第11話 うえを向いて歩こう

 最後のフィナーレが終わると、僕たちはお姉さんが運転する車で家まで送ってもらった。

 時刻は九時を少し過ぎていた。

 やっと自分の町に帰ってこれて安心したのも束の間、本当の修羅場はこれからだった。

 

「おまえはッ、こんな時間までッ! どこに行っていたんだッ!」


 お父さんは顔を真っ赤にして僕を叱った。

 今にも殴られそうな剣幕だった。

 お母さんは泣いていた。


 僕の両親と燈ちゃんのお父さんが、僕の家の前で待っていたのだ。

 燈ちゃんと僕がいつまで経っても帰って来ないので、僕たちが一緒にいるのだとすぐに検討が付いたらしい。

 もう少し帰りが遅かったら、警察に捜索願が出される羽目になっていた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……。ひまわり畑を見に行っていたんだ……。く、暗くなるまでには帰るつもりだったんだけど、色々あって……」


「何で黙って行ったんだッ! 母さんと父さんがどれだけ心配したと思っているッ!」


 お母さんの涙を見て、心配されていたことは言われずともわかる。

 それにつられて僕も泣いた。

 僕の涙につられて、お父さんまで泣き始めた。

 もうめちゃくちゃだ……。


「まったく……。心配させやがって……。今度から行き場所を伝えてから行けよ……」


「うん……」


 場の空気が治まるとお父さんはお姉さんにお礼を言った。


「本当にありがとうございます。あなたがいなかったら、どうなっていたことか……。うちの子ならまだ知らず、燈ちゃんの身に何かあったら大変なことになるところでした……」

 

 お父さんは僕の頭を押さえて頭を下げさせた。


「いえいえ。れんくんを余り叱らないで上げてください。れんくんにはれんくんの想いがあってのことですから」


「はい……。何もお礼はできませんが、うちは食堂をやっているのでまたいつでも食べにしてください。代金はサービスしますから」


「また今度食べに来ます」


 お姉さんはそういって立ち去った。

 予期していたけれどお姉さんが立ち去ってから、またも僕は両親から怒られた。

 叱るなとお姉さんに言われていたではないか……。


「吉良くん。うちの息子が本当に済まなかった……。この後もよーく叱って置くよ」


「俺からもお願いだ。そんなに叱ってあげないでくれ。蓮くんも娘を想ってしてくれたことだ。娘も今日は楽しかっただろう」


 燈ちゃんのお父さんは僕の眼の高さにしゃがみ込んで、僕の肩に手を添えて言った。


「蓮くんこれに懲りず、娘と遊んであげてくれよ」


 怖そうだけど、やっぱり良い人だ。


「はい」


 燈ちゃんのお父さんは微笑んで、燈ちゃんと一緒に帰って行った。

 お姉さんと燈ちゃんのお父さんから叱ってやるな、と言われているにも関わらず、家に入ってからドラマでよく見るような事情聴取をされたうえで、その後もやっぱり叱られた……。

 




 それから、数日後のことだった。

 あの日、無理をさせてしまったのが原因かはわからないけれど、燈ちゃんは体調を崩して病院に入院することになった。


 僕はその話を聞くとすぐに病院に向かった。

 僕たちの町にある小さな私立病院で、僕も何度かインフルエンザ予防接種とかで、お世話になっているから注射の悪い思い出しかない……。


「大丈夫……」


 四人ほどが入れる相部屋に燈ちゃんはいた。

 燈ちゃんの他には誰もいなくて、ほとんど個室状態だったけど。

 

