11話「大喰らいのメソッド」ー前編
(前回のあらすじ)
"ダイニングあずさ"にて、饗庭が去った後も辰実は梓と話をしていた。悪友と言った方が正しい2人の会話から梓は、辰実が"自分の為ではなく怜子のために戦う"という目的で"わわわ"と相対する事を感じ取った。
…その一方で早瀬の見解は違う。元々はグラビアとして活動を続行する予定であった怜子が"グラビアに戻る"と考えてもそうで無くても辰実に利がある事を見抜き、彼の打算的な側面を提示していた。
更に一方、怜子は以前のアルバイト先である"AMANDA"で知詠子とばったり会う。以前に彼女を助けてくれた人物との暫しの歓談の中に、知詠子が"辰実の悲しい側面"を知る数少ない人物だという事を気づかず見落としてしまう。
*
"Lucifer"、そして"わわわ"とのキックオフミーティング当日になってしまった。知詠子と会って気を紛らわす事ができたのは良かったものの、事の大きさに怜子は緊張して質の悪い睡眠時間を過ごしてしまっていた訳である。
7時30分。寝癖まみれの長い髪を櫛でといても、お仕事モードの怜子ちゃんにはならない。先日に泣き腫らしてスッキリした後、"やってやろう"という気持ちが強かったから忘れていたのだが怜子も1人の女の子である。…謂れなき理由をつけて自分を解雇した、"わわわ"と対面するのだ。
(そうか、"わわわ"なんだよね。)
怜子を恫喝した月島亜美菜だっている。怜子が解雇を言い渡された時に何も助け舟を出す事が無かったにも関わらず、怜子に声を掛けてきた古浦だっているだろう。…元々、モデルやグラビアのプロデューサーの小間使いもしていた男なのだから、プロデューサーと一緒に来るハズである。
(亜美菜ちゃんも、前はいい子だったのに)
怜子がグラビアアイドルとしてデビューして1年後に、月島は読者モデルとして、現在も同じ椅子に座っている当時のプロデューサーにスカウトされて読者モデルとして紙面を飾るようになった。常人離れした美貌とスタイルを持って、大人しい怜子とは反対に、明るい性格の彼女は瞬く間に"わわわ"内では注目を集め、同世代を中心に注目を集めるようになった。
…そんな彼女は最初、怜子とも付き合いがあったのだが人気を得ていく毎に立場は変わっていく。"怜子さん"と呼んでついて回っていた彼女も、人気を得てモデルとしての地位を確立すれば急に"怜子ちゃん"と呼ぶようになる。
急に得てしまった人気が、彼女を変えてしまった。
彼女が何故に怜子を"気に入らない"と言ったのか?それについても疑問が残る所ではある。…何にせよ真実を知ろうとしない事=本日から始まる話し合いに出なければ=前に進まなければ知りたい真実だってどうやっても知る事ができない。
洗面所で、眠そうな顔に冷や水をぶっかけると、ようやく目が覚めて"お仕事モード"の怜子ちゃんと鏡でご対面できる。それでも食欲の無かった怜子は、パック入りのゼリーを吸い上げて朝食を済ませた。
*
「ミーティング開始は10時からだ。…すまないが俺は先に用事を済ませてくるから、後に現地で合流しよう。それまで各々、自由に過ごすように。」
ミーティングは"わわわ"のオフィスビルで行われる。"アヌビスアーツ"でいつもの面々が始業するなり辰実はそんな事を言い出して、支度をし出て行ってしまった。
「僕たちは僕たちで、"わわわ"に4人で向かおう。」
"分かりました"と怜子は返事をする。いつもは予定を言ってどこかに行く辰実が居ないのを見て、車を用意すると言った熊谷に質問をした。
「…黒沢さんはどこに?」
「ボスは"極秘任務"だと言ってマシタ」
「重要任務の前に"極秘任務"って何だろうな。…しかも、その重要任務の前に時間は無いぞ?」
「でも、黒沢さんが遅刻は無いと思う。」
「なら俺達は時間までゆっくり過ごそう」
そう言って栗栖は自分のデスクに戻り、散らかったデスクの上を片付け始めた。倣って他の3人もデスクに座り、本を読む者や携帯電話でニュースを観る者、コーヒーを淹れる者と各々の行動を始める。
