デッサン用のピーマンに対する考察が長すぎる山田君と早く課題を描き終えたい私

森里ほたる

第1話いや、勘違いしちゃうよね


 この姿を表現するとすれば、「官能美」。上品でもスマートでもなく、肉感的でエロティック。


 触らなくても視覚からその存在の生々しさを感じて手を伸ばさずにはいられない。この自然界が生み出した野性的エロスから僕は目を離すことができず、時の流れから乖離してしまっている。


 "美しさは罪"。今の僕には痛々しい程その言葉が理解できる。これは、人類を狂わせる神が落とした禁断の果実なのだろう。




***




 また今日も山田君は変なことをしている。美術の授業用に配られた「ピーマン」を手に取り、じっと眺めている。何を考えているかよくわからないし、少し話しかけ辛い雰囲気だがそんな事も言っていられない。


 なぜなら私のデッサン対象が彼の手の中にあり、全く課題が進んでいないからである。



 そもそも美術の先生が授業時間の半分をかけて熱弁した「旦那が気付かない家事・掃除・育児について」のせいでデッサンする時間がほぼ無いのだ。そんなわけで彼から私の獲物を奪還すべく話しかける。



 山田君は少し変わっている。


 教室の片隅で物思いに耽っているかと思うと、私に脈絡のない考えを(一方的に)披露してきたりする。そして彼の見る世界は常に色々なものに繋がっていて、野菜の分類、ギャンブル必勝法、ペットボトルの形などの幅広い分野を語ってくれる。……私を置き去りにして。


 そしてなぜか私に他とは違う特別な意見をもらえないかと期待した目で見てくる。なぜそんなことを求めてくるのか分からないし、正直面倒くさい。そういう難しいことは頭の良さそうなクラスの人に聞けばいいのに。


 そんな自由と言うか自分の世界全開な彼ではあるが、反面こちらの悩みには親切にそして優しく耳を傾けてくれる。ただ聞いて欲しい話は素直に聞いて喜んでくれたり、相槌を打ってくれる。


 結局、私から見ると山田君は「無邪気で自由な子供と年相応以上に落ち着きのある青年のハーフ&ハーフ」というイメージ。どちらかが主でどちらかが副ということもなく、50%50%なのだ。


 勉強がかなりでき、部活にも入っていて、とても仲の良さそうな友達もいる。独特ではあるけど、周りと大きく違っているわけではない。でもなぜか私にだけ彼の脳内ワールドを展開させてくる、少し変わった男子。それが山田君。



 そんな山田君はピーマン片手に、ピーマンの「官能さ」というものを私に語ってくれていた。


「……という点からもこのピーマンは凄まじい熱量を持っているよね。ところで、なんでピーマンって美術のデッサン用に使われているのだろう。野菜だったらなんでもよかったのかな。でもデッサンと言えば、赤いトマトなイメージで、その赤にこそピーマンの緑が映えるのかもね。それに球に近いトマトとぼこぼこ角張ったピーマンという形状の対照的要因で選ばれたのかもね。あと、子供の頃から身近にあってなじみ深いし、イメージしやすいって点もあるかも。ピーマンを嫌いな子供も多いから、逆に強くイメージに残っているかも。うん、よく考えられているよ、本当に」



 どうやら彼の長い長い考察は終わったようだ。


 私は適当に返事をし、ピーマンを奪い取る。彼のこの類の話はいつもほぼ聞き流している。時々、あまりにも聞いていなくてさすがの彼も怒るのではないかと考える時もあるが、今まで怒られたことはない。むしろ、私は彼が怒っている姿を見たことがない。


 私はこの怒らないという点は彼の一つの美徳である。人によっては、怒らないことで弱気な人だと思われることもあるし、無理難題を押し付けられることもある。彼もそういう場面に出会っているはずなのに、それでも気にせず流している。


 そういう成熟している面を見せられると、恰好良さというよりも、自分の未熟さを感

じて嫌な気持ちなる。いわゆる無いものに憧れるというやつかもしれない。それか自分のダメなところが浮き出てくることを拒んでいるだけなのかもしれない。



 そう考えながらも取り戻したピーマンをテーブルの上に置き、ペンを走らせた。


 ある程度描いてみたものの、このスケッチの進まなさを表現するのであれば、走らせるというより歩かせると言った方が適切だろうか。のろのろという擬音付きの。


 そしてチャイムが鳴り、提出は明日以降へと先送りが決定した。明日から頑張ろう。曇り空に私は誓った。




 放課後、手早く帰り支度をして下駄箱まで下りてきたが、とうとう雨が降り出してきてしまった。しばらくは止みそうにない。


 朝はあんなに晴れていたのにと友達に愚痴ると、「新潟県民たるもの……」と私のおじいちゃんと同じ口調で折りたたみ傘の必要性を説いてきた。朝、天気予報を見逃していたのは大きかった。見ていれば雨とこのお説教を避けれたのに。


