風鈴の考え事と彼女の呼び名のお話

「お母さん、おかわりを!!」


「はいはい、少し待ってね」


 午後七時すぎ位の、風鈴が小さく鳴る夜。


 少し広いちゃぶ台、その僕の右隣に居る少女……付喪神のもつくは、早々に3杯目のカレーへ手を付けようとしていた。


「……太るよ?」


「うにょっ!?ふ、ふふふ太らないし!!神様だから太らないんだしぃー!!?」


 むがーっと顔を真っ赤にして怒る彼女は、白い服や肌と相まって解りやすい。


 指摘されてオーバーに怒る所はさながら子供のようだ。


 もうっもうっとぶつくさ言いながら、次の瞬間には付け合せのサラダを食べてムフーと頬を緩めている。


 一人百面相みたいで見ていて面白い。


 ……そんな横顔を見ていると、帰り道でのあの寂しそうな表情を思い出す。



『大丈夫だよ。ちゃんとその人を前にしたら自然と名前が思い浮かぶんだもん』



 その人を前にしたら、となると亡くなってしまった人は?


 思い出される事なく忘れ去られてしまうのだろうか。


「―――、――り」


 そもそも沢山あるのなら、付喪神とは元々一つの存在だった?


 いや、この前見せてもらったコンピューターみたいに親と子の存在があるのではないか。


「―うり、ねぇっ、優莉!!」


「―――あっ」


 肩を揺さぶられて、思考の海から脱する。


 見ればお母さんもつくもも、何処か心配そうな顔でこちらの心配をしていた。


「さっきから話し掛けても何の反応もないんだもん、びっくりしたよ」


「ごめんね優莉。カレー辛すぎたかしら…」


「あ、ごめん大丈夫。ちょっと考え事してただけ」


 そう?とまだ何処か不安そうなお母さんも、次の瞬間にはカレーを食べて頬を緩める。


 なんかデジャブ感が……いやいや、気の所為だろう。


 そんな気を紛らす為に、僕もカレーを口に含む。


「――――っ、かっら!!?」


 ―――なんで今の今までこの辛さに気が付かなかったんだろうか。



  ✦ • ✦ • ✦



「あ"〜」


 未だに辛さが喉に残る。


「だ、大丈夫……?」


「だぶんずぐよぐなる」


 鈴虫と風鈴が応答する風にも聞こえる、食後の空き時間。


 縁側で寝転がった僕は庭を横目に、たまに咳込んで喉の調子を確かめていた。


 隣には水の入ったコップをお盆に置くもつくが。


 仰向けのままちらりと彼女の方を見やると、上下が反転しながらも一つの写真のように似合っている。


 彼女を照らす月は明るく、雲に覆われようとその光の強さを失わない。


 この一瞬を永遠に見ていたい不思議な感覚に、気付けばぼそりと呟いていた。


「……月雲つくも


「ん、初めて私の名前を呼んだね」


 耳聡く聞いていた彼女はふっと微笑み、くしゃりと僕の頭を撫でくり回す。


「ちょ、恥ずかしいから」


「私にとっては皆子供だしもーまんたいもーまんたい」


「もーまんたいってもう死語だよ」


「え"っ」


 ピタリ、と右手が止まる。


 そんな姿が少し可笑しく見えて、ぷっと吹き出してしまった。


「わっ、笑うなし!?」


「ちょっ、痛っ、ごめんって」


 そんな僕に怒る彼女が額を割と強めに叩く。


 幸い数回で済んだが、結構痛い。


「神ってこんな意地悪かったっけ……」


 ちくちくと刺す様な喉の痛みは、いつの間にか引いている。


 そうして僕は庭に背を向けて転がり、ボソリと呟いた。


「おーい聞こえてるよー」



「…………それで、今のタイミングで名前を呼ぶって事は、何かあったんでしょ?」


 そんな僕を見て小さく咳払いをした彼女は、先程とは打って変わって穏やかな雰囲気で問い掛ける。


 それでも頭を撫でるのは止めないのね。


「……月雲。あんたの、呼び名」


「……漢字は?」


 そう問い掛け、コップを傾ける。


 月の光がコップの中と口元を滑る水に反射し、僕の目を暫しの間奪う。



「月と雲。ここから見えるあんたと、月と雲が綺麗だったから」



「ンブッ!?」


 漢字を聞かれたから説明したら、何故か咽られた。


 ケホケホと咳込む彼女は、心なしか顔が赤い。


「ちょっと、そういう事をサラリと神様に言っちゃ駄目でしょ?びっくりしちゃうじゃん」


 そう言われて、自分の言った事を思い出す。


『ここから見えるあんたと、月と雲が綺麗だったから』


「え?……――あっ」


「思い出した?……――この、女たらしめ」


 その発言の意図に気付いた僕の額へ、彼女は軽く指を弾いた。


「いて」


「全く、将来女泣かせにはならないでよ?このこの」


「ならないし、ってか止めてってば」


 手で払って抵抗するが、彼女のデコピンは数分ほど続いた。


 その間にずっと、彼女――月雲がどこか嬉しそうに微笑んでいたのは、きっと僕の事をからかっていたからだろう。


 ―――いつもと少し違う夏の初日が、終わっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る