第8話

〈バイト六日目〉

 レジに収まる伏見さんを見て今日の体感時間は半分に、体感時給は倍額になるだろうという庶幾は奥側から登場した原田さんが打ち砕いた。普段以上に弱気な挨拶をすると対応して二人の声量は減衰する。若者同士しっぽり語り合えよという店長か偶然の無粋な計らいかい。

 更衣室代わりの冷蔵室は出撃前に一呼吸置けて都合が良い。万が一覗かれても最小限の精神的被害に抑える為、スカートに重ねてズボンを着用する。ふと室内を観察すると、廃棄時に巡回する一画の弁当、サラダ、スイーツ系が棚に控える他、清涼飲料水立ち並ぶ表の陳列棚に通じている。単なる客だった在りし頃の私は突然且つ人間味ある挙動でペットボトルが増える様を物恐ろしく思っていたが、こういう造りになっていると。この前陳を頼まれる日は来るのかと思いながら分厚い扉を低体温症傾向の手で開ける。

 レジに出た所で寒気は引かなかった。フライヤー付近で屯する二人を底辺に鋭利に伸びる出口側の頂点を演じる私は、背後にあった布巾とアルコールでレジを拭き掃除する。レジ横の三色饅頭と正に相方非取扱のライターを見つめて夢想の皮を被る。これを二人に向けて投げたら話題の火付け役になるかな。失敗すれば焼野原の終焉を迎えられそうで我慢した。三人の輪が形成されないのは本邦初の組合せが故だと思うから。二人は同じ大学に通っているのだろうか。それなら現段階で付け入る隙は無いが、三十日目には接客を忘れる程盛り上がることを祈る。

「ペヤングの新味置いてないの?」客の助け船は沈没船の擬装だった。そんなこと一介のアルバイターが知っている訳無いでしょう。奥の二人に救援を求めるか一歩だけ滑らせて、打ち止めにする。

「ご、ございませんでしたか?でしたら無いということで」

「いつ入荷するとか分かる?」

「そちらも、ちょっと分からないですね」

 何だ、呟いて去る。私も倣いたいが堪える。客からすれば店員同士の関係なんて透けて見えないものね。客と言葉数が同時に少ない店舗があれば今の私達のような状況だろうと当て推量が可能だ。

 程無くして原田さんは帰ってくれた。「じゃーねー」を伏見さんに「お疲れー」は遠くから私へ飛ばした。同じ時間帯にバイト三人はイレギュラーな状況だったようだ。シフトの割当ミスか原田さんの金銭欲求か知らないけど、生き地獄を試食させてもらったよ。二人になればクールダウンを挟んだ後、関係性の針が動き出す。

「この辺住んでいるの?」伏見さんから聞いてくれる。

「えっと、そうですね。歩いて十五分くらいです」

「うわ、めちゃ近いじゃん。徒歩圏内羨ましいなぁ」

「伏見さんは電車通勤で?」

「電車で二十分。家と大学の間だから良いけど」

「てっきり地元の人が多いのかと思っていました」

「遠い人結構多いよ。高校はこの辺?」

「東京の東の方です。電車で四十分なのでまぁまぁの距離ですかね」

「大学受験は?」

「します」

「東大?」

「違いますけど。あの、原田さんとは同じ学校なんですか?」

「別だよ。何で?」

「随分打ち解けているようなので」

「そりゃ約三年間一緒だから」

「え、大親友じゃないですか」学校でさえ二年と持った親交無いのに。

「因みに私以外にも新しい人って居るんですか?」

「柏木さんが一番新しいよ。彩華さんが今年の夏からで、他の人は少なくとも去年からは働いている。店長と川田さんは十年以上経営しているし、ローラさんも長い」

「へぇ」あの人がベテランなのは意外。加えて川田さんが立ち居振る舞い通り社員側であると判明した。

 舌に潤いが乗るにつれ心做しか客足は増え、レジのリズムに踊り始める。FFの注文が重複すると先に戸を開けた彼女が唐揚げレギュラーの摘出を手伝ってくれ、配慮の行き届きに吐息が漏れる。相変わらず温めの有無は聞き忘れるけど。

