燈のひかり繋ぐあかりの町で ~私を愛して~

物部がたり

始まりのエピローグ

始まりのエピローグ

 この町に帰ってくるのは、何年ぶりになるだろう。

 十年でも、二十年でもない。

 三十年近くだ。

 あれから連絡一つとらず、ずっと逃げてきた。


 だがもう逃げるのは終わりだ。

 過去と向き合う時が来た。

 昔は無理だったけれど、今なら大丈夫。

 

 俺はもう一人ではない。

 ここまで来るまでには色々あった。

 自分が理想としていた大人にはなれなかったけれど、こんな俺でも何とかやっている。

 

 長かった。 

 良いこともあれば、辛く苦しいときもあった。

 だが、辛く苦しかったこれまでがあるから、今の俺があると今なら思える。

 

 この町も昔とそれほど変わらない。

 昔通った道も、家へと続く坂道も、舗装はされているが景色や空気、雰囲気などの本質は変わっていない。


 一歩を踏み出すたびに、無意識のうちに封印していた記憶が呼び起された。

 ああそうか、辛く苦しい思い出しかなかったと思っていたが、こんなに楽しかった思い出もあったのか。


 俺は幸せを封印して、辛い記憶ばかりを無意識のうちに選び、憶えていたのだ。

 俺の方が、悲劇のヒーローでいることに酔っていただけだ。

 だが悲劇のヒーローの物語は終わり、新たな物語が始まる。


 坂道を登ると、家があった。

 大きく思えた家は、昔より小さく見えた。

 昔は俺を拒んでいるように見えていた家だが、今なら心なしか両手のひらを広げて、向かい入れてくれているように思う。


 所詮、世界など気持ちの持ちようで、ユートピアにも、ディストピアにも見えてしまうのだ。

 世界は残酷に満ち満ちているのでもなく、慈愛に満ち満ちているのでもない。


 世界に灰色のフィルターをかけていたのは、俺なのだ。

 家の前に女が立っていた。

 白髪が目立ち、髪は灰色になっている。


 老いが目立つようになったが、昔以上に綺麗で、昔以上に幸せそうだった。

 俺は鼻から息を大きく吸って、気持ちを落ち着かせる。

 もう大丈夫だ、俺は一人ではないのだから。

 娘は俺に勇気を与えるように、俺の手を引いて女のもとに歩みを進める。


「おかえりなさい」


 女は目尻に皺を寄せて、優しく微笑んだ。

 いつも悲しそうにしている顔や、辛そうにしている顔、怒っているような顔をした記憶しかなかったが、こんなに優しく笑える人だったのか。


「ただいま」


 なんだ、こんなに簡単なことだったのか――。

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