……雪女?」


「……それって褒めてるの?」


 ぽろりと零れた言葉に、頬をぷくっと膨らませて月雲が問い返す。


「……多分」


「そこは言い切ってよー」


 僕の曖昧な返事と月雲の応答で、一旦会話が止まった。


 片やほうれん草を一口大に切り、片や沸々と煮込まれる鍋を見。


 とんとん、とぐつぐつ、という2つの音しか鳴らない時間を経て、少しはずかしそうに月雲が漏らす。


「……なんか、これ、夫婦みたい」


 ちらりと見た彼女の頬は解り易い位に紅くなっていて、僕の方もほんの一瞬ばかり包丁を動かす手を止めてしまった。


「……どっちが、妻?」


 ゆっくり絞り出した返答はそれだけ。


「…………ぷふっ、そりゃあ優莉の方じゃない?」


 もっと別に言う事あるだろ、とかもっと格好良い事言えるだろ、と今になって悶々とするが、そんな思考は月雲の吹き出した声とその後に続いた返答で綺麗に霧散した。


「なっ、男なのに……?」


「うーん……妻っていうより、主夫かな?料理の手際も良いし」


「いや、でも―――あっ」


 妻は月雲の方だろ、と言おうと包丁でほうれん草を切る直前のまま振り向いたのが悪かった。


「えっ?……――ひぅ」


 結構しっかり振り向いたせいで身体の位置も少し曲がり、そのまま軌道のずれた包丁が人差し指へと着地。


 ピリッという痛覚に包丁と指を離せば、第二関節から根本の間に斜めの赤い線。


 そこから少しずつ溢れてくる血液に、月雲から細い悲鳴が聞こえた。


「……ごめん、絆創膏持ってきて貰ってもいい?」


 少しフリーズしてから至極大丈夫そうに月雲にお願いすると、先程とは正反対の少し青褪めた顔で彼女は頷く。


「わ、解った!!居間だよね?」


「うん、そこ」


 そのまま火も消さずにたったったと行ってしまった。


 慌てて去っていった背中を数秒だけ見て、怪我した指の血を口に含み鍋の火を消す。


 …………が、思ったより深く切った様で少し止まるのが遅い。


 まだかなーと考えながら鉄っぽい味を唾液で揉み消していると。


「ごめんねっ、遅くなった!!」


 ばたばたという足音を出して月雲が戻ってくる。


「ん、ごめん。ありがと」


 そんな彼女から絆創膏を受け取り、さっさと指に巻き付けて包丁を洗う。


 その時、彼女がなんとも言えない顔でこちらを見ていたのには気付かなかった。



  ✦ • ✦ • ✦



 今日の晩ご飯―――ほうれん草のクリームパスタは割と美味しかった。


 相変わらずモリモリ食べる月雲は良いとして、途中で帰ってきたお母さんにも好評だったのは純粋に嬉しい。


 嬉しい、けど。


「……主夫ではないんだよなぁ」


 布団を敷いた上で扇風機の風を受け、風呂で濡れた髪を乾かしながらぽつりと呟く。


 正直言うと掃除は苦手だし、裁縫とかも無理だし。


「あふー……あっ、優莉だけずるい!」


 そういえば料理だけは出来るけど、お母さんの遺伝なのかなぁなんてぼーっとしていると、僕の後に風呂に入った月雲が僕から扇風機を奪う。


 カチカチと首を振られ、彼女の前で固定される。


「ちょ、もうちょっと当たらせてよ」


「私も当たりたいからダメー」


 肩を押しても退いてくれない彼女にイラッと来た僕は、ドンッと扇風機の目の前に座る。


「にゃっ」


「もうちょっとだけ貸して」


「ぬ……ぬうっ、このー!!」


 それにキレたであろう月雲が肩を震わせたと思ったら、扇風機そっちのけで僕に覆い被さってきた。


「わっ!?ちょっ、なに―――ぶっ、あははっ、ちょっとやめっ、あはははは!!」


 怒ってるのか笑ってるのか解らない彼女の顔を至近距離に見て、その後に来たこそばゆさに笑ってしまう。


「おらおらおら〜!!」


「あっははははははは!!やめてっ、やめてぇっ!!」


 くすぐられているのはすぐ解ったが、やめてと言っても全く聞き耳をたててくれない。


「あははっ……はぁっ、はぁっ……仕返しだぁっ!!」


 数分経って漸く離してくれた月雲に、今度は僕が覆い被さる。


「ちょっ、ひゃっ!?あっ、やめっ、あはっあははははは!!」


 小さくくすぐるだけですぐに笑い出した月雲に、僕はさっき止めてくれなかったからと問答無用で指を動かす。



 ―――その後もくすぐりくすぐられ、笑い笑わされを繰り返して大体10分。


「……げほっ、ごほっ」


「あ"ぁ〜……笑いすぎた」


 布団の上には、笑い過ぎで顔を紅くした二人が仰向けに寝っ転がっていた。

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