「あの日、僕が無理やり連れだして無理をさせたからかな……。だとしたら本当にごめん……」


「そうじゃないよ」


「本当に?」


「本当に」


「よかった。じゃあ、どうして入院なんて……?」


「……ちょっと、暑さと、持病と他のことが色々と重なってしまっただけ。すぐに退院できるから」


「ちょっと。病院の廊下を走っちゃ駄目じゃない……」


 お母さんが数十秒遅れて追いついた。

 手には来る前に買ったお見舞い用の花と、果物のバスケットが握られている。


「走ってないよ、早歩き」


「それもだーめ。人にぶつかったときのことを考えなさい」


「ごめん……急いでて」


 気持ちが急いていたんだ。


「今度から気を付けてね」


「はい」


 お母さんはサイドテーブルに置かれていた花瓶に花を活けた。

 

「燈ちゃん。この中で食べたい果物ある?」


 バスケットの中には色彩豊かなリンゴとか桃、バナナが入っていた。


「いえ。今はいいです。ありがとうございます」


「そう。まあでも元気そうでよかった。入院したって聞いて、この子、本当に心配していたのよ。もう見舞いに行くんだって聞かなくて」


「お母さんっ……」


「あはは、照れてるのよ。まあ元気そうで良かった。また退院したらこの子と遊んであげてね」


「はい」


「じゃあ、歳よりは引っ込んでおこうかね。後は若い人たちで話してちょうだい~。オホホホホ」


 そう言い残すとお母さんはニヤニヤしながら病室から出ていった。


「そんな気を遣わなくていいのに……」


「ふふふ、本当に楽しいお母さんね」


「そんなことないよ。すぐ怒るし、『あれしろ、これしろ』『あれするな、これするな』『ああだ、こうだ』『がみがみ、うじうじ』うるさいし……。あの日帰ってからだって、どれほど怒られたことか」


「そんなこと言っちゃ駄目だよ……。怒ってくれるってことは愛されていることのイコールなんだよ。愛されていなければ、そもそも怒ってすらもらえないんだから……」


 燈ちゃんは怒っているような、悲しんでいるような、複雑な顔をして僕を見た。


「ごめん……そんなつもりで言ったんじゃないんだ……」


「うん、わかってるよ。今日は来てくれて、ありがとう。することなくて暇だったから、嬉しい」


「暇だと思って、適当に本を持って来たから読んで」


 僕はカバンの中に入れてきた、本を取り出した。

 

「読んでいるかもしれないけど……」


「まだ読んだことないよ。お父さんに持ってきてもらったやつ、読んじゃっていたの。蓮くん、ありがとう」


「よかった。読んでたらどうしようって思っていたんだ」


「読んでても、再読することで新たな発見が必ずあるから、構わないよ」


 それから一週間もしないうちに燈ちゃんは退院した。

 夏休みも終わり、いつもと同じ毎日が戻って来て、僕たちが小学校を卒業する日を迎えた。


 この六年、楽しいことも、辛いことも、数えきれないくらい色々なことがあった。

 早かったような気もするし、ゆっくりだったような気もする。

 頭の中のアルバムを開くと、色々な思い出が昨日のことのように思い出せた。


 小学校を卒業しても、すぐ近くの中学に行くから、一生の別れではないのだけど、寂しくて悲しい気持ちが湧き上がる。

 いつでも校舎には来ることができるけれど、もう僕たちはこの学校の人間ではなくなる。


 僕たちの過ごした、もう二度と戻ることのできない過去の思い出がたくさん詰まっていて、これからの子供たちの思い出をたくさん育んでいく。


 僕たちは全校生徒に送りだされて、引き換えに新入生が迎えられる。

 もう僕たちには帰る場所はない。

 僕たちが使っていた教室は、新たな六年生に受け継がれる。

 

 毎年繰り返される摂理。 

 眼をつむるとこの六年間の思い出が、まぶたの裏に浮かんでは消える。

 後ろを振り返ることはできても、もう二度と下りることはできない大人の階段を僕は、僕たちはまた一つ登るのだ。


 下を振り返るのをやめて僕たちは未来うえを向いて歩かなければ。

 どれだけ楽しくても、辛くても、良くも、悪くも、時間は戻らない。

 六年間ありがとう、そしてさようなら――。

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