魔女のなんでも屋 ~魔物のお悩み、解決します~

坂木持丸

第1話 開店準備


 ――魔女のなんでも屋。

 あなたのお悩み解決します。魔物のお客様も大歓迎!


「よし、と」


 わたしはお店の前に立て看板を出してから、ぐぐぐ……と伸びをしました。

 森の朝霧の香りが、すぅっと鼻から胸へと広がっていきます。


「ん~……」


 静かな朝でした。

 森がまどろんでいるような、ひんやりとした静寂。早起きなコマドリのさえずりが時折聞こえてきては、ふたたび、しんと沈黙が降ります。


 5月に入り、朝の寒さは少しやわらいできましたかね。

 ヴァルプルギスの夜も無事に終わり、春だなぁ、と感じる今日この頃です。


 森たちも緑に色づき始め、庭の菩提樹もハート型の葉をつけ始めました。

 近くのブナ林では春を告げるブルーベルの花が咲き、妖精や小人たちがお花見を楽しんでいる光景が見られます。


 春といえば、魔女にとっては一番忙しい季節。

 薬草採取や、菜園の手入れなど、春はやることがいっぱいです。

 冬ごもりしていた魔物たちも、そろそろお店にやって来るでしょうか。

 これから、いろいろと忙しくなりそうですが……。


「ま、ぬるっと頑張りますかー」


 わたしは両頬をぺちんと叩いて、お店の中に戻りました。



   *



 ――大樹海。

 そこは、まだ人の手の入っていない自然の世界。

 そんな森の中にひっそりとたたずむ小さな洋館が、わたしのお店です。

 まあ、お店といっても、お客さんはそうそうやって来ませんが……。


 お店の扉に営業中の看板を下げたものの、少し暇を持て余します。

 わたしは椅子にじっと座り、しばらく暖炉でぱちぱちと薪がはぜるのを眺めていました。


 そうしていると、いつものように、さわさわと絹のこすれる音。

 それから、小さな女の子が朝食を運んできました。


 絹のような白髪に、白い絹のドレス、干したてのシーツの匂い。

 毎日、顔を合わせている同居人の子で

 しかし、彼女の顔や名前は思い出せません。


 シルキーとは、そういう魔物です。

 古いお屋敷に現れて、気づいたら家事をしていて、しかし顔や名前はどうしても思い出せない……そんな不思議な家事妖精なのです。


「ありがとうございます、シルキーさん」


 名前を呼べないので、絹衣を着る人シルキーと呼ぶしかありません。


「……」


 シルキーさんは、こくりと無言で頷くと。

 今度は、わたしの髪をブラシですき始めました。


「……っ! ……っ!」


 背伸びをして、忙しそうにブラシを動かします。少し寝癖のついたわたしの水色の髪は、ブラシに引っかかって、ちくちくと痛みました。


「あ、あの、シルキーさん。自分でやりますから……」


「……」


「いえ、なんでもありません」


 無言の圧力、というものを感じました。

 邪魔するな、とでも言いたげな……。


 ちなみに、よく誤解されますが……シルキーは召使いではありません。

 “住民”のために家事をしているのではなく、“家”のために家事をしているのです。


 その辺りが、ホブゴブリンやブラウニーといった家事妖精との違いでしょう。

 シルキーは見返りを求めない代わりに、勝手に家事をおこないます。

 こちらが嫌だといっても、無理やり家事を続けます。

 そのうえ、住民が自分で家事をこなしてしまうと、シルキーは怒って住民を家から追い出そうとするのです。


 独自の価値観で動いている、不条理な存在。

 魔物というのは、そういうものです。


「……♪」


 シルキーさんが勝手にわたしの髪を編み込んで、彼女好みのヘアアレンジを加えてきますが、わたしはなすがままでした。

 まあ、とりあえず今は、朝食を摂りましょうか。


「いただきまーす」


 今日の朝食は、蜂蜜チーズサンドのようですね。

 軽くトーストしたパンに、サイクロプスさんからもらった羊乳チーズと、ドライアドさんの蜂蜜とを挟んだものです。

 わたしの大好物なんですよね、これ。

 作ってくれたシルキーさんには感謝です。


「ん~」


 かぶりつくと、ジューシー。

 この甘ったるさがクセになります。


「……(ふきふき)」


「あ、ありがとうございます」


 蜂蜜が口の端につくと、シルキーさんがすかさず口元をぬぐってくれました。

 かいがいしすぎて、ダメ人間になりそう。


「ふぅ……」


 蜂蜜チーズサンドをお腹に収めたあとは、自家製ハーブティーで一息つきます。

 ゆったりとした一時です。

 この時間、他の人間たちがせっせと働いていると思うと、実に気分がいいですね。


 ――ビバ・スローライフ。


 それからしばらく、暖炉の火を眺めながら、ぼぉっとしていますと。

 庭のほうから、からからと小さな車輪のような音が聞こえてきました。

 来客でしょうか。


「~~♪」


 わたしは鼻歌混じりに立ち上がり、姿見で服装をチェックします。

 鏡に映っているのは、いつも通りのわたし。


 清らかな水色の髪に、薄氷のような繊細な白肌。

 センスのいいおしゃれなエプロンドレスは、わたしの可愛さを十全に引き立ててくれています。


 寝癖よし、顔よし、服よし、ルックスよし、スタイルよし。

 あとは、胸元のリボンをちょっと整えてあげれば――。



 ――パーフェクト美少女、降臨。



「さて、と」


 それじゃあ、今日もぬるっと頑張りましょうかー。


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