第10話

〈バイト八日目〉

 十月。研修期間が終わり、十五夜に倣って開眼した私の顔写真とバーコードの貼り付いた名札を制服に付け替える。これで私も一人前扱いだ。早く倍加しなければ。

 しかしこれからは復習続きだろうと侮った先のレジ、ローラさんの隣には初対面の相手が二人居た。登場人物は出尽された気でいたけど。一人は私に気付くと向き直って会釈する。

「初めまして。こちらで働かせて頂くことになりました鮫島さめじまと申します」

 私がペーパータオルに水分を染み込ませる間、姉御肌質の風貌ながら丁寧な物腰で紹介文を述べる。急いでゴミ箱に放り投げこちらも口慣れた定型文を届ける。

「ゆずちゃん。宜しくお願いします」そう言う鮫島さんも隣人と同じく夕方上がりの主婦型らしく「じゃあ失礼しまーす」数秒の顔合わせに終わる。正規雇用は難しかったのですかね等の無駄口は破棄した。幾ら話を盛り上げようと思ってもここで引き留めるのは不適当だよね。

 もう一人はおでんくん。メニューを履いた銀鍋が読み通りの席で荘重に趺坐する。まだ吐息は目に見える時期を迎えていないけれど湯気を上げに来たか。私の脳味噌が大好きなマニュアル嚢虫が絶滅を知らない。

 少しすると川田さんが出てきて「おでん初よね。教えてあげるわ。あ、それ面白い顔ね」胸元に目配せして言ってきた。川田さんの方が面白いですよ。

「すみません、教えてもらってばかりで」

「いいのいいの。今年のおでんは一昨日から販売スタートしました。具材は大根、卵、白滝、昆布、半片、蒟蒻、餅巾着、豆腐、竹輪、竹輪麩、薩摩揚げ、がんも、つみれ、牛すじ、鶏もも串」

 共同浴場で長風呂する彼女達に名前が与えられる。半身浴する半片は魅力的だが一瞥の限り薩摩揚げとがんも、つみれ、牛すじと鶏もも串の判別が付かない。私ったらコンビニおでんも経験無いのよね。注文が恥ずかしくて。

「作り方を言うと材料はいつも通り冷蔵庫の中、具がセットで右側、汁の素が左側にあって、仕込みの時は上の棚にあるカップに仕込み用の汁の素を一つ入れ、ポットのお湯を線の高さまで注ぐ。汁が鍋の半分を下回ったら追加の合図で、補充用の汁の素を二つとお湯を入れて溢れない程度に鍋を満たす」

 仕込み用と追加用で味付け変わるのか。味の過度な侵食を防ぐ為かという想察は直ぐには生まれなかった。

「注文を受けたら『お汁の量は如何なさいますか』と訊いた具合に応じて汁と具を、横に積んだこの器にトングで入れて蓋をする。会計はおでんもFFの欄にあるから間違えずに押せば完了。箸を忘れずに」

 汁の量はお玉三杯分等と厳格には定まっていないのね。苦情が来ないよう過剰投与しておこう。

「あとそう、普段から声出しのセールスをお願いね。『只今おでん販売中です。如何でしょうか』と。あと今日から唐揚げ一個増量キャンペーンだからその声掛けも宜しくぅ」

 案の定あるのかその文化。客としては無意識化する程聞く音声だけど私がその当事者になるとは。

「声はどのくらい出せば良いんですか?」

「声量はゆずちゃんの普段の接客通りで良いけど、頻度は定期的、そうだねぇ凡そ十秒毎かな」いや無理だろ。

「はぁ……でもやってみます」

「お客さんの購買意欲を唆られるように頑張って。少ししたら暮沢くんが来てあたしと交代だから、その後は二人で宜しくよ」

 暮沢さんが顕現するまでの間、川田さんの監視の下レジ処理と声掛けに追われた。「唐揚げ如何ですかぁ」一度切りなら騒音被害までサービス出来るが喉が擦れる程何度も、且つ壁打ちの語りかけに着々と意気消沈する。去年までの中学の部活を思い出す。あ、苛々してきた。

