天才児

モグラ研二

天才児

どうして僕を天才児に産んだのかということを、母さんにずっと言い続けていた。

母さんは非常に縮こまった様子で、「ごめんね、ごめんね、ほんとに」と繰り返し言っていた。

僕は茶碗にご飯を盛り《ツナ缶》の中身を上に乗せ、醤油とマヨネーズを掛けて食べていた。

僕が一回咀嚼するごとに、母さんはまた「ごめんね」と言い始めた。


自宅の前には人だかりが出来ていた。

僕は《天才児としての姿》をみんなの前に示した。

人だかりが叫び出した。暴れるものもいた。

「お前の存在を神は許さないだろう!」と絶叫し、鉄パイプを振り回して数人の若い女性や幼い子供を殺害する者さえいたのである。


かつて天才児だった幼稚園の先生からは、「天才児は孤独なものなんだ」と言われた。

その言葉自体は数百年か、あるいはもっと前から言われ続けている言葉らしい。

《すでに何回も何回も使いまわされてはいるけれどある程度有効な言葉》であると説明がなされた。

「天才児でなくなれば、孤独じゃなくなるの?」僕は言った。

かつて天才児だった幼稚園の先生は、首を横に振り、「必ずしもそうではないが」と言った。


「彼が天才児だということは彼の天才たるその姿や雰囲気や言動などから容易に理解できたのだが、実際 《何の天才であるのか》ということは全くわからなかった」

そのように語るのは長年天才児の取材を行なっている伊勢崎勝彦氏。


《彼が天才児だということはわかるが、何の天才なのかは全くわからない》


伊勢崎勝彦氏自身、かつて天才児だった。

彼は生後3ヶ月目でピアノを弾き、4ヶ月目には偶然デパートで耳にしたベートーヴェンの荘厳ミサ曲を、自宅に帰った後全て楽譜に書き起こし、5ヶ月目には交響曲を作曲し、その曲は市営ホールで市民交響楽団によりすぐさま演奏された。

日本の雅楽の響きを取り入れながらも西洋の確固たる形式を維持したロマンティシズムに満ち満ちた音楽は多くの人を魅了した。

その響きは独特のもので、イセサキトーンと呼ばれた。

彼は日本における芸術映画の巨匠や、テレビドラマの制作者に請われて数々の伴奏音楽を作った。国内や海外の楽団からの委嘱で数々の楽曲を作った。

それは彼が12歳になるまで続いた。

12歳になった日に、彼は自分が天才児ではなくなっていることに気づいた。

ピアノを前にしても空白だった。

弾く方法が全くわからなくなっていた。

指を鍵盤に置いてみるが、《意味がわからなかった》。

作曲などできる状態ではなかった。

とにかくエッチな妄想が止めどなく溢れてきて、一日中、部屋でペニスをしごき、精液を発射しては、「きもちい、きもちい」と連呼していた。

そのような日々が一週間続き、彼は《平均的な少年》になった。


《平均的な少年は「きもちい」を連呼する習性がある》


「きもちい」と連呼する日々を経た後、自分が天才児だったことを思い出すことが大変に難しくなって来ていると伊勢崎勝彦氏。

「なんだかあの頃のことは白く濃い霧の向こう側で行われている演劇のようで、明瞭さが全くないんだ。だから、懐かしいという気持ちすら持てない。あの頃の、10年以上の音楽家としてのキャリアの中で作った作品を今聴くと、他人の音楽だと思えるよ。あのテイストは全く僕の趣味ではないしね」


