化け物バックパッカー、集落の舞を踊る。

オロボ46

その犬は今までわからなかった。なぜ、自分の周りで踊るのか。




 エスカレーターの動作音が、細く下に深い通路に響いてる。


 暗闇の中、老人の持つ懐中電灯は下の段に立つふたりの人影を照らしていた。


 手前にいるのは、黒いローブを身にまとった人物。

 頭にかけるフードは下ろしており、長めのウルフカットの髪形が見えている。体形は女性のようだが、何もないコンクリートの壁を興味深そうに眺めるその姿は幼い少女のような好奇心も感じられる。

 その背中には、黒いバックパックが背負われていた。


 奥にいるのは、亀の甲羅を身にまとった男性だ。

 バナナの皮のように黄色い肌を持ち、髪は手前の少女よりも長く伸びている。甲羅はとても偽物には見えず、まるで人の形を持った亀の化け物のようだ。


 懐中電灯を持った老人は、その場で伸びを始めた。


 まるで、数十分間ほど同じ体制でいたかのように。




「ア、見エテキタ」




 奇妙な声とともに、ローブの少女が鋭い爪が生えた人差し指で前方を指した。


 その先に、かすかな光が近づいてきた。











「……まさか30分もかかるエスカレーターとはな」


 老人は手にしているスマホの時計を眺め、上を見上げた。


 ここは、巨大な渓谷の底。


 赤茶色の崖の下から見える青空は、線にしか見えなかった。



「アア、ココマデ深イカラ、今マデ人間ハ入ッテコナカッタンダ」

 亀の化け物は懐かしそうに周りを見渡しながら答えていると、先ほどまで周りを見渡していたローブの少女が亀の化け物に振り返った。


「ソレジャア、イワユル“変異体ノ巣”ッテコト?」


 影のように黒い肌を持つローブの少女には、眼球がなかった。


 代わりにあるのは、青い触覚。

 本来は眼球が収まるべき場所から生えており、まぶたを閉じると引っ込み、開くと出てくる。化け物だ。


「俺ラ“変異体”ノ姿ヲ普通ノ人間ガ見ルト、恐怖ニ襲ワレル。変異体ノ巣ハ、ソンナ変異体タチガ隠レ潜ム集落ノヨウナモノダ」

「それじゃあ、他にも変異体がいるのか? 見たところ、誰もいないようだが……」

 老人の言う通り、周りには誰もいなかった。

 亀の化け物……変異体は一瞬固まったあと、頭をかきながら静かに笑った。

「マア、イロイロアッテナ……ソンナコトヨリ、先ニ進モウ。アンタタチニ見セタイモノハコッチニアル」


 先に進む亀の変異体に対して、ローブを着た少女はその後についていこうとする。


「ちょっと待て、“タビアゲハ”」


 それを老人は制止する。


「“坂春サカハル”サン……ドウシタノ?」

「……フード、被り忘れているぞ」


 “坂春”と呼ばれた老人に指摘されたタビアゲハは、慌ててフードを被り、触覚を隠した。

 そして笑みを浮かべるタビアゲハに対して、坂春はそれでいいと言わんばかりにうなずいた。


 この老人、人間だが顔が怖い。

 派手なサイケデリック柄のシャツに黄色のデニムジャケット、青色のデニムズボン、頭にはショッキングピンクのヘアバンドの独特なファッション。

 その背中には、タビアゲハのものよりも新しいバックパックが背負われていた。






「シカシ、改メテオ礼ヲ言ワセテホシイ。アノ時ハ本当ニ助カッタ」


 先頭を歩く亀の変異体は、目線を合わせないまま礼を述べる。

 それに対して坂春は、特にたいしたことのなさそうな表情をしていた。

「助かったといっても、ひっくり返って動けなかったのを起こしただけだが」

「イヤ、アノママデハ人間ニコノ姿ヲ見セテシマウコトニナッテイタ。2人ガ側ヲ通ラナカッタラ、ココニハ戻レテハイナカッタ」

 その後ろでタビアゲハは亀の変異体をじっと見て、声に出さない小さな思い出し笑いをした。

「ソウイエバ、最初ハ坂春サンヲ疑ッテアマリ口ヲ利カナカッタヨネ」

「そこでタビアゲハが顔を見せて、ようやく信じてくれたんだよな」

「アア、ナンダカ恥ズカシイトコロヲ見セテシマッタ……」


 亀の変異体は頬を赤らめて、背中の甲羅をかきはじめる。


 ふと、なにかを思い出したように立ち止まり、タビアゲハに顔を向けた。


