第二章

第1話   お見合いのその後

 お見合いの後、断って欲しいと父にお願いしたけれど、それより早く円城寺さんから『この交際を前向きに考えて欲しい』と連絡が来ていた。



「美緒、すまないが、このまま交際を続けて欲しい。相手は母さんの友人のお孫さんだ。無下にはできない」


「わたしは静美じゃないわ。大学4年生でもないのよ?早めに結婚して欲しいなんて言われたって、わたしは学生よ。それにずっと騙したままお付き合いなんてできるはずがないでしょう?」


「そこをなんとか、誤魔化してくれ。円城寺さんに嫌われるようにしてくれても構わない。むしろ、嫌われてこい」


「はあ?嫌われるって、どうしたら嫌われるのよ」



 男女交際すらしたことのないわたしに、いったいどんなお願いをしてくるのやら……。



「普通にしていたら、嫌われるかもしれない」


「その言い方、酷くない?わたしは普通の状態で嫌われると思うの?」


「そうは言っていない」


「そう聞こえたよ」



 父の言い方に腹が立った。


 まるでわたしが存在するだけで、嫌われると言われたようだ。


 昔と少しも変わっていない。



(わたしは要らない子?)



「お父さん、わたしが静美じゃないって言ってもいい?」


「それは駄目だ。母さんに知られたら、また心臓発作を起こしてしまう。今度発作を起こしたら命の保証はできないと言われているんだ」


「お父さんはお婆さまとわたしのどっちが大切なの?」


「美緒、どっちも大切だ。命の重さは同じだろ?」


「……そうね」



 わたしはどうかしていた。


 父の言うとおり、命の重さを選んではいけない。わたしは何を期待していたんだろう。父がわたしを選ぶはずがないのは、幼い頃からのわたしに対する態度で知っていたはずなのに。もし、母とお婆さまを比較したら、父の事だから母を選ぶはずだ。



(愛されていない娘って、悲しいわね)



「お父さんは、美緒を大切に想っている。その事は覚えておいてほしい」



 わたしは本心かどうかも分からない父の言葉にただ頷いた。


 扉がノックされて、母が部屋に入ってきた。



「美緒、お婆さまが、お呼びよ。急いで着替えて」



 この部屋に3人は多すぎる。歩く場所もないのに、無理矢理部屋の中に入ってこないで。



「美緒、すぐに着替えて、お婆さまの部屋に行ってくれ。いいな?」


「嫌だって言っても、行かなくちゃいけないのでしょう?」


「月、20万払う。どうだ?今までの給料より高いだろう?」


「お金で解決させるつもりなの?」


「バイトを辞めさせたのは、お父さんだ。ちゃんと給料は払う」


「分かったわよ。けれど、わたしが静美ではないと気付かれても文句は言わないでね」


「それでいい。母の世話をすることと、母さんが納得するように、円城寺さんとお付き合いをしてくれれば」



 わたしは盛大なため息をついた。



「着替えてくるわ」


「お願いね」



 母がホッとした顔をしている。


 両親が部屋から出て廊下に立っている。


 わたしは両親の前を通って、姉の部屋に向かった。


 部屋の灯りを点けて、箪笥の一番上の引き出しから着物を取り出す。


 着付けと茶道だけは、子供の頃から習わされていた。姉と一緒に母に習い、この家の娘として恥ずかしくない教育をさせられていた。




「お婆さま、お待たせしました。お茶を入れて参りました。入ってもよろしいでしょうか?」


「どうぞ、お入りなさい」


「お邪魔いたします」



 わたしは礼儀正しく、祖母の部屋に入った。


 お茶は母が淹れてくれた。



「静美ちゃん、ありがとう。よく気がつくいい子だわ。ちょうど、お茶が飲みたかったのよ」


「それは良かったです。どうぞ、熱いので気をつけてくださいね」



 祖母は布団から起き上がって、ソファーに座っていた。


 センターテーブルにお茶を丁寧に置くと、わたしはソファーに座らず、畳の上で正座をした。



「静美ちゃん、足が痛くなるわ。ソファーに座りなさい」



(お姉ちゃんはソファーに座ることを許されていたのね。わたしは一度も座ったことはないわ)



「さあ、いつものように椅子に座りなさい」



(いつものように?お姉ちゃんはどこに座っていたのだろう?)



 わたしは分からなくて、そのまま畳の上に座っていたら、祖母は写真を一枚テーブルに置いた。



「さあ、こちらにいらっしゃいな」



 写真が置かれた前に移動して、わたしは初めて祖母のソファーに座った。



「この写真は、円城寺光輝さんのお爺さまと三人で撮ったものなのよ」



 わたしは写真を手にした。


 若い女性と女性を挟んで、二人の男性が写っていた。



「わたくしと主人と円城寺猛さんよ。まだ若くて、見てもわたくしだとは分からないでしょう?」



 よく見ると、その面影はある。確かにお婆さまと亡くなったお爺さまのように見える。



「お婆さまだと分かりますわ。面影があります」


「そうかしら?」


「主人と猛さんは、わたくしをどちらが娶るか勝負をなさったのですよ。テニスの勝負をなさって、わたくしは主人と結婚しました。その時の条件として、孫が生まれたら二人を結婚させようと約束をしたのよ。猛さんのお孫さんの光輝さんは、猛さんに似て、とてもハンサムで仕事もできるお方です。わたくしの孫の静美もどこに出しても恥ずかしくない令嬢に育ちました。二人が結婚すれば、きっといい家庭になるでしょう。今日のお見合いで、光輝さんから、是非、結婚を前提にお付き合いをしてみたいと連絡が来ました。光輝さんと仲良くなりなさいね」


「はい、お婆さま」


「静美はいい子ね。お婆さまの自慢の孫よ」


「……はい」



 祖母は飲み頃になったお茶を飲み出した。


 目の前にいるのが、本物の静美だと分からないのに、いい家庭ができるか分かるのかしら?


 本人達は置き去りにされたお見合いのように感じるけれど、光輝さんはこの結婚に本気で乗り気なのかな?お爺さんの猛さんに命じられてお見合いをして、勝手に結婚話が進んだのかもしれない。さりげなく、聞いてみるのもいいかもしれない。破談にできる糸口が見つかるかもしれない。



「お婆さま、お体に障りますから、そろそろお休みしたほうがいいと思いますわ。お婆さまのお体が心配なのです」


「静美ちゃんが言うなら、そろそろ休みましょうか」


「お布団に入りましょうか?」



 わたしは立ち上がると、祖母の近くに寄り、手を差し出す。


 祖母の手が、わたしの手に重なり、立ち上がった。


 痛いはずのない掌が痛む。


 きっと心の痛みだ。


 祖母を布団に寝かせて、電気を消すと、テーブルの上に置かれた湯飲みをお盆に載せて、部屋を出て行く。



「おやすみなさい、静美ちゃん」


「おやすみなさい」



 静かに襖を開けて、廊下に出た。


 外の空気を吸ったら肺が軽くなったような気がした。




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