第4話 シュテバイン邸

 首都カンテラについたのは、すでに日が暮れてからしばらくたった頃だった。

 森では日暮れが就寝時間だったせいか、習慣というのは恐ろしいもので、私はイザークの肩に乗ったまま、その頭にしがみついた状態で爆睡していた。二十六歳女子としてどうなのよ?! と思わなくもないが、今の私は十歳シォリン•キャンザク。子供の特権である。イザークのフワフワの銀髪を涎まみれにしたのは申し訳なかったけどね。


「イザーク様、お帰りなさいませ」


 門をくぐり、ちょっとした庭園の先に現れた三階建ての大邸宅、その重そうな扉を開けると黒い執事服を着た二十代後半くらいの男がイザークを出迎えた。


「ただいま、ゲオルグ」


 生真面目そうな顔をしているが、白い兎耳に兎尻尾がピクピク動いている。シュテバイン伯爵家に代々使える執事の家系の三男で、誰も住まない首都別邸の管理を任せていた。


「坊ちゃま、肩の上のそれは? 」

「寝てるんだから静かにしろよ。シォリン•キャンザク。ちょっと縁あって面倒見ることにしたって連絡したろ」

「もしかして、つが……」


 イザークは口元に指を当て、「シーッ」と囁いた。


「まだ子供なんだ。そんなことより部屋の用意は? ちゃんと寝かせてやらないと」

「できておりますが、湯浴みはいかがいたしましょう? さすがにちょっと埃っぽいかと」

「起こすの可哀想だからシォリンは朝でいいだろ。俺は入るよ」


 自慢の尻尾が悲惨なことになっていると、イザークは軽く尾を振り埃をはらった。


 イザークが私に用意させた部屋はイザークと続き部屋だった。しかしイザークは私を自室につれてきて、そーっと自分のベッドに私を下ろし、着替えさせるか逡巡した結果、私の衣服の紐は解かれることはなかった。


 この日から、このバカ広い邸宅で私はイザークと共寝することになる。子供の私が一人寝を怖がるだろうと心配したイザークの親心だと思って何も疑問に思わなかった私は、ちょっとかなり警戒心が足りない残念女子であった。


 日の出と共に目覚めた私は、良い香りのするフワフワ物体にしがみついていた。こんな手触りの良過ぎる人形なんか持っていたっけ? と思いながら、両手でモミモミとフワフワ物体を揉みしだき、顔面を埋めて匂いを吸い込んだ。


「おはよう、シォリン。熱烈な朝の挨拶だな」


 私はイザークの尻尾に抱きついていたらしい。


「おはようイザーク、ここは? 」

「昨晩、カンテラの屋敷についたんだ。ここはシュテバイン邸の俺の部屋。爆睡してたから起こさず寝かしたんだけど、風呂に入る? 先に朝飯にする? 」

「お風呂? お風呂があるの? 」


 森の小屋ではイザークは水浴び、私は盥に水張っての清拭のみだった。てっきりこちらの世界はそれがスタンダードだと思っていたが。


「ああ、魔力を注がないとお湯が出ないから、俺がいれてきてあげる。俺がいない時はこれを使うといいよ」


 イザークから黄色い石のついたペンダントを渡された。森の小屋ではほぼ魔力なしで生活できたが、屋敷では魔力がないとトイレも流せ無いとのことだ。ペンダントにはイザークの魔力がこめられた魔石がついており、これをつけていれば魔道具も使用可能らしい。


 魔石に魔力をこめることなど、普通の獣人にはできないし、一般人が魔石など目にする機会もないくらい高価なものだった。しかし、この世界の常識なんか知らない私は、気軽に受け取って「便利な物があるんだね」などと呑気にペンダントをいじっていた。


「絶対に外したら駄目だよ。一応守りの結界も付与してあるからね」


 ほー、なんかわからないけどカッコイイな。


「ありがと、イザーク」

「どういたしまして」


 目を細めて笑うイザークは、朝から男前過ぎる。眼福、眼福。


 それからイザークが沸かしてくれたお風呂に入り、部屋に戻った時にはすっかり朝食の用意も整っていた。森の小屋でイザークが作ってくれていたご飯よりは凝っていて豪華な物だったから、きっと専門のシェフみたいな人がいるんだろう。


「凄いね、こんなに食べれないよ」

「シォリンはもっと食べないと大きくなれないぞ」


 もう、大きくはなりませんね。横には広がるかもしれませんが。

 微妙な表情で頷くと、イザークは私の濡れた髪をクシャリと撫でた。


「髪、乾かさないとな」


 ブワンと温風に包まれ、一瞬で髪の毛が乾く。便利だな魔法。髪の毛も傷まないしね。


 朝食は本当に美味しくて、でもやっぱりこの量は食べられなかった。いくらイザークの手料理で拡大された胃とはいえ、限度があるんです。

 すっごくすっごく美味しかったけど、私はイザークが作ってくれた質素ながらも温かみのある食事の方が断然好みだ。何せ、庶民の味覚ですから。一流シェフのご飯はたまにのご褒美くらいで丁度良いんだよ。