本を読んでいた怜子であったが、その内容が頭に入ってくる事は無い。
「緊張はしていると思うが、俺達も黒沢さんと作戦の打ち合わせはしている。何があろうとも、何らかの事は俺達にだってできるだろう。…いやできる、俺達ならできる。」
大柄で豪胆な性格をしていそうな栗栖が緊張しているのを見て、怜子は少しだけホッとした。
*
(帰ってきてしまったんだ、私…)
熊谷、栗栖、マイケルの3人と怜子が"わわわ"オフィスビルのロビーに着いたのは、9時半を少し過ぎた頃であった。予定よりも大通りが込み合っていなかったために早く着きすぎてしまった。
所々に大樹の根を張るように柱が置かれている所にベンチが置かれていたり、テーブル付きの席が置かれている大理石風の、ビジネスホテル調子の広い空間に立ち尽くす。
(…私が解雇された時と全然変わらない"わわわ")
無機質なようで、あたたかい空間。グラビアにスカウトされ、4年前に緊張しながら入った時とはまた違う緊張に怜子は捕らえられていた。…あの時は優しく迎えてくれた"わわわ"が、今こうして対面すると音も温度も感じられない、"冷たい空間"に変わっていた。
音や温度といった感覚を失っているのに、冷たさと重さはある。
解雇を言い渡された時の事や、その時に古浦に冷たく見放された時の事。"AMANDA"で月島にばったり遭遇し、散々に罵声を浴びせられた事。望まず起こってしまった出来事を皮切りに、この短い間でも悲しい出来事は色々あった。
「黒沢さん、そろそろ来るかな」
「この辺りで待っておこうか」
怜子の前に立つ、他の3人は後ろを見ずに話をしている。彼らが後ろを見ない事が、怜子自身の"彼女にしか起こらなかった"事、言い換えれば"彼女にしか分からない"事に影をさす。…気さくで、優しくて、そして人柄の面白い"アヌビスアーツ"の面々と接していた時間が常にあったから忘れていた事だったのかもしれない。
忘れていた"悲しい出来事"と"孤独"が、影の色を濃くしていく。
(私は、追い出されたんだ)
きっと今、私は凄く辛そうな顔をしているのだろう。と、鏡を見なくても自分の顔がどうなのか分かる。ただ、その辛い顔を誰かに気づいて欲しかった。厳密に言えば、思い出した辛い顔を我慢している事を。
「すまない、遅くなった」
気付いたら、辰実が怜子の横に立っている。時計が9時40分を指した丁度にカツカツと足音を鳴らしてやって来たのを、すぐ隣に現れるまで気づかなかった。
「………………」
"いかにも"我慢している様子だった様子を、まじまじと眺める辰実。いつも通りのぶっきらぼうな様子で合った目に、悲しむのも忘れて怜子は戸惑う。
「気持ちの良い所では無いが、暫くの辛抱だ。…もし辛かったら遠慮なく言ってくれ。俺でもいい、トビでも栗栖でもマイケルでもいい。何なら事務所で伊達さんに話をしてくれたっていい。真崎さんでも天田さんでもいい。」
"必ず俺が何とかする"
(篠部怜子の"ジャイアントキリング"は、今日この時間から始まるぞ。)
自分にだけ聞こえるぐらいのトーンで発された辰実の言葉に、怜子は顔を上げた。辰実の言葉を思い出す。"今日この時間"は今だ、と気づいた怜子は、"アヌビスアーツ"の面々と共に歩き出す。
「おはようございます。どちら様でしょうか?」
「"アヌビスアーツ"です。」
「お待ちしておりました。18階の大会議室へどうぞ。」
柱を背に、受付のカウンターに座っている女性に案内を受け、ロビー奥のエレベーターへと5人は入り込む。最後に入ったマイケルが18階のボタンを押し、誰も入らないのを確認しエレベーターを閉める。
「今日、ミーティング終わったら食べに行くぞ」
「何行くデスカ?」
「ラーメンにするか蕎麦にするか、うどんにするか…」
「うどんがいいデス」
「何言ってんだマイケル、ラーメン一択だろ」
「ここは蕎麦がいいんじゃないか?」