 人員の確認が取れて川田さんは帰宅に向かったと思ったら、貧相な私服で私のレジ前に立った。アンアン紅茶花伝乗せが出来上がる。

「い、いらっしゃいませ?」

「唐揚げレギュラー一個ください」

「か、畏まりました」

 生来客一筋かの如く平然と会計を待つ成人女性。評定兼用かと慣れた震える手付きで多少嵩張る箱を取る。そう言えば増量中は製作時から六の倍数個揚げる必要があるのか。何にせよ三十個一袋分投下すれば問題無いね。

「ふふ。はいどうも」

 不器用な笑顔が無変形ながら女性はそれ以上伝えず退店した。そうだね店員が自店で買い物したって良い、寧ろ売上向上に繋がるものね。レジ側は今みたいに気不味いけど。私もいつかは有料で物品を持ち帰ろう。向こうからは強要出来ないだろうから。

 満を持して登場した暮沢さんは「唐揚げ一個増量キャンペーン実施中でございます。期間限定になります。この機会にお一つ如何でしょうか。おでんの販売開始致しました。大根、卵等美味しく仕上がっております。新商品のつくね串も販売しております。是非ご注文くださいませ」と百点満点の声掛けで客の心を沸かせる。隣の優等生の成績を汚い声で貶めたくない、あるいは迂愚とのコントラストで優良さが際立つのではないかと言い訳だけは星空満天、天文学的点数を誇る私は三分の一の質で接客する。

「暮沢さん去年末にこちらに来られたんですね」

「分かっちゃいました?バレないように立ち回ったつもりなんですけど」

「伏見さんに聞きまして。それなのに手慣れていらして尊敬します」

「前回は吉祥寺店で勤めていました。この店の方が手狭の割に人や商品が多くて大変ですね。今日はそこまでですが」

「あ、以前もコンビニで。そして遠い」

「電車で約一時間なのでそこそこですかね。全然平気です」

「不満足が隠し切れない表情ですけど。黒色に比喩可能です?」

「んー、最近は世間の目が厳しくなったので改善されたと思います」

「脱色を果たしたんですね。良かった。バイトの残業の有無に脅えていまして」

「それは禁止されているので安心して欲しいですが、嘗ては出退勤管理が報告のみだったりルーズでしたよ」

 ほぅ、私としては快適に過ごせる時代に生まれて来られた訳か。盛り下げ上手に即帰る傾向は正当性が保証されるね。

「普段の店内は今より混んでいます?」

「そうですねぇ。伸びる余地はあります。最盛期は年末ですが」

「経営的には問題無い範疇ですかね」

「そこは本部とのやり取りで……はは、ゆずさんは心配御無用の話です」

 微糖に笑う暮沢さんには背伸びした話題振りに思われたかもしれないが、私にとっては重要な事なのよ。

「この新商品のおでんの注文って多いですか?」

「おでんも昔程の人気は無いかなぁ。大体販売開始時期の一か月がピークなので今の内にセールスしましょう。やり方習いました?」

「はい、川田さんに御指導御鞭撻頂きました。金魚掬い宛らの集中力で挑みます」やったこと無いけど。

「加えて気になったのがドリンクコーナー前の瓶のお酒達で、購入されることあるんです?」

「全く売れなかったら置いてないですけど、缶に比べれば当然劣ります。深夜の購入客が多いのでゆずさんは対応が少ないかもしれないです。ウイスキーは見掛けると思いますが。何故気になりました?」

「袋詰めが不安でして。ワインの落下破損で誰かさんの血まで含む惨状を作り兼ねないですし」

「商品に興味を持つのは立派な事ですよ。大学で経済や経営を勉強されているんです?」

「いえ、ただ興味本位です。それと高校生です」

「あ、それは失礼を。ゆずさん忙しいと思いますけど学校の友達と遊ぶ時間確保出来ていますか?」

「全然平気です」殆ど居ないので。会話に泥流の予感がするので話を逸らそう。

「今日研修期間終了後の初出勤なんですよ」

「早一か月ですか。記念に一杯奢りましょうか?コーヒーで」

「いやそんな心算ではなくて。これ以上何か新しい仕事ありますか?」

「現金管理とFFの連絡は未体験のはずですよね。取り敢えずそれを後で実践しましょう」

 まだあるのかい。身体化したメモ用紙に刺青を入れる格好は解消されなさそうだ。暮沢教官なら肩肘張らず習えるかな。こういう敬語使用を守りながら形成する友好の方が輩共が喧嘩後に錯覚する絆より気楽だよね。

