死地華戦記

アオイ・M・M

幕前劇

※作中の時間、距離、重量の単位、慣用句などは読者に合わせて翻訳されており、舞台となっている世界のそれとは必ずしも一致しません


※この物語はフィクションです。実在の人物や団体、国家などとは関係ありません。








モルフェ・ヒーガンディースは直立不動の姿勢で部屋の隅に立っている。


その表情は、人形のように微動だにしない。

瞬きのためにまぶたを上下させる動作が無ければ、本当に人形に見えた事だろう。



認識阻害術理アプセンスによって彼女のを含め、室内の誰も彼女の存在に気づいていない。


室内には、彼女を含めて3人の人影がある。

ぎしぎしと寝台を揺らす2人分の人影はどちらも男。


汗に濡れた肌が、安宿の貧弱な投光術理の光を反射しててらてらと光っていた。


一瞬の減速、そして再加速。

前後に律動を続ける男の腰が不規則な挙動を示す。


組み敷かれた少年が甘い声を上げて身体を曲げ、男にしがみつく。

組み敷いた男が、男の腰の律動が止まる。

最奥を貫かんばかりに腰を押し付け、そして震えた。

男が精を放ったその瞬間を、モルフェは冷静に観察している。



――その瞬間、だった。


少年の腕が跳ねる、いつの間にかその五指は細い金属の針を握っている。


行為の最中、精を放った瞬間、最も無防備な瞬間を狙った完璧な一撃。




だが、そこには誰にも悟られぬまま第三者がいる。

モルフェは迷うことなく、直立不動の姿勢のまま待機状態にあった斬撃術理カットラスを起動。




少年の二の腕にぐるりと朱線が刻まれる。



悲鳴は上がらなかった。

肘の上で右腕を切断された少年はそれでも転がるように寝台から落ち、床に落ちていた服に隠していたであろう短剣を、残った左手で逆手に油断なく構える。



男は、驚いたような顔をして少年の肘下だけになった右腕を握り目を瞬かせて、



「いや何してんの」



と呆れたように言い放った。




我が主スターレ、その男娼は刺客です」



モルフェ・ヒーガンディースは明白な事実だけを口にする。

男はぽり、と左手に握った少年の右手の指で自分のあごを掻く。



「――いやそうじゃなくて、なんで斬ったの

 かわいそうじゃないさ」



男がモルフェに視線を向けた瞬間だった。

男娼――、数瞬前までそのフリをしていた刺客は短剣を投げ放ち、同時に安宿の窓を突き破って闇の中に消える。




「あーあー、行っちゃった……」



暢気に、だが惜しむように言い、男は短剣の突き刺さった枕を適当に投げ捨てる。

寝台から降りて床に降り立ち、男根がかぶっていた性病予防の樹脂被膜オーバースキンをはぎ取り、部屋の隅のゴミ箱に投げ込んだ。




「気付いておられたのですか?」



「針握った辺りでさすがにね」



「私の見立てでは挿入から10分と経たずに針を握っていたように思うのですが。

 それからずっと刺客と気づいたまま性行為を続けていたのですか?

 我が主スターレは知性と理性が性的快楽より勝るか、あるいは生命の価値が性的快楽より劣るのか、そのいずれかの価値観をお持ちでしたか、驚きです」




握ったままになっていた刺客しょうねんの腕を、どうしたものかと扱いあぐねていた男は、モルフェの罵倒としか思えない台詞に苦笑いを浮かべ、結局樹脂被膜オーバースキンと同じゴミ箱に投げ込んだ。


酷い扱いではあるが致し方ない。

既に腕の断面は腐敗臭を漂わせ、じゅくりとした肉がしたたり落ち始めていた。

あれでは接合治癒術理でも再接合は叶うまい。


恐らくは少年は生粋の暗殺者、死体から依頼人を探られる事がないよう、死体どころか切り落とされた四肢すら速やかに腐敗する、ある種の術理回路を埋め込まれていたのだろう。



