16話「塔すら超えて行く」
(前回のあらすじ)
怜子への突撃も、"アヌビスアーツ"の前で"人殺し"コールが行われた騒動も、辰実やその周辺の協力によって阻止された。さらに城本は1年前の雪辱を果たすべく"961ボクシングジム"に乗り込み道場破りを敢行する。
"道場破り"と聞いてジムの沽券に関わるため、試合をする事になった饗庭。そしてこれまでの仕返しをすべく辰実も参戦。それぞれ城本、菰田に如何ともしがたい力の差を見せつけ勝利した。…その後、古浦の協力を得て増援を始末し、2人への尋問が始まる。
城本と菰田の口から語られたのは、古浦の依頼とは違い"意図的に"怜子を妨害していた事。ただ被害者であった怜子の悲痛な叫びと、城本と菰田を出頭させ一連の事件は終わった…。
*
城本と菰田を辰実や饗庭、古浦が出頭させて数日後。世間で言う"ゴールデンウィーク"を超えてしまい来るべき"わわわ"と"Lucifer"との打ち合わせに向け、アクセサリーの草案を練っていた熊谷、栗栖、マイケルの3人組である。
辰実、怜子が"若松物産"に行っている間、煮詰まった3人は連休の間に里帰りしていたマイケルのお土産を口にしていた。
「栗栖、草案はまとまったか?」
「全然だ。マイケルが買ってきた土産でも食って落ち着こう。」
ミーティングテーブルで膝を突き合わせる3人。隅に置いていたお菓子の箱は"お土産"なのだが、どうしても熊谷と栗栖には見覚えがありすぎる箱で、熊谷がその箱を開けると、紙袋に入った饅頭が並べられていた。
袋には"金担まんじゅう"と、力強い筆のタッチで書かれている。
「どう見ても"金担まんじゅう"だよな?」
「栗栖もそう見えた?僕もなんだよ。…疲れてるのかな。」
マイケルは、"お土産だヨ"と2人に笑顔を向けている。
「てめぇー!アメリカ帰ったんだったらアメリカの土産買ってこいや!」
「そうだマイケル!僕たちは楽しみにしてたんだぞ!」
煮詰まっているのも忘れて、栗栖と熊谷はワナワナと立ち上がった。
「買ってきたんだヨ、チャンと。…テキサスのビーフステーキ。」
「何だその美味そうな一品は」
マイケルはアメリカのテキサス州出身である。実家は牧場を営んでいるらしく、時々肉を送ってくれるそうだ。…家族そろって日本が大好きだそうで。
「フリージングしたのを送ってくれたんだヨ」
「あるのか?」
「昨日食べちゃっタ」
アイデアが浮かばないよりも、熊谷と栗栖。特に栗栖の方はショックを受けているようであった。…それにしても"土産"と言って地元の土産を買ってくるあたり、好きなのだろう。"自分で美味しいのを買ってくる"と言ってたあたりから想像すべきであった。
「仕方ない、テキサスに行ったら美味い牛肉を食い尽くしてやる」
「そんな事より栗栖。またマザーが"チクワ"送ってくれって言ってんだヨ」
「分かった、お袋に言っとく」
栗栖の実家は、魚介類の加工品(かまぼこや竹輪)を作っている。最近マイケルがお気に入りなのは"フィッシュカツ"だそうで、ピリ辛の味付けをした薄いすり身に、少し衣をつけて揚げたもの。これが良い晩酌のお供なのだ。
「うまい」
"金担まんじゅう"は白いこしあんを、チョコレート風味の皮で包んだややスイーツ風味の饅頭である。これが実に美味で、県外からの観光客のみならず地元民からも愛されている。
「"若松物産"も来月から夏の売り出しか」
「何だもうそんな時期なのか」
「もう5月の真ん中に差し掛かりそうデース」
"まだ半年しかいないんだな、黒沢さん"と熊谷は呟く。前身の広告店が"アヌビスアーツ"に変わってまだ半年も経ってはいないのだが、どうしてか辰実はずっといたような気がしている。
「あの人が仏頂面で仕事するのにも慣れたな」
「だな。機嫌が悪い訳じゃないと分かればどうって事ない。」
感情の起伏が少ない。しかし話をしてみれば、笑う時もあるし奇策珍策打算に方便をうまく使いこなして話し合いも巧妙に進めている。年月は少なかれど"リーダー"として認めるべき要素は多い。
