第88話:獣人たちの過去

「きっかけは1000年前に遡ります」


 ナミルが静かに話し始めた。


「元々この地域は獣人と人族が混在して暮らしていたのです。時に争うこともありましたが関係は概ね良好だったと言われています。その関係が徹底的に変わったのは黒斑熱と呼ばれる流行り病が理由なのです」


「黒斑熱は高熱に冒されて全身に黒い班が浮かび上がり、最後には全身から血を吹き出して死ぬという恐ろしい病気です。これによって一帯の住民の半数以上が亡くなったと言われています」


「幸いにも数年後には治療法が開発されて普段の生活を取り戻すことができたのですが、その時には人族の間に我々獣人が黒斑熱を広めたのだという噂が広まっていたのです」


「何故そんなことに?」


 ルークの問いにナミルがため息をついた。


「それは我々獣人が人族と比べて黒斑熱に罹らなかったからだそうです。それ故に獣人が広めたのだと」


「それは……」


 ルークにも返す言葉がなかった。


 なにせ1000年も前の話だ、それが事実かどうかは確かめようがない。


「でも、どうして獣人はその黒斑熱に罹りにくかったのでしょうか?なにか理由があるのですか?」


「わかりません」


 ナミルが重々しく首を横に振る。


「ただ、女神の祝福が獣人たちを救ってくれたのだと言われております」


「女神?」


「はい、我々が進行している大角姫と呼ばれる女神です。今でも村人はみな大角姫を祭っておりますよ。儂もあのとおり」


 ナミルが指差した壁には祭壇が設えており、そこに一体の女神像が祭られていた。


 豊満な姿をした女性の像で、頭に牛のように巨大な角を生やしている。


「1000年前、頭に角を生やした女神がこの地を訪れて我々の祖先に様々な叡智を授けてくれたと言われています。それ以来我々は大角姫を信奉しておるのです」




「そうだったんですか……それにしてもこの女神どこかで……」


「ルゥゥゥゥク~、何してんのよお。一緒に飲みましょうよお~」


 祭壇の女神像をしげしげと眺めていると後ろからアルマがしなだれかかってきた。


「ア、アルマ、危ないってば」


「あれ~、これってイリスに似てない~?」


 アルマが女神像を見ながら呟く。


「アルマもそう思う?僕もこの角とかイリスに似てるように思うんだよね。ひょっとして、そういうことなのかな……」


「角よりもこの胸!角を生やしてこんなでかい胸をした女なんかイリスしかいないってば!」


「そっち?」


「大角姫様は強大な魔法を操り、天候をも操ったと言われています。そして我々に森で生きる知恵を与えてくれました。黒斑熱を凌ぎきったのも女神の知恵と森の生活ゆえと考えられているのです」


 ナミルが話を続けた。


「黒斑熱が収まった後に再びメルカポリスは発展していき人族は隆盛を極めていきますが、人族と軋轢のあった我々は今に至るというわけです」


 ナミルは悔しそうに目を伏せた。


「それでもここ数年までは関係も良好だったのですが最近は街の獣人排斥派が勢いを増しており、我々の作った農作物も工芸品も全く売れなくなってしまったのです。生活苦からダンジョンの剛力などの苦役に従事せざるを得ず、それで得られる収入も雀の涙という有様です」


「そういうことだったんですか……」


 ルークは嘆息するしかなかった。


 街の住民と獣人たちの軋轢はルークの想像以上に根が深かった。


 単に収入が少ない故の貧乏であればまだ解決策もあるかもしれないが1000年に渡る遺恨など、どう解決したらいいのだろうか



「そう言えば街の商人が相手にしてくれないというなら何故ナターリアはここに?」


「なんでえ?そら商売のある所に商人ありらからよお!」


 ろれつの回らない口調でナターリアが叫ぶ。


「メルカポリスのお、クソ商業ギルドは獣人との取引を暗に禁止してんのよお!そんなのクソッ喰らえだってえの!売れるもんがあるなら売る、それが商人でしょおが!」


「そうだそうだ!メルカポリスの商人どもはクソだ!」


 シシリーがナターリアと肩を組みながら合の手を入れる。


 ナミルはそんな2人に苦笑しながら話を続けた。


「それでもわずかながら我々と取引をしてくれる方はいましてね。我々の酒もそういう方を通じて時々売れているのですよ。ナターリア殿のように商売のために買いたいと言ってくる者は珍しいですがね」


「あによお、売っちゃあ駄目ってえの?」


 ナターリアが会話に割り込んできた。


「あたしはねえ、獣人だとか人族だとかそういうのはど~~だっていいのよ!売れそうなもんがあるならそれを売る、それだけだってえの。それを組合の爺婆どもときたらやれ実績がどうの慣例がどうのとうるせえっての!」


「そうだそうだ!」


「ここの酒だってねえ、大手を振って売れるようになったらもっと売れるのよ!街でこの酒に眼がない人間を何人も知ってんだから!でも日持ちがさあ、短すぎんのよねえ~」


「そうそう、私だってこの酒は買いたいよ。セントアロガスに持って行ったら絶対に売れるもん」


 シシリーがとろんとした目でクリート酒のかめを傾ける。


「ありゃ、もうないや。キック君や、新しい酒を持ってきておくれ」


「了解っす!」


 キックが立ち上がった時、扉から1人の獣人が飛び込んできた。


 人族の男を羽交い絞めにしている。



「大変だ!クリート酒が……使い物にならなくなっちまった!」


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