 不漁続きの廃棄を経た八時半、予告済みのレッスンが開始する。

「大体この時間になればFF関係の廃棄を行います。まず本部送信用のFFと中華饅のショーケースの写真を撮ります。綺麗に写したいから値札と商品の配置が整うように調整してください。きちんと両方写ったら、レジ下の製造チェックシートで廃棄時刻を確認して過ぎている物を袋に入れて捨てます。後は退勤後で良いので店長宛に廃棄の内容に『お疲れ様です。店員の柏木ゆずです。廃棄確認の連絡をさせて頂きます』の文言を添えてメール送信してください」

 ふむふむこれは小難しい話ではないな。思い起こせば原田さんや伏見さんがレジの傍で私並みに不人気な子達を袋に軟禁していた。後で購入する心積もりなのか清々しい着服なのか判断に苦しんだけど。写真撮影は廃棄管理の証拠にする為か。それと何時ぞや店長から告げられたアドレスは下心の賜物ではないと了解した。退職際には迷惑メールに設定しよう。

「では実際にやってみてください」

「…………こんな感じで良いですかね」

 ローアングルで煽りながら撮りたい欲を抑えて真正面から切り取った、美的で凡庸な証明写真は認可が降りた。

「このシートを見ると何が廃棄とあります?」

「ファミチキレッドが二個廃棄みたいですけど、どれを取れば……」

「古いのが手前にあるはずなのでその二個を取れば良いと思います。本来売り切れ前に製造するのは良くないことですけど」

 いっけなぁいそれ作ったの私だわ。自分で置いた場所さえ忘れていたわ。勿論シートに記入もしていないわ。新旧問わず順に並べた気がするけど気のせいってことにしましょう。

「ゴミ箱に入れてチェックを付けて、終わりですか」

「後程メールお願いしますね。次は現金管理です」

 責任の荷重でヘルニアを罹患しそうな仕事が顔を出す。

「それ、一度流れは聞いたんですけど全然分かってないです」

「研修中は夜勤の方に頼んでいたのですが、今後はゆずさんともう一人のレジの方でお願いします。点検キーを押したら、このケースでレジにある硬貨を数えます」

 私が時間を摺り砕く施設に屯する兄ちゃん共が提げてそうな青い箱を広げる。硬貨別の収納列を初作品にして大傑作を創るべくじっくり埋める。

「一枚一枚数えると時間掛かって仕方ないのである程度纏めて詰めた後に整えると良いです。列に入り切らない硬貨は別で構わないので」

 速度優先だと分かり湯水を掬う感覚で移していると、何か一枚を落とした。四つん這いになり埃と懇意な床を金属臭い手で捜索する。あった、十円玉だ。これが五百円玉だったら見つけ易い代わりに損失リスクが高いと、世の中上手く出来ているものだと感心する。

「並べ終わったらお札含めそれぞれ幾つあるか数えて教えてください。こちらと合算してパソコン入力します」

 十回行えば十八回は数え間違えるだろう私の為を思ってか収納列には高さに応じた枚数表示があり、読み間違えさえ避ければ問題無さそう。

「数え終わったお金はドロワーの定位置に戻して、万券、一万円札だけはそこの金庫に入れます。そしたら裏に行きましょうか」

 生来初めて手にした量の札束を名残惜しく手放す。計凡そ二十一万円。倍が全体合計としてコンビニの売上ってこんなものなのね。幾らになれば首吊りの装飾が施されるのかいと想像する裏部屋へ。

「パソコンで『レジ点検』を押して……」

 以後は店長の研修通りの内容。兎に角それらしい場所をクリックして金額を書き込めば良いと。

「差額零円。今日はノープロブレムです」

「ほっとしますね」私は記憶外で強盗するような柔な人間ではなかった。

「と、こんな流れになります」

「了解しました。何とかなりそうです」

「頼みますね。まだ時間あるので最後に少しレジお願いします」

 学修後の余韻で残りを費やし、再び戻ると入れ替わりで店長が座っていた。メールの件を退職後の予定を除いて確認すると、退勤から三十分以内に送ればオーケーとのこと。

「給料は今月の何日に入るんでしたっけ?」

 守銭奴扱いされそうで先月から貯蓄していた疑問を打つける。

「来月の十五日。月末締め十五日払いだけど始めた月の分は再来月に回されるのよ。言ってなかったっけ?ごめん」

「来月ですか」

 あれれ、前回愈々給料月だと得意顔で言っちゃったよ。ここでもミスかい。締めというのはその日までの労働が給料となり支払日に振り込まれる、で合っているかな。応募以前は給料が封筒で手渡しと思っていた程だから細かい話は分からんのだ。

