第187話:フローラとイリス

 数十名の武装した兵士、魔導士に守られながらフローラはいつもと同じくにこやかな笑顔をたたえている。


「な、何でここに?」


「フローラ様は数日前から南方領土に向かっていたんだよ。おそらく到着してすぐにこの島に来たんだ」


 ルークがアルマに小声で説明する。


 一応今までの経緯は報告していたし、オミッドは危険だというルークの報告を受けて出立を決めたとのことだったが、今になってみるとそれは単なる口実だったのではないかとも思えた。


 フローラは元々オミッドの造反に感づいていたのではないだろうか。


 そしてそれが事実であることを確認するためにルークを派遣したのでは?


「お前が来たということはこうなることをわかっていたのだろう」


 ゲイルは顔をしかめながらフローラにネックレスを投げ渡した。


「さあ、なんのことでしょう」


 変わらぬ笑顔でフローラが答える。


「ふん、相変わらず食えない奴だ。俺がこの島にいることもとっくに知っていただろうに」


 面白くなさそうにそう言うとゲイルは踵を返した。


「あら、どちらへ行くのですか?久しぶりの再会なのですからもう少しお話を聞かせてはくださらないのですか?」


「話ならそこにいるルークに聞け。今回俺は何もしていない。話すことは何もない」


 それだけ言うとゲイルは森の中に消えていった。


「もう、久しぶりに会ったというのに。相変わらず不器用な人ですね」


 呆れたように小さくため息をつくとフローラは改めてルークに向き直った。


「ルーク、今回もあなたのおかげでウィルキンソン卿の反乱を未然に防ぐことが出来ました。本当にありがとうございます」


 フローラは感謝の言葉を述べながら片膝をついてルークに頭を下げた。


 背後に控える騎士たちの中から小さなどよめきが起こる。


 王家の人間が目下の者に頭を下げるのは異例中の異例のことだからだ。


「頭を上げてください、フローラ姫。僕はただ成り行きのまま動いただけですから。そんな、感謝されるようなことは」


「そんなことはありません。ウィルキンソン卿が何かを企てていたのは薄々わかってはいたのですが彼は非常に用心深く、なかなか証拠を掴むことが出来ずにいたのです。あなたはそれを見つけるどころかその企てを防ぐだけでなく神獣まで退けたのですから。南方領土を救ったも同然です」


「見ていたのですか」


 ルークは驚きを禁じ得なかった。


 フローラはこの島に来たばかりだと思っていたのだが既にルークたちが神獣を倒したことまで把握していたとは。


「直接見ていたわけではありません」


 フローラはルークに笑みを返した。


「私の目となってくれる者がおりますから」


 ルークの目の端で1人の娘が小さく頭を下げるのが見えた。


 改めてルークはフローラの情報網の広さに舌を巻いた。


 ある程度情報を握っていたことからフローラが独自の情報網を持っていることは予想していたが、まさかオステン島の内部にまで広げていたとは。


「そしておそらくあの方がルークの助けになってくれたのですね」


 フローラの視線の先にはイリスがいた。


 その言葉にルークの心臓が大きく跳ね上がる。


 ひょっとするとフローラは既にイリスが何者なのかを掴んでいるのではないだろうか。


 これだけの情報網を持っているフローラならば知っていたとしてもおかしくはない。


「……そ、それは……」


 イリスのことをどう説明したものか、一瞬の逡巡の後にルークは心を決めた。


 フローラがどこまで知っているのか、あるいは知らないのか計り知ることはできないが少なくとも事実だけを話そうと。


「はい、あの方は僕の師匠でイリスと言います。子供の頃に命を救われ、魔法を教授していただきました。今の僕があるのは師匠のおかげです」


 フローラはルークの言葉に小さく頷くとイリスの前に歩み寄り、ドレスの裾を持ち上げて頭を下げた。


「お会いできて光栄に存じます。私はアロガス王国のフローラ・ナイチンゲールと申します。此度は南方領土並びにオステン島の窮地を救っていただき、感謝の言葉もございません。貴女あなたのおかげで多くの命が救われました。是非ともお礼をさせていただきたく存じます」


「あたしはイリスだ。別にあんたに礼を言われる筋合いはないよ。そこにいるルークはあたしの弟子だからね。弟子の成長を見に来たついでにちょいと手伝ったまでさ」


「そうであればこそです。ルークは我が国にとって英雄と言うべき活躍をしてきました。その師である貴女あなたもまた我が国にとって英雄も同然です。どうぞお望みのことをおっしゃってください。私にできることであれば誠心誠意叶えさせていただきます」


「望みねえ……」


 イリスが愉快そうに口角を吊り上げながら顎をさする。


 ルークとアルマはハラハラしながらそれを見守っていた。


 もしイリスが自らの開放を望んだら?


 フローラは何と答えるのだろうか?


 イリスが封印された魔神だと知ったらフローラとしては見過ごすわけにいかないのではないだろうか。


 フローラの表情からは何も読めない。


 いつも通り穏やかな湖面のような微笑みをたたえているだけだ。


「それじゃ一つ……」


 イリスが口を開いた。


「酒でも貰おうかな」


「お酒……ですか?」


「そう、酒だよ。あたしは酒に目がなくてねえ」


 意外そうな顔で見つめるフローラにイリスが笑いかける。


「たまにルークが持ってきてくれる量じゃ全然足んないんだよ。もっと持ってこいと言っても健康のためだとか言ってさ。久しぶりにこっちまで来たんだし折角だから気のすむまで飲ませてくんないかな」


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