関帝廟
人形のような女がいた。ジンリーは足を止める。
女の周りは護衛の死体で埋まっていた。関帝廟跡地、崩れかけた朱塗りの門、その下、辛うじて残っている階段に腰かけて煙草を吸っている。
関帝廟は、三国志に出てくる武将・関聖帝君を祀っていた祠だ。本殿はもう跡形もないが、ジンリーは関聖帝君が気に入っていた。
忠義、豪勇、不動心の象徴。絵空事のようだが、格好いいと思っていた。ジンリーとはかけ離れていて、憧れた。
馬腹に抉られた脇腹からの出血が止まらない。痛い。でも、倒れるわけにはいかなかった。女は硝子のような目で、ジンリーを見つめている。
「塔子といいます。青泰グループの秘書です」
「……辟邪のジンリー。よく分かんないけど、青龍ってそんな、儲かるんだ」
「私もよく分かりません。社長が欲しそうだったので」
司天社も青龍を連れてくる辟邪も、まだ来ていない。取引時刻は三十分後だった。
目の前の女は、気味の悪い気配がした。人間と妖怪が混じっているような、妙な気配。
「秘書って、こんなことも仕事なんだ」
「何でもやりますよ。社長には恩があるので、できるだけのことはしたいんです」
「恩? ……あんた妙な身体だけど、それも社長の為にやったの?」
氷のような無表情が、一瞬動いた。塔子と名乗った女は、少し動揺したように、目を揺らす。
「妙、でしょうか」
「妖怪みたい。混血じゃないね、でも。……喰った?」
ジンリーは笑う。昔、辟邪の中に妖怪の肉を喰った男がいた。一か月で、身体中ぼこぼこに変形して死んでいた。
妖怪の力を得る為に、喰う。それは禁忌だ。人間ができるようなことではない。
「それとも喰わされた? 酷い社長だ」
「――違います」
塔子の顔が青ざめる。恐怖ではなく、怒りの為だった。ジンリーはなおも笑いながら、首を傾げる。
「自分で喰うわけないでしょ、ただの秘書が。辟邪だって喰わない。何を言われたの?」
「何も。何も言われてません。私が勝手に」
「青龍にも興味無さそうなのに」
「――社長に食べさせるわけにはいきませんでした。身を守れる力が欲しいとおっしゃって辟邪から買ってらっしゃったんです。でも、私が、社長に食べさせたくなかった」
「変なの。身を守れる力が欲しいって言うなら、社長が食べればいいのに」
「怖がっていました。冒涜ですから。でも、部下に食べさせるわけにもいかないから、迷っておいででした。だから私が食べたんです」
「あんたも部下じゃないの?」
「――家族のようなものだって」
一緒に育ってきたので、と震える声で塔子が言う。
ジンリーは可笑しくて笑った。変な女だと思った。
「部下に食べさせるより、家族みたいなあんたが食べる方が嫌じゃないの? 社長さんは」
塔子は絶句していた。
――よくやった、と言われたかった。
言葉の裏に滲む期待に気づかないほど、塔子は鈍感ではない。
こちらを見る目、塔子に聞かせる為の独り言、よくやった、という言葉。
「酷い人だね」
愉快そうにそう言うジンリーが、嫌で堪らない。
「……酷くありません」
「家族みたいって、都合いい言葉だね。可哀想。やらせたいことがある時だけ、調子のいいこと言って」
「……違います」
「青龍なんていらないんでしょ、あんたは。肉だって食べたくなかったんでしょ。じゃあ私に譲ってよ。疲れたからさ、戦いたくないんだ」
どうせこの後はあの鬼子も来る。体力は残しておきたかった。
塔子はみるみる青ざめ、立ち上がった。左足に怪我をしたのか、重心が傾いている。
「勝手なこと、言わないでください。社長は、あの人は、優しい人です」
可哀想だなあ、とジンリーは思う。頬に雨粒が当たった。関帝廟の辺りだけ、雨が降り始めていた。
――
塔子の雰囲気が変わる。暴虐の象徴である
ジンリーは太刀を構えた。足元に血が溜まっていて、足が滑る。力を込めると、血がぼたぼた落ちていく。
――死ぬかもしれない。
そう思う瞬間が、この世の何より、好きだった。
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