《天才児だった頃の記憶は今となっては明瞭ではない。天才児の時に行った仕事については今振り返ってみると自分の趣味とは全く異なっていた》


伊勢崎氏は朝ベッドで目を覚ますと、冷たい水で顔を洗い、次に歯を磨き、シャワーを浴びて全裸のままベランダに出て《爽やかな朝の日の光》を全身に浴びて大きく伸びをし、ラジオ体操を開始、その様子を隣の家に住む老婦人に目撃され激しい罵声を浴びせられるが伊勢崎氏は気にする様子なくラジオ体操を続行、隣の家のベランダから鉄パイプが数本、かなりの速度をもって投げ込まれ「変態! 警察に通報するからな!」と宣言されるが、なお伊勢崎氏はラジオ体操を継続、「民主主義の手続きを経ていないたった一人からの苦情くらいで(老婦人が世界中の人々の意見を確実に代表している存在であるならともかく)なぜ数十年に渡り続けている伝統を途絶えさえねばならないのか理解ができないし、理解する必要もないのではないか? 申し入れをしたいならば民主主義や法治国家に住む人間らしい手続きを踏むべきであろうから、あの極めて醜悪な憎悪を顔に浮かべている婆さんの言うことを聞く必要は全くないのだし、全裸が、生まれたままの姿で健康的なラジオ体操をすることの何が悪いというのか、健康増進を憎悪することはあまりにも常軌を逸している、そもそも《爽やかな朝の日の光》を浴びている今、このような胸糞悪い気持ちにさせないで欲しいものである、その程度の配慮や人間としての気遣いもない人物に、一体どのような苦情を申し入れる資格があるというのか、甚だ疑問である」


日課の散歩をしていると、「君が天才児だね?」と声をかけてくる老人がいた。

茶色いベレー帽を被り、茶色いステッキを持っていた。

「伊勢崎という男には注意しなさい」

それだけ言うと、老人は、黄色いイチョウの葉がたくさん落ちている石畳みの道を、足早に去って行った。


母さんには顔を合わせるたびになぜ僕を天才児として産んだのかと言った。

母さんは縮こまった様子で「ほんとにごめんね」と言った。

イチョウ並木のところを散歩していたら老人に出会って、という話を僕はした。

母さんは、僕が茶碗にご飯を盛り《ツナ缶》の中身を上に乗せ、鰹節と醤油を掛けて食べている間、その老人は不審者に違いない、天才児に怪しいことや卑猥なことを話したがる不審者に違いないから元太おじさんに連絡しておく、と言っていた。


カブトムシが取りたかった。

カブトムシは公園の周囲に密集して生えている《名前の知らない表面にギザギザの皮がある木》に集まる。

ギザギザの皮は気をつけないとすぐに手に刺さる。

血が出る。

僕が親指と人差し指と中指から血を流していると、必ず横にいる元太おじさんが、「大丈夫かよ? え? 血が出ているけど」とボソボソした声で言って、僕の指を掴んで、犬みたいに舌を突き出して舐めた。天才児の血を飲めば天才になれるはずだ、ということを元太おじさんは言っていた。