「黒沢さんも変わった気がするけど、怜子ちゃんもこの1か月で変わった気がするよな」
"篠部が?"と眉を顰める栗栖。同じような反応をしているマイケルの方も分からなさそうな反応をしている。"ほうほう、それは面白そうな話ですな"と事務作業をしていた伊達は身を乗り出して話に入ってきた。
「"成長"なんだろうけど。…その過程で、大事な選択肢に立たされている感じかな。それが選べるようになるまで成長した、と言ったら変な言い方なんだけど。」
*
数日前。
「…内容は、これで間違いない?」
新東署生活安全課。"相談室"と呼ばれる一室があるのだが、怜子はそこで知詠子から聴取を受けていた。内容については城本、菰田に追いかけられた事についての話である。これが予期せず起きた事、以前にも似たような事をされた事についても簡潔に記載した。
"被害者調書"であるため、可能な限り早く録取し作成できれば望ましいのだが事件発生時の怜子の状態を鑑みて"落ち着いてからが望ましい"という点を判断しての事であった。思いの他、辰実と饗庭が出頭させてるのがタイムスケジュール的には早い。
知詠子が作成し、読み上げた調書の内容に嘘偽り、間違いがない事を確認した怜子は、聴取内容を書き連ねた文の最後、その次の行の空白に"篠部怜子"と自分の名前を書く。
右にできた余白に、左手人差し指の指紋を擦りつけた。
怜子から調書を受け取った知詠子は、更に次の行に慣れた手つきで文章を書いて判を押している。数十秒の無言が続き、ようやくお互いが口を開く。
「…黒沢の家にいるのも、退屈だったでしょう?」
「そんな事なかったですよ。黒沢さん優しい人ですし。」
「あらそう、それは良かったわ。」
すっぱりした様子の知詠子であるが、辰実の絡む話になると歯切れが悪いように怜子には見えた。"アイツは愛想が悪いから気を遣わせてしまったかと思って…"と言っているようだが、何かを隠しているようにしか思えない。
「同僚って感じでも無さそう…。知詠子さんは、黒沢さんとどんな関係ですか?」
眉をしかめる知詠子。"ただ警察で同期っていうだけよ"とあっさり答えようと思っていたのだろう、先回りして塞がれてしまいばつの悪そうな表情をしている。
「これ、他の人には内緒にしてくれる?」
「わかりました」
取調にも使っているような、事務用のデスクを隔てて知詠子は怜子に顔を近づけた。
「付き合ってたのよ、大学の時」
「そんな気がしました。愛結さんに若干近いような、そんな感じです。」
"あらそう"とそっけない返答をしながら、書類をファイルに片付けて知詠子は席を立つ。
「この後は、すぐ仕事に戻る?」
「はい、今度の話し合いに準備するモノを作らないと」
「分かったわ。無理しないでね。」
*
そして同時刻、"若松物産"
怜子が被害者調書の作成のため、新東署に赴いている間に辰実は味元と海鮮丼を頬張りながら話をしていた。甘辛く味付けされたタレがかかっている鯛の切り身。炙られて脂が滲み出たそれを、器用に白米に乗せ辰実は口に運ぶ。
「騒ぎでしたね、先日は」
「ええ。…ですが、綺麗に解決しました。」
"篠部怜子を採用するな"という脅迫状、および社員の襲撃は"若松物産"もあった。結局、採用担当の社員は襲撃によって負傷し、本来採用するハズであった怜子の採用を取りやめている。先ほどまで力仕事をしていたのか、額に流れる小さい玉の汗を、ハンカチで拭っている。
「私も、先日にあの子が迷惑配信者に追いかけまわされた事を聞きまして…。そうやって邪魔をされながらも懸命に生きていく彼女の力に何かなれる事は無いかと思いましてね。」
"何か力になれる事と?"、そう言いながら辰実は冷えた麦茶で塩辛くなった喉を潤す。
「今度の夏の大売り出しですが、是非とも"彼女を"推させていただきんです。」
「篠部を、ですか…?」
「はい、彼女を。今回の宣伝だけでなく、"若松物産"のイメージキャラに推したいと思ってまして。…先日の鯛釜飯の件もしかり、撮影の件もしかりです。」