「アイスのブレンドで」その傍らカフェの操作は自信が付着してきた。磨き立ての黒いメニューを指しながら「サイズは如何なさいますか?」淡々と問えるようになった。ダージリン等を頼まれたら卒倒して吹いた泡がカプチーノと勘違いされるだろうけど。そう思って顔馴染みのボタンを刺激すると画面が赤く点滅し始めた。まさかこれが爆破スイッチかと期待したけど「コーヒー豆が不足しています」の表示で現実に戻された。毎回訪れる例外的事態で自信喪失には至るが、マシン上に中身を伴う黒い袋を見つけると素人目にも分かる豆が封入されていた。マシンの蓋を開けてこれを投入すれば、お、表示の血の気が引いた。よし、見目好く綱を渡り切れた。甦った活力で注いだ二百円を若干溢しながら渡す。

「荷物お願いね」六日目にして遂に来たか第二弾、というか来るのか、ゆうパック。椅子としての利用も検討可能なサイズの段ボールが堂々君臨し私の出方を窺う。

「少々お待ちください」潔く背を向けてどう行動すべきかメモを影に召喚する。伏見さんに縋り切りは不義だから。ふむ、まずはそこにあるピンクやら青やらの伝票を差し出せば良いと。

「こちら、どちらが宜しいでしょうか」二色提示することで責任を押し付ける機転を利かせた。

「着払いにしてください」

「それですと……これ、ですかね」薄く「着払」とある桜色の方を他方が無表記なのが引っ掛かりつつ渡す。

「どうも。ペンある?」と求める男性にメモ用のパイロットを捧げ、記入完了を怯えながら待つ。

「配達日は書かなくて良いんだよね?」

「あ、はい」知りませんが。

 これで良いですかねとお互い不安を交換するが、住所と名前が書いてあれば何とかなるだろうと取り敢えずバーコードを読む。すると「荷物のサイズを巻尺で測ってください」レジスターちゃんから頼み事された。伝票に寄り添うメジャーを発見して段ボールの外辺にそれらしく随える。最長辺が重要なら一辺、全体観を把握したいなら三辺、錐台を想定するなら六辺の測定が必要だろうが、特に説明の無い記入欄には六十、八十、百等と規模の典型があることから三辺が妥当として六十に印付けとレジ打ちをする。八百十円の送料が表れたかと思えば会計には零円と太っ腹な数字。あ、着払いだからか。後払いあるいは即払いと言ってくれれば分かり易いのに。後は確か一枚目を切り離してレシートと渡せば終わりだよね。

「あの判子は押さなくて良いの?」

「あ、す、すみませんっ」終わる所だった。いやそれが正しいのか覚えてないけど客が言うなら間違いない。日付の刻まれた印を叩きつけ「大変失礼しました」知った振りで遂に客を追い払った。はぁ。まだ何かしら抜けていると思うけど、よくやった方でしょう。残った二枚目と三枚目には各々取扱店控と荷物貼付用とある他、客と私の筆跡がトレーシングペーパーの要領で記録されている。成る程、こういう仕組みだったのか。シール状になっていた三枚目をビックリマンチョコの要領で貼り付け、二枚目は放置。そう言えば最近見ないなぁ。この店にはあるか否か後で調べよう。

 続いて私を煽り立てるのはモッピーのインターネット受付申込券。投げやりにバーコードを読み取り「OK」するとレジ側の小柄なプリンターくんが喘ぎ始めた。体調を窺っていると新橋色の紙を吐瀉して楽になった。手に取ると「インターネット受付領収書(お客様控)」「予約明細書」「取扱店舗控」の三部構成で、一番下を離して残りを二つ折で渡せば良さそうだと自身の購入経験に照らし考えた。また何か不十分な気はするが会計まで辿り着けたので良しとする。放置の書類が増えた。