頭の前部分に髪の毛がない。

痩せていて、いつも黒い服を着ている。

青白い肌。

大きなギラギラした目。

尖った耳。

骨張った手のひら。

その手の甲は白くて、そこを薄青い血管がはっきり浮かび上がり、くねくねと何か《模様》を成していた。

《模様》が何かを意味しているのか、じっと見ていたことがあった。


《模様があるとそれをじっと見て、これは一体どうなっていて、何を訴えたいのだろうかと考える。しかし全ての模様に対してそのような欲求が湧くわけではない》


 押入れがたまに《少しだけ開く》ことがある。

そして目が覗いている。

干からびた指先が出てくる。

指をこちらに向ける。

《かつて天才児だった老人》なのだという。

彼が天才児でなくなってから、すでに70年以上が経っているのだと、不自然な造りの安っぽい白髪のカツラを被った白衣の男性が説明した。


《天才児という時期が終わった瞬間に押入れに駆け込んで出てこない人々が相当の数いるのだと朝の情報番組が放送していたことがある》


「そのカツラ止めた方が良いですよ」と一人の少年が言った。

「なぜ?」と白衣の男性が言った。

「なぜ? わざとフェイクっぽくしているのだから、これで良い。偽物なのに、本物っぽくする意味がわからない。良いじゃないか、偽物は偽物らしくすれば」


《平均的な少年は「本物」を志向する習性がある》


押入れがたまに《少しだけ開く》。

みんなが声を掛ける。

「元気を出してください」

「そろそろエッチとかしたくならないですか?」

「チョコレートは好き?」

「ねえ、ジャンケンしましょうよ」等々。

目が覗いている。

干からびた指先が出てくる。

指をこちらに向ける。

不自然な造りの安っぽい白髪のカツラを被った白衣の男性の説明では、彼がこのように押入れに閉じこもってからすでに70年以上が経過しているのだという。


 押入れに入ることなく、天才児からそのまま《妥当な天才》に落ち着いて活躍している人物として井上信一郎が挙げられる。

僕は小学校2年生の時に、彼に会った。

学校の帰り道だった。

怖い犬がいる家の前を、僕が怯えながら通っていると、井上信一郎はその様子をカメラで撮影した。

「いいね」と彼は言った。

「さっきの君は凄く人生が充実しているっていうか、凝縮しているっていうか、とにかく良い感じだった」

日焼けした男で、笑顔を見せると、真っ白な歯が輝いた。

「あなたは?」と僕が《天才児特有の天才性を帯びた聞き方》で言うと、井上信一郎は再び笑った。

「カメラマンだよ。それ以外の何者でもない。でも、ほかのカメラマンより少しだけ天才なんだ」


《井上信一郎という男は天才児から妥当な天才に落ち着いた男。自分が天才であることを理解しているが非常に謙虚で挨拶を欠かさない。少し空気が読めないところあり。でも、そういうところがキュートで抱きしめたくなると女の子からは評判が良い》


《天才児特有のやり方》というのを、意識したことは全くなかった。そのまま自然に振舞ったものが、すなわち《天才児特有のやり方》として、ほとんど《自動的に》認識された。


日課の散歩をしていると、「君が天才児だね?」と声をかけてくる老人がいた。

茶色いベレー帽を被り、茶色いステッキを持っていた。

「伊勢崎という男には注意しなさい」と老人は言った。

ぶよぶよとした青白い肌をした老人だ。

「この間も会いましたよね?」僕は言った。

「いや? そんなことはないよ」老人は言って、怪訝そうな表情をした。

「いいね? とにかく伊勢崎には注意しなさい」強い口調だ。

僕は少しだけ《ムッとした感じ》になって、眉間に皺を寄せた。

「天才児がそんな顔をしてはいかんぞ。反逆精神の感じられる顔はいかんぞ」と鋭い声で言うと、老人は、黄色いイチョウの葉がたくさん落ちている石畳みの道を、足早に去って行った。


《前回もそうだがステッキを持っているにも関わらず老人の足取りはしっかりとしている。確実な歩みを実行している》


 井上信一郎にはそれっきり会うことはなかったが、たまに、僕の家に彼からの手紙が届いた。

封筒には彼が撮影したらしい《笑顔の人々の写真》が数枚入っていた。

そして薄茶色の便箋に力強い字で「できるだけ笑顔でいるのが、良いよね」と書かれていた。

その通りで、それは《正論》だと僕は思った。

母さんにも手紙と写真を見せた。

母さんも「そりゃ、できるだけ笑顔でいたいわよね」と頷いていた。

僕は数枚の写真を引き出しに仕舞った。

それ以来 《笑顔の人々の写真》を見た記憶はない。どこに行ったのだろうか。


元太おじさんは全国に散らばる天才児を集めて保護する活動に従事しているのだ、ということを言っていた。

「ほんとに?」「ほんとだよ。俺はお前たち天才児を愛しているんだ。《一体化願望》があるくらい愛しているんだ。殺して、解体して、一個一個の内臓までも愛して、食べてしまいたいくらいに、とにかく愛しているんだ。血まみれになりたいよ」