「本人の了承が得られれば、こちらとしては問題ありません。」
*
「……私が"若松物産"のイメージキャラにですか?」
被害者調書を録取し終え、辰実から聞いた話。突然のオファーに怜子は驚いてしまう。
1つ看板デザインの依頼を受け話を聞きに行っていた帰り。沈黙の時間で視覚に情報として入っていく、海の見えるカフェ。夕方がもう少しで来そうな空の下で2つ分けにしたお下げが風に攫われる。
「あの配信者が逮捕されて、私の就職活動が邪魔されたのは分かりました。…でも、私が後輩を辞めさせたっていう"契約解除"の所は何1つ嘘だと証明できてないんですよ?」
グラスに氷と一緒に注がれたコーラが、汗をかいている。冷たいそれを気にも留めずグラスを掴んで辰実は一口喉に流し込んだ。缶の金属で冷やされるよりも、炭酸の刺激は弱くいが氷でくまなく冷えた液体が舌と喉を刺激する。
「嘘じゃないというのなら、嘘じゃないと堂々胸を張っていればいい」
(そうやって推薦してもらえる事は嬉しい。でも私はもうグラビアでもない、"契約解除"がされた時からあの舞台に戻る事は許されないのよ。…それが嘘だと分かっていても、証明されていない今ここでオファーを受けていいのだろうか?)
怜子を挟んで、怜子の中でジレンマが起こっていた。
大学を卒業しても"わわわ"で編集の仕事に就きながらグラビアアイドルを続投しているハズの人生。これが戻ってくるのであれば有難い話は無い。しかし、"アヌビスアーツ"を離れたくはない。折角取り戻し始めた人生を、グラビアの時のように簡単に手放してしまいたくないと思っている。
"グラビア"としての篠部怜子を取るか、"デザイン事務所"の篠部怜子を取るか。どちらかしか取る事ができない。
少なくとも怜子は、現時点でそのように考えている。
「君の契約解除が嘘だという事は、必ず俺が証明する。」
辰実がもう一度グラスに氷と一緒に注がれたコーラを喉に流し込むと、優しく怜子の頬と髪を撫でていた風が止む。また風が吹き始める頃を狙って、辰実の次の言葉を待っていた。
「…だから1つ、約束して欲しい。」
次の言葉と一緒に風が吹くと、怜子の心が揺らいだ。"大事な話だよ"と言いたいのか、それを辰実だけじゃない周りの環境が教えているのか。彼女自身に襲い掛かった災難を切り抜け、自分の不祥事を白紙に戻す事の出来る可能性を持った人物が目の前に現れた。…取り戻せると信じ始めた人生を取るのか、希望を持てる現在を取るのか、選択の間で何もできない怜子の背中を、辰実の低い声が押そうとしている。
「もし自分の"本当にやりたい事"が見つかったなら、"アヌビスアーツ"の事は気にせずにやってくれ。」
怜子の心の内は、辰実には視えているようだった。
「前にも頼んだ時みたいに、これもグラビアの時みたいに"人前に出る"仕事だ。君がグラビアを辞めさせられた事情については、俺にはよく分からない。…だが、"やってはいけない"なんて事はない。自分のこれからも、やりたい事を君は、決めていいんだ。」
"決めていい"、だからこそ難しい。
(求められるなら、やってみたい。…でも私が本当に"グラビアに戻りたい"と言い出したら、私の事を採用してくれた黒沢さんに迷惑がかかってしまう。それでも優しいから、絶対に"いいよ"って言ってくれるんだ。)
良心があるからこそ、怜子は言葉にもぶっきらぼうな表情にも出てこない辰実の気持ちを考えて悩む。
怜子がグラビアアイドルになったのは、大学の講義が終わって若松商店街で1人買い物をしていた時だった。それから流れるように進んでいった4年間。流れに身を任せ進んできた時間の所為か、怜子自身が何かを決めるという事に慣れていなかった。
…それは、"できない"という答えと異なる。
怜子の人生において、"確実に"自分の意志で何かを決めた瞬間はあった。彼女自身もその事をよく覚えているのだ。
(一番駄目なのは、私が何も決めようとしない事!)
