デリュージョントレイン

早川あさ

第1話 おつかれさま

妄想はおもしろい。


妄想の可能性は無限大だ。

時には人を興奮させ、恐怖を呼び起こし、そして時には睡眠時間をも奪い人を寝不足へと陥れる。

好きなこと、嫌いなこと、楽しみなこと、

不安なこと、あらゆることを好きな場所、好きな時間に自由自在に創り出すことが出来る。


人は日々妄想と戦いながら生きている。


「卒業生代表 江頭 鼓動」


春を迎えた少し肌寒い3月、空は重たく曇っていた。イケメンの美声と鼻水をすする音だけが心地よい、静寂の体育館を優しく包み込む。古びたチョコ色の階段を1歩1歩、ギシ、ぎしと音を立てて降りていくコサージュの付いた紺色のブレザーを着た元生徒会長は最後の大仕事を終え、鼻の赤くなった顔で席へと戻る。

ギシギキュと赤いパイプ椅子も隣で泣く。

入学式と卒業式の時にだけ椅子で体育館が傷つくのを防ぐために敷かれたブロッコリーの蕾色に似たシートの異臭は時に体調不良者を出す程の嫌なゴムの臭いがする。


「よかったよ」

「ありがとう」


すぐ横で同じ文字数の会話を淡々と交わした鼓動と侑大はクラスの中心的存在で大切な友達だ。他にも大切な友達はいる。

いや、友達はみんな大切だ。


鼓動。これで、ビートと読むのだ。降り注ぐ陽の光がまだ心地よかった入学式の日、初めて行われたホームルームでの自己紹介を聞いた時は驚いたしきっと誰もが初めて出会う名前だろうと思った。

キラキラネームってやつだ。

性格もキラキラしている。成績は輝いていない。それでも生徒会長になれたのは生徒会選挙が単なる人気投票だったからだ。

他のクラスからは成績優秀な本気で生徒会長を目指す物が立候補した。しかしうちのクラスは勢いとノリだけで決まったのだ。

顔が広く他のクラスからも人気のあった鼓動は清き一票を受けすぎそのまま当選してしまった。


卒業式が終わりお世話になった教室に戻ると、バケツをひっくり返したような雨が降ってきた。水の入ったコップが倒れるように街が濡れていく。

電気の消された教室がさらに暗くなり少しテンションが上がる。「卒業おめでとう!」と華やかに彩られた黒板だけがやけに明るく見える。美術部が描いてくれたらしい。

昔から雨の日の暗い教室が好きだった。

雨音も好きだった。

雷がなれば非日常感が演出され、なぜか楽しくなってテンションもあがり心も踊った。

これは僕だけではなく周りにも共感してくれる友達がいた。

中には雷を怖がり「むり、むり」と嘆く女子がいたが、そんな女子を「可愛くねーな」と思いながら廊下側の席で見ていた。

バカバカしい。


周りが思い出話で盛り上がる中そっと窓を開け、ひとり銀縁に寄りかかり雨で濡れた街を眺めていた。


「勇人、なんしよるとー?」

「雨ってなんか嫌な事すべて洗い流してくれるような気がしてさー」

「なんかロマンチストやな」

「なんでや笑」

「俺雨嫌いやわ」

「なんで?」

「濡れるけん!」


お手本のような答えが返ってきた。

さっきまで全校生徒の前に堂々と立っていた鼓動が前髪をいじりながら笑顔で話しかけてきた。赤い鼻はすっかり元に戻っていた。


「雨が洗い流してくれる気がする」これも妄想にすぎない。「カチッ」教室の白い電気が仕事をする。


自転車通学の鼓動と初めて話したのは入学式の次の日。

朝のホームルームが始まる前だった。まだ美術館のように静かで、それぞれが自分の陣地を守るかのようにバリアを張っていて、椅子を引く音だけがやけに大きく耳を打つ教室。

右奥にある箒が3本とちりとりが2つだけ入った傷だらけの白い掃除箱の前で、僕と侑大が話していると威厳を放ち今よりも少しふっくらとした腰パンをした鼓動が緑色のスリッパを擦らせながらこっちへやってきた。

少し怖かった。

何を話したかは覚えていないがその時の状況は今でも強く目に焼き付いている。その時の僕は新たな友達ができたことが嬉しくて高揚していたし鳥肌が止まらなかったのを覚えている。僕は鶏肉が好きだ。特にもも肉。


それからは放課後マックに行き金欠だからと言ってクーポンを使いポテトだけを注文してそれをみんなでシェアしたり、カラオケに行って乃木坂のコールで盛りあがったり、特に用もないのにイオンに行ったり、体育館でバスケをしてリズム感のないやつをみんなで笑ったり(大切な仲間)、沢山の時間を共に過ごした。

極寒の中セカオワのliveにも行った。

これだと彼女みたいだが僕たちのクラスの男子は10人ほどしかいなかった為みんな仲が良かった。いつもみんなで先住民アボリジニのように行動していた。


親御さんらも入った窮屈な教室。

雨粒が窓を叩く。雨音に揺り動かされた意識が先生の声でふと引き戻される。

外と中の温度差が激しい空気の中行われた最後のホームルーム。僕は泣いた。勿論先生も泣いた。保護者も泣いた。みんな泣いた。

3度目の卒業で初めて泣いた。外の雨に負けないくらい泣いた。顎からポタポタと落ちる涙は3年間一緒に学びを得た淡い茶色をした机を洗った。ハンカチで拭うこともしなかった。さぞ酷い顔をしていただろう。三度目の正直とでもいうのだろうか。もう二度と学生には戻れない、二度とこの教室でこのクラスメイトで集まることも無い、昼休みの購買での時間、修学旅行、そんな夢の国ディズニーランドよりも楽しくて充実した学校生活を振り返ると涙が溢れかえって止まらなかった。止められなかった。


この3年間で初めての涙だった。ドラマを見て悲しくなること、甲子園でお互いをリスペクトしながら戦う熱い高校球児達を見て感動することはあっても涙が自分の頬をつたうことはなかった。

久しぶりに親の前で見せた涙は儚くも美しい涙だったらしい。

少しだけ恥ずかしかった・・・。


最後のホームルームが終わった後のフリータイム。とても賑やかだった。

みんながインカメに設定された大きいスマホを横にして笑顔だけども赤くなった不細工な顔で教室での最後の思い出を創作している。

そしてそのままストーリーに投稿する。

彼氏彼女で撮ってる人もいれば先生と撮ってる人もいる。僕にも穏やかでおっとりとした、いつも眠そうにしている彼女がいる。

先月その彼女との1年8ヶ月の思い出に終止符を打ちそうになったが結局別れなかった。

でも恋には時間制限がある。彼女とは1枚だけ写真を撮った。

校内での携帯の使用は禁じられていたが、この時だけはそんなの関係なかった。

逆にここで注意する教師がいたらひく。


「今日の夜18時にコレモに集合ねー」

「1人いくらやったっけ?」

「3000円よ!!!」

「おっけい!」


中心的存在の侑大が皆に声をかけそれに鼓動が反応する。ホントに仲のいい2人だ。

今夜最後のおつかれさま会がある。

「おつかれさま会」僕はこの言い方が気に入っている。この言い方がこのクラスにはにはピッタリだと思う。


どんどん教室から人が減っていく。

その流れに乗り6人ほど残った最後の教室をあとにする。「ありがとう」と心の中で呟いたはずの声がふと漏れていた。


校門を抜け出したその時

僕の一生に一度の高校生編が幕を閉じた。


あとひと月もしないうちに社会人編がスタートする。


今夜みんなで最後の時間を共にする。

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