 ちなみにその友達は、傘を忘れてきた彼氏と一緒に仲良く帰っていった。当然、彼氏にはあのセリフ無しで。……少し納得はできないが、ちゃんと反省しよう。


 そんな風に少し不貞腐れていた私に声がかかる。


「あれ、春ちゃんどうしたの?」


 山田君だ。こちらに来て止まない雨を睨んでいた私を見て何かに気がついたのか、リュックサックをごそごそと確認し始めた。



 雨、そして傘の無い私。これはつまり例のアレのお誘いなのでは?



 少し気恥ずかしいけど、せっかく誘ってもらえるならその青春な申し出を受けようじゃないか。……それに、いざ誘ってもらうと思うと嬉しい。


 私は彼が準備するのを待った。ほどなく彼は、紺色の折りたたみ傘を見つけ出し、私に手渡してきた。


「はい、これ使ってね。新潟県民たるもの折り畳み傘忘れちゃだめだよ」


 優しい笑顔で渡してくれた。



 あれ? 想像していたお誘いの言葉と何か違うような……。よく見ると、彼のズボンの後ろポケットに大きなビニール傘が引っかかっている。


 ……うん、今、最高に恥ずかしい。なんだろうこれ。とりあえず顔だけは折り畳み傘を借りるのを待っていた風に装った。そしてお前も県民感推してくるのかよ。どうなってんの私のまわり。


 色々と複雑な気分になってしまったが、まずは傘を貸してくれたことに感謝だ。それにこれは思春期のせい。そうに違いない。誰しもがかかるやつだろう。それならば、この罠にかかってしまったのは仕方ない。うん、仕方ない。仕方ないよね。


 借りた傘を開く。普段から私は横風で荷物が濡れるのが嫌いなので、できるだけ大きな傘を使っている。でもこの傘は私の傘よりも大きく、取っ手も大きい。……無意識に彼の広い肩幅や大きな手を連想してしまい、こういう所で急に男の子を感じてしまう。


 そんな私の乙女回路がフル稼働している時、そのぬくもりは突然やってきた。


「春ちゃんの手冷たいね。ちゃんと手袋をしないとだめだよ」


 一瞬、私の中が空白になった。空白。真っ白。音もなく何もない。そしてその何も無い空間が右手から、ゆっくりと、じんわりと温かみに満たされ、私の時間が動き出した。





山田君の左手が私の右手を握っていた。





「カイロとか持っていない?寒くない?ごめんね、最近うちでは服に貼るタイプのカイロばっかりで手持ちがないんだよね。でも貼るタイプはかなり温かいからおススメだよ。でもこの擦ることで温かくなるっていいよね。ちょっと管理が難しそうだけど。そう考えると、簡単に熱くなるから飛行機の預け荷物とかに乗せられるのかな。ちゃんと袋にいれて積込むなら問題ないのかな。そういえば、飛行機の手荷物ってチェックされて没収されちゃうことあるよね。最初は特によく分からないから、そのまま持って行って没収されて、『あ、預け荷物に入れとけば』なんてこともあるよね。あの没収されたものってどうなるのかな」


 彼が何か言っているが全く耳に入らない。いま私の脳内には彼の手の感触と自分の手汗が出ないことへの祈りしかない。割合で言うと後者の方が大きい。


 私は元々手汗が出やすい体質で、特に緊張時には本当にハンカチを手放せない。唯一の救いは今日は寒く乾燥していて、手汗が出ていなかった。



 とにかく、もっと山田君には私を理解して欲しい。


 私の体はマンガのヒロインのように綺麗で完璧ではない。準備が必要なのだ。それも他の人以上に。そんな気も知らないであろう横の朴念仁に文句の一つを言いたくなってしまうのは仕方ないだろう。