ここで気を遣う事は、相手にもっと気を遣わせてしまう。グラビアアイドルとして数々の大人と接してきた怜子は、社会人と社会人が接する機会において"そういうパターンが存在する"ケースを無意識にではあるが理解できていた。…寧ろではあるが、そういった経験がある事が"新社会人における"篠部怜子の強みと言ってもいい。
辰実は"やりたい事を君は、決めていいんだ"と言った。大人は自分の要求を通したい時は"そうして欲しい"と正直に言うか暗に示す。それが無いのであれば、怜子が全ての主導権を握っても良いと判断して構わない。
だから、自分の衝動に従うしかない。
「どうする?とは聞いてるが、まだ時間をおいても大丈夫だ。」
「やらせて下さい!」
「回答が早いな。…もう少し考える時間をおいても良かったんだが。」
「求められているのであれば、それを拒みたくない。今の私にできる事です。」
「大事な事だ」
片手にグラス、もう片手に携帯電話の辰実を、グラスに注がれたアイスココアを口にしながら怜子は眺めている。氷が溶けるのを計算に入れて作ってるのか、暫く経つとちょうどいいぐらいの苦みと甘みを舌に残してくれた。ほろ苦いカカオと、甘く仕上げたミルクが複雑に絡み合うような感覚。
「カードの所を、タップしてみてくれ」
辰実に手渡された画面には、カードの画像に矢印を向けて"Touch"と指示されていた。"タロットか何かかな"と思いたくなる、娯楽よりもまじないに使われそうな柄の裏側を人差し指の腹で押した瞬間、辰実は携帯電話を怜子の手から回収した。
「あ、ずるい!」
"見たところで結果は変わらん"と、辰実が笑っていたから"それでいいや"と怜子は思ってしまう。5月なのに少し暑い。そんな天気がココアの味を少し薄めている。
*
「お、いい感じ!」
味元に"怜子がオファーを了承した"と伝えた次の日。早速"若松物産"にて撮影が行われた。辰実はカフェから帰ってきて早々に"Studio Bianca"の真崎に連絡をしたのだが、急にも関わらず時間を作ってくれている。スタイリストも都合を合わせてくれ、出来上がった"表舞台用"の怜子ちゃん。
"若松物産"の職員が着ている藍染の甚平に茶色の腰エプロン、薄い紫のたすき掛け。レベル5くらいの茶色みを帯びた長い髪は、2つ分けにして下ろされている。
「さて、吉と出るか…。本当に可愛いですね。」
「"普通の女の子"に見えるかもしれませんが、彼女もグラビアでした。ポテンシャルは高い。」
"ええその通り。いざこうやってカメラに映るとなると何かが違う。"と、額の汗をハンカチで拭いている味元は準備の出来た怜子を見て驚いているようだ。
「ところで味元さん、タロット占いは?」
「全くですね。黒沢さんは占いを信じる方でしたか。」
「信じる方ですね。…嫌な結果が出たなら、それを超えてみたくなる。そう、先日あの子に一枚引かせてみたら"最悪"のカードでして。」
「ほうそれは、幸先が悪い。」
怜子が引いたのは"塔"のカード。正位置で"災害"や"崩壊"を意味し、逆位置で"受難"や"不安定"を意味する最もネガティブな意味を持つ大アルカナ。暗闇の中で塔に雷が落ち、人が投げ出される様子はそのまま"危険"を意味する。
「楽観的なのかもしれませんが、そんな運命すらあの子は超えて行く。そんな気がしてるんです。」
「そういう時の勘ほど当たります。」
辰実は、眉をしかめて味元を一瞥した。
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