「何か釣り銭不足って出ているんですけど」さぁ本日最後の難関はコピー機。これは確実に習っていないので近くに居た店長を呼び付けた。

「そうか、まだ教えてなかったっけ。じゃあ今教えるね。裏に来て」未だ親元を離れられない雛が後ろを這う。

「ここに鍵があるから持って戻る。機体下側、お客さんからは見え辛い場所にある鍵穴に挿して扉を開くと、お釣りのストックがあるでしょう。これに画面の表示を見て足りない硬貨を棒金から詰める。大体十円玉だけど。用紙が不足の時も同様。裏の棚に在庫あるから」

 文字に起こせば易化されてしまう機体内部の実状は煩雑なパーツ構成となっていて脳は処理を諦める。完全自動化あるいは電子化してください。それとお願いだから職場のコピー機を使ってください。私のレジの左には厄介者ばかり。右は違うと言えるようになりたい。

「それ箸付けて」何気なく袋詰めしていると隣の店長から言われた。

「ご、ごめんなさい」

「春雨も箸付けて。そうね、食器で注意すべき物を言うと基本的に雲呑や春雨、味噌汁等は箸、スープパスタはフォークスプーン、チャーハンはスプーンを付けること。全部この下に入っているから。お客さんの立場になれば分かると思うよ。一番良いのは『お箸お付けしますか?』と訊くことだね」

「了解です」久し振りに定着しやすい知識を授かった。電流痺れる機械類に比べれば食器の有無なんて可愛いものだ。軽い気持ちで間違えられる。

 八時手前、暮沢さんが御来迎する。続いて高幡さんの登場。店の接客力は最高潮に達する。

「暮沢さん良い人ですよね。高幡さんもですけど」

「あの人は神様。暮沢さん来て以来店の雰囲気変わったから」

「へぇそうなんだ。あれ、昔から居る訳ではないんです?社員さんですよね」

「去年の年末頃来たかな。有能だからあちこち助っ人に回っているんだと思う」

「するとその内居なくなっちゃうってことですか?」

「いつかはそう。暫くはここで働く予定だって言ってたけど」

「暮沢さん居なくなったら嫌だなぁ」

「わたしはそうなれば絶対辞める」

「あはは」そっちの方が寂しいとは口に出来なかった。

 時計が美しい配置を描くと「わたしも九時上り」初めて伏見さんと定時が被った。おいおい本気ですか。ここから帰宅までの流れをどう作ればいいのだ。裏へ同行するこの距離感、犯罪者と見誤られ兼ねない。「先に着替えていいですよ」と時間を稼いで思索するが有望な作戦は生まれなかった。代わって私の着替え中、この間に帰ってしまうかもしれないという裏切りは杞憂として椅子に凭れる彼女が居た。狭い閉所で二人きり。耐え切れなくなって、噤んでいた問いを発する。

「皆さんどのくらい仲良いんですか?」

「どのくらいって難しいな……仲悪い組み合わせは居ないね。男性陣はよく飲みに行っているらしいし」

「女性陣も?」

「女性陣は、わたしと結希ゆきちゃんは遊びに行くけど、彩華さんやローラさんとは彩華さんの歓迎会で一回食事した程度か。川田さんは家庭持ちで忙しいし」

「へぇ」聞きたくない単語が聞こえた。

「だから柏木さん入って女子増えて良かったよ。男性の方が多かったから」

「へへ、どうも」あれ、計算違いかね。伏見さん理系に見えるけど。

「時間合えば今度三人で遊ぼうよ。忙しい?」

 伏見さんに言わせたい台詞一位が飛び出た。二位三位辺りはセンシティブな表現なので非公開にした。多少誘導尋問の色は帯びたけど。

「いえ、いえいえ!いつか絶対遊びましょう!」

「今日は遅いからね」

 誘いの言葉が聞けただけで嬉しかった。これが実現すれば尚更。帰ったら部屋の整理をしよう。

 身支度が整い、退勤ボタンをクリックしたらおじさんズを片目に二人夜の街へ出る。

「わたし駅方面だから。じゃあね」

 キャスケットの影で輝く瞳が交差点の方へ消える。僅かな間だったけど、換金不可能な価値ある時間だった。背負う鞄がいつもより軽い。

 本日廃棄無し。ビックリマンチョコでも買って帰るか。

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