 元太おじさんは一枚の写真を見せてくれた。

そこには大きな銀色のドーム型の建物が映っていた。

「ここで、みんなで、ギュウギュウ詰めになって、暮らすんだよ」と元太おじさんは《にこやかな笑顔》を見せて言った。


「《にこやかな笑顔》はみんなを幸せにしますよ」とカメラマンの井上信一郎は言って、真昼のオフィス街の通りでシャッターを切っていた。渋い顔をして歩いている中年のスーツ男性に対して「ほら笑って! 笑えば楽しい気分になるよ!」と比較的トーンの高い爽やかさの感じられる声で言った。そのうちに、親しみの持てる明るい人柄から、井上信一郎の周りにはオフィス街で働く人々が集まった。若いOLなんかも、井上信一郎の軽口に手を叩いて笑ったりしていたし、痔を患っていて常に眉間に皺を寄せている50代の中間管理職の男性なども、井上信一郎のあまりの馬鹿馬鹿しい話や無意味な動作に笑いを漏らさずにはいられなかった。その《自然に漏れた笑顔》を、井上信一郎は写真に撮るのだった。特にそれは商業ベースの写真集などとして販売されるわけではなかった。そういう写真をみんなで見る同好会があるわけでもなかった。だが、写真を撮るのである。それは彼がカメラマンだからであり、それ以外の理由はないのだ。「みんな笑顔でいれば良い。笑顔は幸せの象徴だ。みんな笑顔でいれば良い」念仏のように、井上信一郎は言っていた。彼はオフィス街の通りを歩いていた。「辛そうに働く人々を笑顔にしたい」と呟きながら、オフィス街を見ていく。ランチタイムを過ごすオフィス街の人々。太陽の光に反射するビルのガラス。公園のベンチに座り、猫背で一人、コンビニ弁当を食べている若者。非常に暗い表情で、もそもそと口を動かしている。井上信一郎はその若者に近づいて背中を叩き「元気を出して! さあ、笑おうよ! 辛気臭い顔しないで! 君はまだ若いじゃないか! 人生はこれからだ!」そのように、井上信一郎が言った時だった。「糞野郎!」という怒鳴り声がした。公園の数メートル先、ビルとビルの間にある汚らしい路地裏から、一人の男が走って来た。「何が笑顔だ! 糞野郎が!」怒鳴っている男は半裸で、屈強な身体をしていた。胸の筋肉は大きく発達し、ぴくぴくと動いていた。そして、手には鉄パイプを持っていた。「お前らみたいな人間が世界を滅ぼすんだ! お前らみたいな人間が平気で人を傷つける! しかも傷つけて笑っている! その笑顔だ! お前らの笑顔は《鬼畜の笑顔》だ! この糞野郎が!」顔を真っ赤にして鉄パイプを振り上げた男は、真っ直ぐに井上信一郎の前までやってきて、彼の頭に思い切り鉄パイプを叩きつけた。頭蓋骨が砕けた。頭の右半分が砕かれて脳漿が飛び散った。鮮血が真昼の路上に降り注いだ。井上信一郎は倒れ、激しく痙攣していたが、その間彼の砕かれた頭からは止めどなく血が噴射していた。もちろん井上信一郎が何事かを述べる機会はもはやないのだった。彼は最後の痙攣を終えるとその生命活動を永遠に停止するのである。


 郵便受けを開けたら《くだらない広告チラシ》に混ざって《消印のないハガキ》が入っていた。

ハガキには「伊勢崎という男には注意しなさい」と書かれていた。

僕は少し笑ってしまった。

すでにイチョウ並木でこれと同じことを言われてから10年以上が過ぎていた。

僕は手紙を細かく破いてゴミ箱に捨てた。



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天才児 モグラ研二 @murokimegumii

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