「トコロデ、本当ニコンナ礼デヨカッタノカ? 他ニモデキルコトハアルノニ……」


 まるでしばらく晴れなかった疑問を抱えているように、亀の変異体はタビアゲハにたずねる。

 タビアゲハは当然のように、うなずいた。


「ウン。私ハコノ世界ノ全テヲ見ルタメニ旅ヲシテイル。ダカラ、他デハ見ラレナイモノガアルナラ、ゼヒ見テミタイ」


「……変ワッタ変異体ダナ。人間ト旅ヲシテイルノモ含メテ」


 ちらりと坂春を見ると、亀の変異体は再び歩き始めた。


 タビアゲハに首をかしげながら顔を向けられて、坂春は両手の手のひらを細い空に向けて上げた。






 やがて、3人は立ち止まった。


 目の前にあるのは、半透明の巨大なドーム。


 ドームの外には足のアメンボの足のようなものが生えており、


 中には弱々しい犬が、眠っている。


 そのしっぽは異様に長く、ドームの頂上につながっていた。




「アレッテ、変異体?」

 タビアゲハが中の犬に触覚を向けていると、亀の変異体はドームの前に移動した。

「アア……俺タチハ、アレヲ族長と呼ンデイタ」

「この変異体の巣を仕切っていたのか?」

 指をさす坂春に、亀の変異体は首を振る。


「イヤ、俺タチガ勝手ニ呼ンデイタダケダ。カツテハタダノ尻尾ノ長イ犬ダッタガ、急ニコンナ姿ニナッタ。ソレカラ、コノ渓谷ニ落チテ肉片トナッタ死体ヲ食ッテ、光ルヨウニナッタノダ」


「それで……どうして族長と?」


「アノ光ヲ見ルト……ソノ死体ニ哀レミヲ抱クヨウニナッテ……セメテ慰メルタメニ、舞ヲ踊リタクナル。ソウシテ皆デ集マリ、舞ウ。光ガ消エテ舞ガ終ワルト、皆、充実シタヨウナ顔ニナルンダ」


 そこまで言って、亀の変異体は小さくため息をついた。


 そして、細い空を見上げる。その時を思い出すように。


「ソレガアル日、アル女性ノ死体ヲ目ニシタ時、族長ハ食ワズニ遠吠トオボエシカシナカッタ。ソレ以降、族長ハ死体ヲ目ニシテモ何モシナクナッタ。マルデ、飼イ主ヲ失ッタ犬ノヨウニ。ソレカラ、コノ変異体ノ巣モ活気ヲ失イ、皆、自暴自棄ニナッテ、出テイッタ……」



 感情深く語る亀の変異体の横を、タビアゲハは通り過ぎた。


 荒い息をしているように舌を出して上半身を上げ下げしている犬を、タビアゲハはドームに近づき外から眺め、


 亀の変異体に顔を向けた。


「ドンナ舞ヲ、踊ッテイタノ?」


 亀の変異体はしばらく目を丸くし、戸惑うように口を開いた。


「舞トイッテモ……皆、バラバラナ舞ヲシテイタカラナ……タップダンスカラ、盆踊リマデ……」




 その言葉にタビアゲハはうなずくと、


 犬が入っているドームの周りを回りはじめた。


 まるでいろんな角度から眺めるようなタビアゲハのしぐさに、


 亀の変異体は首をかしげ、坂春は何をしているのか理解しているようにうなずき、


 ドームの中の犬は、無視するように息をし続けていた。




 やがてタビアゲハは、くるくる回るようになった。


 足を踏み出すごとに、その場で1回転。


 音楽もない、回転に手の振り付けを足しただけの単純な舞。


 それでも、どこかちょうの羽ばたきのような美しさのある舞だった。




 それを見ていた坂春は、一瞬だけ盆踊りの振り付けを踊ろうとしたが、


 すぐに首を振り、手拍子を始めた。ちょっと恥ずかしいのだろうか。




 その横で、亀の変異体は体を震えさせていた。


 今にも、踊りたくて仕方ないように。




 やがて、亀の変異体はドームの側に飛び出した。


 タビアゲハとは反対側の位置で、亀の変異体は足を鳴らした。


 ドームの外側を周りながら、タップダンスを踊った。




 手拍子と足音に合わせて、


 ふたりの変異体は舞う。




「……充実シテイタノハ、光ヲ見タカラジャアナカッタ」


 ふと、そんな声が聞こえたような気がする。






 その光景を、犬は穏やかそうな目で眺め、






 大きく息を吸って、はいた。

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