第67話:アルマとイリス

「まだ起きてたの」


 月を眺めていたイリスは声をかけられる前からそれがアルマだと分かっていた。


「なに、余韻に浸っていたのさ。こんな気分になったのは800年ぶりだったからね」


 イリスが微笑む。


「ルークは?」


「まだ寝てる」


 アルマは窓辺でイリスと向かい合わせになって腰を下ろした。


 イリスからグラスを受け取ると一息に飲み干して月を見上げる。


「奇麗な月……」


「この月は私と同じさ。800年経っても何も変わらない」


 イリスはグラスを傾けると息をついた。


「次の800年もきっと同じさね。あんたたち人と違ってね」


「ちょっと……それはさっきも」


「まあ聞きなって」


 アルマを手で制するとイリスは言葉を続けた。


「こればっかりは事実だよ。どれだけ長生きしようが人と魔神の差は埋まらない、それはどうしようもないことなんだよ。確かにルークがあたしを好きだと言ってくれたのは嬉しいよ。おかげで柄にもなくはしゃいじゃったしね。でもそれはそれ、なんだよ」


 最初はただ退屈な山暮らしの暇つぶしとして育てていただけだった。


 しかし今やルークはイリスの中で何よりも大きな存在となっている。


 それこそこの世界と引き換えにしても構わないと思うほどに。


 だからこそルークには幸せになってほしいと思っている。


 そしてそれを実現させるのは自分ではないとも。


「それにあたしはこの山から出られないだろ?あたしがルークと一緒にいたいと言えばきっとあの子はそうしてくれる。でもそれじゃ駄目なんだ、それじゃルークはこの山に閉じこもることになってしまう。だから……ルークのことはあんたに任せるよ」


 イリスがアルマに微笑む。


 それは心からの笑顔だった。


 アルマにならルークを任せられる、そう信じている笑みだ。


「なに、時々2人で会いに来てくれたらいいさ。そしたら今日みたいに歓待する……ってえ!何すんだよ!?」


 イリスが叫んで額を押さえた。


 アルマが思い切りデコピンを喰らわせたからだ。


「あたしに任せる?何言ってんのよ!」


 アルマが吠えた。


「な、何って……」


「あなたまさかルークのことを信じてないわけ?ルークはあなたを解放すると言っていた、だったらそうするに決まってるじゃない!」


「そ、それは……だって……」


「だっても明後日もない!私たちとあなたで寿命が違うというならなおさらよ!こんなところさっさと出てずっと私たちと一緒にいたらいいじゃない。魔神のあなたにしてみたら一瞬かもしれないけど、それでもここにいるよりはいいでしょ?ね、私だって協力するから、ルークを信じてよ」



「アルマ……あんたっては」


 イリスが不意に夜空を見上げた。


 その声が微かに震えている。


「しょうがないね!だったらもう少し待ってあげるよ!」


 目頭を押さえながらアルマが微笑む。


「でもいいのかい、あたしが外に出たらあんたの立場なんかなくなるかもしれないよ?今度はあんたがルークの帰りを待つ番になっても知らないからね」


「上等よ。そうでなくっちゃ対等の勝負とは言えないもの」


 2人は笑みと共にグラスを持ち上げた。


 夜空にグラスを打ち鳴らす小さな、それでいて力強い音が響いていった。






    ◆





「はい、約束のものだよ」


「ありがとうございます」


 ルークがイリスから受け取ったのはゲイルが切り落としたベヒーモスの角だ。


 ベヒーモスクラスの神獣が残した素材は神遺物と呼ばれ、それだけで小国を丸ごと買い取れるほどの価値を持っている。


 しかし同時にその強力な魔力は魔獣を引き寄せてしまうために封印を施さなくてはいけない。


 ベヒーモスの神遺物となると封印できる者も少ないため、フローラから預かってイリスに依頼していたのだった。


「でもいいのかい、依頼料として1/3ももらっちゃっても」


「いいんです、それは了承を得ていますから」


 根元から1/3小さくなったベヒーモスの角をしまいながらルークが微笑む。


「師匠も神遺物を欲しがっていたじゃないですか」


「それはまあそうなんだけど……ま、いっか!それならありがたくもらっておくよ」


「そうしてください」


「お礼といっちゃなんだけど貰ったベヒーモスの角の一部をあんたの義手の骨に使っておいたよ」


「ありがとうございます。おかげでだいぶ調子が良くなりました」


 礼を言いながらルークがぐるぐると左腕を回す。


 かなり強引に根源魔法を作りだした反動でルークの義手はかなりダメージを負っていた。


 今回の帰還はベヒーモスの角の封印に加えてルークの義手とアルマの展鎧装輪てんがいそうりんの修復も目的だった。


「アルマ、あんたの展鎧装輪てんがいそうりんも直しといたからね。まったく、ただの人間があたしの魔具をここまで使い倒せるなんて思ってなかったよ」


 イリスはため息をつくとアルマの首に腕をかけて顔を引き寄せた。


「ルークはますます強くなってる。また左眼が暴走するようになったらあんたでも止められないかもしれない。気をつけるんだよ」


「わかってるってば」


「大丈夫ですよ」


 2人の話を聞いていたルークが微笑んだ。


「あんなことはもう二度と起こしません。約束します」


「……そうだね。ルーク、あんたを信じるよ」


 イリスはルークを優しく抱きしめた。


「あんたがあたしを解放してくれるって約束も信じるよ。だから……待ってるからね」


「もちろんです。もう少し待っていてください」


「ルーク……」


「師匠……」


「はいそこまで」


 アルマが2人の顔を引きはがした。


「なんだよ~別れを惜しむくらい良いだろ」


「もう散々やったでしょ!ただでさえ遅れてるんだから早く帰らないと」


 アルマがイリスに指を突き立てる。


「もうちょっとの辛抱だから待ってなさい」


「ちぇ、わかったよ」


 イリスは渋々とルークから体を離した。


「それじゃルーク、またな」


「ええ、師匠もお元気で」


「アルマ、ルークを任せたよ」


「もちろんよ」


 2人はイリスに別れを告げて山を下りていった。



「……さて、あたしはいつもの暮らしに戻るとしますか」


 2人の姿が見えなくなったのを確かめるとイリスは踵を返した。


「ルーク、アルマ、またね」




「まったく、1週間の予定が2週間になるなんて。きっとお父様が心配しているわ」


「ごめんね。ついつい長居しちゃって」


「いいのよ」


 山道を歩きながらアルマが微笑む。


「なんだかんだで私も居心地よかったし。きっと私にとってもこの山が家になってきてるのかもね」


「そう言ってくれて嬉しいよ」


 ルークが笑みを返す。


「ここは僕と師匠にとっての故郷だから、アルマもそこに加わってくれるなら嬉しい」


「もちろんよ!そして次に来る時はイリスも一緒にこの道を下りてくるんだから!今度は私の故郷をイリスに見せる番よ!」


 アルマが力強く腕を突き上げる。


 その先には雲一つない青空が広がっていた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ご愛読ありがとうございました、これにて第1章は終了です。


第2章は少し間を開けて来週位に再開予定です。


引き続き応援よろしくお願いします!

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