「ゆずさんもう研修期間終わったから、今度は人に教えられるようになってね」

 最後に新たなヘルニアの素を差し入れられて帰った。汁に溶かして廃棄してやりたいね。送信ポチっとな。


〈バイト九日目〉

「モモシオオイシソウ……モモタレオイシソウ……」

「食べちゃ駄目です」

「エー、イッポンクライチョウダイヨ」

「FF好きですよね。韓国のコンビニには無いんですか?」

「アルケドコッチノホウガオイシクミエル」

「私が作ったお陰ですね。手間暇掛けてボタン押しましたもの」

「ワタシツクレナイ。コンドオシエテクダサイ」

「あぁそうか。私と入った時期あまり差が無いんだ。日本に来たのも同じタイミングで?」

「ソウダヨ。オナジ、ナカマ」

「短期間でそれだけ日本語使えるの凄くないです?私が留学したら英語圏でさえ半日で日本人街へ逃げ込む姿が想像に容易いですけど」

「ハチガツニニホンクルトキメテ、ソコカラベンキョウハジメマシタ」

「零から二ヶ月で!私の年齢だと最低四年は英語勉強していますけど、ディスイズファミリーマートしか言えません」

「ニホンゴオボエヤスイヨ。ショウヒンノナマエハ、マダゼンブハワカッテナイケド」

「私も似た者なので安心してください。そう言えばおでん出ましたね。具材分かります?」

「ワカルヨ。オデンモオイシソウ。ワタシガンモスキ」

「渋いですね。私は何だろう。ウインナーあればそれ選びたいですけど」

「オデンノウインナーニガテ」

「えぇ美味しいのに。ポークフランクあるのでやってみます?」

「カッテカエッテヤッテミテヨ」

「善処します。ところでチェ……さんこのお店で買い物したことありますか?」

「タマニスルヨ。オカネナイカラ、ホントタマニ」

「私まだ買ったことないんですよね。給料と比較して『これと一時間分の労働が引き換えか』とか思うと買う気失せて。そう考えると廃棄は神の恵みですね」

「ワタシモハイキタスカッテル↑ナイトガッカリスル」

 そんな訳で本日はネタの尽きたメデイアのようにグルメ話が弾む何とかさんとの共同作業。実際人間なんて食っちゃ寝の存在とは思うけど。

「大根と餅巾着ください」商品雑談の花が枯れた頃、懸念の新人、おでんくんの注文が来た。「お汁の量はどうしますか?」業務内容への稀有な随順を見せ、「多めで」とは言うが結局匙加減なので虚しい問答である。しかしこのトング掴みにくいな。ぐへ、大根が半分に崩れた。これが廃棄になれば九十円と信頼の損失。私の給料から引かれるかもしれない。客の死角にて蓋で隠すように過大気味の容器へ入れた。一個増量キャンペーンです。客は幸運に喜び踊りながら「どうもー」と去った。

 蒔くべき種に悩む間、名の知れた緑服の運送屋が荷物を置きに来た。

「ここに置いときますね」

「あ、はい」三秒の滞在で男は消える。何かしらの資材かな。

「これここで良いですよね」何とかさんと憂いを共有するだけで深追いはしなかった。

「柏木、頑張れぃ」の一言だけ聞き取れたのは常連爺さん。初対面では冷凍食品より冷然としていた私の面構えも時間経過で火が通ってきた。

 綺麗な花は咲かないまま終業を迎え、裏で私と何とかさん、高幡さん、阿久津さんという出汁のはっきりしない闇鍋が完成する。何とかさんの目がクロールすることからおじさんズとの関係は私と大差なさそう。彼女には地球上に親しい友達居るのかね。ローラさんとは同じ時間帯によく居るけど。

 本日久方振りの収穫、海藻サラダ片手に帰ろうと拾うと「アッ」声が漏れる。そのまま唇を突き出す彼女の視線に耐え兼ねて「食べます?」譲ることにした。

「ワーアリガトウ!ユズサンスキ!」

 百九十八円が惜しかったのか、不思議とチルド食品程度には態度を保てた。


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