"3人がジャンケンして勝った方の店に行こう"と辰実が促すと、10人乗りのエレベーターを5人が占領している密室の状態でジャンケンが始まる。3手4手と、あいこが続く中でパーを出して栗栖とマイケルに勝利したのは熊谷だった。
「よし、蕎麦で決まりだな。このビルがある本町あたりならいい店がある。そこに行こう。」
「お、いいですね」
「和食ならOKデース」
(蕎麦だな。刺身と天ぷらも食べようかな)
(久しぶりにざる蕎麦もアリだね)
(ラーメンじゃないが、ガッツリ食うか)
(ジャパンの"ソバ"はデリシャスとか…)
(ゆっくりお蕎麦もいいわね)
各々が蕎麦に対する思いを募らせながら、エレベーターが目的の階に着いた時の"ポーン"という音が聞こえ、ドアが真ん中から裂けると一斉に5人が歩き出す。換気の音だけが微かに聞こえる廊下を、ぶっきらぼうな顔をしたを先頭に大柄の男、小綺麗で小柄な眼鏡の男、大柄の男に金髪碧眼のアメリカ人、その後ろで長い髪をヘアゴムでまとめた可愛らしい女の子が乱れた隊列を組んで進んでいく。
18階大会議室。
"いかにも"会議室だろうという厳かな扉を豪快に掴み、押し開けると長方形のだだっ広い部屋の、長い一辺になる奥の壁一面が窓ガラスとなっている。部屋の中心に三角を描くように並べられている長机には、それぞれの面々が座っていた。
(馬場ちゃんと、"Lucifer"の人だな)
辰実と最初に目が合ったのは梓だった。オフィスビルの雰囲気に合わせたのか、髪を下ろしてフェミニンな服装になった彼女が同じ顔なのに"居酒屋の店主"とはまた別の顔をしている。彼女の隣には、黒色のオールバックに口ひげを蓄えた中年の男と、いかにもその部下ですよと言った風体の眼鏡をかけた若い男が座っている。宝飾店のスタッフだろうか、小綺麗なスーツ姿で姿勢も良かった。
(…あちらは、"わわわ"と。)
もう一辺には6人座っている。左端に座っていた饗庭と目が合うと、"来てやったぜ"といじらしい笑みを辰実に向けたから辰実も同じような表情で返してあげた。饗庭の隣には古浦が座っており、すました顔でこちらを一瞥。その右に座っているのはいかにも圧に弱そうな中年の男で、更に右には眼鏡にセンター分けロン毛の浮足立ってそうな中年の男。
(あのオッサン、何時"ヤーマン"とか出てくるか分からなそうだな…。あと夜の街とかで女の子いっぱい侍らせてそうだ。)
ちなみに、辰実は"ヤーマン"という言葉の意味は知らない。
(黒沢さんやトビさん、栗栖さんやマイケルさんにも助けてもらう事だってあるかもしれない。…それでも、私がここに立つって決めたんだ。しっかりしないと!)
ロン毛の男は"プロデューサー"と呼ばれる、立場で言えばモデルやグラビアの販促企画を担うチームのまとめ役にあたる人物であった。その右の席で"形だけ"大人しく座っている、金髪ロングヘアにギャルメイクの女の子が"月島亜美菜"。
(愛結さん…)
右端に座っている愛結。栗色の波がかった長い髪から覗き込む、あんなに羨ましかった大きくてハッキリした深い青の瞳が、憂いで揺れているようにも見えたのは"気のせい"では片付かないような気がする。
悲しいとも、気まずいとも、それで何を思っているのか分からないまま目が合い、"アヌビスアーツ"の面々と共に怜子は席に着く。熊谷が左端に座り、栗栖、マイケル、辰実と並んで怜子。彼女から見て右側の辺、怜子の一番近くに座っている梓と目が合って会釈をした。
(馬場ちゃんが篠部ちゃんの近くに座ってくれてるだけでも、心強いな)
ただでさえ"悪い思い出を最後に"追い出された場所であるのに、近くに月島や愛結でも座っていようものなら必死に耐えてくれている怜子も更に苦しくなるだろう。状況は元から悪いが、"最悪"を回避できただけまだ良いと辰実は考えていた。
「では皆さん、始めましょうか」
10時0分。定刻になり口を開いたのは"Lucifer"側であった。
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