03、とある闇軍からの手先

「大丈夫だよ、エルマーニョ」


 父の笑顔にどっと安心がこみあげた。


「よかった、父さん。心配したんだよ! 業者がもう着いたんだ。早く行こう」


「あぁ、今行く」


 アソワールは見知らぬ若い男を後ろに従えていた。顔には今さっきできたと思われる生々しい傷があり、特に右目は開けられないほどにひどい。


 なにより驚いたのは、彼が役人の黒い制服を着ていることだった。エルマーニョは知っていた。エシルバの父も同じ制服を着ていたことを。


「そいつは誰」

 エルマーニョは敵意をむき出しにして尋ねた。


「大丈夫。彼は知り合いの役人アリュードだ。私たちを心配して助けに来てくれたんだ。大広場はもう占拠されているらしい。デモ隊の連中に勘付かれないよう2階から突破したんだ」


 アソワールはやけに晴れた顔をして言った。よくよく見ると、エルマーニョは彼が伯母夫婦の結婚式に参加していたシブーであることを思い出した。確か、いつもゴドランのそばに引っ付いていた気がする。


「例の赤ん坊はこの子ですか」


 アリュードはしげしげとエルマーニョの腕に抱かれたエシルバを見下ろした。


「エシルバは僕らが守るんだ。お前なんかには渡しやしない」


 アリュードはまったく心に響いていないという感じで、赤ん坊の右手の甲をのぞいた。うっすらと黒いあざがあるのを確認した男は、そっと毛布をかけて隠した。エルマーニョには彼の行動が理解できなかった。


「私はある方に、この子を混乱から遠ざけるよう命じられました。政府はエシルバを保護せよとの発表をしましたが、ここでは命に関わる。私があなた方を安全な地まで導きましょう」


「保護? 一体なんのことですか。私たちはこれから夜逃げして見知らぬ土地へ行くのです。その準備ならもうできています。業者にも頼んでありますし」


「行先は?」


「教えられません」アソワールはきっぱりと言った。「あなたにはお世話になりましたが、もうこれから会うことはないでしょう」


「もう片方の双子は?」


「死にましたよ」


 アリュードは突然なにかに気付き走りだした。裏口にたどり着くまでに大した時間はかからなかった。裏口で荷物の運搬をしていた2人の男が跡形もなく消えていたので、エルマーニョの心臓はドキリと跳ね上がった。


 顔を真っ青にしてアソワールは妻の名前を呼んだ。外にいるのかもしれない、そう思ってエルマーニョが駆けだそうとした時、死角から長細い剣がバッと振り下ろされた。


 エルマーニョは自分の前髪がバッサリと切られるのをスローモーションで見ていた。次の瞬間には、誰かに思いきり後ろへ引っ張られていた。


 尻をついて見上げると、先ほどのアリュードという男が剣を突き出して前に立っていた。


 アリュードは手早く陰に隠れていた男の懐に入り込むと、相手の腕を引き寄せ剣柄部分を下にして手にぶつけた。力の抜けた手から剣がボトリと落ちる。死角のもう片方に潜んでいた男が隙を見て切りかかろうとしたが、アリュードは後ろ蹴りをしながら剣をぶんと振った。


 引っ越し業者の制服をまとった男2人は叫び声を上げるでもなくドサリと崩れ落ち、戦いは静かに幕を下ろした。血は一つも流れていないが、男たちはピクリとも動かなかった。


 キラリと光る瑠璃色の柄、それに無駄のない動き、洗練された太刀裁き。エルマーニョはこの武器に見覚えがあった。エシルバの父親が、この家に何度か訪れた時に肌身離さず身に着けていた不思議な武器。役人しか持つことを許されない特別な武器だ。


「あなたが考える以上に事態は深刻です。彼らは引っ越し業者を装ってあなたたちを殺そうとした回し者」


 アリュードは倒れた男たちがはめていた手袋を外し、彼らの手に奇妙な目の文様があるのを見て言った。


 しかし、アソワールはアリュードの言葉をまったく聞いてはいなかった。外を出たすぐ近くの花壇脇に、妻のカリィパムが横たわっているのを見つけたのだ。


「母さん! 母さん!」


 エルマーニョも顔面蒼白にして外に飛び出し、辛うじて息をするカリィパムに泣きついた。アソワールは震える手で救急車を呼ぼうとするも、何度かけても通じなかった。


「私のロラッチャーで近くの病院まで行きましょう」


 アリュードはすぐさま行動に移した。アソワールはぐったりするカリィパムを抱きかかえ、近くに止めていた小型のロラッチャーに乗り込んだ。


 エルマーニョは怒りと悲しみに震え、近くに落ちていた大きく鋭いガラス片を握り、倒れて動かない男たちににじり寄っていた。

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