少年が刺客だと気づいたまま行為を続けた主人も大概ではあるが。

主が抱く男娼が刺客と気づいてもなお、最後まで見守っていた従者も大概であった。




「――追え、死なせるな」



短く端的に与えられた命令にモルフェは頷き、音も無く割れ窓を抜けて闇に消える。







++++++++++++++++++++++++++++++++++++




少年かれは物心ついたころから殺し屋だった。


それしか金を稼ぐすべを知らなかった。

最も古い記憶は、小銭と短剣を握らされ、名も知らぬ男を後ろから刺し殺す光景。


腕力ちから知恵あたまも足りない子供にできるのは。

半日の食費にもならない金で人を殺す事だけだった。


成功ばかりではなかった、失敗して暴力を振るわれたことも何度もあった。

その度に生還したのは生き汚さと、なによりも運。


少年は学んだ。

どうすれば失敗しないのか、どうすれば安全に、一方的に殺せるのか。


油断させること、それが何よりも重要だと気づいたのはいつだったか。

腕力ちから知恵あたまもなく、幼い彼が成功できたのはそのせいだった。


としを重ねるにつれ警戒されやすくなった、油断させづらくなった。

そのくせろくな食事にもありつけない体は育ちもせず貧弱だった。


数えはじめて3度目の失敗のあと、殺そうとした男は彼を殺さずに犯した。

自分を犯している男が隙だらけだと気づいたのはその最中だった。


3度目の失敗は、結局成功に終わった。

それからしばらく、彼は失敗を知らなかった。


だが4度目の失敗は最悪だった。

自分と同じようなことを組織立ってやっている連中がいると知ったのはその時だ。


野良犬はその日から飼い犬になった。


待遇は決して良いものとは言えなかったが、独りで生きていくよりは楽だった。

だが同時に思いもした、独りで生きる方が楽しかったとも。


息が詰まる暮らしが続いた。

顔色を窺い、媚び、油断を誘うのは殺すための手段だったはずなのに。


男に、女に、股を開き腰を振り、嬌声を上げてみせ嬌声を上げさせるのは全て。

殺すための手段だったはずなのに、と称して殺すことも許されない組織の上役に組み敷かれるのは苦痛だった。


着飾ることを覚えた、化粧を覚えた。

男に媚びる術も、女を喜ばせる術も覚えた。


それなりに上手くやって来たつもりだった。

だが、現実はこうだ。


傷の出血を抑え、猟犬や追手の追跡を免れるようにするための術理回路という触れ込みをまるっきり信じていたわけではもちろんない。

今までに手足や指先を失うような大きな怪我をしなかったせいで気づかなかった。


この身に刻まれた術理回路はそんな生ぬるいものではなかった。

右腕の切断面は異様な色に変色し、不吉な臭いを漂わせている。

術理に関しては素人の彼にもわかる、この傷はもうダメだ。


人気のない路地をよろめきながら駆け抜ける。

逃げる、逃げ帰る、どこに?


――失敗した自分は今度こそ死ぬのではないか。


不吉な絶望が鎌首をもたげて暗闇の中から自分を見ている気配がする。



集合地点に待っていたのは老若男女を問わぬ数人の人影。

見た限りでは武装もしていない、統一感もない、どこにでもいそうな人影。


逃げ出したままの全裸、右腕は肘上からない。

言い訳をする暇は与えられない。


温和な笑みを浮かべた老人が自然な足取りで歩み寄る。

唇は音を紡がなかった。


――ただの木の杖にしかみえないそれは斬撃術理カットラスを帯びていたのだろう。


無造作に杖が振られたとき、少年の両脚は膝上から切り飛ばされていた。

悲鳴すら上げられず地に伏して、最後に残された左手を地に突いて状態を起こす。


左手のひらを地面に縫い留めるように杖が振り下ろされる。

縦に割れた左手は腐ったドブ色の血を流しながら痛みを訴えてくる。


悲鳴や泣き言を口にする暇はない。

自分が有用だと示さねば命はない。


だが、もうどこに有用さがあるだろう。

歩くことはおろか立つことすらかなわない。

物好きな、あるいは悪趣味な貴族の慰み物になるくらいが関の山。


そう思った、思ってしまった。

だからもう、紡ぐ言葉は見つからなくて。




「——そこまで。

 主命によりその少年の命、預からせて頂きます」



振り返る事すらできず、その言葉に身をすくませる。


あの女だ。

いつの間にか部屋の中に立っていた女。

フード付きのマントですっぽりと身を包んだあの女。


少年の右腕を斬り飛ばしたあの女が。

今自分の背後に立ちなぜか自分の命を預かると言っている。

殺すなと、言っている。



老若男女を問わぬ人の群れが、屍肉に群がる虫のように蠢いた。


女を殺す、そのために。


どうでもよかった、どちらが勝っても同じこと。

彼にはもう未来など、ない。


だが女に勝利はあるまい、彼らは彼のような暗殺者ではない。

真正面から、武力を持って叩き潰す事を生業とする殺人者。


肉が断たれる音がした。


肉が潰れる音がする。


人体が解体されていく音がした。



「——絶望するのはお早いですよ。

 我が主スターレは厚顔無恥、一度抱いた相手には無駄に優しいので」



女の、声がした。

首を捻じ曲げてどうにか視線をあげる。


芋虫のように地を這う自分の横に、返り血を浴びたあの女が立っている。



「なん、で」


「是非を問うな、主命である」



いっそ無慈悲なほど苛烈に、淡々と。

そう告げた女の顔は見えない。




「そうそう、キミが気に入った。

 それで命を拾うには十分な理由だ、俺にはね」



いまだ地に伏す彼の正面。

老若男女を問わぬ人の群れ、屍肉に群がる虫のような。

殺人者の群れの向こうに、男が立っている。




〈鋼の骨子は血に飢える。——目覚めよ〉


男の口から言葉がこぼれた。

起動句の韻が踏まれる術理起動


男の手には片手斧ハチェットが一つ。

肉厚で、武骨な、ただ骨肉を断ち割るためだけの武器がある。


散歩するような気やすさで男が歩く。

無造作に振られる片手斧ハチェットが一つ。



まるで嵐のよう、だった。


吹き荒れるのは斬撃術理カットラス


風のように。


一陣の風のように。


あっさりと殺人者の群れが死ぬ。




男は片手斧ハチェットを気安い調子で肩に担ぎ、名乗る。



「俺の名は〝名無しラス〟。

 ——さあ、次は君の名前を聞かせて貰えるかな?」



少年の名はニェト、そう呼ばれていた。


ふざけた名前の男は薄く笑い、名を告げた少年に言った。




「ふむ。

 では今日から細月ニルトと名乗ると良い。

 君にはきっとその方が似合う」





それが出会いで、それがはじまり。

さあ、みなみなさま、これにて幕前劇は幕引きでございます。


幕が開く、これはある男の物語。





















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