天長門
よくやった、と褒められることが好きだった。
膝まで届く編み上げブーツ、その鋭いヒールで、倒れた男の頭を踏みにじる。不明瞭な呻き声が上がる。
「――答えなさい。取引場所は、どこです」
青泰グループは、妖怪の市場にまでは手を出していない。だから、中華街のルールも何も分からない。
塔子は取引場所すら知らなかった。朝陽門からどうにか中に入ったはいいが、道に迷ってまた違う門に来てしまった。信じられないくらいの人通りで、すぐに方向感覚が狂ってしまったのだ。
もう一度、男の顔を踏みつける。天長門に横たわる死体、その中で唯一生きているのはこの男だけだ。
「答えなさい。また骨を折られたいですか」
男が微かに手を動かした。地面が揺れて、真っ黒な犬のような妖怪が飛び出してくる。吐いた息が炎に変わる。塔子の髪の先を焦がす。
――
塔子は眉一つ動かさず、手を伸ばしてその首を絞める。人間ではあり得ない膂力だった。塔子の細い腕に青い静脈が浮き、禍斗が暴れる。肌を焼かれたが、手は離さなかった。
空を見ると、暗雲が垂れこめていた。一つ、二つ、雨粒が落ちてきて、やがて豪雨になる。
禍斗のまとう炎が弱まっていく。ぐったりしたそれを、塔子は雑に放り投げた。重たい水袋がぶつかったような音がして、地面に堕ちる。男は薄く目を開いて、それを見ていた。絶望の色が見えた。
――どうしよう。このまま司天社に業績が追い抜かれたら。
――社員も、私の家族も終わってしまう。どうしよう、私の責任だ。
――青龍は、成功と富をもたらすらしい。どうすれば。
――うちにも、青龍が来ればいいのに。
青泰グループの業績は安定している。司天社が青龍だか何だかよく分からない化け物を買おうが、青泰グループの利益が減るというわけでもあるまい、と塔子は思っていた。
秘書として、ひたすら、社長の愚痴を聞いていた。愚痴というより、塔子に聞かせる為の独り言だった。
小さい頃、孤児だった塔子は青泰グループの社長一家に引き取られた。よく知らないが、遠縁だったらしい。今の社長とはほとんど同い年で、兄妹のように育った。兄妹のように――。
――私が青龍を取ってきます。
塔子が言うと、危険だから、と彼は渋った。そんな危ないことはさせられない、と言った。危険だから。塔子は薄く微笑んだ。
――そうですね。やめておきます。
言って、塔子は三日の休暇を取った。社長は、何も訊かなかった。
昔、
こんなもの人間の食べるものじゃない、と彼は言った。でも、家族を守る為に必要だ、と言って葛藤していた。強く、社長と社長の家族を守る為の人間。
私が食べます、と申し出た。社長が食べるくらいなら、私が。
何を言ってるんだ、と彼は言った。君は家族みたいなものだろう。それなのに、食べさせるわけにはいかない。
言われて、塔子は引きさがった。その晩、こっそり台所でその肉を焼いて、食べた。
酷い味だった。生臭くて、噛むたびに涙が出て、戻しそうになった。それでも全部食べた。
社長に言われてやったことではない。塔子が勝手にやったことだ。翌日知った彼は、驚き、悲しみ、それから、塔子に言った。
――よくやった。
雨はすぐに上がった。
自分の中に、猛々しい衝動があるのが分かった。貪欲で、暴虐な妖怪の残滓。不味い肉、あれのせいで、塔子は。
「――うわ、ほんとに全滅してる」
呑気な声が聞こえて、塔子は振り返った。天長門の向こう側、護衛たちの死体を軽々乗り越えて、少年がこちらに向かって来ていた。
明るい目が見えた。でも、服は血まみれだ。ベルトに挟んでいる曲刀は、飾りではなく、しっかり実戦用だった。
「あんたが、青泰グループの秘書?」
無遠慮に、少年はそう訊いた。塔子は男から足をどかす。
「先に名乗るのが、礼儀では」
「そうかもね。ハオランっていう。あんたは」
「私は塔子です。青泰グループの秘書です」
「これみんな、あんたが殺したの?」
「取引場所を、教えてくれないので」
「なら俺に訊けばいいのに」
関帝廟だよ――とハオランは言った。
本当か嘘か、見極めるように塔子は目を細める。ハオランは笑った。
「青龍、狙ってる?」
「……あなたもですか」
「ならライバルだ」
「餓鬼は殺したくありません。大人しく帰って下さい」
「勝手なこと言うなよ」
死にたくないでしょう、と塔子は真顔で訊く。
塔子には
足元で、微かに声がした。
唯一生き残った護衛、その男が、ハオランを見て何か呟いている。ぎりぎりまで見開かれた目は、さっきとはまた違う恐怖を映していた。
「――」
――おにご?
唇の動きが、そう見えた。
「あんたも死にたくないよな」
ハオランが笑っている。鬼のようには、見えなかった。
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