 朝食後、イザークは午前中騎士団に顔を出さないといけないとかで、私はイザークの部屋と続き部屋になっている「遊び部屋」でイザークを待つことになった。

 イザークの寝室よりも狭めのこの部屋は、元子供部屋だったんだろうか? 絵本や玩具で溢れていた。部屋の端にはベッドもあって、私に丁度良さそうな小ぶりなサイズだ。

 イザークが子供の時に使用していたにしては、何から何まで新品のように見えるが、イザークはよほど物持ちが良いのか、大切な物は丁寧に扱う子供だたんだろうということで納得した。本当はここは私の部屋で、イザークが用意させてくれていたらしいんだけどね。


 二十六歳女子、さすがに玩具で時間は潰せませんでした。


 部屋から出たら怒られるかな? と一瞬悩んだけど、怒られたら謝って戻ればいいやと、部屋を抜け出した。


 私がいたのは屋敷の三階だった。当たり前だけど丸太でできた森の小屋とは違い、煉瓦でできた立派な屋敷はとにかくだだっ広かった。

 十八人兄弟プラス両親、さらに使用人までいたんだろうから、納得の広さではあるが、迷子になりそうだなと、イザークの部屋に印をつけてから階段を恐る恐る下りた。屋敷を管理している数名しかいないということで、誰にも会うことなく庭(と呼ぶには立派過ぎる)に出れた。

 しばらく庭を探索してみる。


 芝はきっちり刈ってあるし、草花の手入れもしっかりしてある。料理もかなりの名シェフだと思われたけど、庭師もかなりの腕前に思われた。少数精鋭とはいえ、今この屋敷には何人の獣人がいるんだろう?

 森ではイザーク以外の獣人はいなかったし、王都までくる道もあまりの速さでイザークが歩くものだから、すれ違う人をじっくり見る暇なんかなかった。

 興味がないかと聞かれたら、バリバリある!

 でも、勝手に屋敷を出て歩き回る度胸はないから、ちょっと門から表を見られないかなと、屋敷から少しづつ離れてみた。


「シォリン様、どちらにいらっしゃるおつもりですか」


 いきなり背後から声をかけられて、私はビクリと立ち止まった。

 振り返ると、黒い執事服に茶色いエプロンをつけ、日よけの麦わら帽子を被った私より少し年上くらいの男が立っていた。少し神経質そうなツリ目で表情が乏しいものの、それなりに整った顔をしているその男の麦わら帽子の上には、帽子を突き破るように(帽子には耳を通す穴が開いているらしい)ウサ耳が!

 白い兎の耳と、そのクールな表情のミスマッチに、私はつい目が奪われてポヤンと見上げてしまった。

 この人もイザークほどではないが背が高い。かなりスレンダーではあるが。


「あ……あの」

「始めまして、私はこの屋敷の管理を任されておりますゲオルグと申します」

「始めまして、詩織です」

「シォリン様ではなくショーリン様でしたか」


 やはり私の名前は発音できないらしい。


「あ、シォリンで大丈夫です。すみません、勝手に歩き回ってしまって。あまりに庭が綺麗だったから」

「ありがとうございます。褒めていただくと手入れのしがいがございますね。でも、できれば屋敷からあまり離れないでくださるとありがたいです。侵入者がいないとも限りませんから」


 ゲオルグに促されて屋敷に足を向ける。


「この庭はゲオルグさんが? 」

「ゲオルグとお呼びください。左様でございます。主がいない屋敷だったゆえ、時間だけは沢山ありましたから」

「凄いですね! こんなに広いのに草木の手入れはもちろん、落ち葉まで落ちてないなんて。私じゃ一日中手入れしてても無理です」


 ゲオルグの後ろをついて行くと、そのお尻に白くて丸い尻尾がプリプリしているのが目に入った。庭を褒められて嬉しかったのだろうか? 顔が無表情なだけに、感情が全部尻尾に現れているようだ。

 そういえば、イザークの尻尾も凄く感情豊かだ。嬉しい時はバサバサ揺れるし、小さく揺れるのは嬉しさを隠そうとしている時。悲しかったら萎れるし、ゆっくり揺れる時はご機嫌が良い時。すれ違う時とか、スルリと私の背中を撫でていったり、一緒にいる時とかはたまに私の足に絡んでいたりする。イザークは無意識みたいだけどね、尻尾は凄く甘えん坊なんだよね。


「その尻尾、触っても良いですか?」


 あまりに可愛かったものだから、ついつい聞いてしまった。


「だ、駄目ですよ。尻尾と耳は私達には急所ですからね、気軽に触ったらいけません」


 あら、私ってばイザークの尻尾はよく握ってるし、耳も抱き上げられた時にワシャワシャ撫でたりしてたわ。まずかったかしら。


「異性だろうが同性だろうが、性的アピールになりますからね。触らせてなんて言ってもいけません」


 性的アピール……。

 私ってばイザークにセクハラかましてたのか?!

 獣人常識ってやつ!

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