 ……でも、手を繋ぐのは嫌じゃない。彼の手の温かみは私の手だけではなく、心まで温かくしてくれる。ああ、もう、正直に言おう、嬉しい。私自身、面倒くさい女子だとは自覚しているが、男の子からアプローチして欲しいし、してもらえれば嬉しいのだ。


 ここまで言うのなら、もっと正直に言おうじゃないか。山田君にして欲しい、というか山田君じゃないといやなのだ。わがままと言われるかもしれないが、私はかまって欲しいのだ。絶対に本人に伝えることはないのだが。





 それに彼氏が彼女の手を握るのは不自然なことではない。





***




 手を繋いでから何かを堪えているような顔をしている可愛い女の子、恋人の春ちゃん。誕生日は10月生まれ。春ちゃんのお父さんが春の季節が好きだから、春香と名付けたそうだ。本人は特に気にしていないようだけど、氷が融け始め緩やかに広がっていくようなあの暖かさとじんわりとした優しい感じはまさに「春」のようで、僕はとても合っていると思っている。


 僕が春ちゃんと話すようになったのは、ある放課後の事だ。一つの事柄から色々と発想を広げていった時に、ある発想が浮かび、つい口から出してしまった。特に誰かに向けた言葉ではなかった(というか独り言だった)が、横の席に居た春ちゃん(その当時の呼び名は佐藤さん)が僕が思いもしなかった新しいアイディアをツッコミ気味に教えてくれた。その日から彼女のことが頭から離れない。


 そこから紆余曲折でゆっくりとした歩みだけど仲良くなれた。それから、別に少女漫画のように壮大な物語はなかったが、僕の初恋は成就して今とても幸せである。


 それからというもの、僕は色々な部分が少し変わった。より顕著に変わったのが、料理を覚えたいと思ったことだ。


 一度、春ちゃんが熱を出して学校を休んだ時があった。お見舞いに行ったときに、お粥の一つも作れない自分がいて、とても後悔した。結局コンビニでレトルトのお粥を購入し、プリンと飲み物もセットで用意したら、春ちゃんは本当に喜んでくれた。


 しかし、ふと、もし将来同じ場面が来た時に、一生コンビニダッシュし続ける男のままでいいのかと自分の中の何かが囁いた。今まではコンビニやオンラインですべて補えると思っていたのが、急に間違いのように感じた。間違いなのか味気ないなのか色がない無色ではないかという想いが芽生えた。


 そこからだろう。料理を憶えることですべてを解決できるわけではないと思ったが、何かをやらずにはいられなかった。それと同時に少しでもわずかでも春ちゃんに何かをしてあげたいと心に火が灯った。僕に多くのことを気づかせてくれて、たくさんのことを育ませてくれる大好きな春ちゃんに喜んで幸せになって欲しいと思った。


 いつも僕は思う。本当に春ちゃんは天才だと思う。彼女が一つの分野に熱中したら、どんな新しく素敵なものを作り上げていくのか本当に楽しみだ。僕は彼女にその気持ちを伝えても、流されてしまう。それでも、もし春ちゃんが本気で何かに立ち向かう時は、一番に支えてあげたい。かっこうをつけずに言うと、本気だろうがなかろうが何かあろうがなかろうが春ちゃんのそばにいたい。ずっと一緒にいたい。




***




 山田君が静かである。大体そういう時は何かをくだらない事を想像しているのだろう。それよりも、せっかくお付き合いしているのだから、そろそろ「山田君」呼びはまずいだろうか。今まで色々と理由をつけて呼ばなかったが、本当はただの照れ隠しである。残念ながらそれは彼にも伝わっているのか、名前に関しては何も言われていない。私としては、ナメクジのような前進スピードかもしれないが、これでも一応前に進んでいるつもりだ。そのつもりだし、彼の優しさに甘えているのも分かっているが、しかし、こればっかりはなんとも。と、いつもの言い訳で締めくくってしまう。



 ふと、日時を示す電光掲示板が目に映った。


 一つ息をもらした。そうだな、もう少しで彼の誕生日がある3月になる。


 単純ではあるが、私みたいなタイプには分かりやすいキッカケが必要なのだ。面倒くささと恥ずかしがりとロマンチックで夢見がちさを入れ交ぜたのが私だ。キッカケと理屈と屁理屈で武装して、一歩を踏み出したい。つながった手の先から目一杯の私の気持ちが伝わるように。そして、今度はちゃんとあなたに伝えにいきます。


 だから、言葉で伝えるまでもう少し待っていてください、蛍太郎君。

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